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技術スレ

1 :名無し物書き@推敲中?:03/05/29 02:28
小説の書き出し「それはある日の午後だった」というような苦しい出だし
でなく自然にするにはどうすればよいか。さらに章の始まり、場面転換の
始まりの描写など。場面転換を情景描写で書いても何度も繰り返すと
不自然。さらに人物の台詞が連続する場合あまりにも混乱すると
「○○は言った」を多用するブッサイクな作りになってしまう。もしくは
語尾に「にょ」とか「俺、漏れ、オラ」などで書き分けるのか。
どんなものにしても一度や二度程度なら自然に誤魔化せるが頻繁に場面転換
したり人物の台詞が多い場合の自然な誤魔化し方スレ。

2 :動画直リン:03/05/29 02:29
http://homepage.mac.com/hitomi18/

3 :_:03/05/29 02:33
http://homepage.mac.com/hiroyuki43/hankaku10.html

4 :名無し物書き@推敲中?:03/05/29 03:10
>>1
何が言いたいのかサパーリわからん。出だしに迷うなら、よれより>>1よ(ryって書いとけや。

5 :名無し物書き@推敲中?:03/05/29 03:39
なんでこの人怒ってるんだろ
最悪だね

6 :4:03/05/29 04:50
怒ってないんだけど、そう見えたのなら謝る。ごめん。

7 :名無し物書き@推敲中?:03/05/29 05:06
まあわからん事もないよ

文が読みづらいのは確かだが

8 :名無し物書き@推敲中?:03/05/29 05:40
こういうのは、人に教わるものではない。
反省しろ>1

9 :名無し物書き@推敲中?:03/05/29 06:03
ブッサイクな作りになっていいだら
内容が良ければ。

10 :名無し物書き@推敲中?:03/05/29 08:40
 スレ立てたんだ…まあいいけど。
 プロが弟子をもって小説作法を伝達するという制度はなくなってしまった
からね。こういう形で補完しあうのもいいかもしれないね。貪欲に学び、作品
の質を少しでもあげることが読者への敬意となるなら、チンケなプライドを
棄てる勇気も必要ではないかな。

11 :名無し物書き@推敲中?:03/05/29 09:22
技巧はともかく、作法みたいなものは教える人が居ていいと思うんだよなあ。

プロなら担当の編集がバンバンチェックを入れてくれるんだろうけど、一人で
書いてるとそんなの誰も指摘してくれないからね。

例えば純文なんかだと、彼氏、彼女という表記はよろしくないとか。この場合
恋人と書くのが作法だみたいな事を、細かく担当にチェックされるという話を、
以前見沢知廉のコラムで読んだ事がある。

そういった、慣習なのか、作法なのかという見極めは、読書量を増やすだけでは
意外に難しい気がする。

12 :名無し物書き@推敲中?:03/05/29 09:27
見返りがないな

13 :名無し物書き@推敲中?:03/05/29 09:30
>彼氏、彼女という表記はよろしくないとか。この場合
恋人と書くのが作法だみたいな事を、

馬鹿な編集だな。死んだほうがいい
何もわかってない奴だ。

14 :名無し物書き@推敲中?:03/05/29 20:57
>例えば純文なんかだと、彼氏、彼女という表記はよろしくないとか。
 死んだらってのはかわいそうだけど、程度の知れた編集者なのはたしかだね。
しかも恋人と言い換えろだなんて、純文はいつからそんなロマンティックになっ
たんでしょ。おそろしい話だな。うかつにもこんな作法を信じてしまう文学趣味者
を選考で落とすための罠だよ、これは。

15 :名無し物書き@推敲中?:03/05/29 22:49
流行り廃りの無い言葉を選んで書く事も純文学の作法の一つなんじゃないの?

まあ無意味な作法だとは思うけど

16 :名無し物書き@推敲中?:03/05/29 23:59
>>10
これ、どこのスレからきたの?

17 :名無し物書き@推敲中?:03/05/30 01:23
 さて、書き出しはどうしよう。やはり掴みは大切だね。まず読者に興味
を持ってもらわないと話にならないから、突飛な文章ではじめてもいいと
思う。なんだろう?と思わせればこっち勝ちだ。
 いくつかの書き出し方法を並べてみよう。
 会話・途中動作・解説・回想・夢・覚醒・ループ・疑問・擬人・自然描写・
ルポルタージュ・独白 etc.
 典型として人物の登場場面が多いと思う。そのとき気をつけなければいけない
のは、物事や人物を一気に説明してしまわないこと。先は長い、焦らず行こう。

18 :名無し物書き@推敲中?:03/05/30 01:59
>>17
お前が一番焦って見えるわけだが

19 :名無し物書き@推敲中?:03/05/30 02:06
>>18
なにこのレス? 病人?

20 :名無し物書き@推敲中?:03/05/30 02:13
>>16
 あ、私か。
「スレたてるまでもない〜」で技術やら構造論やらで私とやりあってた
人が立てたんじゃないかと、勝手な推測です。スレ違いな展開になって
しまったのでね。
 できればsage進行にしたいですね。 

21 :名無し物書き@推敲中?:03/05/30 02:56
すいません、実はここのレスの半分ぐらいは私の自演でした。

今後は1を中心にスレを盛り上げて下さい。さようなら。

22 :名無し物書き@推敲中?:03/05/30 04:11
書き出しはむしろ最後に書きたい。

23 :名無し物書き@推敲中?:03/05/30 06:06
 おとぎ話ほど広く永く読まれている物語があるだろうか。
 子供の読み物とばかにしてはいけない。世界中の文化や歴史のなかで生き残って
きた物語は、多く共通の行為構造を有している。また、名作として親しまれ、映画
や劇にもなっている現代文学も実はおとぎ話と同じ遺伝子を持っている。スタンド・
バイ・ミーも走れメロスも、物語行為は一緒である。
 まず物語の核が伝達され、欲望を生み、試練をうける。この三つを通して主人公は
昇華され、乗りこえるために生かされる。この寓意の構造要求に抵抗するものが唯一
「私」である作者なのだ。虚構の語る人に実人生の私を重ねあわせることがリアルで
あるとする錯誤が、物語りを陳腐な方向へと回収するのである。
 だがしかし、すべてを腐りきった方向へ転倒すれば村上春樹になれるかもしれない。
メロスは歩いて家に帰り、なにかにつまずいて妹と寝てしまうし、盗賊には金で見逃し
てもらうし、城についたらとっくに親友はさらし首になっているわけで、
「しかし、実体のあることばがどこいある?必ず戻ってくるなんて。いいかい、誠実な
仕事なんてどこにもないんだ。誠実な呼吸や誠実な小便がどこにもないようにさ」とつぶやけば、暴君もびっくりだ。
どちらにしろ小説のなかに「私」などいないのだ。そういうおとぎ話を書けるだろうか。

24 :名無し物書き@推敲中?:03/05/30 17:33
 川端康成『みずうみ』にみる場面転換。
 
 有田老人のわめき声は、下に寝ているさち子も目をさましたほどだった。
「お母さん、お母さん、こわいわ。」とさち子はおびえてたつにしがみついた。
 (後略)
 (2行あけ)
 坂道で子供が六七人ふざけていた。女の子もまじっている。おそらく小学校に
入学前の子供たちで、幼稚園の帰りかもしれない。そのうち二三人は棒きれをもち、
ない者はもったつもりで、みな腰をかがめて杖にすがる身ぶりをしながら、
「じいさん、ばあさん、腰抜かし……。じいさん、ばあさん、腰抜かし……。」と
歌いはやして、よろめき歩いていた。

25 :名無し物書き@推敲中?:03/05/30 17:55
 少々分かり易すぎるくらいの、場面転換における技術の一例。
 上段と下段ではまったく違う場面空間であるが、言葉は類似したものをを呼び
あっている。この言葉の近接が文章上の空間を埋める役割をはたし、ある種の連続
性を帯びるゆえに、さち子の恐怖心をいっそうはやし立てるかのように、子供たちは
はふざけるのである。もう少し自然にしたければ言葉が生みだすイメージのズレをた
くみに使い、前後に幅のある文脈のなけで近接を織り込めばよいだろう。

26 :名無し物書き@推敲中?:03/05/30 18:09
場面転換おれも苦手だ・・

27 :名無し物書き@推敲中?:03/05/30 23:33
>>24みたいに実例を挙げてくれると、わかりやすいね。

28 :名無し物書き@推敲中?:03/05/30 23:42
冒頭については、その機能を考えてみるべし。

1:物語の方向性の提示
2:物語の人物の提示
3:物語の場所の提示

大きくこの三つかな?
プロのを引き出してみる。

 どうしたの、なんだか元気のない声みたい。夕食はすませた? いえ待って、用があるのよ、ちゃんと。さっき佐々木さんから電話がかかってきたの。ええそう、あの佐々木さん。ポプラ荘の。
 電話の向こうで母がそう言った時、私はもう何年も、おばあさんと過ごした日々をゆっくり思い返すこともなかったのに、
「ああ、おばあさんが亡くなったのだ」
 とすぐに悟った。
(「ポプラの秋」より抜粋)

3がわかりにくいが、「電話」という言葉で、おそらくは主人公の家だろうと予想がつく。
2は、いわずもがな、主人公とおばあさんである。
1は、主人公の元気のなさとおばあさんに関する話であろう、という想像がつく。

29 :名無し物書き@推敲中?:03/05/31 03:56
良スレage

30 :名無し物書き@推敲中?:03/05/31 03:56
sageてた。まあいいか。

31 :名無し物書き@推敲中?:03/05/31 07:52
>>28
 ご協力感謝。

 sageでお願いします。

32 :名無し物書き@推敲中?:03/05/31 10:27
川端康成『みずうみ』にみる場面転換。2

 この浴室の照明はどうなっているのか、湯女(ゆな)のからだに陰がないようだった。
湯女は銀平の胸をさすりながら自分の胸を傾けて来ていた。銀平は目をつぶった。手のや
り場に迷った。腹の脇にのばしたら湯女の脇腹にさわりはしないか。ほんの指先でも触れ
ようものなら、ぴしゃりと顔をなぐられそうに思えた。そして銀平は真実なぐられたショッ
クを感じた。はっとおびえて目をあこうとしたが、まぶたは開かなかった。したたかまぶた
を打たれていた。涙が出そうなものだが出ない。目の玉を熱い針で刺されたようにいたんだ。
 銀平の顔をなぐったのは、湯女の手のひらではなく、青い革ののハンド・バッグだった。
 (3行略)── ハンド・バックがしたたか顔を打ったのは確かである。そのとたんに銀平
はわれにかえったのだから……。
「あっ。」と銀平は叫んで、
「もし、もし……。」と女を呼びとめかけた。

33 :名無し物書き@推敲中?:03/05/31 10:28
これは作品冒頭にみられるもう一つの場面転換である。本当はもっと長い引用を用いて
これに掛かる技術のすごさを玩味していただきたいのだが、わずらわしさを避ける意味
もあって割愛した。興味のある人は実際に読んでみたほうがいいと思う。
 
 ここで使われている転換はいわゆる回想導入である。珍しい手法ではないが、一流は
やはり憎らしいほどうまい。まず、湯女の陰が消え銀平の目が閉じられることで焦点が
フェードアウトする。だがすぐには転換しない。なんでもすぐヤリたがるガキは冷笑さ
れるのを手練れ知っている。ここでもまた、言葉が言葉を呼ぶ例の近接の技術が使われ
ている。数行を費やしたところで青い革ハンド・バックが登場する。イメージしてみて
欲しい。あまり見かけない、なにか不気味な色のバッグではなかろうか。それが銀平の
顔をしたたかと打ち、はっとわれにかえるのである。もちろんそこは湯女の居る場所で
はない。現代でいうストーカーの銀平がここに目覚めるのだ。その鍵となるバッグは、
ルイヴィトンではいけない。気持ちの悪いイメージを呼び起こすものでなければ言葉の
近接を並べた意味がないのだ。しかもこのバッグは、この後、五十数ページにわたって
ガジェットの役割をはたすのである。
 また、この箇所周辺には繊細な伏線も張られている。たったひとつの場面転換に、作品
構造全体に関わる技術の多重展開を自然にやってのけるは、さすがノーベル賞作家である。

34 :名無し物書き@推敲中?:03/05/31 11:51
どうでもいいけど川端のストーカー小説なんてもってくんなよ。

ラノベにしとけ。

読んでないから、誰もついてこないだろ。

35 :名無し物書き@推敲中?:03/05/31 15:38
>>34
ラノベ担当よろしく!

36 :名無し物書き@推敲中?:03/05/31 21:08
>>35
わりぃ、俺はラノベは読んでないんだよ。

37 :名無し物書き@推敲中?:03/05/31 21:14
ノーベル賞は関係ないと思いますが。

38 :名無し物書き@推敲中?:03/06/01 11:44
 宮本輝『螢川』にみる場面転換。

「……情熱的やのォ」
 竜夫はそう言って空を見あげている関根の顔をいやにはっきりと覚えている。
 蒲団の中が温まってくると、竜夫はにわかに疲れを感じて目を閉じた。痙攣を起こして
崩折れていく瞬間の父の顔が、胸の奥に刻み込まれていた。もうわしをあてにするなとい
う父の言葉が聞こえて、彼は寝返りをうった。柱時計が止まったままなので、家の中は物
音ひとつなかった。竜夫はそっと起きあがって隣の部屋をのぞいた。柱時計の下に座った
まま、千代は重竜の入れ歯を膝に置いてじっとうなだれていた。
(一行あけ)
 四月に入って五日目に再び大雪が降った。
 ゆるみかけていた古い雪を、ぶあつい新雪が包み込んで、白い街の底が汚れている。
 千代は重竜の着替えを持って小走りで停留所まで行くと、待っていてくれた市電に飛
びのった。 

39 :名無し物書き@推敲中?:03/06/01 11:44
 竜夫は中三になるこの作品の主人公で、千代はその母。
 掲出したセリフ後段までは、竜夫が思いを寄せる同級の少女や友人とのセクシャルな
回想である。蒲団が温まるのは、たかだか3ページの回想時間だけのせいではないだろ
うが、まあこれは措いておこう。回想を使う場面転換はすでにのべているので問題では
ない。
 ここでのキモは、三人称で視点を自由に移動させる叙法をとる場合の場面転換である。
いわゆる神の視点だが、神だからといって好き勝手に振る舞うようでは人間(読者)に
に見はなされてしまう。まず、通常ならば竜夫が目を閉じたところで、一行あけて四月に…
の部分にもっていっても間違いではない。しかし、それでは転換の連絡が拙いと思ったの
だろう。作者は、入院した父親のイメージを呼び竜夫をもう一度起きあがらせ、隣の部屋
に導く。当然作者は次に千代の視点に切り替えることを決めているのだから、そこには千代
が座っている。ここで視点は竜夫から千代へと受け渡されるのだ。実質の場面転換はここで
おこなわれている。また、座っているのは千代であって母ではないこと。老婆心だが三人称
であることを忘れてはならない。うなだれているのもたまたまではなく、竜夫のなかの悲愴
が同時に伝わるからで、間違ってもニュースステーションなど見ていてはいけないのだ。

40 :名無し物書き@推敲中?:03/06/01 14:56
 とりあえず場面転換の技術はここまで。なんとなくコツがつかめたでしょうか。
 >>38にあげた人称における転換はフローベールの『ボヴァリー夫人』が白眉で、
最初はこちらを例に取り上げるつもりでした。しかし、どれも非常に構造が複雑
なのと私の力量不足もあり、断念しました。技術においても壮絶な一品なので、
機会があったら読んでみてください。

41 :名無し物書き@推敲中?:03/06/01 17:45
乙。

42 :名無し物書き@推敲中?:03/06/02 00:13
面白い。乙カレ。

43 :名無し物書き@推敲中?:03/06/03 00:16
 一応、前に違うスレで書いたものをコピペします。
 反作用的な言葉やイメージをつかって、対象をきわだたせる技法です。かなりポピュラー
なのでこれ以上の説明は必要ないと思うし、距離や頻度に気をつければ破綻することもない
ので、各自応用を競って楽しむのが吉です。とかいってホントは用例をあげるのがめんどく
さいだけだったり…モゴモゴ。

44 :名無し物書き@推敲中?:03/06/03 00:18
 まず、感情をゆさぶる山場へのプロセスが大事です。悲しみが主題の場合、基本として
これに笑いや軽薄なものをぶつけるんです。この典型例の映画として『クレヨンしんちゃん
戦国大合戦』があります。もちろん爆笑させては主題がかすむので、ここら辺のさじ加減は
各自で勘案してください。また、高村光太郎の詩を援用すれば、

  (前略)
 #その数滴の天のものなるレモンの汁は
 *ぱっとあなたの意識を正常にした
 *あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑う
 *わたしの手を握るあなたのちからの健康さよ
  あなたの咽喉(のど)に嵐はあるが
  こういう命のせとぎわに
  智恵子はもとの智恵子となり
  生涯の愛を一瞬にかたむけた
  それからひと時
  昔山巓(さんてん)でしたような深呼吸を一つして
 ●あなたの機関はそれなり止まった
 ▽写真の前にさした桜の花かげに
 ▽すずしく光るレモンを今日も置こう


先に*部にある、「意識を正常にした」「眼がかすかに笑う」「健康さよ」といった言葉が
後にくる死への抵抗・対立として描写されています。そこから話者の妻への愛情と思い出を
受けて、●部の死へと流れ込みます。そして▽部の余韻にある「レモン」の語が#部の「レモン」
に導かれ*部を想起させ、安らかさと死がここで衝突し、読者の哀惜をより一層深める作用となるのです。

この詩とクレヨンしんちゃんの映画の類似性をよくよく看取し、学習の一助としてください。


45 :名無し物書き@推敲中?:03/06/03 02:20
>>44
ああ、あなたか・・・。ここで有意義に語ってください。

46 :名無し物書き@推敲中?:03/06/04 21:20
 有意義か。それとも単なるペダンティックか。書くというのは恐ろしい。
私はいつも息苦しくなる。機械的に書ければ楽なんだが、そうもいかないらしい。

 次はどうしよう?他の技術系のスレを覗いてみるとあまり、というよりまったく
時間にかんする話題がないのに驚いた。そんなのは接続助詞の後に適宜に点をいれ
ることで、文章にリズムや間を生みだし、読みやすさにも貢献するという程度の、
自明の事柄なのであろうか。時間処理こそ小説の要諦であるはずなんだがなあ。

47 :名無し物書き@推敲中?:03/06/05 01:06
>>46
よろしく頼みます。


48 :名無し物書き@推敲中?:03/06/06 00:42
   カミュ『異邦人』にみる時間処理。
 (A)
 眼がさめると、マリイは出て行ったあとだった。彼女は叔母のところへ行くつもり
だといっていた。きょうは日曜だなと考え、いやになった。私は日曜は好きではない。
そこで寝台へ戻り、長枕のなかに、マリイの髪の毛が残した塩の香りを求めた。十時まで
眠った。それから煙草を数本すい、続けて正午まで横になっていた。いつもの通り、セレ
ストのところで昼食をするのはいやだった。きっと、あそこの連中が質問するだろうが、
私はそんなことがきらいだからだ。自分で、卵をいくつも焼いて、鍋からじかに食べた。
パンが切れていたが、部屋を降りて買いに出たくなかったので、パンは我慢した。

49 :名無し物書き@推敲中?:03/06/06 00:42
 (B)
自分が回れ右をしさえすれば、それで事は終わる、と私は考えたが、太陽の光に打ち
震えている砂浜が、私のうしろに、せまっていた。泉の方へ五、六歩歩いたが、アラビア人
は動かなかった。それでも、まだかなり離れていた。恐らく、その顔をおおう影のせいだった
ろうが、彼は笑っている風に見えた。私は待った。陽の光で、頬が焼けるようだった。眉毛に
汗の滴がたまるのを感じた。それはママンを埋葬した日と同じ太陽だった。そのときのように、
特に額に痛みを感じ、ありとあらゆる血管が、皮膚のしたで、一どきに脈打っていた。焼けつく
ような光に堪えかねて、私は一歩前に踏み出した。私はそれがばかげたことだと知っていたし、
一歩、ただひと足、わたしは前に踏み出した。すると今度は、アラビア人は、身を起こさずに、匕首(あいくち)注:短刀)
を抜き、光を浴びつつ私に向かって構えた。光は刃にはねかえり、きらめく長い刀のように、私
の額に迫った。その瞬間、眉毛にたまった汗が一度に瞼をながれ、なまぬるく厚いヴェールで瞼を
つつんだ。涙と塩のとばりで、私の眼は見えなくなった。額に鳴る太陽のシンバルと、それから匕首
からほとばしる光の刃の、相変わらず眼の前にちらつくほかは、何一つ感じられなかった。焼けつく
ような剣は私の睫毛をかみ、痛む眼をえぐった。そのとき、すべてがゆらゆらした。海は重苦しく、
激しい息吹を運んで来た。空は端から端まで裂けて、火を降らすかと思われた。私は全体がこわばり、
ピストルの上で手がひきつった。引き金はしなやかだった。私は銃尾のすべっこい腹にさわった。乾いた、
それでいて、耳を聾(ろう)する轟音とともに、すべてが始まったのは、このときだった。私は汗と太陽
とをふり払った。昼間の均衡と、私がそこに幸福を感じていた、その浜辺の特殊な沈黙とを、うちこわした
ことを悟った。そこで、私はこの身動きしない体に、なお四たび撃ちこんだ。弾丸は深くくい入ったが、そ
うとも見えなかった。それは私が不幸のとびらをたたいた、四つの短い音にも似ていた。
 

50 :名無し物書き@推敲中?:03/06/06 00:42
 「太陽のせい」で殺人を犯す、不条理小説として名高いカミュの代表作。
 あからさまに分量のちがう引用だが、なぜAとBでこれほど差があるのか。それは
「説明」と「描写」の違いがありありと出ているからで、ひいてはその変調が時間の
流れを大きく変えているのである。小説には二つの時間がある。小説のなかに流れる
虚構の時間と現実の時間、つまり読者がいま読んでいる時間だ。

 まず、(A)をみてみよう。説明的な短い文の連続で成り立っているのがわかると思う。
こまごました描写や心理は省かれている。極めつけは十時に起きて煙草をすったあと正午まで
の二時間を、横になったという説明だけですましてしまうところである。一方で読者は
この部分を、個人差はあれ、数秒で読み終わってしまう。一般に説明と会話でつなぐ小説
が読みやすく、早く読めるのはここに由来している。叙述のリアクションが早ければ、基本
的に先へ先へと話が進むので読む労力は軽くなる。一見親切のように思われる。
 だがしかし、このような説明一辺倒の小説は薄っぺらい、ガキの作文、単調、などと世の
素人批評家にさえ踏みつぶされて、無惨にも駄作の烙印を押されてしまう。
 では、全体にわたって説明過多でおし進む『異邦人』は駄作か?
 否である。カミュはここであえて描写を避けているのだ。その神算鬼謀が発揮され
るのはクライマックスにおいてである。(B)をみてみよう。

51 :名無し物書き@推敲中?:03/06/06 00:43
(B)は主人公がさしたる動機もなく殺人におよぶ、この小説のクライマックスの
場面。(A)とのいちじるしい差がすぐに読みとれると思う。ここまでサクサクと
進んできた話がここで─実際にはもう少し長い文脈なのだが─は一転して、時間の流れ
が遅くなる。なぜか?描写しているからだ。読者はただ事でない雰囲気を感じる。
「それで事は終わる」「ママンを埋葬した日と同じ太陽」と不吉な言葉が招来し、
照りつける太陽、流れる汗、時は止まったようにじりじりと過ぎる。まるで決闘シーン
のような緊迫感に読者はくぎ付けになる。
 そう、全てはこのためにあった。軽い文体そのものが人物造形と話の伏線として
仕組まれていたのだ。主人公は何ごとにも─母の死でさえ─頓着しない性格ゆえ、
ものをよく見るという描写をここまでしてこないのだし、この殺人場面の不条理さ
と驚きを与えているのは、まさに文中にもあるように、文体が二重の意味で「均衡」
をうちこわしているからなのだ。
 もうこれは超絶といっていいレベルで、素人がいきなりここに飛びつくのは危険
すぎる。けれど、下手なものをみるより、最上級のものをみたほうが自身のこやしに
なると思う。これより更にキテるのがクロード・シモンやロブ=グリエなどの作家で、
文学に幻想を抱いている人は手を出さないほうがよいかもしれないが、文学の彼岸を
知るだけの価値は十分ある。

 さて、これを踏まえて、もうちょっと簡単な時間処理の応用を解説しようと思った
のだがさすがに疲れたので、また明日。
 

52 :名無し物書き@推敲中?:03/06/06 00:55
とてもタメになります。なにより、わかりやすいです。期待しています。

53 :名無し物書き@推敲中?:03/06/06 02:47
個人的には「超絶レベルな技術」というより「素朴な創意工夫」と捉えていたけど
そんな風に読む人もいるんだなぁ。
まあそういうのもひっくるめて面白い。がんがれ。超がんがれ。

54 :名無し物書き@推敲中?:03/06/06 17:23
クロード・シモンやロブ=グリエ
クロード・シモンやロブ=グリエ
クロード・シモンやロブ=グリエ
クロード・シモンやロブ=グリエ
クロード・シモンやロブ=グリエ

55 :名無し物書き@推敲中?:03/06/06 18:20
 ただ、いや、いいんス我ながら超絶なんてプだし。脳内柄谷くんで転倒的にとら
えておきまふ。そもそも諧謔センス0%なのがいかんのかな(´・ω・`) 
ああだれかテクあげて…ボソ
 しかし横書きだと、いい小説の抜き書きでもなんか安っぽくなるなあ。縦書きで
読むともっと迫力あるんだけどね。
と、ちょっと文体変えてみたりして。では、昨日の続きです。

56 :名無し物書き@推敲中?:03/06/06 18:24
 ここまでの解説で説明と描写が時間と深い関係をもっている、というよりも時間そのもの
であるということを理解して頂けただろうか。基本的には描写が細密になればなるほど小説上
の時間は遅くなる。(B)の場面は実際には十数秒たらずの出来事と思われる。だが読む方は、
これも個人差はあるが十秒ちょっとでは読みきれない。スローモーな展開に感じるのはこの二つ
の時間軸の齟齬(そご)があるからだ。説明はこれと逆である。三十年後。たった四語、約一秒
で初々しい少女もオバタリアンになってしまうのだ。説明とは恐ろしい。が、もしここでまだ少女
のままであったりすれば、そこに幻想性やSF性がでてくる。また、三時間ほどで読みきれる分量
を計算して小説内の時間経過もきっかり三時間にするという、ちょっと実験小説的なこともできる
だろう。大に小に応用はさまざまである。まさに書くことそれ自体が時間の調整だといっていいのだ。
じゃあキテレツな時間処理をすれば面白いのかというとそうではない。(B)の例にしても言葉の
近接や対立、複数の伏線や人物設定、前半のしっかりした書き込みなど、多様な技術の支えがあって
こそ生きてくるのだ。けして単独の技術だけで小説はなり立たない。
 話を戻そう。野心的な試み除外すれば、やはり普段留意すべきなのは時間の起伏であろう。描写が
続いたあとに説明を使ってすっと時間をすべらしたり、会話が続いてダラダラしてきたら描写でひき
しめる等の配慮であり、また回想を使って時間を過去に飛ばすのも有効で、これは先にあげた宮本輝
がよく使っている。単にリアリスティックにみせたいからという理由で描写するのではなく、そこに
時間の概念を意識して書けば、少なくとも作文的な単調さを回避することはできる。
 ともあれ、原理さえわかればここでごたごた言うよりも、いろいろ本を読んでみたほうが早いだろう。

57 :名無し物書き@推敲中?:03/06/06 19:17
 読みにくくてスマソ。なんか今回はしんどかったなあ。
『ボヴァリー夫人』分析中だったから、今度こそ使おうと思ったんだけど……。
結果→(゚ρ゚)メンドクセ   カミュに救われたね。

58 :名無し物書き@推敲中?:03/06/07 01:06
いやあ、よく研究してるね。感心したというより驚き・・・。

59 :名無し物書き@推敲中?:03/06/07 16:47
バルガス・リョサがボヴァリー夫人でいい本書いてたよ

60 :名無し物書き@推敲中?:03/06/07 17:36
図書館の検索かけたらありました。
果てしなき饗宴 フロベールと『ボヴァリー夫人』ですね。
読んでみます。ありがとう。


61 :名無し物書き@推敲中?:03/06/07 20:35
 ちょっとよた話を。
 時間ていうのはホント面白いんだよね。映画のハリーポッターなんか観てると
小説との違いがよくわかる。二作目のハーマイオニー、かなり色っぽくなっちゃっ
てね。ハリーだって青臭さが抜けているのがどうしても目についちゃう。作中では
一年でも、生身の人間は実時間に抵抗できない。

 その点、小説やマンガはうまくできているよね。例えば 「それから5年過ぎたが、
その面差しは当時のままであった」と書けば、読者は5年の経過を疑いもなくすっと
ばしてイメージしてしまう。のび太だって、おまえ何年小学校留年してんだよっていうw
 でも、普通そんなこと気にしないでしょ。なんでって実はそういった嘘っぱちの部分こ
そ面白いから。『異邦人』にしても『螢川』のラストにしても、「そんなことあるかい」て
いうことを「リアル」に読者の心に焼きつけてしまうところに、この表象芸術の特異性と
特権性があって、現実を律儀に踏襲することがリアル感に通じるわけではないと思うの。

 映画のなかで、ホウキにまたがって飛ぶシーンを「あれはすごいCGだね」とは言うけど、
小説上の同じシーンを読んで、「ここの特撮はどうやってるの?」なんて訊いたらきっと
(かわいそうな人)と哀れみのまなざしで、「いいお医者さん知ってるよ」と答えられても
いたしかたない。小説を愛する人は夢の住人なんだから(*´▽`*)クサッ

62 :名無し物書き@推敲中?:03/06/08 10:46
しかし、CG的なのを小説で書こうとしても、ただの電波文章になってしまう。
「時間」というテーマからはズレたけど・・・。

63 :名無し物書き@推敲中?:03/06/08 16:22
 たしかにCGを前提に小説を書こうとすると、うまくいかないかもしれないね。
それは非現実的な表現を、映像に変換するための技術だからね。
 ある種のスタイルをとる小説は、非現実的な要素をもっともらしく説明しなく
てもいい、むしろ積極的に珍事を肯定していくほうが小説の理にかなっている。
私はあまり好きではないんだけど、メタフィクションなんかはこの原理を活用して
書いてるわけだよね。電波だって構造化してしまえば立派な文学になると思いますよ。

64 :名無し物書き@推敲中?:03/06/10 23:36
 なんかWindowsのカスタマイズにハマって書き込みできなかった。
 なにやってんだろ(;´Д`) でも甲斐あって、パッと見はもうWindows
とはわからないくらい変わってかなり満足、ムフフ。
 こんどはイメージについて考えてみますか。
 次回、心理学なんてぶっとばせ( VωV)y━~~ (ヤルキネーナオイ

65 :名無し物書き@推敲中?:03/06/12 10:22
吉野弘『夕焼け』にみるイメージの喚起力

いつものことだが           
電車は満員だった。          
そして                   
いつものことだが              
若者と娘が腰をおろし            
としよりが立っていた。           
うつむいていた娘が立って          
としよりに席をゆずった。            
そそくさととしよりがすわった。       
礼も言わずにとしよりは次の駅で降りた。   
娘はすわった。               
別のとしよりが娘の前に           
横あいから押されてきた。          
娘はうつむいた。              
しかし                   
また立って                 
席を                    
そのとしよりにゆずった。
としよりは次の駅で礼を言って降りた。
娘はすわった。
二度あることは と言うとおり
別のとしよりが娘の前に
押し出された。
かわいそうに
娘はうつむいて
そして今度は席を立たなかった。

66 :名無し物書き@推敲中?:03/06/12 10:23
次の駅も
次の駅も
下唇をキュッとかんで
からだをこわばらせて──。
ぼくは電車を降りた。
固くなってうつむいて
あの娘はどこまで行ったろう。
やさしい心の持ち主は
いつでもどこでも
われにもあらず受難者となる。  
なぜって
やさしい心の持ち主は
他人のつらさを自分のつらさのように
感じるから。
やさしい心に責められながら
娘はどこまでゆけるだろう。
下唇をかんで
つらい気持ちで
美しい夕焼けも見ないで。 

67 :名無し物書き@推敲中?:03/06/12 10:23
 こういう詩を読むと、小難しい語彙やひねくり回した比喩、華美な装飾に彩られた言葉が
必ずしも人の心をとらえるわけではないというところに、神妙にもなり、また自らの無知
が励まされるような気持ちにもなる。どこかの首相ならば「感動した」ですましてもいい
かもしれないが、小説を、文芸を志す者はそうはいかない。その「感動」のみなもとを探
り、自ら芸のこやしにしなけばならない。昔気質の職人が新米に、「技は盗んでおぼえろ」
と諭すのはよくきく話である。なんだ、そんなのは今時ではないと一蹴してしまうのは浅は
かであって、実はこの意欲こそ大切なのだということは、一度でも何かに打ち込んだ経験の
ある人ならば自明のことと思う。事実、小説に関わるもろもろの技術は逃げも隠れもせず、
書籍というかたちをとって私たちの目の前に、盗んでくださいと言わんばかりに転がってい
るのだから、これを利用しない手はない。
 では、詩の方へ目をむけよう。

 一見なんのてらいも算段もないかのように、日常の出来事を平易な言葉で活き活きと写しだ
して心に残る一片の詩。そのわけを、作者の視点が素直だとか無垢、あるいは純真であるから
という乙女チックなまろやかさにあえて抵抗するならば、なにが残るのか。そこにあるのは、
人はどうしたって恣意的にものごとを見たがり、感じたがるという当たり前の心理作用の中心点
に作品を射的する技の妙である。

68 :名無し物書き@推敲中?:03/06/12 10:29
 まず、《いつものことだが》といういきなりの断り書きである。そう、
日常とは字義どおり、いつもの、おきまりの毎日のことだ。よほど特殊な
人生を送ってきた人でなければ、満員電車をイメージできない人はいない
だろうし、そこの座席に座っているのは必ずしも年寄りばかりでないことを
私たちは知っている。そんな風景はあたりまえすぎている。そして、すでに
ここで善良な読者はこの作品の共作者となっている。
 あとはもうベルトコンベアーなのだ。無駄な言葉を弄せばかえって作品の
質を下げて目的を失敗するだろう。ここではイメージこそ主役であり、それを
妨げるような記述、描写はこの世界にあらわれることをゆるされない。これは
時間処理で解説した『異邦人』とは性質の違う原理がはたらいているのだが、
これはあとで説明したい。

69 :名無し物書き@推敲中?:03/06/12 10:29
 席をゆずるろうとする娘がうつむくのは、その殊勝な行為をするために好奇の目が
そそがれるのを避けられないゆえなのだが、ここで見ているのは満員の乗客ではなく、
実は話者でもあり読者の分身でもある「ぼく(読者)」ただひとりなのだ。いや、言い
方を換えればこれを読む無数のひとりたる読者の目であると言ってもいいかもしれない。
そして、こんな娘は「かわいいじゃないか」と「ぼく」は思う。で、礼も言わずに降り
ていった年寄りはしゃくさわるではないか。そこへまた年寄りが横から押し出されてく
る。押し出したのは他ならぬ「ぼく」である。だってまた見たいから。そして期待どお
りに娘はまた席をゆずるのだ。うつむいて。「いいぞ」と思う。二度あることは三度あ
る、なんてことわざを引くのはちょっと後ろめたさもあるからだろうか。素直に言えば
よい、もう一度見たいと。だからまた年寄りが出てくる。
 考えてもみたまえ。こんなうじゃうじゃ年寄りばかりがわざわざ娘の前に出てくるわ
けがない。第一となりの若者のところにはなぜ行かないのか。答えは簡単で、そんなの
は絵にならないからだし、「ぼく」だって望んでいないからだ。
 三度目において娘は席をゆずらない。それはかわいそうだから、と書いてある。わけ
がわからず不審に思う人のために、もう一度書くと、この作品ではイメージこそ主役な
のだ。そこに徹底している。そういう部分では詩というはとてもわかりやすい。冷静に
読めばこの娘に関する情報はほとんどなにも書かれていないことに気づくと思う。背格好
や顔や年齢を示す言葉はなにもない。ただ娘なのだ。それなのに、恐らく私とあなが想い
描くこの娘のイメージは、ジャイ子としずかちゃんほどの隔たりはないだろう。でもそ
れは、つまりこの娘がとんでもない醜女であることを排除していないということでもある。
そんなしぼむようなことは考えたくもないだろう。そのための技術がここにある。とりあ
えず先に進もう。

70 :名無し物書き@推敲中?:03/06/12 10:31
娘は席をゆずらず、下唇をキュッとかんで体をこわばらせて座ったまま、そのあと
どうなったかを書かずに「ぼく」は電車を降りる。いたたまれずにキュッとなるのは
娘のくちびるだけではなく、「ぼく」の心もなのだ。娘はやさしかったと「ぼく」は
思う。最後まで黙っていたからだ。つらい気持ちにじっと堪えているその姿こそ美徳
であるならば、娘はどこまで(も)ゆけるだろう。それはもう過去の姿としていつま
でも「ぼく」の心のなかにあり続けるのだから。
「いま」「ここ」にある美しい夕焼けを見ることもなくなった娘の代わりに「ぼく」
はみる。まさにその沈みゆく太陽とその赤い色彩の美しさが娘の心を代弁しているの
だし、そのイメージはさらに膨張してその娘の頬を染め、容姿まで(書かれていないのに!)
うるわしいに違いないと感じてしまう。だからタイトルも『満員電車』とか『娘』
ではなく『夕焼け』なのだ。



71 :名無し物書き@推敲中?:03/06/12 11:21
だが現実に、単に席をゆずる行為にやさしい心だなんだという必要はなく、自責や
羞恥でそんなわかりやすく下唇をキュッと都合よくかんだりはしないだろうし、美し
い夕焼けというありきたりな表現は通常避けられるものだ。それでもそうした言葉が
効果を持つのは、ただまっすぐにこうイメージしたいと願う読者の心を狙い、その的
を射て外さないためである。
 ふだん人がいかに恣意的にものをみているか、例えば強面で五指がそろってなかった
りすると、ちょっと腰が引けたりするだろう。また肩書きを人間的な価値に置き換えて
みてしまうのもそうだし、眼鏡をかけて澄ましていると思慮深い人にみえてしまうのも
そうだ。まあ、こうした例はどちらかというと陳腐な先入観として斥けられることのほ
うが多いのだが、読者のイメージを計算できるのだから要はこれも使いようだろう。
 こうしたイメージというものが私たちの心理をどれだけ左右するのか、その観念がい
かに強力であるかを知ってもらいたい。 だからきっちりとイメージを誘導できれば、
 この詩の娘はきっとうら若い10代の少女であり、まだ擦れたところもなく髪は黒く
つややかで、内気で小さな胸のうちは汚れていないやさしさにみちている。親のしつけ
もよいのかもしれない。けれどまだ衆目に晒されて堪えられるほど心が丈夫ではないの
だろう。そしてこのような心根の美しさは、きっとその面立ちにもあらわれているに違
いないったら違いない。と、読者は勝手にうれしい想像で人物を造形してくれてしまう。
この共同性に注目されたい。
 つまり特殊性を含まない事象をイメージに落とし込むためには、へたな説明や描写を
しないほうがよいのだ。


72 :名無し物書き@推敲中?:03/06/12 11:22
さてこれで、いかにも人畜無害な人間が人殺しになるという裏切りの装置として、
描写を避けていた『異邦人』との違いをわかってもらえただろうか?ちょっと今回
はわかりにくかったかもしれない。私もまだまだ勉強不足だな。

 しかし、この詩のように簡素化するのは簡単なようで実は難しい。細やかな感性
と観察力がないとなかなか共感を呼べるものは書けないのだ。適度に描写してし
まったほうが楽であるのも事実だ。
 まあ、使える使えないは別としてこの縦横無人な書き方の幅というものを賞味
していただければと思う。

これを踏まえて(マタカヨ)、次はもう少し実用的なイメージの操作を示したい。

73 :名無し物書き@推敲中?:03/06/13 04:54
自分で書いてガックリ来た_| ̄|○。無駄口ばかりで要をえない駄文でした。

なまじ説明したり描写を書き連ねたりするよりも、読者に大きな印象をあたえること
ができる。例えとして、AとBがケンカをして双方倒れる。するとAが起きあがって、
天を仰いで倒れているBの眼前に手を差しのべる。Bは一瞬ためらうも、Aの手を握って
結ばれる。ここに、無言の標章(シンボル)として読者は和解や親和をイメージする。こ
うした紙上のアイコンともいえる標章の数々は読者のもつ刷り込みのイメージを利用するた
め忘れがたく、説明を大胆に省いてもその説得力を失わない。

これでいいじゃぁぁん。もう全部消したい。しばらく鬱です。

74 :名無し物書き@推敲中?:03/06/13 07:25
オチカレー

75 :名無し物書き@推敲中?:03/06/13 07:27
眉唾付けて読んでるけど、面白いのであまりガックリせずにガンガレ

76 :名無し物書き@推敲中?:03/06/13 16:34
そうかい? 楽しく読んでるけど・・・。というか、例がイイ!ね。わかりやすい。

77 :名無し物書き@推敲中?:03/06/13 16:35
あと、トリップをつけてほしい。もしコテが嫌ならトリップだけでも。
親しみがわくし、こういう真面目なスレならコテ歓迎だと漏れは思う。

78 :名無し物書き@推敲中?:03/06/13 19:56
sage進行はまったりしてていいな。

79 : ◆YgQRHAJqRA :03/06/13 20:53
心づかい、恐縮です(つД`)
いちおトリップつけてみました。ちとハズカシイ。

80 : ◆YgQRHAJqRA :03/06/15 08:18
さあ気を取り直していこう(タチナオリハヤッ)

 人のイメージをより強くかき立てるものにノスタルジーがある。これを効果的に使って
成功をおさめた映画が『クレヨンしんちゃん 大人帝国の逆襲』だ。どちらかというと、
子供向けのお下品映画としてPTAのヤリ玉にあがっていた「クレしん」シリーズが、こ
の一作においてはまさに、良識ぶった大人たちのもつイメージに対して逆襲に転じたのだ。
なにしろこの映画をいちばん楽しんだのは、しぶしぶ子供に同伴していた当の親たちであっ
たのだから笑える。

 この映画はたちまち大人たち、特に中年層の話題になり大ヒット。時は平成大不況のまった
だ中。リストラ、倒産、ボーナスカットの生き地獄にあって、古き良き時代の思い出にひたる
ことは、その疲れた心を癒しまた忘れさせてくれるのにちょうどよかったのかもしれない。ち
またでは、いい年したおじさんが子供向け映画に一人訪れて、帰りには涙しているという珍現象
を生むのだった。

81 : ◆YgQRHAJqRA :03/06/15 08:19
 この映画は文芸誌のコラムにもたびたび取り上げられて、誰だったかは忘れたが「大人帝国」
イイ!イイ!ともろてをあげて激賞していたので、私も観てみた。
 感想としては、まあたぶんこの懐古趣味に感じいるほど年をくっていなかったせいもあって、
それなりに面白いなという程度であった。だって生まれてもいない時代のことを(TV等で知っ
ていても)懐かしむなんてどだい無理な話だ。
 この映画の言いたいことは、「つらい現実もがんばって生きようね」というメッセージである。
その対立にノスタルジーを用いている。しかし、この映画のスゴイとこはノスタルジックな事物が
氾濫して、そんなメッセージを呑みこんでしまっているところだ。本来これは本末転倒でやりすぎ、
鼻につきすぎると批判してもいいのだが、エンタメとしての側面もあるし、あらわな過剰さを一概
にけしからんと白眼視はできない。資料集めや場面設定を考えるのも大変だったと思う。

 こうしたノスタルジーがいつでも歓迎されるのは、多感な時期に経験したイメージほど強く心に
固着しているためだろう。小説で用いる場合はあまりくどくならないように、その時代の雰囲気を
感じさせるもの、懐かしさを呼び起こすものをさりげなく配置するといいだろう。また、イメージ
というのはもともとアバウトなものなので、正確さよりも時代の匂いみたいなものを伝えられれば
いいと思う。ちょっと抽象的になったが、なにかのヒントになればいい。

82 : ◆YgQRHAJqRA :03/06/15 08:20
 しばらく前に柄谷行人の『反文学論』を読んで、やっぱり昔から「今」から
みてひとむかし前を書く流れというのはあったんだなと思った。だいたい20年
が「ひとむかし」になるようだ。現代でいえば80年代から70年代後半くらい
で、実際に音楽もこの時代のものが流行ったりしてるし、新しすぎず古すぎない
となるとこれくらいがちょうど良いのだろう。現代ものを書くのに飽きてきたら、
ここら辺をねらうのもいいかもしれない。

83 :名無し物書き@推敲中?:03/06/15 23:02
良スレ、ハケーソ。ガンガッテ!

84 : ◆YgQRHAJqRA :03/06/17 11:05
 バルガス・リョサ著、果てしなき饗宴 フロベールと『ボヴァリー夫人』
を読んでいます。>>59さん、ありがとうございます。
 なるほど面白いですね。特に、エンマ・ボヴァリーは男性になることへの
あこがれがあったというのはとても示唆的でした。私もエンマの恋愛の周辺
にむらがる男たちの馬鹿さ加減を、作品自体のもつ対立構造、とりわけその
容赦のないテクストの奪い合いのなかに理由をみいだしていました。確かに
エンマのとる一挙手一投足やその言質を子細にみれば、そのフェミニズムの
力学が浮かびあがってきます。さすがプロの批評家は目の付けどころが違う
なあ、と感心しました。

85 : ◆YgQRHAJqRA :03/06/17 11:05
 このスレでなんどか取りあげようとした『ボヴァリー夫人』なんですが、分量
もありますしなかなか手強いです。後半部分はおおむね目処はついているんです
けど、前半部分はほとんど手つかず。特に冒頭一人称複数、多視点ではじまる話
法がすぐに三人称の多視点に移るところは不可解かつ曖昧で、この点においては
原書をあたる必要性を感じるのですが、私のような浅学菲才にはなんともしがた
ですね。
 『ボヴァリー夫人』に限らず、その国の言語自体に関わる叙述、構造の技法は
翻訳によって減殺─←正確にはゲンサイと読むんですね。ATOKに訂正されてしまった^_^;)
広辞苑にはゲンサツも慣用読みとしてのっているんで間違いじゃないと慰めとこう。
─されてしまい、綴り換えや同音異義語などの比喩は訳者にとっても悩ましい
問題でしょう。
 まあ、なにもそこまでご親切に深読みしなくてもいいではないか、と思う人もいる
かもしれません。でもここで柄谷行人の言葉を借りるなら「しかし私は深読みさせる
作品にしか興味がもてないのである」
 などと虎の威を借りながら、自分が批評家の器でないことを知りつつも、結局私も
ボヴァリー夫人を愛しているのだと、6月の湿った風に吹かれるのでした。

86 :名無し物書き@推敲中?:03/06/17 20:57
ああ、たしかに、ボヴァリー夫人は……。
でも、がんがって、トライしてみてちょ。

87 : ◆YgQRHAJqRA :03/06/20 00:46
 次は比喩をやります。比喩の固まりともいえる『ボヴァリー夫人』から、
比較的わかりやすいところを抜粋して解説します。これなら多分、うまくい
きそうな気がする、かな?
 メッツの新庄を代打におくる期待感で、まて次回。

88 :名無し物書き@推敲中?:03/06/20 07:43
ハァハァ

89 :名無し物書き@推敲中?:03/06/20 17:43
横浜が勝つ期待感を持って待ちます。新庄とあまり変わらないかな?(w
楽しみにしてまつ。

90 : ◆YgQRHAJqRA :03/06/22 20:08
フローベール『ボヴァリー夫人』にみる比喩の構造

 「旦那、どこへやります?」と馭者(ぎょしゃ)がきいた。
 「好きな方へ!」レオンはエンマを車のなかへ押し入れながらいった。
 そして重い馬車は動きだした。
(中略)
 ──、植物園前で三度目にとまった。
 「もっとやれ!」前よりはげしく叱る声がした。
(中略)
 どうしてもとめろといわないのは、お客が動き病いにでもとりつかれたかと
馭者には不思議でならなかった。ときどきとめてはみるが、とめるとすぐ背中
にどなり声が聞える。そこで彼は馬車のゆれにも頓着せず、方々引っかかって
もおかまいなく、うんざりして、咽喉のかわきと心細さに泣きだしそうになっ
て、汗びっしょりの二頭の駑馬(どば)をいよいよはげしく鞭打つのであった。
 そして、船着場の荷車や樽のあいだ、さては車避けの石の立っている町角で
は、町の人々が驚きの眼を見張って、地方ではまことに珍しいこの怪物──窓掛
けを下ろし墓穴(はかあな)よりも厳重にしめ切り、船のようにゆれながら、こ
うして絶えず姿を現す馬車を眺めていた。
 一度、真昼ごろ、野原のまんなかで、古ぼけた銀ランプに陽の光がはげしく
射すころおい、小さな黄色の布カーテンの下から、あらわな手が一つ出て、千
切れた紙ぎれを投げた。それはひらひらと風に散って、その向こうに今をさか
りと咲いている赤爪草(あかつめぐさ)の畑へ、白胡蝶(しろこちょう)のよ
うに舞いおりた。

91 : ◆YgQRHAJqRA :03/06/22 20:08
 比喩。いわずと知れた修辞法であり、特別くどくど教わるまでもなく普段から
使用していることと思う。ここで扱うのは、腹黒いとか腕が鳴るといった慣用句
的比喩ではなくて、もっと想像的な言葉の多義性を駆使し、作品に厚みあるいは
深みを持たせる比喩の使い方である。
 昨今は右翼のお兄さんも粋なほめ殺しをするくらいだから、文芸創作者も負け
てはいられない。

92 : ◆YgQRHAJqRA :03/06/22 20:09
 引用文は、散々泣きごとをいっては使用を避けてきた『ボヴァリー夫人』の、
おそらくかなり有名な一場面である。レオンという学生とのあいびきを断るた
めにおもむいた主人公のエンマ・ボヴァリーが、当初の意志とはうらはらに二
人で辻馬車に乗ってあっちにこっちに移動するようすが描かれている。
 バルガス・リョサはこの描写を擬人的な表現ととらえた。しかし、ここでは
オーソドックスな比喩として考えたい。
 話の流れを念頭におけば、この場面はあきらかにエンマとレオンが一戦交え
ているところであるのは、そうとうの不感症者でなければ容易に想像できると
ころである。現代でいえばカーセックスであろうか。執筆された時代(185
1〜56年)では、男女の交わりを赤裸々に描写するのは社会的に難しかった
であろう。そこで作者は思案をめぐらし、さまざま比喩を用いる。かなり露骨に。

 エンマとレオンは馬車に喩えられている。そして「馭者」だけがなにもわかっ
ていないところが滑稽であると同時に、それ故にいっそう二人に拍車をかける
のも「馭者」なのだ。
 つまり「馬車のゆれにも頓着」しない馭者は「汗びっしょりの二頭の駑馬
(エンマとレオン)をいよいよはげしく鞭打」ち、二人を絶頂に導くために
使役されるのだ。
 当然ながら、ここに出てくる言葉もいやらしい。
「汗びっしょり」「はげしく」「ゆれ─」「まんなか」「射す」「さかり」
「もっと行け」「もっとやれ」。
 試しに、これらの言葉に喩えられる行為を簡潔に述べよ。と、年頃の娘に
答えを迫ればよい。うぶな娘なら固まって答えられまい。そこで実地に教えて
あげたいのはやまやまだが、妄想は小説だけにしておこう。

93 : ◆YgQRHAJqRA :03/06/22 20:13
 さて、始まりがあれば終わりもあるのが世の常である。作品中でも突出して
エロティックなこの場面は、きちんと二人が果てるところまで書いてある。
 以下は、比喩する語をカッコで横に書いてみたものだ。

一度、真昼ごろ、野原【陰毛】のまんなか【膣】で、古ぼけた銀のランプ【エンマ。
人妻でありレオンより年上、さらにすでに他の男と関係したあと】に陽【レオン。彼
は金髪である。】の光【ペニス】がはげしく射すころおい、小さな黄色の布カーテン
【女陰のひだ】の下から、あらわな手【ペニス】が一つ出て、千切れた紙ぎれ【精液。
元はレオンに渡す断りの手紙。この描写は同時にエンマが貞操を捨てた意にもなって
いる。】を投げた。それはひらひらと風【空】に散って、その向こうに今をさかり【発情】
と咲いている赤爪草【エンマの性器。この草は春にピンク色の花をつける】の畑へ、
白胡蝶【白い蝶】のように【レオンの精液は】舞いおりた。

 これでは少しわかりにくいので、さらに私なりにここから意訳してみた。

─真昼ごろ、窓掛けを厳重に下ろし、二人は船のようにゆれながら汗びっしょり
になってもだえていた─

 陰毛に隠れたエンマの膣のなかで、レオンのペニスがはげしく射しこむ。そして
エンマの小さなひだひだの下から、むき出しのペニスがとび出すと、レオンは勢い
よく射精した。それはひらひらと空に散って、まるで発情したような、ピンク色に
めくれあがったエンマの性器の上へ、白い蝶のように舞いおちた。

 現代であればこう書いても差し障りはないだろうし、まだこれくらいは控えめな
ほうかもしれない。
 こうして果てたところでこのプロットは終わるのである。このあとは段落をかえ
てわずか二行の説明だけである。馭者も出てこない。こうだ。

 やがて六時ごろ、馬車はボーヴォワジーヌ区のとある裏町にとまった。そして
そのなかから一人の女がおりて、ヴェールをかけたまま、後をも見ずに歩み去った。
  (このあと2行あけて場面転換。)

94 : ◆YgQRHAJqRA :03/06/22 20:17
 想像ををたくましくして読むほど、比喩に満ちた文章は楽しい。また、
そういう想像を許容する言葉を紡ぎだすのも、創作者の楽しみ(苦しみ?)
ではないだろうか。

 ちなみにこのタイプの比喩と違うが「窓掛けを下ろし墓穴より厳重に閉めきり」
という文は、これより14ページを隔て、レオンとまた密会してホテルに泊まり、
「そして雨戸を立て、扉を閉めて日を暮らした。」という説明への密かな伏線に
なっており、この暮らしがどういものであったかを暗に示している。
 また、エンマとレオンが馬車に乗りこむ直前には、「せめて北門から出て、
『復活』や『最後の審判』や『天国』や『ダビデ王』や、業火に焼かれる
『堕地獄者』をご覧なさいまし!」と、堂守のじいさんが叫ぶセリフがある。
これは、エンマの、その人倫にもとる数々の行為によって、やがて身を滅ぼす
ことへの警告のようでもある。あるいは偽善的な人生への反駁の意をこめるた
めに、続く性描写の対置であるようにも思える。
 とにかく、フローベールの作り出した『ボヴァリー夫人』という小説はその
綾目の複雑さと美しさはもとより、物語として読んでも面白いまれにみる技術
の教科書である。未読のかたはぜひぜひ、一読することを奨めたい。

 次も『ボヴァリー夫人』を例にとって、また別の比喩の使い方を述べたい。
 それはまた明日。

95 : ◆YgQRHAJqRA :03/06/22 21:34
 あー技術的な説明を忘れてました。
 でも、このタイプの比喩は珍しくはないですよね。ある一つの言葉は、それ
単体では一つの意味しか表さないけれども、その前後関係から派生する言葉の
イメージから語義とは違う意味を持たせることができる。ってことですね。
「顔」「影」だけではそれぞれの意味しか成しませんが、「顔に影がおちた」と
書けば、不安や悲しみを喩えているわけですよね。この例はちょっと独創性に
欠けますけど(笑)
 ところが、じゃあ俺様仕様で比喩を使おうとすると、「この比喩、読者はわ
かってくれるだろうか?」という不安が頭をよぎるのね。
 じゃあどうするかっていうと、今回あげた例のようにどうしたってそういう意味
にしかとれないようにきっちり前後を書きこむか、気づかなくても筋に影響しない
ように書いて、気づけばそれで作品の味わいが増すような、泰然自若とした気持ちで
しこんでおくのがいいでしょう。
 やっちゃいけないのは、比喩だけで主題を語り、読者をおいてけぼりにするような
自己満足的な書き方ですね。どんな技法にも言えることですけど、いかにも技術を見
せびらかして、独りよがりになるのは避けなければなりません。そんな小説は2ch
とか同人誌でやればいいのです。なんか説教臭くなりましたね。私もそんなエラそう
なこといえる人間じゃないのに、ヤダな。

96 :名無し物書き@推敲中?:03/06/23 04:05
乙。エロイナ

97 :名無し物書き@推敲中?:03/06/23 04:07
>93は流し読みしてるとさっぱり意味不明だよなぁ。難しい。

98 : ◆YgQRHAJqRA :03/06/23 18:06
 今回書いたものをあらためて読み返してみると、なんか消化不良だなあ、と思い
ました。抜粋した箇所はたしかに比喩の見本としてはすばらしいのですけど、普通
に読むとふ〜んという感じですね。やっぱり先のほうから通読しないと、この比喩
が生きてこないのがわかりました。ここらへんが『ボヴァリー夫人』のやっかいな
ところなんですね。
 約7ページ前にある話者の語りを今更に補足しておきます。

 あの女は今にやってくる。あでやかに、そわそわと、あとをつけている人目を気づかい
ながら──そして襞附きのドレスを着、金の眼鏡を胸にさげ、華奢な半靴をはき、レオン
のまだ味わったこともないあらゆる雅びやかさに包まれ、まさに散ろうとする貞操の、得
もいわれない魅惑をただよわせて。

 レオンの心内語ではなくて、話者の独白であるところがミソなんですけど、それをやると
またややこしくなるので…作品全体の理解はリョサの批評を読んだほうが早いと思います。
あれいい本です。あと、教会の堂守のはたす対立(性への抑圧)の役割も大きいし。
 ん〜とりあえず送りバントってことで、ヨシトスル。

99 :名無し物書き@推敲中?:03/06/23 21:41
いやあ、よくそこまで読むね。感心というか、すこし尊敬・・・。

100 :99:03/06/23 21:42
あ、「読む」というのは、「深読み」とか、そっちの意味の「読む」ね。「本を読む」のほうではなく。
>◆YgQRHAJqRA  さん、乙です。

101 : ◆YgQRHAJqRA :03/06/23 23:47
 私のような読み手にとってはホント、『ボヴァリー夫人』はよく読ませてくれるいい
小説です。いろんな意味で楽しませてくれます。さすがにすべての本をこんな風に読むわ
けじゃないですけどね。

 蛇足ですけど、ちょっとフランス語の意味もしらべてみました。エンマのもっていた
手紙は仏語で、lettreレットルです。これは女性名詞ですね。これが破けてただの紙になる
と、papierパピエになって男性名詞になります。それがひらひら舞うと、papillonnerパピヨネ
になってこれも男性名詞です。それを蝶、papillonパピヨンに喩えていて、これも男性名詞
ですね。さすがに赤爪草の訳はわからないけど、草herbeエルブは女性名詞なので推して知る
べしといったところでしょう。
こうして仏語による言葉の類似性をみるとまた分析の助けになります。原文の価値という
のはこうしたところにあるんですね。私は学者じゃないんでこれ以上は調べませんけど。

あ、比喩の続きは明日ってことで(^^ゞ

102 :名無し物書き@推敲中?:03/06/24 01:00
なんか、この板で初めて本物の書き込みを見た。

103 :名無し物書き@推敲中?:03/06/24 16:04
続きまーだー?


104 :名無し物書き@推敲中?:03/06/25 00:01
マターリ掻けばよろし

105 : ◆YgQRHAJqRA :03/06/25 20:27
遅れてすみません。今書いてます。もうしばらくお待ちください。

106 : ◆YgQRHAJqRA :03/06/26 00:42
間違えた。 書き直しだ(TдT)

107 : ◆YgQRHAJqRA :03/06/26 08:56
フローベール『ボヴァリー夫人』にみる比喩の構造その2


──エンマは牛がこわかった。牛がいると駈けだした。そして頬をばら色に染め、
樹液と青草と大気の香りを全身から匂わせながら、息を切らしてたどりついた。
その時分ロドルフはまだ眠っていた。それはちょうど、春のあけぼのが部屋のなか
へ入ってきたようであった。
 窓辺に沿って掛けた黄色いカーテンが、どっしりした金色の光を柔らかにとおし
ている。エンマは目をしばたたきながら手探りで進んだ。そのとき、鬢(びん)に
宿った露の玉がまるで黄玉(トパーズ)の後光のように、顔を取りまいて光ってい
た。ロドルフは笑いながら女を引寄せて、胸のうえに抱きしめた。
 それから彼女は部屋の様子をいちいちしらべた。家具の引出しをあけてみたり、ロ
ドルフの櫛で髪を梳(す)いたり、髭剃り用の鏡に顔をうつしたりした。枕もとと小
テーブルのうえ、レモンや角砂糖といっしょに水差しのそばに置いてある大きなパイ
プをとって、くわえてみることさえよくあった。

108 : ◆YgQRHAJqRA :03/06/26 08:56
 前回しめした比喩は、表現と構成こそ混みいっていたが、普段みる比喩の使い方と
(一部例外はあるが)さほど変わりはなかった。わかりやすい例として同書からもう
一つ引用したい。

──二人はひしと抱き合あった。お互いの気まずさはこの熱い接吻に雪と解けた。

 この程度の比喩なら自分だって使うわ、と鼻を高くする諸氏もおられるかと思う。
そして普通なら、比喩のために書いた借りの言葉、上でいうなら「熱い」と「雪」は
使い捨てにされ、次の描写や話の運びを考えることだろう。
 しかしである。「雪」という言葉は紙の上に定着してなおそこに存在する。書かれ
たものはどんな無意味なものであれ、そこに露呈されることをまぬがれない。「雪」は
厳然とそこに在り続けるのだ。これを最初に気づいた人が「ユリイカ!」と叫んだか
どうかは知らないが、文章技法の一つの発見だったに違いない。
 感のよい人はもう気づいただろうか。

109 : ◆YgQRHAJqRA :03/06/26 08:56
 この箇所は、夜明け近く、伊達男のロドルフ恋しさに家を抜け出し、会いにいく
エンマの行動を描写すると共に、比喩の連携がみごとに示されている。
 まず、エンマは「春のあけぼの」に喩えられている。
 また頬をばら色云々という、まさに春を匂わせる描写は、比喩への引き込み線に
なっていて、さらに「ばら」の花言葉などをちょっと調べてみるとなお意味深い。
 それで「あけぼの」というのは夕日のような赤さはない。どちらかというと黄色
によった赤さで、空は見るまに明るさを増して青みを帯びてくる。西洋では太陽は
黄色で表現される。
 もうおわかりだろう。「あけぼの」の比喩はそこで消去されずに部屋のなかへ入り、
その形象を変えて「黄色いカーテン」になり、「金色の光」になり、「黄玉」になっ
て、またエンマの姿へと戻って現れる。なにもハリーポッターだけが魔法使いだと思っ
たら大間違いである。言葉の構造こそ魔法なのだ。
ただ実際、この比喩が類似性をともなって自己再現するという技法は、あざとくならな
いよう後段にあるレモンあたりに落ち着くのが無難ではある。しかし、このような鮮や
かな実例をみてしまうと自分もキメてやりたいと力がはいるものだし、冒険するにみあ
うだけの価値も効果もあるのは確かだ。使用にあたって注意する点を述べよう。
=喩えるまたは喩えられるものの重要度と持続=『みずうみ』の場面転換>>33に出てき
た青いハンド・バッグはその気味の悪さを喩えて銀平にぶつけられると同時に、みずうみ
の青でもある。作品の中核にからむ故に青いハンド・バッグは容易に消去はされない。
 今回引用した比喩は花火みたいなもので、スポット的な効果を狙っている。『ボヴァ
リー夫人』にも作品全体にまたがる比喩、イメージはあるのだが、かいつまんで説明で
きるレベルではないのでこれは措いておきたい。
=使用する頻度=何度も同じような比喩を連発すると下品で鬱陶しくなるので注意する
こと。
=類似するイメージの近遠=腹黒いやつめ、といってシャツをめくるとホントに腹が黒
かった、なんていうのは低脳なギャグでしかない。イメージの距離は、作品の性格や構成
などをかんがみてセンスよく決めていただきたい。

110 : ◆YgQRHAJqRA :03/06/26 08:56
 あと、比喩とは関係ないが、後段の「それから彼女は〜」にみる文章は、
リョサの指摘したエンマの男性願望をよくあらわしている描写。「大きな
パイプをとって、くわえてみる」などは、フロイト的な解釈をすればまさ
に男根を…ってまたエロイ方向に……。

111 :名無し物書き@推敲中?:03/06/27 01:06
乙。
ボヴァリー夫人未読だけど、読んでみたくなったよ。エロ目当てに。(藁

あてずっぽに解釈すると「類似する語句でイメージ付けを図る」ってことだろか。

112 :名無し物書き@推敲中?:03/06/27 12:30
比喩の連関は考えたことなかったな・・
映画で言うと背景や小物のカラーコーディネイトみたいなものだろうか。
見ている人はほとんど気づかないが、深層心理にじわじわ効いて、全体のトーンを左右
する。

113 : ◆YgQRHAJqRA :03/06/27 20:19
 スレの最初のほうから、律儀に読んでいただいている方は、なんとなく技術の共通項
みたいなものが見えてきたでしょうか。
 技術の形は違っても、そこには言葉や構造の「類似」と「対立」という要素が、時に
はっきりと、時にはひっそりと表されています。この「類似」と「対立」は小説技術の
基礎になっています。
 映画は小説のもつさまざまな技術を受けつぎ転用しました。文字というフィルムが、
眼という映写機を通して脳のなかで像を結ぶと考えれば、小説と映画のもつ技術は、そ
の親和性が高いというのもうなずけます。

 ここで小説技術の土台となっている要素は次の五つです。
    「類似」「対立」「時間」「空間」「読者」
 前の三つはもうわかりますよね。残りの「空間」と「読者」についても、そのうち
やっていきたいと思います。また、色彩も小説では大きな役割をはたします。イメージ
のところで扱おうかと思っていたのですが、技術というより色彩論になってしまうので
止めました。これは各自で学んでくださいね。

114 :名無し物書き@推敲中?:03/06/28 02:51
◆YgQRHAJqRA の色彩論も聞いてみたいとは思うけど、まずは「空間」と「読者」についての
御講義をたまわりたいと存じます。

115 : ◆YgQRHAJqRA :03/06/28 18:02
 御講義なんて大それたものじゃないですから(笑)こういう形式があるんだな
と、物書きの参考にしていただければ望外です。

>>113でぽかをやりました。訂正します。「空間」ではなくて「視点」です。
無自覚に「時間」とからめて空間と書いてしまいました。いけませんね。
 それと、『ボヴァリー夫人』はもう一回だけやって終わりにします。この
一冊だけで、小説技術のほぼすべてをカバーできるのですが、ずっとそれでは
飽きるでしょ。

116 :名無し物書き@推敲中?:03/06/28 21:44
まだ116番だし、ボヴァリー夫人をきちんと教材(?)として使い切ってほしいと思う。
もし他にも使える著書があれば「参照」としてくれると、生徒(?w)としては、
一冊で一貫性を持った授業を受けたいと思うので・・・w

117 : ◆YgQRHAJqRA :03/06/29 00:30
 そうですか? 続けて『ボヴァリー夫人』を利用できれば、他の書籍から引用を
探す手間は省けるのでいいですけど…ただ、使い切るというのは難しいですね(汗)
片手間の読解で使い切ったと言われたら、フローベールも浮かばれませんでしょ。

 このスレッドを見ている人がどれほどいるかわかりませんが、このあともずっと
『ボヴァリー夫人』でかまいませんか?

118 :名無し物書き@推敲中?:03/06/29 00:54
私はOKでつ。他の方はわかりません。
あの、先生が使われてる「ボヴァリー夫人」の出版社と訳者を知りたいです。
というのも、すみません、まだ未読なもので・・・。
先生の説明を読んで、
たとえばパイプのシーンなどで「ああ、そっかー」なんて声をあげています・・・。


119 :tina ◆OcfLN77Pak :03/06/29 00:59
 わたしもOKです。今度、本を購入するつもりですので。
 よろしくお願いします。

120 : ◆YgQRHAJqRA :03/06/29 01:32
 ありがとうございます。了解です。
 引用は岩波文庫の伊吹武彦訳です。こないだ本屋さんにいったらまだ同じ
ものがありましたよ。
 あと、先生はちょっと、そういってくれるのは嬉しくないわけでもなく、
でもやっぱり恥ずかしいし、長々と拙文をさらしておいて先生もないだろう
と思いますんで、どうぞ記号で呼んでください。

 tinaさんもここみてたんですか。『続百鬼園随筆』面白かったですか?実は
私はまだ読んでませんブブw。むこうのスレもちょくちょくみてますよ。がんばって
くださいね。

 では、『ボヴァリー夫人』を続けます。進め方を考えますので少し時間をください。

121 :名無し物書き@推敲中?:03/06/30 16:31
うちのボヴァリー夫人、-地方風俗-って副題がついてる。

122 : ◆YgQRHAJqRA :03/07/02 21:20
 ではそろそろ続きをはじめましょう。
 次の技術の前に、もう一度今までのおさらいと『ボヴァリー夫人』の簡単な解説を
したいと思います。約2ページ半を引用するので、ボリューム満点です(jεj)
 アップは明日になると思います。それまで、お腹をすかせて待っていてください。
でもまずいかったりして(>_<)




123 :名無し物書き@推敲中?:03/07/03 00:36
ボヴァリ夫人注文したぞ。ハァハァ…

124 :名無し物書き@推敲中?:03/07/03 00:41
期待してます。生徒の一人なのであえてコテにはなりませんが、
◆YgQRHAJqRAさん、がんがってください。  

125 : ◆YgQRHAJqRA :03/07/03 23:18
岩波文庫 伊吹武彦訳 『ボヴァリー夫人』下 14p〜16p


 「ああ、もうしばらく。帰らないでここにいて下さい!」とロドルフはいった。
 彼はもっと向こうの、小さい池のほとりへエンマを連れて行った。池の水には浮草
が青かった。枯れた睡蓮が灯心草(とうしんそう)のあいだに立って動かなかった。
草をふんでゆく二人の足音に、蛙がはねて姿を消した。
 「私、悪かったわ、悪かったわ。あなたのおっしゃることを聞くなんて、私どうか
していますわ」
 「なぜです……エンマさん! エンマさん!」
 「おお! ロドルフさん!……」若い女は男の肩にもたれながら静かにいった。
 ドレスの羅紗が男服のビロードにからみついた。彼女は溜息にふくらむ白い頸(うなじ)
をぐっと反(そ)らせた。そして正体もなく泣きぬれて、長く長く身をふるわせ、
顔をおおいながら身をまかせた。
 宵闇がおりてきた。横ざまに射す陽の光が枝間を縫ってエンマの眼にまばゆかった。
まわりにはここかしこ、木の葉のなかや土のうえのに、まるで蜂雀(ホウジャク)
が飛びながらその羽根を散らしたかのように、光の斑点がふるえていた。静寂はあ
たりにみなぎり、何かあるなごやかなものが木々のなかからわき出るように思われた。
彼女は心臓がまた動悸を打ちはじめるのを、そして血がミルクの流れるように五体に
めぐるのを感じた。そのとき、遠く遠く森のかなた、別の丘の頂に、かすかな長い叫
び声、尾を引くような一つの声が聞こえた。たかぶった神経の名残りのふるえのなか
に、まるで音楽のようにとけこむその声をエンマはしずかに耳をすまして聞きいった。
ロドルフは葉巻を口にくわえながら、切れた一方の手綱を小刀でつくろった。

126 : ◆YgQRHAJqRA :03/07/03 23:18
 二人は同じ道を通ってヨンヴィルに帰った。自分たちの馬の足跡が泥のうえに並んで
ついているのや、同じ灌木の茂み、草の中の同じ石ころが見えた。まわりにあるものは
何ひとつ変わっていない。けれどもエンマにとっては、山が動いたよりも大きなことが
突発したのだった。ロドルフはときどき身をかがめ、エンマの手をとって接吻した。
 エンマの乗馬姿はあでやかだった。すらりとした上半身をまっすぐにのばし、片膝は
馬の鬣(たてがみ)の上に折り曲げ、顔は外気にふれて夕映えのなかに心もちほてっていた。
 ヨンヴィルへはいると馬を石畳のうえにはねまわらせた。みんなが窓から眺めていた。
 夕食のとき、夫はエンマの顔色がよいといった。しかし散歩のことをたずねるとエンマ
は聞こえないふりをした。そして火のついた二本のろうそくのあいだ、自分の皿のそばに
じっとひじをついていた。
 「エンマ!」とシャルルがいった。
 「なあに」
 「実はね、今日の昼、アレクサンドルさんの家へ寄ったんだよ。ところがあの人は
古い牝馬を一頭持っている。ただちょっと膝に傷があるだけで、まだなかなか立派な
ものだ。三百フランも出せばきっと手にはいると思うのだが……」
 シャルルはつけたして、
 「いや実はお前が喜ぶだろうと思って、その馬を約束して…いや買ってしまったの
だ…いいことをしたろう? ねえどうだい?」
 エンマはうなずいて見せた。そしてものの十五分もしてから、
 「今晩はお出かけになりますの?」ときいた。
 「うむ、どうして?」
 「いえ! なんでも、なんでもありませんのよ」

127 : ◆YgQRHAJqRA :03/07/03 23:18
 邪魔だったシャルルが出かけてしまうと、エンマはすぐに二階へあがって居間に閉じ
こもった。最初はまるで眩暈(めまい)でもするような気持ちだった。木立や、道や溝
やロドルフが見えてきた。あの人の抱擁がまだ感じられる。それと同時に木の葉はゆら
ぎ、灯心草は風に鳴った。
 しかし自分の姿を鏡の中に見たとき、エンマはわれとわが顔に驚いた。眼がこんなに
大きく、こんなに黒く、こんなに深ぶかとしていたことはついぞなかった。ある霊妙な
ものが全身にめぐって、エンマの姿を一変させたのであった。
 エンマは、「私には恋人がある! 恋人がある」と繰り返した。それを思い、それに
また、二度目の春が突如として自分に訪れたことを思ってしみじみ嬉しかった。今まで
あきらめていたあの恋の喜び、あの熱っぽい幸福をいよいよわがものにしようとするの
だ。自分はある霊妙不可思議な世界に入ろうとしている。そこではすべてが情熱であり、
恍惚であり、狂乱なのだ。ほのかに青い千里の広袤(こうぼう)が彼女を取り巻いている。
感情の山巓(さんてん)は彼女の思念のもとに燦然(さんぜん)とかがやいている。そし
て日常の生活ははるか下の方、山々の狭間にこめる闇のなかにほの見えるばかりであった。

128 : ◆YgQRHAJqRA :03/07/03 23:22
 『ボヴァリー夫人』の驚嘆は、幻想にとらわれることなく緻密に計算して書かれ、
それが完璧といえる完成度でなしとげられているという事実だ。とりあえずとか、
なんとなく、といった妥協やふやけた性根は微塵も感じさせない。
 フローベールは、決定稿487枚のために、プランを書いた大型の紙46枚と両面
を使った草稿1788枚、そして約4年半の歳月を費やしている。その間、彼はほと
んど休むことなく書き続け、夜遅くまで部屋の明かりが灯っているため、地元の漁師
が灯台がわりにしていたという逸話まである。
 ときに読者は、あまりにも隙のないすばらしい小説に触れると、これはきっと作者
になにか霊感が宿って神憑り的に書いたか、たまさか偶然や幸運がかさなって珠玉の
名品が生まれたのだろうと、考えがちになる。あるいはもっともらしく、才能という
言葉を引っぱりだしてはため息をつくのだった。
 もし彼に才能というものをみるとしたら、それは感受性とか電波まじりの精神とか
ではなくて、飽くなき探究心と、言葉を精錬し組上げる技術者としての才能であろう。
書簡のなかに彼の小説に対する姿勢がよくわかるセリフがある。
 《ぼくがやってみたいのは、生きるためには呼吸をすればいいのと同じように、(こ
んな言い方ができるとすれば) ただ文章を書きさえすればいい書物をつくることです。
プランについてあれこれ悩み、効果の組合せを考え、要するに表に出ないさまざまの
計算をしなければならぬことにはほとほと嫌になりますが、しかしこうしたものもや
はり 「芸術」 ではある、なにしろ文体の効果はこれにかかっている、もっぱらこれに
かかっているのですから》
 彼は『ボヴァリー夫人』を書くにあたり、言葉を物質的にとらえ感情を抑制し、シス
テマチックな小説をめざした。しかし、実は彼はとてもロマンチストであったので、
ヌーヴォー・ロマンのような小説のための小説にはならなかった。そうしてできあが
った小説は、物語と形式が親密に結合し、類い希な人間像を造りだす一方で、近代形
式主義の源流にもなったのである。

129 : ◆YgQRHAJqRA :03/07/03 23:24
 さて、御託はこれくらいにしておいて解説に入ろう。
 物語中盤、エンマとロドルフが馬に乗って散策にしている場面を2ページ半に
わたって抜粋した。『ボヴァリー夫人』の作品を象徴し、また技術的にも内容の
濃いところである。ここでこのテキストを使って今までのおさらいをしたい。と
いっても全てを逐語的に解説するわけではなく、重要な点だけを取りあげること
にした。比較に読み解きやすいところは、あえて少し言い添えるだけにして、
各自の考察を期待したい。

130 : ◆YgQRHAJqRA :03/07/03 23:33
 つづく… (汗汗

131 :名無し物書き@推敲中?:03/07/04 07:25
乙。

132 : ◆YgQRHAJqRA :03/07/05 07:13
 ちょっと訂正です。この場面ではエンマとロドルフは馬から降りています。

133 : ◆YgQRHAJqRA :03/07/05 07:17
 最初にテキスト全体を俯瞰して気づくのは、その叙述のバランスの良さである。描写
と説明、セリフの三つが分量および配置において、模範的な形に収められている。この
2ページ半は小説構成のミニチュアだと思っていただければいい。
 小説上の時間は、「描写」と「説明」 によって成りたっている、このことを思い出し
て欲しい。時間は描写によって遅くなり、説明によって早くなるという原理だ。この場
でもう一度、時間処理の説明を補足したい。
 まず、Aという対象を描写する。その対象を細密に、徹底してしつこく書けば書くほど
紙面を埋める文字は増え、A以外のものは入り込む余地がなくなってしまう。それが1
ページ、2ページ、さらに3ページと続いたら読者は息苦しくなるだろう。やがて「話が
進まないじゃないか!」 と、本を投げだしてしまうかもしれない。そう、極端にいえば
描写することによって時間を止めてしまうことも可能なのだ。
 大切なのは小説と読者のもつ時間の起伏であり、その結果が文章や構造のダイナミズム
を生むことになる。
 大雑把ではあるが、時間の流れを加速、減速、等速に分けて引用文に照らし合わせてみよう。
 セリフは虚構と現実の間にあまり差がないので、冒頭の「ああ、〜」からエンマのセリフ
まではほぼ等速状態にある。次に、森のなかでの描写が入り、ヨンヴィルに戻ってくるとこ
ろまでがおおむね減速状態になり、そしてやや等速に戻す。夕食への短い説明で加速し、ま
たセリフが入って等速。シャルルが出かけたあとから最後までが、エンマの心理描写を含む
減速状態となっている。また引用はしなかったが、この直後回想へとつながるので、全体で
みるとなかなか動きの多い内容である。つまりこの時間の動きというものが、読みのリズム
を作りだしているところに注目していただきたい。

134 : ◆YgQRHAJqRA :03/07/05 07:18
 小説を書くのに、こんなことを考えて書くのは、なんだか面倒くさいと思う人
もいるだろう。実際すべての作家が時間処理に汲々として書いているわけではな
いし、これは車の運転と同じで、最初はギアチェンジの動作を確認しながらやっ
ていても、そのうち自然にできるようになってくるはずだ。なかにはテクが上達
してくると、頭文字Dばりに『異邦人』のようなことをやりたくなってくる御仁
もいるかもしれない。まあ、上を目指すのは悪いことではないので止めはしない
が、失敗したときの破綻はより大きいものとなるので、それなりの覚悟をもって
取り組んでもらいたい。


135 :名無し物書き@推敲中?:03/07/05 19:41
◆YgQRHAJqRA さん。
イニシャルDの前には、オートバイの作品でたしか売れたと思うのですが、
異邦人の前に、カミュは何かで売れたのでしょうか・・・?
さすがにカミュも一作目から異邦人では、電波扱いされそうな気が・・・(^^;

136 : ◆YgQRHAJqRA :03/07/05 21:46
 あら、そこをツッコミますか(^◇^;)
 えっとですね。小説は時間芸術といわれるくらいでして、この技術はとても
応用範囲がひろいんです。ある程度、時間処理の走り(書き方)に自信をもっ
てきますと、他人とはちょっと違う、よりダイナミックでかっちょいい走りを
求める人もいると思うんです。でも、頭文字Dの拓海のような、人を魅了する走
りには、それ相応の技術とリスクが伴いますよね。そういう意味では『異邦人』
もある種、走り屋的な作品ではあるんです。
 小説もコミックみたいに売れてくれればいいんですけどね。まあ特に純文なん
かは、売り上げは二の次みたいなところもありますし、一概に一括りにはできな
いのですけど。こんな感じでよろしいでしょうか?

137 :135:03/07/05 22:22
あ、いや、ツッコミというわけではなかったんです。
そうですねえ、売り上げは確かに二の次にしないと、やってられないかも、ですねえ。
続きを期待しています。


138 : ◆YgQRHAJqRA :03/07/05 22:58
 そうでしたか。単純に売り上げのことを訊きたかったのですか。
 今ちょっと裏読みモード(なんじゃそりゃ)になってるんで、つい勘ぐって
いらんことを書いてしまいましたね。文学も雑誌で取りあげられたり、映画化
されたりしてメジャーになれば、村上龍みたいに高級ホテルを常宿にできるん
ですけど、そんなのはほんの一握り、いやほんの一つまみの人でしょう。まし
てや世界的に名が知られるとなると……ま、そんな暗いことは考えずに書きま
しょ(笑)

139 :135:03/07/06 00:31
ええ、そうですね・・・。
拓海のようなテクでもやはり、本になる・ならない、売れる・売れないは別というか、
志望者の私から見ると、いきなり拓海ではなくてスカイラインの人くらいのレベルで出てきたいというか、
あれ、何を言ってるのかw。とにかく、ウルトラテクもヘタすると周囲がポカーソとするだけで、
相手されないどころか本にもならなかったりして、と思ったのです。でもイツキはヤダなあw
あ、いえ、気にせず、続きをお願いしますです。^^;

140 : ◆YgQRHAJqRA :03/07/07 21:35
 それにしても、『ボヴァリー夫人』ほど比喩や伏線が錯綜している小説もめ
ずらしい。しかもそのほとんどの比喩、伏線は露骨な奏功を求めることなく、
物語という織目の裏にいくらか透けてみえるか、あるいはまったく目につかな
いように重ねられている。この奥ゆかしさこそが、作品に陰影をもたらし、逆に
目にみえぬ効果となって表れるのである。といっても、初めのうちは容易に実践
できるものでもない。知識、教養はもちろんのこと、語彙の豊かさも必要となる。
そしてなによりも、各種新人賞などに応募する短編には不向きであること。10
0枚程度では、陰影を出そうとしているうちに紙幅がつきるし、無理に詰めこめ
ばそれぞれの効果が飽和して、とても奥ゆかしいなどとはいえない代物になるだ
ろう。
 ただ、技術を露骨に見せびらかさないという自制心に、学ぶ価値はある。出す
ところは出し、引っこめるところは引っこめる。美しいフォルムとはそういうも
のではないだろうか。

 この物語は、ある予兆というものが常に立ち現れては消え、また光と影、夢想と
現実など、二項対立の原理に貫かれている。このことを頭に入れて読むと、『ボヴァ
リー夫人』の面白さが一段と増すことと思う。

141 : ◆YgQRHAJqRA :03/07/07 21:35
 まず最初に取りあげねばならないのは、次の象徴的な比喩である。
 
 《枯れた睡蓮が灯心草のあいだに立って動かなかった》
 《そして火のついた二本のろうそくのあいだ、自分の皿のそばにじっとひじ
をついていた》

 この二文の類似性にさほど説明はいらないだろう。灯心草は、名前の通り昔は
ろうそくの芯に使われていたイ草の一種である。そのろうそくの間にじっとして
いるのはエンマであり、ならば灯心草の間で枯れている睡蓮もエンマということ
になる。しかし、睡蓮がどうしてエンマのイメージにつながるのだろうか。前に
も述べたが、これは翻訳という過程で失われてしまう比喩のあやなのだ。問題は、
睡蓮という花のイメージではなくて、言葉そのものにある。
 睡蓮の仏語は、nenufar ネニュファール 、学名をNymphaea ニンフィア という。これはギリ
シャ神話のNymphe ニンフ という精霊の名前からとっている。仏語ならまだしも、日本
語の睡蓮からギリシャ神話のニンフを連想するのは難しい。
 では、このニンフとはいかなるものなのか説明しよう。
 ニンフは木や川、海などといった自然物はもちろん、国や町などにも宿る精霊で、
性格は純真無垢であり、若くて美しい性的魅力にあふれた女性の姿をとって現れる。
なんともあられもない男性の願望をみたした存在であるゆえ、やはりというか当然と
いうか、人間との恋に落ちる話が多いようだ。しかし、たいていその恋は悲劇的な
結末を迎えるのである。それを示唆するように、作者も睡蓮に「枯れた」 という言葉
をわざわざ付け加えているのだ。
 『ボヴァリー夫人』を読み進めば、エンマがニンフ的な人物であると呑みこめると
思う。さらに、ろうそくが二本である点も意味がある。本書では、2や対という形が
構造の基本として細部から全体にわたるまで浸透している。そしてこのろうそくと睡蓮
は、非常に距離の長い伏線にもなっている。このテキストにはいくつかの興味深い伏線
が張られて、次回はそのことについて解説したい。 

142 : ◆YgQRHAJqRA :03/07/07 21:37
 宿題といってはなんですが、「灯心草」という言葉が二回出てきますよね。
これがどういう役割を果たしているのか、ちょっと考えてみてください。それ
ほど難しくはないと思います。>>24がヒントです。

143 :名無し物書き@推敲中?:03/07/07 23:47
うーん、私の不勉強を棚にあげて、こう言うのもナンですが、
比喩についてはライターズ・センテンスとでもいうのか、
ふつうの(創作しない)読者に向けて書いたとは思えないのです。
なんというか、「ああ、ここで作者は遊んでるな」と創作する者にだけ受ければいいな、
といった内輪のテクとでもいいましょうか、
微妙な綱渡りだと思えるのですが……。あ、いや、これはあくまで私の印象ですので、
すみません、灯心草が何かは、ちょっと、わかりませんでした……。

144 :名無し物書き@推敲中?:03/07/08 01:57
>ふつうの(創作しない)読者に向けて書いたとは思えないのです。
外国のものだからじゃないのかな? その文化圏で育ってればすっとわかるのかも。
似たような例で逆を考えると、例えば彼岸花をぽんと出しても、
それが意味するところは外人には分かんないと思う。
なにしろ150年も前の小説だから、その時代、故事とか伝承的な物は一般人にとっても
生活の中でかなり身近だったんじゃないのかな、と推測してみる。

灯心草はさっぱりわかんない。恋の炎を灯す触媒?
24を参考ってことは場面転換の何かなんだろうけど。場面転換のきっかけかとも思ったが、
それだと普通、灯心草を見て思い出すという順序になるから、違うよなあ。。
大体、回想の中に織り込まれてるし。
次の段落が、「しかし」で始まってるのが何かありそうだけど。
答えを待ちます。

145 : ◆YgQRHAJqRA :03/07/08 07:55
 おはようございます。
 睡蓮の比喩は、作者も読者に気づかれることをあてにしていないと思います。
作中において、ばればれの比喩というのは少なくて、どこかひねりのきいたも
のがほとんどです。もちろん文化や歴史的な背景が日本とは違いますから、その
せいで解りにくいというのもあるでしょう。
 ただそれは技術上の遊び心からきているというよりも、フローベールの小説に
対する厳格な美意識によってもたらされている、別の言い方をすれば、ボルト一本
の手抜きから大建築も崩壊するのだという、神経質なこだわりの表れであるような
気がします。
 比喩というのは作家性がよく出ますね。好きな人はホントによく使うし、使わ
ない人は意固地なくらいまったく使わない。開高健とかの報告的文体に、比喩が
がちりばめられていたら、ちょっと胡散臭くなりますもんね。
 「灯心草」難しく考えることないですよw 言葉の近接だけでとらえてみてね。
 朝っぱらから長文失礼いたしました(汗
 

146 : ◆YgQRHAJqRA :03/07/10 19:11
 ちょっと前置きのあとに、「灯心草」の答えです。
 エンマはこの居間のくだりでロドルフの恋を確信するんですね。おまけに妻の
不倫を助けるために、シャルルは自家用の馬を買ってくる間抜けぶりを発揮して、
内心嬉しくてしかたないはず。その前にエンマが乗っていたのはロドルフの借り
馬ですし、見栄っぱりな彼女にしてみればそれは恥ずかしいことでしょう。
 でも前段のセリフからは、シャルルの妻への愛情はまったくエンマに届いてい
ません。この冷めた関係とロドルフのやりとりに比較してある、あからさまな差別
はなんなのか。それはシャルルという人物が凡庸や愚鈍さにみちた現実の象徴で
ある点にかかっています。エンマがその情熱や人生を感じるのは、日常からはなれ
た劇的な恋や現実離れした夢に浸っている時なのです。つまりエンマにとってシャ
ルルは、夫婦であるがゆえに嫌でも現実を突きつけてくるつまらない人間、あるい
はくびきでしかないのです。この対立は物語中、何度となく繰りかえされます。
 そしてこの現実への呪いが最後、シャルルを激しく打ちのめす効果となって現れ
るのだけど、ここで説明してしまってはつまらないので、ぜひ本書を熟読し、容赦
のない構造の力学にこころ震わせてください。

147 : ◆YgQRHAJqRA :03/07/10 19:11
 では、
 「灯心草」の役割は、蝶番(ちょうばんorちょうつがい)と呼ばれている技法
で、類似した言葉の反復を使い、物語上の時間や空間をこえてA点とB点をつなぎ
合わせるはたらきをします。>>24の場面転換や比喩の連携などはこの応用といえる
でしょう。「時間」 「対立」にならぶ基本技術なので、ぜひ憶えてください。この
「灯心草」は言葉のズレもなく、一番単純な使い方だと思います。
 この機能を理解した方は、夕食への場面転換で 《顔は外気にふれて夕映えのなか
に心もちほてっていた》《夫はエンマの顔色がよいといった》 という部分に>>24
同じ手法をみてとることでしょう。
 ならば「灯心草」もロドルフが目に浮かぶ前にもっていけば、もっと効果的じゃな
いかと考えるかもしれません。私もそう思いました。ただ、同じ「灯心草」ではわざ
とらしいと思ったのか、仏語の音の調子を優先したのか分かりませんが、イメージの
喚起より後へ置いて余韻的な使い方をしています。しかしなにげなく「それと同時に」
と書いてあるところがフローベールらしくていいですね。あと、ゆらいだり、鳴った
りというのはエンマの心の動揺を表現しています。
 まあそれにしても、シャルルはセリフの段でもエンマに冷たくあしらわれて、なおか
つ構造では蝶番で無視されてしまうこの二重の排斥に、哀れみを感じるなぁ。いい人な
のに、かわいそうなシャルル…。
 ちなみに人を思い出す時って、その周りの状況や印象と関連して思い出すのが普通な
んですね。あの時のアイツは変な恰好をしていたなあとか、初めてアイツに会ったのは
どこそこだったなあ、みたいに。記憶のメカニズムはそんなふうになっているんだとか。
だからこの部分は科学的な見地からも正し描写? なんていえるのかな。

148 :名無し物書き@推敲中?:03/07/11 00:41
今日買ったぞ。
読む。
その前に寝る。

149 :名無し物書き@推敲中?:03/07/11 08:01
仕事に出るまえに・・・。乙です。

150 :名無し物書き@推敲中?:03/07/11 20:24
じっくり楽しませてもらってます。
形式主義者を目指してるつもりだったのに、蝶番なんてテク初めて聞いた。

151 : ◆YgQRHAJqRA :03/07/11 21:53
 軽く答えるつもりだったのに、なんか解説っぽくなっていまいましたポリポリ。 

 昨今、形式主義者を標榜する人は希少ですからね、がんばってください。
射倖をあてにしない意気はプロにも見習って欲しい人がいますからね。W・ジュン
イチ大先生とかは特にw 初めてあの人の作品を読んだとき、私はほんとエンマじゃ
ないけど、眩暈をおぼえましたよ。ま、ここで悪口いっても不毛なのでよしましょ。

 次回、伏線について解説すると言ったのですが、ちょっと後回しにさせてください。
部分的な説明を書いてるうちに、おさらいの範囲に収めるのが難しくなりました。期待
していた方には申し訳ないのですが、あとで必ずやりますのでお許しください。
 またこれから先はネタバレな話が増えると思います。読了していない方にとって、楽
しみを奪う結果になるやもしれませんので、ご承知ください。 

152 :山崎 渉:03/07/12 12:03

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄

153 :名無し物書き@推敲中?:03/07/12 23:24
山崎につき保守age

154 : ◆YgQRHAJqRA :03/07/13 01:12
 そういえば「対立」については突っこんだ解説はしてないですね。まあ、>>44
や『異邦人』にみる叙述自体の対立、エンマとシャルルのような例をみればその
原理を理解していただけるのではと思います。
 一般的な使われ方としては、文庫本でいうと上巻40pにあるルオーじいさんが自分
の結婚式のことを回想する場面、(>>90とダブりますねぇ。実際には逆ですけど、
エロさではいい勝負) 雪で「野原は真っ白だった」 というそのイメージが、「妻
のかわいいばら色の顔」 をいっそう赤く情熱的にみせるというやり方ですね。

 原理が単純なぶんそのバリエーションも豊富で、いちいちその一つ一つをあげる
わけにもいきません。原理を踏まえて、ノウハウは自分で築いていくしかなんです
ね。しかしその原理をうまくつかめていない人もいるかと思いますので、一応解説
を書きました。

155 : ◆YgQRHAJqRA :03/07/13 01:18
 人間は、対立のなかに刺激を求めまた感じる生き物である。スポーツにしかり
ゲームにしかり、また映画にしても、見渡せば娯楽というものはなにかと対立関係
を好んで採用する。白と黒が激突するその狭間に野性をくすぐられ、人はそこに面白
さや興奮を感じる。
 そしてもう一つ。コントラストの対立というものがある。色や物、気分、なんでも
よいが、主となるものを 「より際だたせるため」 に、比較して異なる言葉、イメー
ジを対置する方法だ。
 「ぼくはなごみ系の小説を書きたいから、対立なんていらないんだよね」というの
は、はなはだしい勘違いであり、どうしたら読者がよりなごやかな気分になるのか、
そのことを書き手は考え、対立に関わる差異の成分を探し求める必要がある。
 ぬるま湯のような文章をだらだらと書き連ねても、読者はなごみを通りこして退屈
になり、あなたのテキストの上によだれを垂らすかもしれない。
 だが、対立だからといって白と黒の強烈なコントラストばかりでは能がないだろう。
実際には対立にかかる明度変化の強弱と配分にこそ興があり、書き手にとってはそこ
が腕の見せどころでもある。いろいろと趣向をこらしてみて欲しい。
 最後にスタニスラフスキーのこんな言葉を紹介しよう。
 「悪人を演ずるときは、そのよいところを探せ。老人を演ずるときは、その若いとこ
ろを探せ。青年を演ずるときは、その老いたるところを探せ」

156 :名無し物書き@推敲中?:03/07/13 13:05
単調な理屈ばかりで退屈なんですけど。

157 :名無し物書き@推敲中?:03/07/13 14:10
>>156
そうではない人もいるので、あなたがこのスレに来なければいいだけのことです。

158 : ◆YgQRHAJqRA :03/07/13 23:03
 まあまあ。でも、コチコチの解説ばかりで退屈してきたってのはあるかな。
 息抜きに短歌でものせますか。

 「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ
 ↑は俵万智の有名な短歌です。↓はこれを受けて作った私の短歌w
 「寒いね」を「暑いね」に換えたらむさくるしくてやっぱり冬が恋しい オソマツ
 

159 : ◆YgQRHAJqRA :03/07/13 23:57
 >>155は厳しいことを言っているかもしれませんが、これは自分への戒めでも
あります。ひとりで穴熊みたいに書いて困難にぶつかったりすると、いろいろ理
由をつけて自己を正当化する気持ちに負けそうになります。だからこうしたも
のを書いておいて、のちに読み返したそのときに、自分がぬるま湯に浸かってい
たら、きっと心に痛く刺さるのではないか。他人の書いたものなら目を背けるこ
ともできるけど、自分の書いたものならば直視することができると思うのです。

 それで、やはり伏線を先にやることにしました。新しい技術の要素も入ってきて、
ややこしいことになるかもしれません。ここにきて力不足を痛感しています。なるべく
簡潔にまとまるようにしたいと考えていますが、読み落としや勘違いによるおかしな
点は遠慮なく指摘してください。
 では、阪神が優勝する前に終わることを目指してがんばります。 

160 :名無し物書き@推敲中?:03/07/14 00:40
がそばれがそばれ

161 :山崎 渉:03/07/15 11:43

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄

162 : ◆YgQRHAJqRA :03/07/16 01:06
  長編小説に伏線はつきものである。伏線とは、のちにおこる事態をそれとなく暗示
する、またはその事態の原因となるものをさりげなく配置する、演出の仕掛けである。
これは辞書にも載っているが、変則的な伏線としてもう一つ。小説の主題や構成そのもの
を示す伏線もある。その端的な例がつぎだ。
 作品冒頭、シャルルは登場するなりその愚鈍さを見せつけ、
「新入生、君は ridiculus sum(余は笑い者なり)という動詞を二十編書いて来たまえ」
と、教師に言わしめる場面は、この小説におけるシャルルの扱いを決定づける伏線といえ
るだろう。
 また、>>51 で解説した『異邦人』もこの種の伏線である。
 この変則を別にすれば、伏線もまた蝶番と同じく、言葉やイメージの類似性を使った技術
でありその性格も似ている。だが蝶番が比較的短い距離をつなぐために使われ、表面に現れ
やすいのに対し(>>44のレモンがいい例)、伏線は導火線のようなかたちで割と長い距離で
仕組まれ、その存在も気づかれにくいという違いがある。
 伏線の問題はこの距離にある。ともするとその導火線の火は、発現場所につく前に消えて
しまがちなのだ。

163 : ◆YgQRHAJqRA :03/07/16 23:32
 読者は、その一字一句を脳裡に焼きつけながら本を読むわけではない。ほとんど
の字句は時間の経過と共に忘れられ、断片化した言葉や印象だけが残る。通常、比喩
や蝶番、伏線の効果は紙面上の距離を隔てるほど弱くなる。つまり書き手はここで、
一般読者の記憶は概して薄弱であり、曖昧であることを意識せねばならない。これは
一般読者が馬鹿であるとか、痴呆にかかっていると言いたいのではなくて、忘却は生
理的な現象であって防ぎようがないのである。これに抗って、全知性を傾注して読む
ような人はまれであるといっていい。
 だったら伏線なんて仕掛けるだけ無駄じゃないの。といえば、たしかにそうだ。無駄
を承知で書く場合もある。別に気づかれなくてもいいさ、というその余裕ぶりがまた、
田舎者を悔しがらせるための都会派の粋ってやつ、といえば耳あたりはよいが、どこ
かで手抜きとささやく声もあるかもしれない。
 そこでここはもう一段突っこんで、おぼろげになる記憶を逆手にとれば、一線級の仕
事となる。消えかかる言葉、印象の火花を途中でまた増幅してやればよい。そこで助け
になるのが、類似の反復である。

164 :名無し物書き@推敲中?:03/07/17 09:52
>発現場所につく前に消えてしまがちなのだ。

これはつまり、読者自身が忘れてしまっていて、もはや伏線にならなくなってしまったと、
そういう感じなのかなあ・・・。かといって、蝶番では、伏線というよりはギミックにしかならない、と。

165 : ◆YgQRHAJqRA :03/07/17 19:34
 そういう感じです。目の前に本をポンと置いただけでは、これ、面白くもなんと
もないないわけですね。本を開いて読むという能動的な作業をしなければなりませ
ん。ここが、映画や音楽の娯楽との相違です。一冊の本を3時間で読み終える人も
いれば、3日かかる人もいます。
 伏線というのは、フラッシュバックの効果によって、もろもろの感情を惹起させ
ようとするものですね。 ハッ、コレハアノトキノ…Σ(゚Д゚;)ガガ−ン みたいな(笑)ちょっと
マンガ的ですけど、わかりやすい効果例。でもこれは、あくまで読者の記憶の保存性
にたよっているわけです。なので伏線の賞味期限はなかなかに短いのです。だからと
いって、この小説には伏線が含まれておりますのでお早めにおめしあがりください、
と注を入れるわけにもいかんでしょ。
 で、その対応策をいま書いてるのです。エート、ココガアーナッテ、コーナッテ…ヽ(jДj)ノ ウワァァン

166 :名無し物書き@推敲中?:03/07/19 17:04
アゲたいのだが、荒れるしなあ・・・。上位スレにはさっそく夏厨が来てるし。

167 :名無し物書き@推敲中?:03/07/19 20:23
地下でマターリしよう。
レス付けてなかったけど、楽しみに更新待ってる。

168 : ◆YgQRHAJqRA :03/07/21 17:51
 書くには書いたのですがどうにも、天気と同様スッキリしません。引用を変えて
もう一度書き直そうと思っています。もうしばらくお待ちください。

 伏線の反復でもっともわかりやすい例は『千と千尋の神隠し』なんですよね。
実用度からいったら『ボヴァリー夫人』よりもこちらが上ですし。どうしよ。こっち
はすぐに書けるんだよね。ていうか書きたいんだよねw

169 :名無し物書き@推敲中?:03/07/21 22:27
>>167
遠慮せず書きたいものを書いてください。

千と千尋で思い出したんだけど、あの映画よーく見ると、結構長い間あっちの世界に
行っているようでいて、実はシーン的には一泊二日しか行っていないんだよね。
”今日から”風呂当番じゃ、みたいな湯婆のセリフや、いつの間にか自分の名前を忘れてるシーン、
周辺の人物が千尋のことを受け入れている様子、千尋の性格の変化などで、
時間経過を表現している。(こういうのを、時間を盗む、というらしい)
雑巾掛けのシーンなんかたった一回しかないのに、習慣的な仕事であることがわかる。
(というか、そう見えてしまう)
下手な人だったら「〜日たった」みたいな千尋のモノローグ入れたくなったり、
朝夜朝夜を何度も繰り返したり、刑事ドラマの聞き込みシーンみたいに、bgmつきで
退屈な毎日が繰り返されてますよ、的なシーンを入れたくなるんだろうけど。
直接的な表現をしないで、周りの状況から「何日たった」をうかがわせるやり方、
けっこうすごいと思った。

170 :名無し物書き@推敲中?:03/07/22 00:34
ごめん、一泊二日は大嘘だわ。あいまいな記憶で適当なこと書いた。
見せるべき時間をじっくり見せて、どうでもいい時間を思いっきりカットし、
そのつなぎをさりげなくやる、そういった時間の盗みかたがうまいな、ということを言いたかったのです。

171 : ◆YgQRHAJqRA :03/07/22 23:31
 今日レンタル屋さんで借りてきて、あらためて観ました。やっぱいいなぁ。
暇な方は『クラバート』と『ゲド戦記-影との戦い-』を読んでみてください。
この二冊が元ネタだといっていいですし、面白さは折紙付きです。

 時間を盗むとはオシャレ言いまわしですね。時間経過を示す方法はいろいろ
ありますから、本やら映画やらからどんどんパクってくださいw 

172 : ◆YgQRHAJqRA :03/07/22 23:36
 『千と千尋の神隠し』は「水」のイメージに満ちている。絵は百万言の言葉に勝る。
絵で語れない映画はいつだっておしゃべりだ。観客は耳で聞く以上に絵を読んでいる。
 この映画は現代版の龍宮伝説といってもいいだろう。未見の方はほとんどいないだろ
から、物語の詳細は省かせてもらい、本題に入りたい。

173 : ◆YgQRHAJqRA :03/07/22 23:36
 ハクはなぜ千尋を助けたのか。また千尋も、なぜハクを信頼しその窮地を救おうと
するのか。さほど答えは難しくない。ハクがまだ川の神であったとき、千尋はその川
に「落ちて」溺れ死にそうになり、ハクはこれを助けた。真の名前を湯婆婆に奪われ
たあとも、彼はこの記憶を残していたので、この異世界に来た千尋を当然助けようと
する。千尋はこのことを知るよしもないのだが、命の深いところではこのことを感じ
取っている。なにしろ千尋の尋とは水深を測る単位のことだ。この「水」と「水」の
親和性から、今度は逆に千尋がハクの命を救うという、類似の法則が働くのである。
お互いに似たものは、目にみえぬ引力によって惹かれあい近づこうとする。この法則は
現実だけでなく、虚構の世界においても有効であることを忘れないで欲しい。
 さて、この答えはもちろんラストシーンのところまで伏せられたままだ。しかし唐突さ
を避けるための伏線はしっかりと張ってある。
 冒頭、おびえる千尋とハクのセリフ、「忘れないで、わたしは千尋の味方だからね」
「どうしてわたしの名を知っているの?」「そなたの小さいときから知っている」がそうだ
し。腐れ神が大湯に浸かるシーンで千尋は湯船に「落ちて」溺れてみせ、これを拾い上げて
くれるのが川の神であるところ。また川の神は龍の姿をしている。ハクもまたそうだ。龍は
古来、雷雨を呼ぶ神話の生物である。千尋が空を見あげると、白い龍(ハク)が彼方に飛び
去ってゆく。すると次のシーンには雨が降りだし、まわりは海になってしまう。さらに手負
いのハクと千尋が穴に「落ちて」ゆくシーンでは、川で溺れた記憶がフラッシュバックする。
 そしてついに最後、千尋はハクの真の名前を告げこれを取り戻し、二人は解放感に満ちた
空のなかを「落下」していく。観客はこれをさも当然のごとく受けとめて、ちょっと涙ぐんだ
りもするのである。これは愛の力などというありふれた理由ではなく、厳として「水」の近接
と反復によってもたらされた結果なのである。これにより、ハク=川の神という伏線を支えて
あまりあるほどの効果を発揮し、かつ作品の統一性にも寄与している点をぜひ学びとってもら
い、小説にも活用していただきたい。

174 : ◆YgQRHAJqRA :03/07/22 23:50
『ボヴァリー夫人』の方もちゃんとやりますから、待っててくださいね。
 煩雑で面白くないけど、ボツ解説も載せようかな。まあ、お金もらって書いてる
わけじゃないから、気張ることないんだけどさw ちこっと参考になるかもしれな
し。

175 :名無し物書き@推敲中?:03/07/23 00:58
マターリとお待ちしてます。

176 : ◆YgQRHAJqRA :03/07/23 20:11
 《そのとき、遠く遠く森のかなた、別の丘の頂に、かすかな長い叫び声、尾を引くような
一つの声が聞えた》

 このとても気味がよいとは言えない「声」は、エンマだけに聞こえている。なにしろこの
「声」は、はるか後方153p、物語的にはまだ訪れぬ未来から発せられた残響であり、その間
にはまさに広大な言語の森が層をなしている。そこにロドルフはいないのだから、聞こえる
故もない。
 では、その153pに飛んでみよう。

 《乞食は前うしろの車輪の泥を浴びながら、もう一方の手でふみ台にしがみついていた。
声は、最初は弱く赤ん坊の泣き声のようであるが次第に鋭くなっていった。何をなげくとも
知れぬかすかな哀訴の声のように、それは闇のなかにながながと尾をひいた。鈴の音や木立
のざわめきや箱馬車のうなりを通して聞くと、その声にはエンマの心を転倒させるような、
はるばると遠いものがあった。それは竜巻が谷底へ舞い下がるように、エンマの魂は底へ沈
んで行き、果てもない憂鬱の虚空へエンマを運び去るのであった》

「声」の主はあきらかにこの乞食であるといっていい。さらに152pにある乞食の描写を掲出しよう。

177 : ◆YgQRHAJqRA :03/07/23 20:13
 《峠には一人の乞食が杖をついて、行きかう乗合馬車の間をうろついていた。肩には
ぼろを重ね、顔は鍋底のように丸くなっている形の崩れた古い海狸帽(かいりぼう)に
隠れていた。しかしその帽子を脱ぐと、瞼のところに、血だらけな、ポッカリ口をあい
た二つの眼窩(がんか)が現れた。肉は赤くぼろぼろにただれていた。そこから膿(うみ)
が流れ出して、鼻のあたりまで緑色の疥癬(かいせん)のようにこびりついている。黒
い鼻の孔は、ひきつるようにクンクン鳴っていた。物をいうときには、仰向いて白痴の
ように笑った。すると青みを帯びたひとみがずっとこめかみの方へ吊りあがって、なま
なましい傷の縁へ突き当たった》

 この目のない乞食はもはや人間ではない。死神のそれである。この伏線はさらにあと、
毒に悶え苦しむエンマが最期に叫ぶセリフ、234pにかかってくる。

《「めくらだ!」とエンマは叫んだ。
 そして、エンマは笑い出した。乞食の醜悪な顔が、物怪(もののけ)のように、永劫の
闇に突っ立っているのが見えるような気がして、残忍に、凶暴に、絶望的に笑い出した。》

 エンマは死の床で何度も叫び声をあげる。かすかな長い叫び声、それはエンマ自身の
断末魔も含まれていたのかもしれない。

178 : ◆YgQRHAJqRA :03/07/23 20:15
 伏線としてみると、14pの描写はどうにも弱い。読者に印象を残そうとする力みはまる
でなく、むしろ自然に忘れられていくことを望んでいるかのようなさりげなさだ。読者は
153pに至って、14pの場面を思い出すことは皆無であると言っていいだろう。どちらかとい
えば152,3pと234pを意識するのが穏当だ。しかし考えてみると、時間の流れに沿って強か
ら弱へとかすむ印象を、なるべく引き延ばそうとする通常の伏線とは、またっく逆の形式を
とっているのだからこれで正解なのかもしれない。この伏線の転倒性は難度が高いのでここ
はしばらく忘れてもらいたい。14p〜16pにおける描写が、終盤の絶望と破滅への予兆を表象
するものとして解説をすすめる。

 物語はここから大きな展開をみせる。この不吉な呼び声に引かれて、不義と放恣にまみれた
運命の坂をエンマは転げ堕ちていくことになる。そして変化をみせるのはなにも話の内容だけ
ではない。その兆候を表すものが>>127の二段目以降の描写だ。 

179 : ◆YgQRHAJqRA :03/07/23 20:17
 エンマの大きな「黒い」眼が強調され、ある霊妙なものが全身にめぐって、エンマの
姿を一変させる。さらに次の心理描写の段でも、自分はある霊妙不可思議な世界に入ろ
うとしている。そこは、情熱と恍惚と狂乱がすべてらしい。そんなのはマトモな人間の
みる夢ではない。棺桶に片足をつっこんだシャブ中の妄想と大差ない。その意味でいえ
ばエンマはいわば恋愛中毒者であり、もちまえの神経症も手伝って幻視幻聴はあたりま
え、そこかしこであなたの知らない世界を垣間見てしまう。そして完全にイッてしまって
いる感情の頂からみる現実、これからエンマが堕ちる現実という地獄は、はるか下の「闇」
のなかにある。
 といっても、初見の読者はエンマの運命を知るはずもない。ただ勘のよい人は、なにか
不穏な空気を読みとるだろう。その凶兆のシンボルとなるが「黒」と「闇」という言葉である。
 上巻第一部でも「黒」と「闇」は何度となく表れるが、それはまだ不吉な影をともなっては
いなかった。下巻第二部からこの言葉はある種の異様さをちらつかせ、反復しながらも、けし
て意味を明確にせず、不安や予兆めいたものを感じさせ、読者の心理に暗い影を落とすのであ
る。これは作品の色調を統一するはたらきにもなっているし、心理色として黒がもつ効果はけ
して軽いものではない。遠からずそこには死のイメージが重なってくる。

180 : ◆YgQRHAJqRA :03/07/23 20:19
 しかし、馬鹿のひとつ覚えのように、闇雲に反復すれば良いというものでもない。
上巻24p「うれしかった」を5連発するシャルルよろしく、野暮ったさを強調して苦笑
を誘うことにもなるので気をつけたい。
 実際、読者は同じ言葉の繰り返しには敏感で、まともな書き手はこれを懸命に避ける
努力をするし、一見マイナスの要素を転じてこれを利用する術もある。このように、類
似する言葉がどうも目につく場合、そこには作者のなんらかの意図があると思っていい
だろう。とはいえ、なかには無自覚に意味もなく何度も同じ言葉をばらまく作家も、い
ないわけではない。だれとは言わないが、とにかく私はくらくらと眩暈を覚えたのであった。



181 :148:03/07/24 04:52
まだ読んでる。
読むの遅いな俺。鬱。

182 :名無し物書き@推敲中?:03/07/24 17:39
乙。
伏線とイメージの効果、これだけいろんな例を出してもらうと、さすがにしっくりくるね。


183 :名無し物書き@推敲中?:03/07/24 23:45
私的に、この板でここが最良スレでつ。

184 : ◆YgQRHAJqRA :03/07/25 00:25
 ありがとうございます(^^ゞ

 もう伏線に関してはこれでいいかな、という気がします。『ボヴァリー夫人』は、
うんざりするくらい伏線だらけの小説でして、そのひとつひとつを紹介するだけで
一冊本ができるんじゃないかというくらいです。伏線に関わる効果や方法は、ここ
に述べたことを基本として呑みこんでいただければと思います。

 さて、伏線には基本技術の要素として「類似」ともうひとつ、「読者」という存在
が大きな重点になりましたね。148さんが身をもって示してくれるように、長編はさっと
読める代物ではありません。生活をするうえで、小説よりも憶えておかなければいけな
いことはたくさんあります。印象に残らないところは、次々と忘れられていくのも仕方
のないことです。その対策として反復があったわけですが、もう少しお手軽で簡単な方法
もあります。

185 : ◆YgQRHAJqRA :03/07/25 00:26
 《それは青葉棚の下、かつて夏の宵々に、レオンがうっとりと彼女を見つめたことのある、あの腐(く)ちた丸太のベンチの上であった。今はもう彼女はレオンのことなど考えてもいなかった!》

 この青葉棚のベンチは、物語のなかで重要なガジェットになっていて、最後の最後、
シャルルのオチに結ばれています。そこで消去されないように折々に登場するわけです。

 で、なにがお手軽かって説明ほどお手軽なものはないわけですね。「かつて〜あっ
た。」と書けば、読者には十分記憶の手がかりになりますね。キメのシーンでこんな
説明をいれるのは無粋ですけど、中継点でこうした説明を用いるのは有りでしょう。

 さてさて、技術のなかにやっと「読者」がみえてきましたね。読者もまた作品の一部
であるということに着目した技術です。次回をおたのしみに。


186 : ◆YgQRHAJqRA :03/07/25 00:27
 あ〜改行失敗した(´・ω・`)ショボーン

187 :名無し物書き@推敲中?:03/07/25 16:20
605/644 落ちそう

188 : ◆YgQRHAJqRA :03/07/28 01:00
 そんな下まで落ちてましたか。どうもです。

 ちょっと調べたいことがあって、図書館に行こうかと思ってたんですけど、
行きそびれました。あした(今日か)は休館だし、少しあいだがあきますね。

189 : ◆YgQRHAJqRA :03/07/28 23:13
  読者と登場人物の結託

『ボヴァリー夫人』上 113p

 レオンは部屋のなかを歩き廻っていた。南京木綿のドレスを着たこの美しいひとを、
こんな見すぼらしい家のなかで見るのは妙な気がした。ボヴァリー夫人は顔を赤らめた。
レオンは自分の眼つきにぶしつけなものがあったような気がして向こうを向いた。

190 : ◆YgQRHAJqRA :03/07/28 23:16
      同作 下 53〜54p

 恋する習慣の力だけでボヴァリー夫人の態度は一変した。目つきは大胆になり、言葉
づかいは露骨になった。まるで「世間をばかにするように」くわえ煙草でロドルフと散歩
するような、おだやかならぬことまでした。ある日エンマが男のように胴をチョッキで
締めつけて、「つばめ」を降りるのを見たときには、まさかと思っていた連中ももう疑
わなかった。ボヴァリー老夫人は夫と大喧嘩をしたあげく、息子の家へ逃げてきたが、こ
れまた大いに眉をひそめた。
 (3行略)
 ボヴァリー老夫人はその前の晩、廊下を横切ろうとするときに、フェリシテが一人の男
といっしょにいるのを見つけた。顎から頬へかけて黒い髭をはやした四十がらみの男で、
足音を聞くと急いで料理場から逃げて行ったというのである。エンマはその話を聞いて笑い
出した。ところが、老婦人は気色ばんで、風儀の良し悪しを頭から問題にしないのなら知ら
ないこと、そうでなければ召使いの風儀ぐらいは取締まらねばいけないときめつけた。
 「あなたはどんな社会のお方です?」そういう嫁の目つきがあまり横柄なので、老婦人は、
お前さんは自分自身の言い訳をしているのだろうとやり返した。
 「出て行って下さい!」若婦人は飛び上がって叫んだ。
 「これエンマ! お母さん……」仲裁しようとしてシャルルは叫んだ。
 しかし二人とも激昂して、もう向こうへ飛んで行った。エンマは地団駄をふみながら、
 「ああ、世間知らず! 土百姓!」と繰り返した。
 シャルルは母親のほうへ走って行った。母親は狂気のように口をもぐもぐさせながら、
 「生意気な女! おっちょこちょい! いやもっとひどい女かも知れない!」

191 : ◆YgQRHAJqRA :03/07/28 23:17
 嫁姑の争いとそれに翻弄される夫を活写し、それを傍観しておもしろおかしく茶をすする
図は、みのもんたの決め台詞「奥さん……別れちゃいなさい!」をアップで楽しむ現代にも
通じるものである。昔小説、今テレビといったところであろうか。
 まあそんなことはどうでもいい。この技術の話は単純だ。今、読者が読んで知り得た内容
をそのまま、登場人物も共有してあるかのように振る舞うという手法である。
 伏線のところで、読者はやたらと忘れる生き物なのだということを書いた。しかし、今読
んでいる部分を忘れてしまうほど、ひどい健忘症の人はそういないだろう。つまり、短期的
にみれば、読者は書かれてあるすべてのことをよく知っているわけだ。

192 : ◆YgQRHAJqRA :03/07/28 23:19
 まず最初に上巻113p、エンマはここでなぜ顔を赤らめるのか。レオンの眼がぶしつけ
だったから、などと答えてはいけない。学校のテストなら○だが、作家の答えとしては×。
正解は、《南京木綿のドレスを着たこの美しいひとを、こんな見すぼらしい家のなかで見
るのは妙な気がした》 というレオンの心理をエンマが読みとったせいだ。なぜ読みとれ
るのか。読者が知っているからだ。
 エーッそんな馬鹿なことあるわけないと、異議をとなえたくなるだろうが、そんな馬鹿な
ことあるのが小説なのである。もちろんあまり露骨にやると超能力じみてくるので、そこは
曖昧さを加減してやる必要があるだろう。この一文も現代的な水準にあわせれば、レオンの
眼がぶしつけ云々という説明の逃げ道はなくてもいいのだが、写実に徹するという作品の
性格もあってのことと推測する。
 しかし無節操に誰とでも読者との結託を用いていいわけでもなく、やはりそれなりにわき
まえるべきルールはある。

193 : ◆YgQRHAJqRA :03/07/28 23:20
 一つ目、作品の性格を考慮すること。写実やルポなどの少しお堅い性格の作品には、
派手な使用を控えたほうがいいだろう。

二つ目、人物の性格もまた考慮すること。エンマやボヴァリー老婦人、ひいてはこの
作品に登場する女性たちはみな勘がよい。元来、男性よりも女性のほうが細かいところ
によく気がつくという性質がある。つまりは、相手の営みや心理をやすやすと見破るそ
の勘どころのよさによって、読者の分身ともいえる結託が成立する。間違ってもシャルル
のような抜け作が、相手の心情を読者と同じように察知するなんてことはおこらないし、
おこしてもいけない。

 最後は、やはり距離である。53〜54pの例は少し入り組んだ構成になっているけれども、
老婦人との結託のもとになる情報(ロドルフとの不逞)は、すぐ隣に書かれてある。なる
べく1ページ以内の距離でおこなうようにすれば、空振りを防げるだろう。

194 : ◆YgQRHAJqRA :03/07/29 00:30
 この技術がもっとも鮮やかな効果を発揮するのは、地の文とセリフの連携である。
その例として>>190をあげた。しかしながら、なるべく目立たないように書いている
こともあって、こう今ひとつぱっとしない。他にいいところもなかったので、お粗末、
恐縮、ごめんなさいと先に謝っておき、私のやっつけを例にとって見てみよう。
 
「あいつ絶対許せない! キミとはやっぱり馬が合わないみたいぃ? ふ、ふざけんじゃ
ないわよ! 他に女ができたのはわかってんだから、コンチクショー!」
 どうやら飲んできたらしい。目をまっ赤にして、姉はしきりにソファを殴ったり蹴ったり
している。そのうちに疲れてぐったりとソファへもたれ、鼻をチーンとかんだ。
 離れたところでテレビを見ていた弟は、呆れたように横目で姉の醜態を見やり、そうやって
すぐヒステリックになるから、男に逃げられるんじゃないのかね、と内心つぶやいた。
 ティッシュの箱が飛んできて、弟の頭に命中した。
「あいつが悪いのよ!」
「痛いな、おれに当たらないでくれよ」

195 : ◆YgQRHAJqRA :03/07/29 00:30
 文章の拙さはご容赦いただき、地とセリフの構成を看取してもらいたい。
 このような感じにすればさほど不自然にもならず、地と会話の連携(姉と読者が
結託してる)がはかれると共に、興趣のあるすっきりとした流れになる。
 非現実的な世界や幻想性を前景化する作品なら、もっと大胆な結託をみせてもいい
だろう。不気味で奇妙な世界をさまよう「私」を書いた、内田百閨w冥途』にその例
をみることができる。さすがにこちらは惚れ惚れするような名文である。
 
 女は暗い道をどこ迄も行った。私は仕舞いに家へ帰れなくなる様な気がし出した。もう
後へ引き返そうと幾度も思いかけても、矢っ張りその時になると、今にもその泣き声が思
い出される様な気がして、どうしても離れることが出来なかった。道の片側に家の二、三
軒並んでいるところを通った。家の戸は皆しまっていた。隙間から明かりの漏れない真暗
な家だった。その前を通る時、自分の足音が微かに谺(こだま)しているのを聞いて、私
はふとこの道を通った事があるのを思い出した。私の足音が、一足ずつ踏む後から、追い
かける様に聞こえたのを思い出した。
 「いいえ、私の足音です」 とその時一緒に並んで歩いた女が云った。そうだ、その道を
歩いてるのだと気がついたら、私は不意に水を浴びた様な気がした。


初心者はなにかと現実性を踏襲しようとする断り書きによって、文章の流れを濁らせてしまう。
下手な親切心は返って作品のあだとなる。ある程度は読者の想像や解釈にまかせてしまう余裕も、
書き手には必要であろう。最終的に作品を完成させるのは読者なのだから。


196 :名無し物書き@推敲中?:03/07/30 00:55
例文がわかりやすくてよかったよ。

197 : ◆YgQRHAJqRA :03/07/30 07:40
 新潮の『ボヴァリー夫人』を立ち読みしたんだけど、やっぱ岩波の訳のほうが
しっくりくるなあ。好みもあるから絶対ってわけじゃないけど、エンマの最期の
セリフが「盲目!」っていうのはどうも…おぞましさに欠けるような。

 この技術は面白いでしょ。私のお気に入りです。『ピンポン』ていう卓球映画
ありますよね。原作の漫画はこのテクを場面転換なんかに応用していて、ホーっと
感心しながら読みました。絵柄にアクがありますけど、買って損はないですよ。

198 :名無し物書き@推敲中?:03/08/01 00:48
お疲れ様です。
> ◆YgQRHAJqRA さんの「読み」といいますかコメント、いつもとても楽しみです。

199 :山崎 渉:03/08/02 01:10
(^^)

200 : ◆YgQRHAJqRA :03/08/04 03:35
 なんだか暑いなと思ったら、となりでウンウンいってるパソコンが暖房器具である
ことを思い知る今日この頃。フウフウいいながら、あとちょっとで書き上がると思っ
たら、ビールがうまいや夏の夜。酒は減ってもテキスト増えず。
 え、なんのことかって? そこを察していただくのが次の技術というわかめ(イミフメイ

201 :名無し物書き@推敲中?:03/08/04 04:20
Thanks!


202 :tina ◆OcfLN77Pak :03/08/04 05:01
 こんな夜おそくまでお疲れ様です。
 今回たいへんなご迷惑をおかけしてしまいました。申し訳ありません。
愚痴っぽいことをこぼしてしまいましたが、書くのが大好きなことには変わり
ありません。中断しているお話も止めるつもりはありませんし、技術の勉強
や読書もこれまで通り続けます。
 どうかこの「技術スレ」も阪神優勝までに、などとおっしゃらず、ゆっくりで
構いませんのでどうか長く続けてください。よろしくお願いします。
 ボヴァリー夫人の上巻が「第二部未完」の文字で終わっているのを見て、
フローベールという人は第二部を書いてる途中で亡くなられたのか……と
思ってしまいました(恥)すみません。
 


203 : ◆YgQRHAJqRA :03/08/07 02:08
 迷惑なんて被ってませんから気にしなくていいんですよ(笑)もうちょっと
気楽に書いてもいいかもしれませんね。あまり深刻にならずに。

 はよ続きキボンヌという感じでしょうけど、もうしばらくご辛抱ください。
山崎が二つも三つも重なるような有様にはならないと思いますw 

204 :名無し物書き@推敲中?:03/08/08 00:18
>>203
>山崎
了解っす。w

205 :山崎 渉:03/08/15 12:47
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン

206 :名無し物書き@推敲中?:03/08/25 04:53
>◆YgQRHAJqRA さん!

い、いくらなんでも、落ちすぎだと思われぇぇぇぇぇぇぇぇ!

お待ちしてます  m(_  _)m  

207 : ◆YgQRHAJqRA :03/08/25 20:24
 さて、そろそろ続きをはじめますか。すっかりご無沙汰になってしまいましたね。
 放っておいても、雑草のようにみだりに伸びないところがこのスレの奥ゆかしさで
しょうか。幽谷にひっそりと咲く山野草のごとくに、なんて言っても実のところ物好き
しか訪れない辺境というのが正解かもしれませんがw

 と、先日書き込みしようとしたらプロバイダのアクセス規制で書き込めないの(/_T)/
なかなかこれが解除されないんです。 
 で、仕方なくネットカフェに今いるわけです。私、はじめて利用します。勝手がよくわか
りません。IMEからブラウザから各種設定など、自分のパソコンとまったく違うわけです。
それらと格闘して早30分。やっと書けるぞとほっとして、運用板みたらあなた!規制解除
されてるじゃありませんか!なんだそりゃ、金返せ!と叫んでも摘み出されるだけなんで、
もうちょっと遊んでから帰ろう。

208 : ◆YgQRHAJqRA :03/08/25 20:34
  ─黙説─ 空白の引力

   『ボヴァリー夫人』上 111p


 そのときレオン君が書類の束を小脇にかかえて近所の家から出てきた。彼は近寄って挨拶し、
ルウルウの店先に張り出したねずみ色の日覆いの影へはいった。
 ボヴァリー夫人は、子供に会いに行くのですけれど、そろそろ疲れてきましたといった。
 「もしも……」 とレオンは答えて、それから先はいいよどんだ。
 「どこかご用がおありですの?」 とエンマは聞いた。
 書記の返事を聞いてエンマはそれではいっしょにきて下さいと頼んだ。そのことが早くも
夕方にはヨンヴィルじゅうに知れ渡った。村長の妻テュヴァシュ夫人は女中の前で「ボヴァリー
の奥さんはあやしい」とはっきりいった。


      同作 下  132p

 エンマが門をノックする音を聞くと、待ち兼ねていたシャルルは両腕を開いて進み
寄り、涙声でエンマにいった。
 「ああ、お前……」
 そして彼はやさしく身をかがめてキッスした。しかし彼の唇がふれたとき、エンマは
ふとあの人を思い浮かべ、身ぶるいしながら顔をふいた。
 しかしエンマはさすがにこう答えた。
 「ええ、知ってます……知ってます……」

209 : ◆YgQRHAJqRA :03/08/25 20:40
しかるべき情報をわざと書き落とす。知られたくないものを隠蔽してはぐらかす。これを
黙説法という。
 黙説法などというと、なんだかエラそうな技術に聞こえるが、なんのことはない。はっき
りものを言わない日本人お得意の「暗黙の了解」や「沈黙もまた答え」、表現としては、
「こんな所で立ち話もナンですから」 「ここは遠慮しておいたほうがアレですし」など、
最近では(ryなんていうのもこの黙説の範疇に入る。なんだかとたんに下世話な感じになっ
たけれども、小説には小説なりの使い方が。


 さて、上述のように唐突な切り方をしたらどうだろう。使い方が?なに?、とにわかに尻切れ
になった部分が気になりはしないだろうか。黙説の効果のひとつとして、この空白の生むいわば
真空的な誘引力がある。
 私は「読者との結託」で、ある程度は読者の想像や解釈にまかせてしまう余裕も、書き手には
必要であろう。最終的に作品を完成させるのは読者なのだから、と書いた。
 黙説はこれを書くことではなく、書かないことで成そうとする技術である。つまり読者はそこ
に書かれてある以外のことは知りようがない。肝心なところをはぐらかされるとそこが気になる。
しかしその動機は容易につかむことができない。なぜか。書かれていないからだ。ある程度どこ
ろか、すべてを読者の想像や解釈に放擲(ほうてき)することで、黙説が生む空白はあさましい
ほどの引力をあらわにする。

210 : ◆YgQRHAJqRA :03/08/25 20:46
 空白はとても魅力的な機能をそなえている。さも意味深なように書いて読者を惹きつけつ
つ、どうにも解せずに難渋しても、それはきっと自分の読解力が未熟なためだろうと思わせ
てしまう詐術である。ことによると、読者は何度も同じ箇所を読み返し、ページを遡行して
答えを、納得のいく解釈を探りだそうとするだろう。こうした空白を作品全体にちりばめ、
構造そのものを黙説化してしまうと、純真な読者はころりとこれに引っかかる。まるで底の
みえない深遠さや得体の知れないスゴイ小説のような勘違いが生じるのだ。
 そしてこの空白の名手ともいえるのが村上春樹である。読者の興味と関心を惹きつけるた
めならば、創作者が持つ情報の独占的な立場を大いに利用してはばからず、なおかつ本来あ
るべき答えさえも実はないという態度によって、ときに厳しい非難や不興を買っているのは
このためだ。そんなことはへのへっちゃらで、気にもとめない図太い神経を持っていると自
負する人は、その手並みを研究してみるのもいいだろう。

211 : ◆YgQRHAJqRA :03/08/25 20:48
 黙説法のえぐいところばかりを書いてしまったが、通常はもっとしとやかな情緒性
を誘い出すために、あえて語らないということが多いだろう。卑俗な例でいえば、結
びあう男女の目線とか、おなじみの医者の告知シーン(セリフを挟まず、落胆の仕草
や表情で病状の深刻さを表す)といったものが思い起こされる。

 より自覚的に黙説を利用する場合、ひとつ注意点がある。読者の感情や思惟によって
空白を埋めるためには、前後の書き込みや話の流れから、見えざる答えを導けるように
しておかなければならない。あまりに勿体ぶった書き方をすると、書く側の優位性に寄
りかかった悪手か横着と取られかねない。懸念や謎を煽るような目的で使用するならば、
伏線の一つや二つを同時に配置するくらいの気配りをみせるべきだと私は考える。

212 : ◆YgQRHAJqRA :03/08/25 20:53
 さて、上巻111pにみる例は、地とカッコ書きでやりとりする会話を黙説でつなぐ良い
お手本。「そろそろ疲れてきました」というエンマの言葉をうけて、「もしも」とレオ
ンは言うが、この先は言葉になっていない。彼の性格からしてもじもじと、「そこで少
し休んでいきませんか」とか「お茶でもどうですか」といった、月並みな誘い文句が続
くであろうことは容易に想像がつく(正確には読者にそう思わせる)。並の書き手なら
ここで 「もしも…なんですの?」なんてセリフを挟んでしまいがちになるが、フロー
ベールはこの二人のやりとりで両者の力関係をはっきりと見せつけている。エンマから
みると、レオンは典型的な年下のかわいい坊やという扱いだ。

 エンマは「もしも……」というレオンの言葉の先を気にもとめず、「どこかご用がお
ありですの?」と自分の質問を浴びせかける。イエスかノーかという簡単な答えも、あ
るいはそれ故に、レオンは言葉を発する(書かれる)ことを許されない。しかし 「それ
ではいっしょにきて下さいと頼んだ。」という一文によって、レオンの答えは容易に察す
ることができる。
 いったいどちらが主で従であるのかという力関係がこの黙説の内に示されている。畢竟、
小説の主人公(副次的であっても)とは、限られた紙面をどれだけ占有し、その領域を支配
しているかということにつきる。続く112p、エンマとレオンが乳母の家へむかう道すがら、
「彼は彼女の足に合わせてひかえめに歩」くことも必然の所為といえるだろう。

 そして、このレオンと対照となるもうひとりの恋人が、ロドルフである。

213 : ◆YgQRHAJqRA :03/08/25 21:02
 つづく。

 対照「と」じゃなくて「に」だね。これだから他人様のパソコンは……いえ、
単なる推敲不足です。すいません。読み返すと結構アラがあって恥ずかしい。

214 :名無し物書き@推敲中?:03/08/27 17:35
お、久々に更新されてる。乙


215 :名無し物書き@推敲中?:03/09/01 03:35
落ち過ぎなので保守上げ

216 :名無し物書き@推敲中?:03/09/02 04:22
漏れは例の空白部分には全くピンと来なかったなあ。
言われてみたらその通り、とは思うんだけど。

漏れが鈍いのか、それにしても
「もしも」のあとに口説き文句がくるとは思わないもの。
(もしもお茶に誘ったら……とかそういう台詞を切ったのかな)

訳の問題だろうか?

217 :名無し物書き@推敲中?:03/09/02 04:24
どうでもいいけど、ボヴァリー夫人はずっとシャルルに感情移入して読んでたので
ロドルフのくだりは死ぬほど鬱だったよ。

218 :名無し物書き@推敲中?:03/09/02 04:28
あ、エンマの台詞が、そっくりそのまま続きなのかな。
「もしもお暇でしたら(ry」が一番それっぽい。

で、女に先回りされて言われてしまった、と。
たしかにレオン君情けない。

219 : ◆YgQRHAJqRA :03/09/05 00:58
 例文は物語の流れのなかで活きてくる黙説なので、そこだけ取ってみてもなかなか
ピンとこない、というのも確かにあるかもしれません。「もしも……」という言葉の
なかに、語られない彼のエンマに対する思いや性格というものを、説明やあからさま
な演出によらず読者に訴えかけるところがミソなんですけど、やはりこの技術特有の
いやらしい側面が取り扱いを難しく(使い方自体は簡単)しています。
 なので、ぶっちゃけ張りきって習得してもらわなくても構わない、それとなく意識せ
ずに使うくらいが安全で、せっせと使ったところで作品に箔が付くわけでもなく、返っ
て泥を塗るような結果にさえなります。まあ、身も蓋もないこと言いますと、この技術
のところは読み飛ばしてもかまいません。
 じゃあ書くなよということになるんですがw 知識として持っておく分には大過ありま
せんし、いやオレはうまく使ってみせる、というか好んで使ってましたという方には、や
はり慎重な扱いをうながしたいと思います。あと、無駄な文章をそぎ落とすことと、黙説
をごっちゃにしている方も注意してください。

220 : ◆YgQRHAJqRA :03/09/05 01:00
 非常にいい例(悪い意味で)として、アニメの『新世紀エヴァンゲリオン』があります。
作品全体に散見する黙説はあきらかに空白の求心力を発揮していたし、後半に至ってはもう
開いた口がふさがらないという有様でした(ファンの方には申し訳ないが)。
 ただ、エポックメーキングの役割は確かにありましたし、その圧倒的な支持によって本来
マイナス面となりうる部分を覆い隠していました。誰だったかは忘れましたが、良心的な分析
を試みて、なるほどとうなずける現代性を提示した批評もありました。しかし、冷静になって
見てみれば、黙説のあざとさはハッキリしていて、これをもろ手で誉めるわけにはいきません。
 これや良しと、二番煎じのまねごとで黙説を取りいれることはくれぐれもしないでください。
安易に振りまわすと、自分を傷つけることになります。

221 : ◆YgQRHAJqRA :03/09/05 01:12
 黙説はもうちょっと続きます。余韻や余情といった部分に関係してくるところ
をもう少し解説して、次の「視点」に関する技術に移りたいと思います。

 最近あまり時間が取れませんで、更新ペースが鈍ってますがまったりとお待ち
くださいませ。

222 : ◆YgQRHAJqRA :03/09/05 01:45
 ああ、そうそう217 さんの気持ち、私もわかりますよ。判官贔屓ってやつです
ねw 日本人はどうも弱者、人間的にダメなやつに味方したがる気質があります
よね。欧米ではダメ人間に同情するような、ましてやそれを美学にまで昇華する
文化はないそうです。滅ぶものは滅ぶべくして滅ぶというドライな摂理に、複雑な
感情をはさむ余地はないようです。
 だから物事に失敗すると虚無的な笑いを浮かべる(通称ジャパニーズスマイル)
日本人の心理作用は、今だ欧米人の理解を超えているようです。だから海外でヘラ
ヘラ笑いながら、アイムソーリーなんて言うとぶん殴られるかもしれませんw

223 :名無し物書き@推敲中?:03/09/05 05:02
竹中直人みたいに笑いながら怒りを表現しなければならぬと思った49歳の夏。

224 :名無し物書き@推敲中?:03/09/23 16:05
保守

225 :名無し物書き@推敲中?:03/09/29 17:09
初めて読んだけど珍しい位の良スレだな。
ガンガッテね

226 :名無し物書き@推敲中?:03/10/02 03:07
少し話題になってたので、今更ながら千と千尋見た。

正直、腐れ神の入浴が反復になってるとは気付かなかった。
フラッシュバックが入る場面でようやく「ああ、複線だな」と思った程度。

迷子の機微がうまく描けてるところに一番感心しますた。
あとはアニメーションの勝利? か。

恋愛もどきや、繰り返し挿入される主題っぽいBGMは気恥ずかしかった。
でも、こういうのは受けるだろうなあ。

227 :名無し物書き@推敲中?:03/10/02 03:12
ああでも
繰り返し見れば気付くのは難しくないと思う。>反復

初見で気付くか? 気付かなくとも無意識に効果を及ぼすか?
というのは疑問。

そういやサブリミナルでコーラの売り上げが伸びたとかいう実験は
実は嘘、とかいう話を見かけた。ソースは無し。

228 :名無し物書き@推敲中?:03/10/02 13:59
>>226
ほー複線なんてあったのか。

229 :名無し物書き@推敲中?:03/10/08 13:49
良スレ。

230 : ◆YgQRHAJqRA :03/10/12 12:52
 どうも、久しぶりです。いやホントに久しぶりだw 一ヶ月もたっていたんですね。
 
 ちょっと職を変えましてね、そこらへんでゴタゴタしてまして、すっかりこのスレ
のことを忘れていました(汗 なんか生々しい話になってしまうんで、詳しくは書き
ませんけど、まあ心機一転でまたはじめますんでよろしくw

 えーと、黙説の132pの例ですけど、読み込んでみたら思っていたような黙説ではな
かったので見なかったことにしてください。なんか取りあげるほどのものでもありま
せんでした。のっけから訂正ですみません(^^ゞ
 次の、黙説が生みだす余情感については、また『千と千尋の神隠し』を使いたいと
思います。情の感じ方というのは人それぞれですから、絶対ということはもちろんない
のですが、偶然によらない奏功を得るためのテクは知っていて損はないでしょう。
 
 それと、技術って基本的に前面にしゃしゃり出てくる、また出すものではないと思う
んです。ラーメンでいうとダシみたいなもので、麺や薬味などの素材と相性良くからみ
あうことで、はじめて美味しいラーメン(作品)になるわけですね。でも目に付かない
からといってダシに手を抜けば、てきめんに味が落ちるのもたしかです。なにも海原雄山
みたいな味覚をもっていなくても、なんとなく不味い(面白くない)といのを感じるで
しょう。
 『千と千尋−』の多重にしくまれた伏線を、目ざとく見つける人はほとんどいないと思い
ます。それでもこの伏線は、謎を明かす段の唐突感をやわらげ、作品の調和をそれとなくは
かる役目を果たしています。まあ、こういった御託はうまいとかまずいとかになぜか人生賭け
ちゃってる山岡みたいなマニアにまかせて、一般の人はもっと大らかな気持ちで映画や小説
を楽しんで頂ければいいんじゃないでしょうか。
 ん〜、なに言ってるんでしょ私は、窪塚某よりはましだと思うんですけどやはりブランクが
きいてるのかなw

231 :名無し物書き@推敲中?:03/10/12 14:43
◆YgQRHAJqRA さん、転職されたんですか。さぞかし気忙しい毎日を
送られておいでのことと推察いたします。そのような時期であるにもかかわらず、
御講義を再開して下さることに感謝いたします。
宜しくお願いします。
告知するために、一度上げます。

232 :名無し物書き@推敲中?:03/10/13 02:18
巡回登録してるから俺だけ告知不要。

233 :名無し物書き@推敲中?:03/11/19 20:35
ほしゅ。


234 :名無し物書き@推敲中?:03/12/01 02:32
ほしゅage

235 :名無し物書き@推敲中?:03/12/04 12:29


わくわく
        ……まだかな

     どきどき

236 :名無し物書き@推敲中?:03/12/10 21:22
(言 言)
 (口)

E・Tが保守しまつ

237 :名無し物書き@推敲中?:04/01/02 23:31
保守しとくか。

238 :名無し物書き@推敲中?:04/01/10 22:58


239 :名無し物書き@推敲中?:04/01/12 19:57
久しぶりにあげとこう

240 :名無し物書き@推敲中?:04/01/14 21:53
漏れもあげとくか


241 :名無し物書き@推敲中?:04/01/15 04:58
漏れはsageてみるか

242 :名無し物書き@推敲中?:04/01/15 17:01
じゃ、あげてみる

243 :名無し物書き@推敲中?:04/01/15 20:35
弄ぶな……1さんも忙しいのだろうから。
きっと、いつか帰って来るよ。

244 :名無し物書き@推敲中?:04/01/16 04:55
追悼sage.

245 : ◆YgQRHAJqRA :04/01/18 07:00
 長い間ほったらかしで、ほんとにすみませんm(__)m

 しばらく離れていたら、なんだか気が抜けてしまったのと、家出しておいて
のこのこ実家に戻るような気恥ずかしさみたいなものがありまして、辛かった
んです。いやはや小心者の甲斐性なしと笑ってください。

「月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人也」とは芭蕉の言葉ですが、
この数ヶ月、善くも悪くもなにが変わりなにが変わらなかったのか。人が変わ
ればまた文も変わると思います。小説は技術の巧拙というシステマチックな読み
方ができますが、文の色はやはり心ではないでしょうか。どちらも大切な事だと
思います。私の文調も多少変わるかもしれません。
 さて、このまま終わってしまってはまさに黙説の悪しき実例となってしまうので、
残りの技術もきちんと始末をつける所存です。バリバリ書くというわけにはいきませ
んが、どうか細長い目でみてやってください。

246 :名無し物書き@推敲中?:04/01/18 10:56
うわーん。教授帰ってきたー。。・゚・(ノД`)・゚・。

247 :名無し物書き@推敲中?:04/01/18 13:22
>>245
おかえりー。
楽しみにしてました。
またよろしこ。

248 :名無し物書き@推敲中?:04/01/18 13:24
うれしい!
おかえりー!
1さんドゾー ( ・∀・)つ且~~

249 :名無し物書き@推敲中?:04/01/18 20:29
今後のご活躍を心よりお祈り致します。

250 :名無し物書き@推敲中?:04/01/19 00:08
>245
俺の迸る愛を受け取ってくれ!

251 :名無し物書き@推敲中?:04/01/19 20:52
待っていた甲斐がありました。

252 :名無し物書き@推敲中?:04/01/22 07:14
 皆さんありがとうございます。
 続きは今日か明日にはアップ出来る予定でいます。私のような無能の戯れ言を、
辛抱強く待って頂けているとは思っていませんでした。もうすっかり荒れ果てて
いるものと覚悟していたのです。
 保守してくださった方、また続きをじっと待っていてくださった方に改めてお礼
を申し上げます。どうもありがとうございました。最後までがんばりますよ(・∀・)

253 : ◆YgQRHAJqRA :04/01/22 07:15
おっと、トリップ入れるの忘れてました(汗

254 :名無し物書き@推敲中?:04/01/22 23:57
体育座りでお待ち下さい

255 :名無し物書き@推敲中?:04/01/23 01:45
(。_。)うん。

256 : ◆YgQRHAJqRA :04/01/24 01:08
 余情とは何かと問われれば、なんだか分かりにくい。しかし、なんだか分かり
にくくても、どんな感じかは分かるような気がする。「余情がある」と言えば、
まず褒め言葉だと思っていいだろう。
 私たちはこの余情感を感動のひとつとして捉えているとみていい。余情からう
ける感動は、ハリウッド映画によくあるような熱のこもった激しいものとは質を
異にする。
 辞書を引けばなるほど、余情とは何かと、無駄のない筆致は役所のごとしである。
 しかし、いかにすればその「しんみりとした美的印象」やら「言外の情趣」
が醸し出せるのか。どのように書けば人は余情を感じやすいのか、いくつかの例を
示ながら解説してみたい。

257 : ◆YgQRHAJqRA :04/01/24 01:13
 まず、一連の文章から受ける情景やその背景に、読者がどれだけ感情移入して
いるか、という部分にポイントがある。
 私は>>81 の『クレヨンしんちゃん 大人帝国の逆襲』を観た感想で、一部で騒
がれるほどの懐古趣味に感じ入ることはなかったと書いた。そうしたノスタルジック
な事物を「知っている」ことと「体験している」ことには、大きな隔たりがある。
その差が、そのまま作品への感情移入度に反映したとみていいだろう。懐古趣味の
感動を支えているのは、体験的イメージに依るところが大きい。
 このイメージの効果をよく表しているのが、『夕焼け』>>65 の詩であった。今一度
読み返してみて、どうだろう。情報は決定的に少ないのに、印象は返って鮮明になると
いう詩ならではの趣が発揮されていると思う。これは電車内や夕焼けといった日常風景
だからこそ、読者はそこに共感しつつ書き込まれていない情報を印象で補完するのであ
る。この黙説の手法に注意してもらいたい。そして、この詩の読後感を言葉で表すならば、
「しんみり」という表現を用いてもなんらおかしくはないだろう。
 余情が生成される要素として、感情移入と印象があり、そこに黙説の空白が加わること
で読者に言い難い複雑な情感を呼び起こす。と、言い切れないところにめんどうくささが
あるのだが、強い傾向性をもっていることだけは確かである。

258 : ◆YgQRHAJqRA :04/01/24 01:15
 さて、これだけではなんだか分からないので、『千と千尋の神隠し』をまたまた
例として取りあげたい。ちなみにフランス語のタイトルは『Le Voyage de Chihiro』
で、「千尋の旅」とそのまんまであるが、こちらの方がより内容を浮き彫りにしてい
ると言えるかもしれない。旅とは出会いと別れ、自らを省みる人生の縮図という見方
もできるし、その響きにはどことなく感傷的な影さえちらつく。情に訴えかけるには
申し分ない舞台装置なのだ。さすがフローベールを生んだ国であると、褒めておいて
いいのだろうか。

259 : ◆YgQRHAJqRA :04/01/24 01:30
 当然まだ続くのですけど…最後のほうは書き上がってるんですが、
中盤がどうもいまいちで、ん〜また明日あたりのアップになるかも。
 ちょっとしんどい(^ー^;

260 :名無し物書き@推敲中?:04/01/25 13:12
再開講義第一回目は、余情感ですか。
余情感を出せるかは、自分自身の一つの目標でもあります。
っていうか、自分だけに限りませんね(w
お願いいたします。

261 :名無し物書き@推敲中?:04/01/25 23:20
ボヤージ

262 :名無し物書き@推敲中?:04/02/04 15:25
ry

263 :名無し物書き@推敲中?:04/02/14 15:41
p@poj

264 : ◆YgQRHAJqRA :04/02/14 18:16
>>262
あはは、うまい。やられましたw

お待たせしました。つづきです。


265 : ◆YgQRHAJqRA :04/02/14 18:20
 余情が最も強く表れるのは、主に作品の終結部においてである。
「けして振りむいちゃいけないよ」「さあ行きな、振り向かないで」
 映画の終わり近く、千尋を見送るハクのこのセリフはいったいなにを意味するのか。
すぐに思い浮かぶのは、主人公に対しての制約とペナルティという筋書きで、これは
民話や伝説などの物語でよくみられる形式である。卑近な例でいえば、浦島太郎の玉
手箱、シンデレラの12時の鐘、走れメロスの暴君との約束などがあげられるだろう。
 もし千尋があそこで振り返ったとしたらどうなるのだろう? ソドムとゴモラの滅亡
を見たロトの妻のように、塩の柱となって死んでしまうのだろうか?
 結果として、なにか土壇場でイベントが起こるようなプロットをみせながら、千尋は
何ごともなく元の世界へと帰っていく。これといった伏線もなく、わざわざ振り返るな
という制約を設けた意図はどこにあるのか、ここで分析したみたい。
 余情を生むための要素として、印象と感情移入、そして黙説が大きな役割を果たして
いることは先に述べた。かなり大雑把で抽象的要素だが、細かな点はあとで書くことにする。

266 : ◆YgQRHAJqRA :04/02/14 18:22
 このシーンでは、まだなにか有りそうだという期待感を煽っているところがミソだ。
いわゆるどんでん返しへの布石であるような予感が、「ああ、もう終わりだな」と、
作品から離れかけてゆく観客の心をまた惹きつけるのである。途中、千尋は振り向く
ようなそぶりをみせるものの、物語の流れがここで変わることはない。つまりなにも
起こりはしないのだ。
 そして、千尋の一家がトンネルを出て車で去っていくそのあとに、まだなにかエピ
ローグがあるような淡い期待(構成的な振り向き)をまた裏切るように、映画はそこ
でふっつりと切れてエンドロールとなる。さらにそこへ木村弓の歌う切なげな主題歌が
かぶさり、美しい彩りを添えるという寸法だ。
 スクリーンに吸いついていた観客の意識はここで唐突に引き剥がされる。黙説の最大
効果である不確定感は、映画に深く没入していた観客ほど強く感じられ、その語られぬ
空白に余情は拡がっていく。もはやそこは言葉の領域ではなく、一様でもないために明
確な説明をほどこすのは難しい。人によっては余情という言葉でかたづけられないほど
の複雑な情感を訴えるかもしれない。逆にいえば、容易に言葉へと置換できるようなも
のから、余情が生まれることはないとも言える。

267 : ◆YgQRHAJqRA :04/02/14 18:24
 さて、構造的な視点でラストシーンをみた場合、どのような解釈ができるだろう。
 やはり千尋は現実を生きるのであって、あれからまた油屋の世界を訪ねることは
ないし、またハクに会うこともない。きっとまた会えると約束するのも、最後に千尋
を振り向かせないための方便にほかならない。なぜなら、もう川が埋め立てられて
いることを知っているのだし、構造は観客の期待を裏切るかたちで、なにも特別なこ
とは起こらないと示しているからだ。
 また、最後に一瞬写るあの髪留めは、ファンタジーによくある実は夢じゃなかった
という暗喩とみるよりも(そのオチも含んではいるが)、現実を生きる力を獲得した
証なのだ。映画冒頭の、気力のないだらけた少女ではなくなっている点をみればよい。
そして映画の終わりと同じく、観客もまた現実を生きなければならない。それがあの
ラストシーンの意義であり、黙説の最大の焦点であるように感じられた。
 『天空の城ラピュタ』や『もののけ姫』のようなスペクタクルロマンとはまったく
性格の違う詩情性に作品の眼目があるのだ。観客をぐいぐいと惹きつけて、どっぷり
と感情移入させておき、最後の最後でスッと突き放す。
「さあ行きな、振り向かないで」
 これは千尋だけでなく、観客にも向けて発せられた作者の言葉であるように思う。
作品は虚構なのだ。けれどもそこから受ける感動は嘘ではない生きていく力になる。
それで十分ではないかと、その憎らしい演出に私はいたく感心した。これは既存の
商業アニメに対するアンチテーゼなのである、といったら少し大げさであろうか。

268 : ◆YgQRHAJqRA :04/02/14 18:30
 まだつづくんですね、これが。
 映画だけじゃなんなんで、小説の例も取りあげたいと思います。
 またお待たせしてしまうかもしれないけど……。

269 :名無し物書き@推敲中?:04/02/16 11:16
uy

270 :名無し物書き@推敲中?:04/02/16 11:34
>>1さん乙です。

271 : ◆YgQRHAJqRA :04/02/16 19:11
>>269
できればsageでお願いします。

>>270
私は1さんではないです。スレを立てたのほかの人で、私はそこに便乗
しただけなんです。今じゃほとんど私だけで進行させてますが(笑
スレを立ててくれた本物の1さんに感謝。

では、つづきです。取りあえず「読者」の技術はこれで終わりです。

272 : ◆YgQRHAJqRA :04/02/16 19:12
 小説作品では、宮本輝『螢川』の終結が印象的なので、ひとつ余情の例として
取りあげてみたい。
 約80ページほどの短編なので立ち読みでも読みきれる分量だ。技術的に学べる
ところも多いので、暇があったら読んでみて欲しい。頭から通読すれば、この場
面をより深い感嘆をもって迎えられるのではないかと思う。


273 : ◆YgQRHAJqRA :04/02/16 19:18
 夥しい(おびただ)しい光の粒が一斉にまとわりついて、それが胸元やスカートの裾から中に押し寄せてくる
のだった。白い肌がひかりながらぼっと浮かびあがった。竜夫は息を詰めてそんな英子をみていた。螢の大群は
ざあざあと音をたてて波打った。それが螢なのかせせらぎの音なのか竜夫にはもう区別がつかなかった。このど
こからか雲集してきたのか見当もつかない何万何千万もの螢たちは、じつはいま英子の体の奥深くから絶え間な
く生み出されているもののように竜夫には思われてくるのだった。
 螢は風に乗って千代と銀蔵の傍らにも吹き流されてきた。
 「ああ、このまま眠ってしまいたいがや」
 銀蔵は草叢(くさむら)に長々と横たわってそう呟いた。
 「……これで終わりじゃあ」
 千代も、確かに何かが終わったような気がした。そんな千代の耳に三味線のつまびきが聞こえ
た。盆踊りの歌が遠くの村から流れてくるのかと聞き耳をたててみたが、いまはまだそんな季
節ではなかった。千代は耳をそらした。そらしてもそらしても、三味線の音は消えなかった。
風のように夢のように、かすかな律動でそよぎたつ糸の音は、千代の心の片隅でいつまでもつ
まびかれていた。
 千代はふらふらと立ちあがり、草叢を歩いていった。もう帰路につかなければならない時間
をとうに過ぎていた。木の枝につかまり、身を乗り出して川べりを覗き込んだ千代の喉元から
かすかな悲鳴がこぼれ出た。風がやみ、再び静寂の戻った窪地の底に、螢の綾なす妖光が、
人間の形で立っていた。


274 : ◆YgQRHAJqRA :04/02/16 19:21
 情と景が渾然となっているような文脈である。まず銀蔵のセリフを境に、上段の
竜夫と同級である英子のいる川べりの場面と、下段の千代と銀蔵のいる土手の場面
における印象の類似性がある。
 螢の大群が立てる波のような音、英子の体に群がる何万という螢、それを息を詰め
て見る竜夫の驚き。千代の耳に聞こえる三味線の音、覗き込んだ川べりに立つ人形
の螢光を見、かすかな悲鳴をこぼす千代。
 それぞれの場面を描いた一連の文脈は、乖離すことなく読者のなかで混じり合い一体
となって最後、螢と人間のキメラとなって静かに闇にたたずむのである。千代と竜夫の
見るこの唖然とする情景は、そのまま読者の見たものとなるのだ。
 作者はしかし、千代の聞いた三味線のつまびきや銀蔵が呟いた終わりとは、螢とはな
んであったのか、その答えを明らかにしてはいない。
 もちろんこれを魂や命の抽象化であるとみるのは容易い。しかし、そうした安易な答
えに収斂してしまうことを拒むような、底の知れない感触がこの世界にはある。
 そして闇のなかに取り残された読者は、いつしか無数の螢のひとつとなって、得体の
知れぬこのキメラに吸い込まれていくのだった。

275 : ◆YgQRHAJqRA :04/02/16 19:24
 余情を生むための仕掛けとして、雨や雪などの自然物はかなり利用価値の高い
小道具である。こうした道具を使う場合、なるべく周知な、イメージしやすいもの
を選ぶといいだろう。上記の小説では、タイトルにもなっている螢が強力な役割
を果たしている。
 もちろんこうした道具を単独で使ってもあまり効果はない。できれば登場人物の
心理や物語の核心をそこはかとなく反映することで、単なる雨粒は、語られぬ悲し
みや涙へと読者のなかで変貌するのである。ならば、わざわざ話者を借りて悲哀を
語ったり、人物に露骨な独白をさせるのは明らかに愚の骨頂であろう。これは比喩
の技術と似たようなところがあるけれども、こちらはあくまで余情を与えるような
雰囲気作りが目的であって、あまり手の込んだ仕掛けは必要ない。それよりかは、
いかにさり気なくかつしっかりと読者に情景をイメージさせられるか、表現の繊細
さシンプルさといった筆致に労力を注ぐべきだろう。そして読者の感情移入を妨げ
ないためにも、なるべく冗長な描写や無粋な説明は避けた方が好ましい。大事なこ
と、言いたいことはあえてぼかして描いてみせ、明確な答えではなく「なにか」を
匂わせ感じさせる。多分に書きすぎるよりは、少し書き足りないと思うぐらいで、
丁度よいのである。
 しかし、いくら簡素淡白がよいといっても、新聞報道に余情を感じる人はほとん
どいないように、単に事実や出来事を書き連ねただけでは情感に乏しい。心や風情、
自然や日常をしっとりと表現するところに余情の因子はあるのだ。

276 : ◆YgQRHAJqRA :04/02/16 19:27
 さらに注意すべき点を述べれば、濃く強く激しい表現をなるべく排除し、露骨な
情動を避けつつ難解で錯乱した文章になってはいけない。かといって稚拙で軽薄
な文章ばかりでは刺激がなさすぎる。そして一番の問題が、「読者」という存在
である。
 余情をもたらそうと、どんなに書き手が汗水たらし、耳から脳汁が垂れそうな思
いをして必死に言葉を紡ぎだしても、最後は読者の感性に委ねられている。読者の
持つ経験、思想、知識に左右されることはもちろん、その時の気分なんてもので作り
手側の狙った余情など吹き飛んでしまうのだ。書き手は、そうした幻の読者を怖れな
がらも、一方でまた読者を信じて書くしかない。

 ちなみに喜怒哀楽という分かり易い感情を作品内で狙うのなら、対立の技法を駆使す
れば結構な効果が得られるし計算もしやすい。同じ感情操作でも、余情はあっさりと一
般化できない微妙な感情であるために、その表現に「深い」という言葉、意味が多く用
いられる。うまく言葉にできないが「とにかく、いい」と評されたら、まさに作家冥利
に尽きるというものだろう

277 : ◆YgQRHAJqRA :04/02/16 19:29
 ここで私ごとではあるが、面白いエピソードを。

 『千と千尋の神隠し』が公開されて間もないころ、一緒に観にいこうと友人に
誘われた。映画が終わり、劇場を出た私はいい気分で余情感に浸っていると、そ
の横で友人はこうのたまわったのである。
「なにあれ、わけわかんねえ。俺的には今回はクソ」
 (゚д゚)ハァ?←私w そのあと彼は私のウンチクを小一時間ほど聞かされて、げん
なりするはめになるのだが、それでもやっぱり『千と千尋─』は「クソ」で決定ら
しい。これはどうも覆りそうもなかった。
 理屈じゃない。結局、余情だってそこに頼っているのだ。


278 : ◆YgQRHAJqRA :04/02/16 19:31
 ちょっと今まで解説してきた技術とは勝手が違いますので、すぐさまこれを自分の
作品に取りいれるというのは難しいかもしれません。奇抜さや文体の妙で読ませる小説
にはまず向きませんし。
 それに、最終的な表現は個々人のセンスという問題になってしまい、黙説の技術だけ
で成り立つほど単純ではないんですね。当たり前といえば当たり前ですが、作品に感情
移入してもらわなければ余情もなにもないわけです。それには他の技術、表現力をも含
めた総合的な文筆力が試されるわけなんです。ちょろっと幽玄霊妙な小説でも書いてや
るかと、コンビニ気分で書ければ、芥川賞の選考も楽でしょうね。ま、本格志向はトレ
ンドじゃないのかな。私もよくわかりません。
 それでもなお、この種の叙情文の醍醐味を求めて止まない人には、「情」と「景」の
関係をしっかりと考えて書くことで、洗練さの部分では及ばないにしても、少しは見栄
えのよいものに仕上がるかと思います。

279 : ◆YgQRHAJqRA :04/02/16 19:32
 読者に対して、書き手の不安や期待が伝わってしまうと、もうそこに自然な感動
は生みだされないとみてよいでしょう。特に文学好きの読者の目は肥えていますの
で、あざとさやいやらしさのほうが目についてしまうはずです。本の帯に「涙が止
まらない」なんてコピーがデカデカとあると、返って白けてしまう感覚ですね。
まあ、心がねじけていると言えなくもないのだけど。素直な心で大いに泣けるとい
う人は、こういった感覚を気にする必要はないかと思います。小説を楽しむには、
そっちのほうが幸せなんじゃないかな。

280 : ◆YgQRHAJqRA :04/02/16 19:38
 なんかちょこちょこ書き足していたら妙に長くなってしまいました。
もっと簡単にしないといけないね。
 次はいよいよ「視点」に関する技術です。

281 :名無し物書き@推敲中?:04/02/17 04:11
千と千尋のラストはたしかに感じるものがありました。
◆YgQRHAJqRA さんの解説を読んで、さらにジーンと来ました。
振り返っちゃいけないよ、というのはズルイですよねw

282 :名無し物書き@推敲中?:04/03/24 20:25
age

283 :吾輩は名無しである:04/03/26 14:50

      / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
    /             \
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    l:::::::::.                  | 
    |::::::::::   (●)     (●)   | 
   |:::::::::::::::::    ___      | 
    ヽ:::::::::::::::::::.          


284 :名無し物書き@推敲中?:04/03/26 19:42

      / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
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    ヽ:::::::::::::::::::.          


285 :名無し物書き@推敲中?:04/03/26 20:35
ガチンコファィトクラブ

286 :名無し物書き@推敲中?:04/03/27 04:10
>>283-284
誰?
某監督?w

287 : ◆YgQRHAJqRA :04/04/06 04:38
 またまたお久しぶりになりましたが、地味に更新していきます。

 ジーンとくる小説を書けたら最高ですね。たとえそれが技術のたまものであった
としても、感動の質は変わらないんじゃないかな。

288 : ◆YgQRHAJqRA :04/04/06 04:40
 映画は、その表現のために目まぐるしく視点を変化させるが、元ネタともいえる小説は
定点的な視点でしかものを見れないのだろうか。いつも同じような視点でしか小説を書け
ないのは、小説が不自由な媒体だからではない。それどころか、あまりに自由すぎて大抵
の書き手はその取り扱いをもてあましているのだ。
 書きたいものがあるという 「思い」 だけではやはり、なかなか読者に伝わらないとい
うのが現実であろう。その 「思い」 を形にする、見えるようにするための技法をおおま
かに、「類似」 「対立」 「時間」 「読者」と、分けて解説してきた。
 今回で一応最後となる 「視点」 は、直接小説の表現にかかわる技術でもあり、解りに
くいと感じるところもあるだろう。そこはまったくもって私の力不足からなる業であるため、
ご容赦していただきたい。

 小説上のカメラワークともいえる実際的な視点の操作を解説する前に、私たち自身の感覚
器官が捉える視点、ものの見方についてまず考えてみたいと思う。

289 : ◆YgQRHAJqRA :04/04/06 04:45
    ─ イメージと視点 ─

 小説の世界は、なにがしかを見るところから始まる。小説が映画化できるのも、ひとえ
にいろいろと 「何か」 を見ているからに他ならない。ここで見るというのは、なんとな
くカメラでパチリと撮るような、単なる切絵的な見方をいうのではない。
 おおらかな気持ちで空を見上げるとき、私たちは風の香りや鳥のさえずりなどの諸感覚
から入る情報も視覚に織り交ぜて、空というイメージを見ている。だからこそ、そこにあ
る空に春を見つけもし、うららかなる語の情緒も育まれてくる。逆に針穴に糸を通そうと
しているときはどうだろう。視点は針穴や毛先の一点に集中し、周囲のものはほとんど感
取されなくなり、息をするのさえ忘れてしまう。ひとくちに見るといっても、このような
差異がそれこそ無段階に生じている。
 人は全知覚から得る情報を、イメージに集合させて外界を捉えている。もちろん視覚は
そのうちの8割強を占めているが、残りの知覚もイメージを構成する要素として無視はで
きない。また、意識下ではさまざまな刺激から別のイメージが浮いたり沈んだりしている。
それがなにかの拍子に前面に表れ、実際に今見ているイメージに融合したり投影されると、
壁の染みが途端に人面の相を成し、虚像に怯えたりするのである。そして、この虚像が小
説世界という現のなかで動きだせば、ひとはこれをファンタジーやホラーと呼んで分類す
るだろう。
 平生は、意識下のとりとめのないイメージは抑制されているため、絶えず錯覚を起こす
ようなことはない。しかし、麻薬などの作用でこうした抑制の働きが鈍化すると、強い幻覚
症状を引き起こす。現実にはあり得ないもの、見えるはずのないものが、ありありと見える
という。 

290 : ◆YgQRHAJqRA :04/04/06 04:46
 私たちはいつも見たいものだけを選択する。
 自分が今見ているものは文字の羅列ではない。はるかな銀河に向かって走る鉄道
や、人生に敗れて死の淵に立つ人間を、愛と自由を語るカモメを、見る(見たと感じ
られる)ための想像性を有しその面白さを知って、幾度も小説の扉を開き、また自ら
も書いてみたいと思いはじめるのは、自然な成り行きかもしれない。
 しかし、今だ自然に文豪となる気配もなく、いみじくも玄人を目指さんと欲する人は、
この視点の変性に留意しておくにこしたことはないだろう。なにかをじっと見ていると
きと、呆けているときではおのずと─ 一人称小説では特に ─それ相応の描法を駆使し
て然るべきではないだろうか。今は『異邦人』における時間の変性が、そのまま視点の
変性にもつながる手並みを参考にしていただくとして、もう少しイメージの話を続けたい。

291 :名無し物書き@推敲中?:04/04/06 07:20
キター

292 :名無し物書き@推敲中?:04/04/07 08:45
◆YgQRHAJqRA さん、楽しみにしています。

293 :名無し物書き@推敲中?:04/04/07 13:45
待ってました!

294 :名無し物書き@推敲中?:04/04/07 21:15
おつおつ

295 : ◆YgQRHAJqRA :04/04/09 21:00
 物書きが、言われてムッとくる言葉のひとつに 「陳腐」 というのがある。
別に陳腐なものを書こうと思って書いたわけではないのに、ひとは陳腐だあり
きたりだとバカにする。そこで次は珍妙な表現手法をかってがんばってみる。
すると今度は、そのミナギッタ珍妙さがまた陳腐極まると、したり顔で吐き捨
てるのである。いったいどうすればいいのかと、明日はどっちだと言いたくな
るだろう。トルストイの自伝的小説 『青年時代』 にこんな記述がある。


──公爵夫人の好きな場所とは、庭園のいちばん奥深いまったくの低地にある、細長い
沼にかけわたされた小さな橋の上だった。ひどく限られてはいるが、非常に瞑想的な優雅
なながめだった。われわれは芸術と自然を混同することにすっかり慣れてしまったため、
絵画の中で一度も出会ったことのないような自然現象が、まるで自然そのものまで作り
ものであるかのように、人工的なものに思われることがじつにしばしばある。反対に、絵
画の中であまりひんぱんにくりかえされてきた現象は陳腐に思われるし、現実で出くわす
ある種の景色が、あまりにも一つの想念や感情にみちすぎていたりすると、わざとらしい
ものに思われるのだ。公爵夫人の好きな橋の上から見る景色も、このたぐいだった。──


296 : ◆YgQRHAJqRA :04/04/09 21:04
 日常において私たちに必要とされるのは、きれいなものをきれいと言い、きた
ないものをきたないと言う神経である。散りゆく桜ははかなく、梅雨はうっとう
しいのである。直截な、ありきたりなもの言いができることは、他人の安心を買う
うえで便利なルーチンだといえるだろう。

 風景を発見したのは都会の人間だと言われている。
 ともすると、私たちは馴染み深いシンボリックなイメージから逸脱するのを避け、
「あまりにも一つの想念や感情にみちすぎ」た、平凡な表現のなかへ対象を回収し
ようとする。また、ときにその陳腐さは、知らず人間を差別的に選り分ける政治性
さえ発揮する。
 既存のなかにうずもれた風景を、裸の目線でもう一度発見すること。そう口で言
うのは容易いが、習慣的な発想はなかなか私たちを解放してくれない。ついつい紋
切型の思考と文句を連ねてしまうのは、無思慮であるか、高ぶった気持ちでいると
きだろう。落ち着いてものを見れる(イメージできる)状態にない人は、概してお
さだまりのフレーズを連呼するのだし、書ける書けるぞと、ノリノリで小説を書い
てみたら、ことごとくなにかの剽窃であった。なんてことも無きにしも非ずである。
 そこで書き手は一所懸命に、独創的で個性的でカッコよく、うまい文章を書こうと
意気込む。そして、頑張れば頑張るほど、反って 「わざとらしいものに思われるのだ」


297 : ◆YgQRHAJqRA :04/04/09 21:06
 >>71のところでも触れたことだが、私たちはさまざまな観念を養ってきている。
意図的であろうとなかろうと、ある種のイメージを工夫なしに扱えば、陳腐化を
助長して作品を台無しにしてしまう恐れがある。陳腐さの判断はつきにくいとこ
ろもあるだろう。だが、世界を見る自分の視点が固着していないか、ただ漫然と
書いていないか、おりおり自省してみるのは大切なことだ。

 マンネリが加齢的であるように、幼年と成年でイメージの仕方も変遷していく。
次回はそうしたイメージの方向性と見ることが書くことにどう繋がるのか、そん
なところを解説したい。

298 :名無し物書き@推敲中?:04/05/07 07:38
蝶番、近接、黙説等々。
しかし、もっとも高度な技術は焦点化の離れ業であろう。

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