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米国の文学と日本の文学の違い

1 :狛犬:04/05/03 03:55
米国の文学は等身大の私に大きなうそである環境
日本の文学は等身大の私に小さなうそである環境

のような気がするんですが
そのへんどうなんでしょうか。

2 :吾輩は名無しである:04/05/03 03:57
なにが?

3 :狛犬:04/05/03 04:05
なにがだったでしょうか・・・

そうそう米国の文学と日本の文学はなにやら
違うものがありますね、という感じの話ですね。

米国とせず外国でもいいのですが
日本の小説は環境における大きなうそがつきにくいのかなぁと、ええ。
もっととんでもない金持ちの爺さんとか出してもいいような気が
するんですがね、はい。

4 :1@CLIE ◆GodOnnFcO. :04/05/03 04:17
文化や風習が違うから、、
ってか宗教の違いがかなり大きいかと
海外文学は日本のものに比べると宗教の影響を受けてる
その辺が海外文学が日本人に受け入れられにくい原因の一つでもあるだろうなあ
ドスト系なんてまんま宗教本だし

5 :狛犬:04/05/03 04:22
ああそういわれてみればそうですね。
罪と罰なんかは心の外にある絶対的な道徳に苦しむからこそ
迫力を持ちえたような感じですかね。

あれを日本でやろうとするとかなりしょぼくなりそうですね。

6 :吾輩は名無しである:04/05/03 09:09
環境ってのはなんだ?小説における設定のことか?
寓話性の有無ってことを言いたいのか?

7 :吾輩は名無しである:04/05/03 09:19
サリンジャーと庄司薫の違い。

8 :吾輩は名無しである:04/05/03 09:32
西洋には形而上学(西洋哲学)があるだろ?
そこから抜け出そうとすれば、話も大きくならざるをえない。
一方で東洋には哲学のような論理的な大系をともなうものがなく
東洋的な思想しかない。そういう幽霊のようなものを論理で超える
ということは最初から放棄せざるを得ない。
絵画を見ればよく分かる。西洋で遠近法が確立されていた時代に
日本では山水画。日本に遠近法が入ってきたのは近代以降。
そもそも小説自体が日本に輸入されたのが近代以降。
風土がちがうから日本風(東洋風)にアレンジするしかないし
その作風が西洋からは評価されたりもしている。
西洋の画家が山水画や浮世絵に憧れたのと同じ理屈だね。

9 :吾輩は名無しである:04/05/03 10:58
スケール(分量、プロット)の話なのか
構成力の話なのかサッパリ分からん。
長さだけなら、源氏物語、平家物語、太平記、
里見八犬伝、東海道中膝栗毛なんかがあるだろう。
これは結構中国文学の影響を受けている。
太平記なんかは中国人が書いたとさえ言われてるぐらいだから。
あと、仏教は因果論で構築的だ
ただ、プラトニズムやキリスト教的主体を発生しないから、
遠近法的錯誤に逢着しないだけで。

10 :吾輩は名無しである:04/05/03 11:15
>>1が意図しているのは、単純なテーマ論だとおもうが・・?
作品テーマとして真っ向から取り扱った場合の
そのテーマの大きさってことなんじゃないの?
それも今現在の文学における一般性って意味での。
分量だとかそういうことじゃないとおもう。

11 :吾輩は名無しである:04/05/03 11:30
テーマねぇ。
ディケンズのようなのが無いというだけの話かな?
それなら単純に貴族社会でもなければ階級社会でもなく、
平等性が重んじられる社会だから、
突出した存在が避けられるからだろうな。
でもまぁ、SF畑ならそこそこ大風呂敷を広げてるんだけどね。


12 :tar baby ◆7pcTvobAhE :04/05/03 11:50
>>1
うまいこと言うなぁ。

13 :吾輩は名無しである:04/05/03 12:33
今のところ西欧文学VS日本文学の話になっていて、なかなか含蓄に富ん
だ意見が続いているけど、スレタイに「米国の文学」とある以上は、ア
メリカ文学はヨーロッパ(ロシア含む)の文学と同じなのか違うのか、
違うとしたらアメリカ文学の特徴はどこにあるのかを定義してからでな
いと、日本文学との比較もままならないのではないかと思う今日この頃。

14 :吾輩は名無しである:04/05/03 12:48
くだらないスレ

15 :吾輩は名無しである:04/05/03 16:31
アメリカ文学はコロニアル文学。
その特徴として言えることは、根っこが無いということかな?
ここが良い点でもあり、欠点でもあるような・・・

ハックルベリイ・フィンはいつも逃げ回っているし、筏による移動も多く
まさに「根っこが無い」作品なわけだが。あのスピード感に満ちた物語は
それまでのヨーロッパ文学には無かった。
書く側にユダヤ人が多いってのも、関係あるかも。。

16 :狛犬:04/05/03 18:27
皆さんレスどうもありがとうございます。
米国と限定せず外国としたほうがよかったですね。

>>6さん
私が>>1で言いたかったことは
外国日本とも文学上においては等身大である私にもかかわらず
その環境に即した経験の深さがなにやら違うのではないかなと。
その環境を狭めるもの広げるものはいったい何なんだろうかな
みたいな感じです。

>>8さん
幽霊ですか。うまいたとえですね。
これはもう作家の技量などの問題ではなくなのでしょうか。

>>11さん
SFはたしかに知識ひとつで環境を広げることが簡単な
ジャンルかもしれないですね。
それを小説のジャンルにはやはり持ち込めないものなんでしょうかね。

>>15
う・・・

17 :吾輩は名無しである:04/05/03 18:45
アメリカの場合、大陸がでかいと、自分の適応できる場所へ行けばいい
もともと、移民だし。だから逆に、大きな夢を持てる。これが大きな嘘。
ヨーロッパだと、文明文化がヨーロッパ単位で進んでいた。これが大きな嘘
ヨーロッパ文学読んでも登場人物は国から国へ移動することが多いですよね。
15さんがかなり鋭いと思います。

日本は山や川に細かく細分化された土地に人が住んでいて、外にでることが少なかった。
ゆえに、環境との関係性が強く、どこにも行けないし、どこに行っても同じだ。
またそういう性質があるように思います。
ゆえに小さなうそしか持てない。

ってのはどうでしょうか?

18 :吾輩は名無しである:04/05/03 18:48
ガルシアマルケスなんて大地に縛られてる感じしませんかね。
どこへ行っても同じなのでどこへも行かないみたいな。
これはどこへ行っても自然が強いということなのかな

19 :11:04/05/03 18:48
>>16
>それを小説のジャンルにはやはり
>持ち込めないものなんでしょうかね。

持ち込んでるんですけどね。
日本の第二世代のSF作家は
自然主義(ゾラの環境説)の延長線上で捉えてますよ。
小松左京や荒巻義雄とか読んでます?



20 :17です:04/05/03 19:00
>1
文学だけ読んでても分からないですよ
文化人類学とか生物学とか近代史とか社会学とかも勉強しましょうね
文学で言うと問いになりますが、他の分野では問いでさえないと思います

21 :吾輩は名無しである:04/05/03 19:14
日本社会の非流動性というのは
宮本民俗学では否定されている。
東北地方の出稼ぎ労働も社会学では
江戸時代からの流れで捉えられている。
商品経済とは近代以前から農村部に浸透していたし、
飢饉による餓死の発生も換金作物への
比重を高くしたためだとも言われている。
あと、農民も請負契約的な部分があって
そんなに土地に縛られていたわけでもない。

22 :吾輩は名無しである:04/05/03 19:34
そもそも、古来より文学の担い手であった僧侶や公家は
外交官的役割を担って全国各地を独自のネットワークを使って
移動していたし、江戸幕府の学者には大陸や半島から
大量の知識人が流入してきた。
石川家もその一員だった気がするんだけど、思い違いかな?

23 :17です:04/05/03 20:08
>21,22
そうそう、そういうアプローチがいい
なるほど、そうですか。考え直してみます。
それを 1 の文学観と結びつけられるポイントを探りたいですね。
ただ、日本近代文学からと、それ以前はまた異なりますので、
そのあたりも勘案すればかなりいいとこまで行けそう。

24 :吾輩は名無しである:04/05/03 20:13
外国の文学は
翻訳されてるから
読むことは読むけど
どうしても真剣に読めない
絶対当てはめられないような
言い回しとかあるんだろうし

25 :吾輩は名無しである:04/05/03 22:05
一般書籍板に同じスレがあった。

26 :1@CLIE ◆GodOnnFcO. :04/05/03 22:48
日本文学は宗教的な臭いがあまりしないのが特徴だな

27 :吾輩は名無しである:04/05/03 23:04
リービ英雄は欧米では世俗化(非宗教化)の方向へ向かっていった
といっていたな。

28 :1@CLIE ◆GodOnnFcO. :04/05/04 00:21
日本の無宗教ほどではないよ

29 :あげ:04/05/04 04:51
おもいのほか良スレ化w

30 :吾輩は名無しである:04/05/04 09:09
宗教改革に伴う選択の自由。
デカルトのコギトの発見(=主体と客体の別)。
活版印刷術の発明による世俗語訳の聖書の普及。
宗教の内面化、パブリックとプライベートという概念が確立。
産業革命による資本主義の確立。
これらを基にした国民国家の成立
=キリスト教に変わるイデオロギーの成立。

これがモダニズム前のキリスト教の世俗化の流れ。

かもしれない。


31 :吾輩は名無しである:04/05/04 09:19
↑は27に関してね。

しかし、一行目の「選択の自由」ってのは語弊があるかもしれないな。
一枚岩ではなくなった、ということです。

要するに、近代的自我の成立と政教分離が関わっていると。
しかし国民国家はキリスト教によって正当化されていくわけで、
非宗教化であっても、無宗教化というのとはまた違ったりする。

現代のイギリスは、ほぼ無宗教化されてる気がしないでもないが。
他の国はシラネ。

32 :吾輩は名無しである:04/05/04 09:42
話を元に戻すと、キリスト教の世俗化だとか、
その後の国民国家への懐疑が、大きな物語に対する懐疑、
近代的自我=形而上学への懐疑へと繋がるわけで、
そうした近代における喪失感というものが
1の想定する欧米文学の根底にはあるのではないだろうか。
(アメリカは、また特殊だけど)
そしてその喪失感のあまりの大きさのために、
作家は大きなウソの中にしか表現方法を見出せなかったのではないか。

んで日本にはそれほどの衝撃がないんじゃないかと。
こじつけてみました。

33 :吾輩は名無しである:04/05/04 11:00
>>30
コギトの発明は思惟主体。
ただ、言語による自己規定はデカルトも懐疑的だった。
その懐疑という事のみが有効だったわけで。
肯定性というよりは否定性の発見。
デカルトの否定神学だね。

ルーテル語訳の聖書と活版技術の発達は
識字率の問題もあって一般化はしなかった。
ここら辺に対する民衆の不満が宗教一揆の引き金。
公民教育による国語の受容が本格的になったのは
19世紀のアメリカにおいて。

34 :吾輩は名無しである:04/05/04 11:02
続き

近代のパブリック/プライベート概念が
本格的に登場したのはイギリス国教会制度の時で
ローマカソリック/イギリス国教会/ピューリタニズム
という対立のなかで形成。
ロック的ピューリタニズム(自己領域としての“私”)が
社会制度として本格的に実現したのはアメリカ合衆国において。



35 :吾輩は名無しである:04/05/04 11:03
続・続き

世界史板に行けば詳しく説明されていると思うけど、
最近の研究では産業革命の成立時期やそれ自体に対しては
否定的な考えが有力。

国民国家とキリスト教に関してはルソーやヘーゲルのように
未熟な認識力が生み出した虚偽表示という考え。
ヘーゲル主義はともかくルソー主義は国家による宗教管理と
政教一致を提示した。
これが日本に伝播して国家神道が生まれた。
ルソーはもちろんドストイェフスキーの
作中人物が述べているように
近代国家は宗教的というよりは極めて形而上学的存在で
フーコーの脱中心化はこの解体が目的。

36 :吾輩は名無しである:04/05/04 11:48
>>33-35なるほど。

では話がずれるけど、というかスレの内容に戻ると、

フーコーは結局デリダが指摘するように形而上学を温存してた訳だけど、
形而上学から抜け出ることの不可能性はデリダ自身が認めてる。
ポストモダニズムはその不可能性を引き受けているわけだが、
少なくとも形而上学を換喩的連鎖の中に引き込んでおくことで、
解体とまでいかなくとも、固定化を防がんとしている。
言わば隠喩的世界認識を換喩的認識へと
無理やり変えてしまおうと言うのだから、
形而上学的に生きている人々(大抵の人はそうだと思うが)にとっては
大きなうそと思われるようなパラダイム(あるいは非-パラダイム)が
ポストモダニズムでは利用されるのではないか。

ということでどうでしょう。
ポストモダニズムについてしか語ってないけど。
やはり形而上学の存在は欧米文学ではでかいと思う。

37 :36:04/05/04 11:57
なんかおかしいので訂正

>形而上学的に生きている人々(大抵の人はそうだと思うが)にとっては
>大きなうそと思われるようなパラダイム(あるいは非-パラダイム)が
>ポストモダニズムでは利用されるのではないか。

ポストモダニズムのパラダイム(あるいは非-パラダイム)は
形而上学的に生きている人々にとっては
大きなうそとおもわれるのではないか。

38 :吾輩は名無しである:04/05/04 20:46
>>36
>やはり形而上学の存在は欧米文学ではでかいと思う。

形而上学発生のメカニズムが分からないので
何とも言いかねます。
もし、近代資本に付随するものなら、
仏教圏でも成立するでしょうから。
他の地域でも起こり得ると思いますよ。

39 :吾輩は名無しである:04/05/05 02:05
近代資本つーか、それはソクラテスの時代から
連綿と受け継がれているものです。>形而上学

40 :1@CLIE ◆GodOnnFcO. :04/05/05 03:05
海外文学ではキリスト教の定める罪の意識や近隣愛が物語に深く関わっていたりして日本人に理解されない原因の一つになってますね
実際中学生のころに罪と罰を読んでから1年くらい協会に通って再度読み直してみたら世界が広がりましたよ
文学のために結構いろんな宗教本も読むようになったなあ
結局文学を理解するためには宗教やその国の風習もある程度知っておく必要がありますね
そういやイスラム教とかに影響された本って少ないなパウロコエーリョとかはそっち系だけど、、

41 :吾輩は名無しである:04/05/05 14:49
>>39
言葉上はね。
プラトニズムは仏教や
イスラム神学を経由してて
かなり複雑な変貌を遂げている。
それに断絶も結構ある。
ドイツ観念学派はギリシャ哲学の影響は勿論だけど
仏教の影響もかなり強い。
だからナチスのアーリア人学説なんかが出てくるわけで。

42 :吾輩は名無しである:04/05/05 15:27
ソクラテスの形而上学?

43 :吾輩は名無しである:04/05/05 19:50
そういえば、言い出しっぺはアリストテレスだ>形而上学

44 :吾輩は名無しである:04/05/05 22:27
正確にはアリストテレスの遺稿整理者だったりする。

45 :吾輩は名無しである:04/05/06 00:09
そうだね(w

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