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ラカン派精神分析と文学

1 :吾輩は名無しである:04/03/24 17:32
鏡像段階って何やねん?
フロイトその他、精神分析なら何でも。
精神分析と文学研究との関係を考えようか。

2 :吾輩は名無しである:04/03/24 17:35
斎藤環が文学界で連載してる「文学の兆候」の話題は
このスレと関係があるのですか

3 :吾輩は名無しである:04/03/24 17:35
精神分析と文学を結びつけたあんたは偉い。
相性いいんだよ。

4 ::04/03/24 18:04
ガタリとラカンの関係を教えてください。

5 :吾輩は名無しである:04/03/24 18:16
ガタリはラカン派の鬼子
開放病棟の実践に関わっていたためラカン派に疑問を持つ
そしてドゥルーズとの出会い

「カフカ」はラカン批判として読むと面白いね

6 ::04/03/24 18:33
 「鏡像段階」の意味を教えてください。
 また、フロイトとラカンの関係について教えてください。

7 ::04/03/24 18:36
 「カフカ」とは、あの数ページの小説を何倍返しに批評した、デリダの?

8 :吾輩は名無しである:04/03/24 18:38
この板にラカンを理解できてる人間はいないよ
速やかに削除依頼を出して出て行ったほうがいい
心理学板か哲学板にいきなされ

9 :吾輩は名無しである:04/03/24 18:41
8みたいな反発それ自体が精神分析されるべきだろう
デリダスレはこっちの方がレベルが高いから、
あながち不毛ではないはず

10 :吾輩は名無しである:04/03/24 18:42
ドゥルーズ&ガタリ「カフカ━━マイナー文学のために」

デリダのやつは、「法」とかのお決まりの話で面白くない

11 :吾輩は名無しである:04/03/24 18:46
日本だとラカン→ジジェクの線で読む香具師が大杉
文学と絡める場合はつまらなくなるのでおすすめしない
斉藤環も同じ。


12 :吾輩は名無しである:04/03/24 18:48
精神分析と文学は、
やはりギリシア悲劇の問題から考えるべきでしょう。
『翻訳としての人間』が面白いです。

13 :吾輩は名無しである:04/03/24 19:00
>>9
やってみろや

14 :吾輩は名無しである:04/03/24 19:07
「ラカンを理解できてる人間」(!)……
>>8とixionをいれれば少なくとも二人はいるな

15 :吾輩は名無しである:04/03/24 19:12
そうだ!僕らにはイクシオンがいたじゃないか
ラカンを完璧に理解してるとのもっぱらの噂
日本のラカンixion

16 :吾輩は名無しである:04/03/24 19:17
ixionってラカン嫌ってなかった?どうでもいいけど

17 :吾輩は名無しである:04/03/24 19:18
ixionはラカン大好き
ラカンがあればご飯3杯はいけるといってた

18 :吾輩は名無しである:04/03/24 19:26
日本の文学読みの多くは、
ろくに知りもせずに精神分析を嫌いがち。
もったいない。

19 :吾輩は名無しである:04/03/24 19:31
そういえばixionのサイト見れないな。
移転したのかな?

20 :【矢部】 ◆pIzFRdQNI. :04/03/24 19:32
1です。場所を移動してる間に、意外と伸びましたね。
ラカンや精神分析方面は、私は理解していない…というか、
文学理論関係の中では、最も苦手、というか、大嫌いな分野です。
特に>>11氏も言われてましたが、文学関係の論文を読んでてラカンが出てくると、
必ずまゆに唾をつけることにしています。だからこそあえて、
ラカンを文学に適用するということに関する、いくつかの疑問を投げかけ、
ラカンに詳しい人のお考えをお聞きできればいいな…などと思い、立ててみました。
ただ、仕切る意欲も用意もないので、ご自由にお使い頂ければと思います。
その、ラカンに関する「疑問」は、あとで書かせて頂きます。



21 :11=18:04/03/24 19:52
>>20
漏れの趣旨は、
面白い精神分析的文学読解が日本に紹介されていないというもの。
アンドレ・グリーン(仏語だけど)とか一度読んで欲しいね。
そしてフロイト自身のテクストも。
ラカンを中心にすると、2ちゃんだと斉藤環やジジェク関連のレスで埋まる。
そうすると「解離」とか「セカイ系」とかいう駄弁になる。

ラカンは精神分析の可能性の全てではないよ。


22 :吾輩は名無しである:04/03/24 19:54
それからいわゆる「ラカン理論」と、
ラカンの最も面白い部分も別物。
「カントとサド」にはラカンの良いところが出ている。


23 :【矢部】 ◆pIzFRdQNI. :04/03/24 20:06
やはり、今書きます。ラカンを文学研究に応用することに対し、
私の疑問は、だいたい2つあります。どちらも、ラカンに詳しい方から見たら
ナイーブな疑問だろうと思いますが、気になって夜も眠れません(?)ので、書かせて頂きます。

1つ目は、少し大きな問題です。
これはフロイトでも、他の人でも、精神分析の理論を、
文学に応用することそのものの意義、に関する疑問です。




















24 :【矢部】 ◆pIzFRdQNI. :04/03/24 20:07
たとえば、現実界、象徴界、鏡像段階というような概念を持ち出して、
文学作品に関し、「これは鏡像段階における…」といった説明を施す場合、
文学表現は、ラカンのモデルを例証する、「サンプル」になってしまうのではないか?
それが文学研究といえるのか?、ということです。この場合、予め答えは出ていて、
作品はそれを言うための手段になってしまうのではないかと思われます。
また、ラカン等を適用するということは、人間の精神・心理はみな、
同じ「普遍的」なモデルで説明できるという前提に立つことを、意味すると思われますが、
それは結局、特定の人間観、価値観に過ぎないものを、「普遍」として押し付けることに繋がるのではないか?
同じことは、マルクス主義系の理論についてもいえます。この場合は、「社会」の在り方に関し、
予め特定のモデルを前提とし、作品は単にその「具体例」として使う、ということになるのではないか。
こういうことは、「徴候的読解」(Symptomatic Reading)の問題として、捉えることができるでしょう。
人間というものはこうなる、社会はこうなる、ということの「徴候」として、作品を扱う態度のことです。
しかし、文学の表現は単に、ある精神状態や、時代状況の「徴候」なのか?
そうしたモデルには収まらない、微妙なニュアンスこそが、文学の命ではないのか?という疑問が生まれるわけです。


25 :吾輩は名無しである:04/03/24 20:15
ああ、その疑問1に対しては、
当のフロイト自身が作品のダイナミズムを良く読んでいる場合もあるので注意な。
おすすめは「不気味なもの」「グラディーヴァ」。
この二つに対しては、そう還元的ではない読解を行っている。
だいたい君の議論は「理論」一般に対する敵意じゃん。
それ自体具体性を欠くね。

マルクスも、「ルイ・ボナパルトのブリュメール18日」を読めば、
歴史のダイナミズムを単に還元的に扱っているわけではないことが明らかだよ。


26 :吾輩は名無しである:04/03/24 20:20
ただ、フロイトは「オイディプス・コンプレックス」については、
たしかに還元論的だな。
これについても弟子達が丹念に検証しているよ。

一つ言えるのは、ギリシア悲劇を人間理解の雛形に使うという発想自体が、
西洋における文学の生命につながっていること。

個別的な作品から何らかの普遍に到達するという回路自体を否定したら、
文学研究が好事家の手すさびから区別できなくなる。

たしかに理論がでしゃばるのはウザイし、
エピゴーネンがどうしようもないのは間違いないけど、
日本の文学研究に欠けている「作品の真理」に対する情熱を、
精神分析批評が持っていることは事実だろう。

27 :吾輩は名無しである:04/03/24 20:27
日本語(翻訳ものふくむ)の文献で、
文学の精神分析的読解といえるものの刺激的なテクストは
ないでしょうかね。マルト・ロベールなんかはどうですか。
古いですかね。

28 :吾輩は名無しである:04/03/24 20:30
それと、「鏡像段階」に引っかかりすぎているね。

> 文学作品に関し、「これは鏡像段階における…」といった説明を施す場合、

こういう拙い説明は「ラカン理論入門」のものだろう?
個人的に思うに、
「鏡像」や「エディプス」のような特定のイメージを精神分析するのは不毛。

物語のダイナミズムそのものに対して「徹底操作」を行う批評こそが本道だろう。

まともな臨床家なら患者の来歴をそう簡単に「例」にしないはず。
かつ、患者の個別性に巻き込まれすぎないようにする(逆転移の回避)。

こういう態度は文学作品に対する最良の批評とも共通すると思う。


29 :吾輩は名無しである:04/03/24 20:35
>>27
ロベールの『小説の起源と起源の小説』は名著だけど、
個人的に良くないと思ったのは、
十九世紀フランス小説をモデルにするあまり、
ドイツ文学の幻想的・寓話的傾向などを「退行」として切り捨てるところ。
退行と成熟についてのイメージがやや貧困ですね。
D&Gが『カフカ』で批判している理由でしょう。
でも良い本だと思います。

30 :27:04/03/24 20:38
>>29
うむむ、なるほどなるほど。その通りだと思いますw
レスthxです。


31 :吾輩は名無しである:04/03/24 20:46
>>30
国書刊行会のドイツ・ロマン派全集の
批評編に載っていた、
フリードリヒ・キットラーのテクストは面白かった。
ホフマンの砂男を論じたもの。
のちの「グラモフォン」などの壮大な話が少なめで、
ラカン派のインパクトをドイツに手際よく紹介するものになっていたはず。
(手許にないので正確なタイトルは失念。スマソ)

32 :【矢部】 ◆pIzFRdQNI. :04/03/24 20:47
では二つ目の疑問です。これはラカンの具体的な解釈に関わることがらです。
先の>>11は、「ラカン→ジジェクの線で」の読解を、「文学と絡める」ことに関する
疑問だったわけですね。で本来のラカン的読解は面白いものだと…。
できればその、「ラカン→ジジェクの線で」の読解だとどうなるか、
それは本来の、面白い読解とどう違うか、という点について説明して頂ければと思います。




33 :【矢部】 ◆pIzFRdQNI. :04/03/24 20:48
>>11氏は、ラカンを歪めるものとして、「ラカン→ジジェクの線」を挙げられたわけですが、
ほかに「ラカン→バトラーの線」というのも、考えることができるかもしれません。
具体的にはこういう感じです。バトラー(Judith Butler)はラカンのモデルを、
最初に確固として「現実界」という状態があり、それが「鏡像段階」で変容を遂げる、
というふうに捉えています。本来的なものとして、無際限の差異の戯れみたいな状態があり、
そういう「母性的」な状態に、ある力が介入することで、「父権的」な象徴秩序が作られる、というような…。
こうした理解には、「差異=本来的=善」、「秩序=事後的=悪」という価値判断が伴います。
が、この「現実界」は、「鏡像段階」の前に、自足した状態としてあるのではなく、
ある象徴的な秩序が生成される時、あとから剰余として見出されるものだ、
という議論を、イーストホープ(Anthony Easthope)という人がしています。
ラカンの「ファルス」も、バトラーの言う「男根」でなく、この秩序形成の作用そのものだというわけです。




34 :【矢部】 ◆pIzFRdQNI. :04/03/24 20:48
バトラーの場合、右のラカン理解にもとづき、レズビアン的な「男根」の可能性を説くのですが、
イーストホープはこれを、「差異」を特権化するために、ラカンを曲解したものと見ています。
確かにバトラーのExicitable Speechなどを読むと、「差異=本来的=善」、「秩序=事後的=悪」という
単純な図式を振り回してるような感じが、鼻につきます。
この点、日本のある論文(斉藤環ではない)を見ていたら、ある作家が描こうとした状態を、
差異の戯れとしてある「現実界」、と説明していました。それを、「象徴界」の介入を受ける前の
本来の幸福な状態として、描き出していたわけです。この辺りに、
ラカンを適用する際の、単純な図式化の弊害が、見て取れるように思われます。
では真のラカンはどうか、という点は、私には語れませんが。



35 :吾輩は名無しである:04/03/24 21:01
ああ、1氏は不幸なのかもしれない。
バトラーはヘーゲリアンなのですよ。だから文学作品には疎い。
彼女の関心は一貫して、ヘーゲル的主体がつねに成就し損なうという洞察にあります。
ここに性差の問題を読みこむわけです。
むしろ同じソフォクレスの「アンチゴネー」に注目する形で。

「オイディプス」vs「アンチゴネー」という図式に、
還元主義を見て取るのはよくわかります。

ですが、ジジェクであれバトラーであれ、
ギリシア悲劇を哲学的に展開したヘーゲルの「精神現象学」がベースにある。
この本は教養小説と哲学を一致させるとほうもない試みですが、
電波として片づけることは不可能でしょう。
文学との関係でいうと、
古代悲劇と近代小説の違いを考える際の一つのモデルになるからです。


36 :【矢部】 ◆pIzFRdQNI. :04/03/24 21:03
前のを書いてすぐ>>32-34を書いたので、その間のレスはこれから見せて頂きます。
>>33で触れたイーストホープの本はこれです。私の好きな人ですが、亡くなりました。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0333786297/ref=sr_aps_eb_1/249-3696781-5324369

37 :吾輩は名無しである:04/03/24 21:05
ラカンの有名な「象徴界」「想像界」「現実界」もまた、
こうして現れる「近代的」主体の形成を捉えるための仮説と見るべきです。
ラカン自身も初期セミネールでは仮説であることを強調していました。
いわゆるラカン理論はセミネールを通じて漸次形成されていったものなのです。

38 :27:04/03/24 21:05
>>31 さっそく検索してみました。
http://d.hatena.ne.jp/archivista/20031028
に紹介があったのですが
「われらの自我の幻想と文学心理学」
というタイトルでした。さっそく読んでみます。どうもです。

39 :【矢部】 ◆pIzFRdQNI. :04/03/24 21:09
バトラーのはこれです。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0415915880/qid=1080129869/sr=1-32/ref=sr_1_2_32/249-3696781-5324369

>>18に言われる通り、私も

>日本の文学読みの多くは、
>ろくに知りもせずに精神分析を嫌いがち。

ということかもしれません。
多くの有益なご教示が得られそうです。
楽しみに読ませて頂きます。
暴言、妄言、失礼いたしました。




>日本の文学読みの多くは、
>ろくに知りもせずに精神分析を嫌いがち。




40 :吾輩は名無しである:04/03/24 21:20
文学の読者がこうした理論に違和感を感じるのは、
問題になっているのが「主体」だからではないでしょうか。
特にアメリカの場合、
主体の理論が狭義のアイデンティティ・ポリティクスに直結する傾向があります。
そして日本における斉藤環のひきこもり論も、主体の理論です。

ですがもちろん、文学において重要なのはテクストです。
もちろん最良の精神分析読解の場合、
作品を通じてのみ現れるような「主体」に注目しています。
たとえ作者の伝記が問われていても、
作品を「書く」行為によって現れる、
コントロール不可能な主体のあり方が重要になるのです。

ラカンの古典的な「盗まれた手紙」読解における、
様々な登場人物達の分析には、
作品という次元の尊重が、不十分とはいえあると思います。
デリダやバーバラ・ジョンソンと合わせて読むことで、
このことはある程度明らかになるような気がします。

41 ::04/03/24 21:36
「盗まれた手紙」論は文学批評というよりも
記号論を説明するためのサンプルモデルにしただけでは?

42 :吾輩は名無しである:04/03/24 21:43
>>41
「デリダなどを合わせ読み」という部分でそのことを示唆したつもり。
もちろんあれはサイバネティクス理論の説明と対になっている。

ただ二十世紀の記号論は、
それ自体「言語」への注目を含むわけで、
「手紙=文字」の記号性についてのラカンの説明が、
探偵小説の祖であるポーの物語のトリックをうまく言い当てているのは事実。

43 :ixion ◆ySh2j8IPDg :04/03/24 22:17
『グラディーヴァ』は?

…と思ったら>>25で俺の言いたいことは出てきてるのか。

あと
>日本における斉藤環のひきこもり論も、主体の理論です

『文脈論』は?

44 :吾輩は名無しである:04/03/24 22:28
「文脈病」はドゥルーズのアプロプリエーション。
なら花村誠一の方が誠実。
いずれにせよ斉藤環に作品という次元は存在しない。


45 :ixion ◆ySh2j8IPDg :04/03/24 22:38
>いずれにせよ斉藤環に作品という次元は存在しない

まーそう言われると、確かにそうだわな^^;
「症例」はあるんだけどねぇ…。

46 :吾輩は名無しである:04/03/25 04:04
良スレですね。

ここの版の人達は、自我が無防備に肥大化した唯我論に陥っているような痛い人が
多いので、ラカンの精神分析理論を少しでもいいから学んで欲しいぐらいです。
それなりに役に立つと思いますよ。
特に矢部さんは、この版では例外的に良識のありそうなコテハンさんなので、
機会があればちょっとその主要概念を知っておくだけでも、貴方の文芸評論
に将来的にさらに磨きがかかると思います。

文学作品における『見えないモノ』【行間に漂うガイスト】『無意識の欲望』
【抑圧・排除されたモノ】などを顕在化させることにそれはある程度威力を
発揮するでしょう。>>1さんが既にこうしたスレッドを立てていること自体、
何らかの強い問題意識があって、もう無視できない何かの力がそこに介在して
いる訳です。ラカン的に言えば、それは他者の欲望になるのですが。。。


47 :吾輩は名無しである:04/03/25 14:14
グーグルの検索みたいになってるな。ねぇ、記号の羅列じゃなくてなにか喋ったら?
きみは一つの言葉しか使えないくせに、その言葉ときたらきみのものでは無いときてる。


48 :吾輩は名無しである:04/03/25 14:56
>>47
どのレスが?
46以外はまともなやりとりだと思いますが。

49 :吾輩は名無しである:04/03/25 15:09
グーグルの検索で話すバカが多いスレはここですか?

50 :吾輩は名無しである:04/03/25 15:14
矢部と46以外はまともなやりとりなのに…
矢部の相手してる人は面白いよ、ってこんなこと書くと
また自演だとか検索だとか騒がれるわけですが

51 :吾輩は名無しである:04/03/25 17:03
11は院生以上間違いなし

52 :吾輩は名無しである:04/03/26 05:15
「グーグルの検索」「グーグルの検索」って、何のことだろう。
わざわざグーグルで検索しなくても、本読めばいいのよん♪

53 :吾輩は名無しである:04/03/26 09:12
意気揚々とやってきたら自分の参加できるレベルじゃなくて愕然とした素人なんでしょ

54 :吾輩は名無しである:04/03/26 11:00
>>53
おっ、玄人登場かい?

55 :吾輩は名無しである:04/03/26 11:17
>>47いっぱい釣れて良かったな。
だけど、デリダスレは独立して既にあるからそっちでかたれよ。
>>48-54
もっと勉強しれ。晒しあげとくわ。

56 :吾輩は名無しである:04/03/26 11:19
>>55
晒し上げは良いけどそれしかできないのはどうよ?

57 :吾輩は名無しである:04/03/26 17:37
釣りとかどうでもいいからさ(どうせ文学理論スレと同じ奴だろうし)
俺も素人だけど本題に移ろうよ。こういうスレッドは凄く役に立つよ。

58 :吾輩は名無しである:04/03/26 17:41
春樹はかなりユングを意識してると思いますけどね。


59 :吾輩は名無しである:04/03/26 17:50
クリステヴァのセミオティック論に興味あるんだけど
原典読んだ事ある人いる?? どんな感じ?

60 :吾輩は名無しである:04/03/26 18:05
セミオティックとかよりアブジェクシオンのほうが
精神分析的なテーマに深くかかわると思うけど。

61 :吾輩は名無しである:04/03/26 18:47
バフバフバフチーンてかんじ。


62 :吾輩は名無しである:04/03/26 22:16
精神分析の理論で現在生き延びているのは、
メラニー・クラインの系譜である対象関係理論。
(ウィニコット、ビオンなど)
どちらかというと文学との結びつきよりは、
児童の描画理論など、美術との関係の方が深い。

クリステヴァの「アブジェクシオン」は、
su+jetやob+jetに先行する
ab+jetという関係を見いだす。
対象関係論に対する彼女なりの応答と言えるが、
個人的にはセミオティーク理論との接合が不十分ではないかと思う。

63 :吾輩は名無しである:04/03/28 12:47
フロイト最後の日記 1929─1939
ジグムント・フロイト
日本教文社
4月16日
ISBN4-531-08138-2
その存在だけがほのめかされていた精神分析学の創始者フロイトの日記が遂に完訳!

64 :吾輩は名無しである:04/04/03 03:54
触発する言葉
―― 言語・権力・行為体 ――
ジュディス・バトラー
竹村 和子 訳

■体裁=四六判・上製・カバー・320頁
■定価 3,675円(本体 3,500円 + 税5%)(未刊)
■2004年4月27日
■ISBN4-00-023392-0 C0010

権力の言葉,差別の言葉.そうした言葉によって
支えられる既存の社会システム.
それを攪乱し,新しい方向をこじあける力を持つ
のもまた言葉である.
なぜ言葉は人を傷つけられるのか.
いかにして言葉は社会を変えるのか.
現代思想の最先端で「触発する言葉」を放ちつづ
ける理論家が,
言語の政治性を縦横無尽に論じた注目の書.

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