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++詩的レトリック入門++

1 :名前はいらない:02/12/29 21:53 ID:yVYvhYah
北川透の「詩的レトリック入門」の読書会スレッドです。
何でもアリの2chルールで行きましょう。

2 :ボルカ:02/12/29 21:56 ID:yVYvhYah
この本は、2年前に図書館で借りて読んだんだけど、もう良くは
覚えていません。でも、面白かったような気がします。

とりあえず、この本を既に読まれた方、いますか?
いたらレビューしたり、感想述べたりしてください。

3 :ボルカ:02/12/29 21:59 ID:yVYvhYah
以前、「普通の文章を改行すると詩になるか」という実験的な
スレッドがありました。

北川さんは、そういう、「どこから詩になるのか」というところで
話をしていたと思います。
改行さえすれば、電話帳だろうが、死亡診断書だろうが、マニュアル
だろうが、詩になってしまうというのは本当か?
詩が発生するために何故改行が必要だったのか?

そんな感じ。

4 :ボルカ:02/12/29 22:01 ID:yVYvhYah
一般的に考えるレトリック入門とは、違いますが、面白い本だった
と思います。

僕はついさっき、購入申し込みを済ませんました。
再読し終わるのは1月も終わりになるでしょう。

一緒に読む方いません?

5 :せむし男登場 ◆pjn41Chaos :02/12/29 22:03 ID:QDsSdGqT
読んではないですが>>3
その意識的に?行われた「改行」によって
単なる言葉の羅列が
「意味」を持ち始めますねぇ。

6 :せむし男登場 ◆pjn41Chaos :02/12/29 22:07 ID:QDsSdGqT
1: =sympathy=【運命の轍】 (115) 2: ++詩的レトリック入門+
+ (5) 3:
上から読んでも下から読んでも
(3) 4: Open your eyes 5 (218) 5: □■下から読んでも
□ 休憩【運命の 雑談
6: ENJOY 雑談

専用 その15□■□ (368) 6: ENJOY RHYMING PROJECT 02-5 in 【運命

板 (267) 7: 中学生が トリック入門  を かくとこ。
詩 を かくとこ。
(598) 8: 今を歩き出せ! (18
7) 9: 【詩】
誰かに伝えたい詩を書く
【詩】其2 (333) 10: この其2 (333) 10: この この この 【詩】【運命の



7 :ボルカ:02/12/29 22:22 ID:yVYvhYah
そう。
改行さえ適切なら、テーマが「うんこ」だろうが、
タンパク質の3次元構造だろうが、詩になるはずだ、
と僕は感じる。
げんに、せむし男さんはこの界隈で近年稀に見るポエ
ジーを湛えた登場振りだね(笑。

それは不思議なことなんじゃないか、と問うところから
北川は出発するし、藤井貞和(自由詩学)はそれは当然
だと考えるところから出発するんじゃないか、という気が
しています。

読んでいない人はもちろん、「読まないと決めている人」も
歓迎します。
好きに遊んでください。

そのかわり厳密な議論とかは期待しないでね。


8 :せむし男登場 ◆pjn41Chaos :02/12/29 22:36 ID:QDsSdGqT
>>7
「詩になるはずだ」というのはまだボクは分からないですが
組替えてみたり、引っこ抜いてみたり、加えてみたり、言葉の解体、
言ってみれば今まで言葉が持っていた秩序の解体、再編、統合、
色々と遊んでみるにはこれ面白いですね。<`ー´ >

現実の世界でも革命が起きたり、企業が倒れたり統合したりするわけですから
世界観が移行するに同じく、
ましてやその心で世界の動きを読み感じとる詩人であればそれよりも早く
そういった既成の概念や秩序を崩してみたり、お手玉してみたり、持ち上げてみたり
バラバラにしてくつつけてみたりの動きはごく自然なものでありましょうね。


9 :激辛正当派 ◆PmUYNHN29Q :02/12/30 00:07 ID:rcDaQ4QD
読んだ気もするが、あまり覚えてない。
いい機会なんで、僕も再読してみます。
じゃ、読み終える1月末まで、
おのおのの浅はかな詩的レトリックについて、
だらだらやりましょうか。

改行のない散文詩もあるけど、実は見えない改行があると感じる。
散文と散文詩の違いはそこだと思うんだけど、
誰かそのへん言葉にできる人いませんか?

10 :名前はいらない:02/12/30 00:19 ID:ki5vUGf3
ねじめ正一とか、ダァーッ!と行くよね。
改行感じさせないんちゃう? アレは。
ダァーッ!と、繋がってる。

11 :激辛正当派 ◆PmUYNHN29Q :02/12/30 00:23 ID:rcDaQ4QD
>>10
あ、ほんとだ。。。
そうか、じゃ僕の中ではねじめは詩じゃないってことにしとくか。。
いや、そんなことはないか。。。
ちゃんと詩として面白く読んでるからな。。。

んじゃ、詩と改行は関係ないってことか。。。
いや、もうちょっとよく考えてみよう。。。
ねじめの詩には改行があるかないか。。。

12 :激辛正当派 ◆PmUYNHN29Q :02/12/30 00:40 ID:rcDaQ4QD
あらためてねじめ正一読んでみた。
リズムよく読んでいると、
単語ひとつひとつの意味の手触りというか、
言葉のリアリティがなくなっていって、なんか変な感じ。

洋楽きいてて、変な日本語をきいてしまう空耳アワー的な?
わかるようなわからないような禅問答的な?

改行あんまり関係ないね。。。
けっきょく「言葉ってすげえ」があれば、なんでも詩なんじゃないか。
結論でもなんでもないな。。。

13 :都立家政 ◆L7EROpoemk :02/12/30 00:42 ID:h88ZAw8N
>>12
意外とそんな「言葉ってすげえ」あたりに同感ス<`ー´ >

14 :名前はいらない:02/12/30 05:56 ID:H3OHFmOd
ちょっと質問、
私はネットをやり始めてから詩を書くようになったので、PC以外で詩を書いたことはありません。
PCに触る以前からノートに書いている人も、やっぱり改行しながら書くのですか?

15 :4th ◆HdqTLODCXU :02/12/30 06:05 ID:7wXmkpu4
紙切れ 名刺の余白に書いてあげる なんていうときにはその紙の大きさで強制改行なので崖ップチを感じながら なんか気分よくはつらつら書けない 閉じ込められをされてるような 横15pは欲しい

16 : ◆f2xSA4XoXM :02/12/30 13:53 ID:FYSuiTzY
2週間ちょっと前、出張の折りに某書店で買い求めたのがこの本でした。
まだ、最初の章くらいしか読んでいませんが、読み終わったら参加させていただきます。

17 :激辛正当派 ◆PmUYNHN29Q :02/12/30 23:22 ID:7XR6Dz+H
>>12
「言葉ってすげえ」は実感だけど、
それを結論にしちゃうと身も蓋もないので、あまり言いたくない。
そんな感じしない?

>>14
改行してると紙が足りなくなったりするので、

冬の天気雨みたいな/古い時代は過ぎ/はやく死ぬことばかり考えていたあの日の少女は/東京の 扉だらけの街で快活な女性になった//

のように、つめて書いてます。使ってる紙は「方眼紙」です。

18 :ボルカ:02/12/30 23:43 ID:y2WP5OwP
おおっ。多数の書き込みありがとうございます。
僕もなんせ手元に無いんで、当分、てきとーに雑談的観点から参加しますね。
読み終わった方、居られたら、部分的にでもレビューして下さい。

>>激辛さん。
改行しない詩ってのは何なのか?というのはたぶん難問のひとつですよね。
確かこの本でも論じてたと思いますが、思い出せません。

詩の定義として、「ページの中に余白があるもの」とするということを、
誰か言ってたと思いますが、余白が無い詩は内容によってしか定義でき
ないですよね。
僕も実はそういうのを書くんですが、小説を描く時とは違う書き方を
しているように思います。
自分の場合ですが、物語を書こうとする(小説)のと、物語を構成要
素として使おうとする(詩)ときの差かもしれないです。

北川のこの本は、どこから詩になるのか、というところを問うて、
詩が発生する瞬間に使われた技術を広く「レトリック」と言っていたと
思います。
ですから、小説が詩になってしまう瞬間についても触れていたのでは、
と思うのですが、もし触れていなかったとしても、それはここでの議論
の主柱になりえますね。



19 :ボルカ:02/12/30 23:49 ID:y2WP5OwP
>>14
僕は詩は電車の中で書くことが多いです。
大抵、雑誌の余白とか、メモ帳とかに書いてるかな。
改行はスペースがあればするし、なければ記号を入れます。

でも、視覚的な観点から修正することがあるのは、コンピュータ
画面で見た時ですね。
余白を書く、という意識は製作段階では低いです。

20 :14:02/12/31 07:54 ID:XIPNOCxm
ノートに書いてる人って結構いるんですね。ちょっとビックリ。
私の場合、昔は「起承転結が欲しくて改行してるのかも」と思っていたけど
今は暗唱しやすい様に改行している気がする。

私なりの小説と詩の定義は
粗筋を言えなければ、それは小説ではない。
暗唱できなければ、それは詩ではないと思ってます。コレは変わらないと思う。

21 :名前はいらない:02/12/31 12:31 ID:XPIyh3s3
>>20
粗筋のない(あるいは、粗筋を抜き出しようのない)小説なんて、
いくらでもあるように思います。
◎高橋源一郎「優雅で感傷的な日本野球」他多数
◎ジェイムス・ジョイス「フィネガンズ・ウェイク」
◎筒井康隆「読者罵倒」他
◎阿部公房「箱男」他

また、暗唱できたら天才、というような詩も数えきれません。
◎ねじめ正一「ねじめ正一」他多数
◎寺山修司「ロング・グッドバイ」
◎入沢康夫「わが出雲」(形として不可能)
◎吉増剛造「囀り 〜 ガズイ 〜」他多数(これも形が特殊)

それに、小説だって暗唱しようと思えばできるのですよ。
原稿用紙にして2枚程度の超短編小説なんて、よくありますよね。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
詩と小説を無理に分ける必要はないんじゃないのかなぁ。
僕としては、小説は詩を含むもので、詩は小説より大きいものだと
思っています。逆説的ですが。

22 :ボルカ:02/12/31 20:15 ID:RcUEM9On
21の反論が納得できるにもかかわらず、>>20は重要な問題を
含むと思います。(まだ本も手元に無いことだし、記憶だけで
書きますので、明らかな間違いにお気づきでしたらご指摘くだ
さい。)

改行は、暗記しやすさのためである、と考えるのは、例えば藤井貞和の
現代詩の考え方に近いような気がします。
彼は定型があきられて、あらたな定型に至るまでの「実験」が現代詩だった
のではないか、と論じています。自由詩はそれを超えて自由だと考えるよう
ですが。
藤井の考え方を敷衍するなら、改行は、定型の模索である、すなわち、五七調
のような、リズムの獲得のための実験だ、と考えることができるのではないで
しょうか。それは、極論すれば「暗記しやすさの模索」と言って良いように思
います。

しかし、一方で、「改行は『異化』である。」と言う考え方もあるのではないか
と思います。これは、つまりフツーの文章でないものにしてしまう、というこ
とですが、極論すれば、「読みにくくすること」だと思います。

北川は、さらに進んで、改行は文字部分を書いているのではなく、余白を記述
しているのだ、というような主旨のことを言っていたと思います。

こうしたことを論じたからと言って、別に詩がうまくなったりするわけではあ
りませんが、僕はなんだか面白そうだなあ、と思います。

23 :ボルカ:02/12/31 20:31 ID:RcUEM9On
>>21
僕は実は「箱男」のあらすじを要約しようとしたことがありますし、
ほんというと自サイトでその結果を公開してますが、要約してしま
うと「箱男」でなくなってしまうんですよね。

僕は、神林暁などの渋めの私小説が結構好きなのです。が、ああゆうのとか、
太宰の「ヴィヨンの妻」なんかも、あらすじにしちゃうと、ほとんど
何も残らない感じがしますよね。ポエジーだけでできてるような、、、
日本の小説は、本当は小説ではなく、詩なのではないか、と思うこ
ともあります。良質なものほどそうだと思います。

ただ、それでも書く側には、書いてる瞬間、詩を書いてる意識とか、
小説を書いてる意識とかがあるのではないでしょうか。ってか僕はあ
ります。「詩とはなんなんだろう」と言う疑問は、詩を書いている
者としては自然なものじゃないかなあ、と思います。

最後のところは良くわからなかったのですが、
『良質な小説はポエジーを含み、形式としての小説は詩の一形態である』
と言う意味でしょうか。

後半部分について、このスレッドではゆっくり論じていきたいと思っています。


24 :ボルカ:02/12/31 20:38 ID:RcUEM9On
>>20
レスが2つに別れてしまいましたが、

>粗筋を言えなければ、それは小説ではない。

とは、
小説は、十分に完成された小説なら、読解できるものである。しかし、
詩は必ずしもそうではない、と言ったことでしょうか。
僕は、小説についてはそう(読解できるはずだと)思っています。

一方で、たしかに詩のあらすじを言うのは困難な場合が少なくないかもしれ
ませんね。

25 :21:03/01/01 00:02 ID:qOQXFNth
>>23
>最後のところは良くわからなかったのですが、
 そうですね。僕自身「なんとなく」そう感じているだけで、
良くわかっていないですから(w

>『良質な小説はポエジーを含み、形式としての小説は詩の一形態である』
>という意味でしょうか。
 それもありますが。
たとえば小説の中に詩が挿入されることは多い。でも詩の中に小説が
挿入されることって、あまりなさそうですよね。だから小説は詩を
含む(詩は小説に含まれる)。
けれども、ボルカさんが>>18で仰っておられるように、詩が物語(小説)を
構成要素として使うものとすれば、詩は小説よりも大きなものである
(小説は詩に包摂される)。

 うーん。後者はかなり強引な感じもするなぁ。
小説が人間だとすれば、詩は分子、というか。人間は分子を含むものだけれど、
分子は人間の外にも広がっていますよね。で、言葉は原子。そんな感じ。
って、どうにもわかりにくいですね。すみません。。。

26 :21:03/01/01 00:11 ID:qOQXFNth
あ! あけましておめでとうございます(w

とりあえず僕としては、「改行するのが詩」みたいな考え方には
違和感があります。現代詩が新たな定型への過渡期の詩であると
しても、それならば大昔の叙事詩はどうなんだろう?みたいな。
叙事詩に詳しくないので、もしかしたらダンテ「神曲」やホメロスの
一連の叙事詩などにも定型があるのかもわかりませんが。

僕としては詩って、やっぱり分子のように形を変えやすいもので、
一方では「まとまろうとする力(=定型)」、またもう一方では
「ほぐれようとする力(=自由詩)」みたいに、一括りにはできない
ものだと考えています。

まあ、とりあえずはこの本を読んでみないとな。。。(w
見つけたら、買って読んでみますね。それでは失礼しました。

27 :名前はいらない:03/01/01 03:39 ID:FiOLGRet
単に独白、一人言を連ねているだけで、作品になると思い込む妄想。

28 :マリー ◆FQQgUBbgLg :03/01/01 09:33 ID:oZMLF611
お邪魔してもよろしくって?

お初にお目にかかります、ボルカ様。そして皆様。
 わたくし、お城のマリーと申します。いえ、女王とかそんなではなく、
ただの給支女なのですけれどね☆
 皆様が楽しそうなお話をされていらっしゃるので、ついつい
お城から出てきてしまいましたわ。

ところでボルカ様。途中からなのでよくわかっていないのですけれど、

詩を形式という側面からのみ扱ったお話をされてらっしゃるのかしら?

それとも詩とは形式のことであるということ?

ここだけ質問。よろしいかしら。

29 :マリー・ドナラキア ◆FQQgUBbgLg :03/01/01 11:50 ID:Y3gPlJUN
続きの書き込みをしたのですけれど、なぜか梁山泊スレに
書き込まれてしまいました...。

欝です。欝ですわ!
わたくし、どっと疲れてしまいましたので、午睡のひとときと
いたしたいと思います。それでは皆様、ポエポエ〜☆

30 :名前はいらない:03/01/01 14:34 ID:sfm64Sql
詩の形式とはなんでしょう?       詩の形式とは何か、と考える瞬間にだけ、人間の思考に現われる幻想だ。普段はそんなものは存在しない

31 :14:03/01/01 14:35 ID:3GsoqDYK
>>21
私の言い方が不味かったね。
>>20は、定義と言うより、書く時に心に留めていることです。
>詩と小説を無理に分ける必要はないんじゃないのかなぁ。
確かにそうですね、
「暗唱できなければ〜」と言ったのは、私が単純に短い詩が好きな所為も有るんだろうけど。
>>26の>「改行するのが詩」みたいな考え方には違和感があります。
には同意するけど
>>22
藤井貞和の「余白を記述しているのだ」という言葉にはそそられるものがある。むーん。


あと、明けましておめでとうございます。本年も(略

32 :名前はいらない:03/01/01 15:52 ID:6VfndkEy
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33 :14:03/01/02 05:35 ID:DsgU9inW
>>31藤井貞和じゃなくて北川透でしたね。スイマセン。

34 :21:03/01/02 10:44 ID:tO0VOf9+
僕の場合、ノート等に書く時でも、必ず改行はしているように思います。
全体の「ルックス」も気にするほうなんで(w
どんなに紙がもったいなくても1ページに1作。たとえ3行の詩でも。
そうしてみると、僕も余白を"作品の一部"と思っているのかもしれませんね。

ところで素朴な疑問なんですけど、改行をしない詩って、よくありますよね。
↓こんな感じのヤツ。

 おちゃらけ

わたしがおちゃらけるのは お茶が飲みたいから ではない そ
れはお茶とは関係なく そもそも"おちゃらけ"と"お茶"との間に
関係があるのかさえ わたしはしらない しらない女がわたしを
みても わたしと女のあいだにはまだ関係がないように ああ
太陽がちゃっちゃと燃えている さあ おちゃらけをはじめよう

即興なので内容は無視してください(w
で、↑こういう形の詩って、たとえば1行目は「そ」で改行していると考えるべきなのか、
それとも便宜上改行しているだけであって、もし紙面が許すなら、
スペースが入るところまで改行はない、つまり一本の長紐みたいな形だと考えるべきなのか。
皆さんはどう思われますか? 本当、素朴な疑問ですけど(w

35 :ボルカ:03/01/02 21:29 ID:IuC0xXd0
>>26、>21さん

>とりあえず僕としては、「改行するのが詩」みたいな考え方には
>違和感があります。

そうですね。これは直観的にどっか変な話だとは僕も思います。
問題として保留しておいて、あとで、北川の論述にからめて議論し
てみます。

自分としては、詩とは、ポエジーを生成する装置だと思っているの
ですよ。
これはかなり狭量な詩観で、実際にはポエジーな雰囲気(って言い方が
正しいかどうか別として)みたいなものに流されないことを意図した作品
が少なくないですよね。
だから自分の詩観では、「詩手帖」掲載の詩の半分以上が、実は理解でき
ません。

>僕としては詩って、やっぱり分子のように形を変えやすいもので、
>一方では「まとまろうとする力(=定型)」、またもう一方では
>「ほぐれようとする力(=自由詩)」みたいに、一括りにはできない
>ものだと考えています。

このへんの話は読書会が始まったら、また出てきそうな気がします。
ここは学問系の板じゃありませんので、読んでない人の突っ込みも
歓迎で行きたいと思っていますので、当該書籍が入手できでも、でき
なくても、ご参加いただけると幸甚です。



36 :ボルカ:03/01/02 21:48 ID:IuC0xXd0
>>28こんにちは、お城の人気者のマリーさん。
僕のことも構ってくれて嬉しいですよ(笑。

ここは読書会スレッドなのですが、いきなり始めるのもなんだし、
僕もまだ当該書籍を入手してないので、いま、かるく雑談してる
ところです。

>詩を形式という側面からのみ扱ったお話をされてらっしゃるのかしら?
>それとも詩とは形式のことであるということ?

当該書籍の書名は「詩的レトリック入門」ですが、レトリックとはなんなのか
ということについて、北川は、ずいぶん自分勝手な定義をしていたと思い
ます。あとで要約を引用しますが、要するに詩であるための技術全般を
彼は「詩的レトリック」と呼びます。

たぶん、(薄ぼんやりした記憶によれば)それは形式だけにとどまりません。
内容をどう選択するか、というのも詩作上の技術だからです。
「境涯の詩」みたいな話や、実学としての文学みたいな話もそのままでは
なくとも、類似概念としては、出てきたかも。←どうだったかな?
少なくとも、そういう方向の話もできるようではあったという印象は持って
います。

ただ、レトリックについてこうして雑談していると、どうしても形式的な
技巧の話が多くはなっていくとは思います。
それは詩と言うものの本質が技巧だからではなく、今、ここで、技巧について
話すのが楽しいからにすぎないのではないかと思います。

37 :ボルカ:03/01/02 22:10 ID:IuC0xXd0
>>31
北川の余白論については、後日(1月も終わりぐらいかな)
レポートしますので、ときどき覗いてみてください。
当該書籍を、お読みいただければなお幸甚です。

>>34
たぶん何字で改行するかを作者が指定するかどうかが、詩の本質
を考える上で関わってきそうな気がします。

小説に於いては、基本的には(あくまで基本に過ぎないけど)段落
が骨格として存在し、段落のキーワードと段落の主旨がありますよね。
蒸し返すようですが、それは基本的には(教科書的にはというのかな)
要約できるはずのものです。
何字で折れ曲がっていようと、改行の字数が段落の主旨に反映するこ
とはないのが普通で、各段落の主旨をまとめれば章の主旨に、各章の主旨の
まとめは(作品のページ数や改行文字数とは全然関係なく)作品のまとめに
なると考えることができるはずです。

しかし、詩においては何字で折れ曲がるかを指定するケースが少なく
ないような気もします。指定した場合、それを教科書的な意味で小説
とみなせるかどうかは、、、、、
どうなんでしょう?僕は実は文学を勉強したことが無いんで。。
段落で構成されてなくても、小説なのかな?

ちなみに僕自身は、改行文字数を指定することもあれば、雑誌投稿などで
文字数を指定しない(最大文字数に指定する)こともあります。


38 :激辛正当派 ◆PmUYNHN29Q :03/01/06 01:06 ID:7I/NETUZ
現在テーマの詩と散文について、
『詩的レトリック入門』では第3章「詩と散文のあいだで」が、
ちょうど沿っているのかな、と思い読み返しましたが、
この章では結論に到らず、端緒にすぎないようですね。
結局、全部読まないとお話にならないらしい。。。

形式で詩と小説を区別するのは、無理があるような。
ボルカ氏も書いてましたが、
結局は書く時の意識の持ち方、感性の傾き方なのだろうと思います。
おそらくこの辺の話題は、
当該書の第8章「詩的境界について」が手がかりになると思われます。
遅読なので、まだ読んでませんが。。。

39 :ボルカ:03/01/07 21:34 ID:8/jI/7Ld
おおっつ。なんとなく読書会なレスありがとうございます。

以前、この本の長文の評論をとばし読みした記憶があるの
ですが、ご指摘のような理由もあってでしょうか、章毎に
論じていませんでした。

なお、僕も、確かに形式だけで境界を論じきるのは困難な気が
してきました。カフカの文庫本2ページの小説なんか、どうし
ようもないですもんね。

僕はまだ注文した当該書籍が入手できていません。
正月の混乱で遅れているようなのですが、週末には入手できる
でしょう。
さらにちょっと考える時間を置いて、来週末あたりから、始め
たいと思います。

40 :名前はいらない:03/01/08 20:25 ID:8DlWUAqf
つまり、詩というのは、あらゆる文芸の中で、ただひとつ、
読む側にでなく、書いた側の人間に
その価値を決する権利が委ねられている

by takashi odajima

41 :激辛正当派 ◆PmUYNHN29Q :03/01/10 21:41 ID:fOiMOelV
「詩的レトリック入門」、通読しました。

「わたし自身が<詩的レトリック>に<入門>しようとして、
この試みははじめられた」とあとがきにあるように、
ずいぶん迷いながら書かれた感じです。
「思いつき」という言葉がたくさん出て来ますし。
だから初心者がレトリックの総合的な解説を期待して読むには、
あまり適してないかな、と。
でも現代詩の評論にしては、かなり平明だと思います。

詩的レトリックを主題にした、こうした入門書がほとんどないというのは、
やはり「思いつき」でしか語れない類のものだからでしょうか。
僕はこの本をあらためて読んで、
ずいぶん参考になったというか、自分が詩というものをどう見ているのか、
よく確認することができたように思います。

具体的な疑問や気づきについては、また来週末くらいに。
本を読んでない人も参加できるような、分かりやすい話ができたらいいなあ。


42 :激辛正当派 ◆PmUYNHN29Q :03/01/10 21:50 ID:fOiMOelV
>>40
どういう文脈で言われた言葉なんでしょう。

「価値」というものが、具体的にどういう「価値」をいうのか、
それが分からないと、どうも。
経済的な価値とか、文学史的な価値とか、そういうことかな。
一貫した価値の尺度があるって考えるのが、
そもそもどうなんだ、という気もする。

というわけで、できたらくわしい解説を。

43 :名前はいらない:03/01/10 22:16 ID:KLyJ2luc
>>42 ↓ここを参照してください
http://www.wanet.ne.jp/~odajima/poetry/top.html

44 :激辛正当派 ◆PmUYNHN29Q :03/01/10 23:18 ID:fOiMOelV
>>43
なんだ、単なる逃げ口上か。。。

45 :名前はいらない:03/01/11 01:16 ID:1mVtn0s1
あれぐらいのことすら理解できんとは。あんたの詩ってどうせ糞だしな(w

46 :激辛正当派 ◆PmUYNHN29Q :03/01/11 01:26 ID:Ht2yGslk
お、なんだなんだ。
>>40のことについて言ってるんなら、
もちろん「理解」は出来てる。
その上で「文脈」を問うているんだが。

47 :都立 ◆MD76fFko5o :03/01/11 02:44 ID:+WJIhpHE
朝まで生TVってさ
いつの朝までやってんだよって
>>44 >>46の怒り 支持

48 :名前はいらない:03/01/11 06:13 ID:pI20HOyK
>>40
何とはなしに理解できた。気がする(ヲイ
>>42
「文学的」というか、読む価値を指していると思う。
しかし私は読み手から文句を言われても、それも1つの感想と捉えるようになった。
短に性格が丸くなっただけなんかなと自問自答。

>>47
私は>>44だけはちょっと支持できない。

49 :名前はいらない:03/01/11 10:01 ID:dMZoQOUy
傷つけられたくないひと、自分の価値観を絶対視するひとは
妄信的に>>40を支持しそう。
こういう時だけ他人の言葉を鵜呑みにするんだよね。
しかもそれが有名人の言葉だったらなおさら。
自分の頭で考えようよ。

>>40を支持するひとがいたっておかしいとは思わない。
おかしいわけじゃない。
ただ、ちゃんと議論の形で「なぜ支持するのか」をいってくれないと、
自分の作品が評価されなかった時に
「どーせ読み手にこの作品の価値はわからない」
って逃げ口上にしか聞こえなくても仕方ないんじゃない?

50 :名前はいらない:03/01/11 10:17 ID:dMZoQOUy
自分を励ますように「どーせバカな他人に俺の作品はわからない」
というのは、きっと誰もがやっている。
もちろん私もやっている。
でも、他人に向かって本気でそれをいうのは
やっぱり伝えることを放棄した逃げ口上なんじゃないかなぁ?


51 :48:03/01/12 04:29 ID:bjnkE/0F
>>40の考え方に付け足そうとすると
webに流れてる日記も同じかもしれない。
>>44を支持できないと書いたのは、
辛口正統派さんの喧嘩腰な言い方が嫌だったからだよ。
>>44のようにレスを返されたら、(>>43>>45は別人かもしれないが)そりゃキレるよ。

>>49
>「どーせバカな他人に俺の作品はわからない」
共感できない人が少なからず居るのは、心に留めていた方が良いとは思う。
俺の>>48の文章が煽りっぽく見えたのなら、素直に謝るよ。

52 :名前はいらない:03/01/12 08:41 ID:My8Od+oC
>>44は小田嶋氏の文章についてのレスなのに
なぜ>>45>>51がキレるのかがわからない

53 :48:03/01/12 09:49 ID:2tBR13QX
>>52
アー、なんだ、俺勘違いしてた。
>>45へのレスだと思っていたよ。逝ってくる。

54 :kanon ◆/.0ztbXCV6 :03/01/12 15:02 ID:+bSv2vGR
昔はよく尖がってたもんさ。
でも今は、量だけはこなしているからか
素直に己の力のなさが見えてきて、
どんなこと言われても返事を書くのは削る前の鉛筆の先っぽでだ。
もし本当にもう一回削ろうと思った時は
もう削り器のから取り出そうとは思わない。
すぐ向こうに、限界がある暗いトンネルの中で。
それはそれでいいかも知らんけど、俺みたいに力のない自慰野郎は
トンネルの中にいるってことも忘れちゃうと思うんだ。
やっぱりそれって怖いじゃん、つまんないじゃん。
人間なんだから。
そんなふうに思ってても
明日ポッキリ折れちゃうかもしれないけど
70年後もまだ使えてるかもしれない。
そんなもんさ。
気楽にいきまひょ。
横槍、月並みでスマン。

55 :激辛正当派 ◆PmUYNHN29Q :03/01/13 00:20 ID:LJXzY8P3
誤解はとけたようで何より。
>>40の文章、正確に引用すると、
ーーーーーーー
ようこそいらっしゃいました。
左のフレームのタイトルをクリックすると詩があらわれます。

こんなものは詩ではない!
とおっしゃる向きもあろうかと思いますが、
ロクでもないものであっても、シではあるわけでして、
つまり、詩というのは、あらゆる文芸の中で、ただひとつ、
読む側にでなく、書いた側の人間に
その価値を決する権利が委ねられている
貴重なジャンルなわけです。

それでは、ごゆっくり
ーーーーーーー
結局、「ロクでもない」と言われることを見越して、
初めから逃げをうっているように取れます。
詩ってものを軽く見過ぎではないか。自分で書いたものなのに。
でもこの人の詩、おもしろいね。特に「Apple talk」が好きだ。

まったくスレ違いでしたね。この話題はこれでやめます。

56 :ボルカ:03/01/16 20:35 ID:ER+w5Uvo
一週間ほど来れませんでした。下のほう見てて、流しちゃったんじゃないかと、、、。
皆様ご討議ありがとう。

激辛正当派さん、通読ありがとう。
それでは開始しましょう。

まず、ルールをひとつだけ決めたいと思います。

*1週間に1章ずつ、章毎に進むこと。

章に重複だのなんだのも実はあるんですが、章ごとでいきたいんですが
どうでしょうか。

よろしければ、今後毎週金曜日に、一章ブンの「あらすじ」をアップしていきます。

57 :ボルカ:03/01/16 20:55 ID:ER+w5Uvo
おっと、そうでした。
読み込む前の印象を僕もひとつ。

僕は今、「武者小路実篤の詩がもし「詩手帖」にのっていたらどうなるか?」
という問題について考えています。たとえば、

「僕から見ると」

僕から見ると
自分は可愛い。

(以上全文)

こういう詩です。
その衝撃ははかりしれないでしょうが、実際には掲載されないでしょう。
それはなぜなのか?
この詩が、実際、現代詩として認知し得ないものであるとして、なぜなのか?

北川の、この書物は、この問いに答えてしまうと僕は思いました。
しかし、その答えは間違っているとも。

僕は武者小路は実際に優れた現代詩人だったのだと思うのです。
このことについてはまた後日。

58 :ボルカ:03/01/17 21:45 ID:bQi1HIdW
第一章「レトリックの誘惑」
−概略−
ここでは、谷川俊太郎の作品を例に、詩が内容でなく形式によって
成立してしまう現場に読者は(思いがけず)つれてゆかれます。
その地点で北川は、「詩的な言葉のあり方」を谷川の同じ詩によって
観察し、詩が成立してしまうために使用された秘儀を(不意打ちで)
抽出してみせます。
さらに彼はそれを「詩的仮構」として、すなわち一技術として修辞学とは
別のところに位置づけておいて、「詩的レトリック」の定義とします。


59 :ボルカ:03/01/17 21:46 ID:bQi1HIdW
第一節:<思い付き>からはじめて
朔太郎、西脇および吉本を例に、普遍妥当する詩論というものは、
現在ではもう、(いや実は当時から?)形骸にすぎないのだ、と主
張される。自分はもっと「ちゃらんぽらんな」すなわち生命のある
理論を展開するとの宣言が、−こっそり−なされる。

第二節:詩的レトリックは修辞では無い
詩とはなんなのか、という問いが、発せられる。
その問い方の激しさに呆然とするまもなく、僕ら読者は「詩的レト
リック」の実在を突きつけられる。

第三節:違反の関係が価値に関わる
レトリックは認識ではなく、表現である、と規定されます。


60 :ボルカ:03/01/17 21:48 ID:bQi1HIdW
−感想−
第一節に付いて

面白く、読みやすいイントロです。内容は一貫して論争的であり、誉めてる
ように見える場合でも実は誉めていない。数々の面白い観点が示されていき
ます。

一方で、まず指摘しなければならないのは、西脇の評価はこれで良いのか?
ということだろうと思いました。普遍という方法自体を批判するなら、まず吉本を
トッタれや、みたいな印象は否めないと思いますが、どうでしょうか?
むしろ方法と戯れる、という方法のほうが彼自身の言明する方法に近くはないで
しょうか?
求意見。


61 :ボルカ:03/01/17 21:49 ID:bQi1HIdW
つぎに「思い付き」について僕は考える事がありました。
人は多くの事、いや殆どの事を「思い付き」で決めるとおもう。僕の知ってる
人はそういう人が多いです。みんな、思い付きで結婚したり、思い付きで修道士
になったり、僕なんか、思い付きで実験研究者になったりしています。
問われれば、「思い付き」としか答えられないわけだけど、でも、そういう
「啓示と化すような」思い付きが生じるためには、まず前もってその人の運命
が生きられなければならなかったはずではないでしょうか。
北川は「思い付き」の重要性を、恣意性というような文脈で強調するけど、
一方で、冗談のように「一瞬の啓示からはじまる」とも言う。
僕は、言語に先立って思考、それも極めて真剣で粘り強い思考があったとき、
そういう場合だけ初めて人は、啓示のような輝く「思い付き」に出会う事が
出来るのだ、ということを、この段階から強調しておきたいと思いました。


62 :ボルカ:03/01/17 21:51 ID:bQi1HIdW
第二節と三節についての批判を交えた感想はのちほど。でも、谷川使ってレト
リックの実在を示す説得力はさすがだよね−。そのあたりで実はすでに余白論
の片鱗が煌いたりもしていますよね。

まず、このあたりんとこで、皆さんの御感想やコメントをお願いします。


63 :名前はいらない:03/01/17 22:39 ID:z9neS0NS
>>62
やっぱり実際に読んでみないとわからないな、参加できないな、と思いました(汗

64 :ボルカ:03/01/17 22:55 ID:bQi1HIdW
ごめん、ごめん。
明日、第一章第二節についての僕の感想をアプしますが、
そのときには、読んでない人にもわかるように、努力します。
気に入ったフレーズ丸写しとかして。

なれないんで不備もあるでしょうが、ときどき覗いてみてください。

65 :名前はいらない:03/01/17 23:20 ID:Uw3nLT+t
     ∧_∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    ( ´∀`)/<先生!こんなのがありました!
 _ / /   /   \___________
\⊂ノ ̄ ̄ ̄ ̄\
 ||\        \
 ||\|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
 ||  || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
http://muryou.gasuki.com/saitama/

66 :激辛正当派 ◆PmUYNHN29Q :03/01/18 03:14 ID:8FuTj067
ボルカ氏、要約ごくろうさまです。
読んでない人でも参加できるようにするには、難しそう。
そのためには、やや不当かもしれませんが、なるべく単純化して話をしたい。

>>60
詩についての普遍の原理を拒否する、ということでは、
西脇も吉本も同列に(バッサリと)批判していると僕は読みました。
(しかし果たして、その批判は妥当か?)
西脇が「詩論はみんなドグマである」と前置きしつつ、
西欧の詩的規範を形式化し、それと戯れるかたちで語ったことと、
北川が「思いつき」から普遍性をつかもうとすること。
普遍性から逃れようとしても、普遍を語らざるをえないとの認識において、
それらは似ていると思います。
んで、吉本にその認識がないかというと、もちろんあるわけで、
じゃあ全部一緒じゃん、と思った僕は何か考え違いをしているのか?

67 :ボルカ:03/01/18 10:57 ID:xLQTuM1b
そうなんですよ。
僕らポストモダンのスキゾキッズ残党から見れば、吉本こそ、急先鋒だった
と言うべきなのです。もちろん、彼は固有時の思想で時代に錨を深くお
ろす事をしたのでしょうけどね。
かかれている内容だけを読むと、この文脈で西脇だけいじめんのは片手落ち
で、吉本からは逃げてるように感じますよね。


68 :ボルカ:03/01/18 11:01 ID:xLQTuM1b
さて、わかりやすくをモットーに、第一章をさらに紹介していきます。
激辛さん、どんどん、発言していってね。
―引用―
この世には容易に答えられない疑問がある。あなたはなぜ詩を書くのか、という問い
などもその類であろう。たぶん、詩を読んだ経験が無ければ詩を書くこともないだろ
から、だれだれの詩を読んで感動したからですなどと、つい<思いつき>で答えてし
まう。しかし、いくら読んで感動したとしても、自分がそれに調子を合わせて書かな
くてもいいはずだ。
それに感動と言うのも、よく考えてみるとあやしいので、本当は何が書いてあるの
か良くわからなかった。ただ、なにかに誘い込まれるような挑発されるような、あ
る感じがあっただけだ。それにもかかわらず、いつのまにか詩を書いてしまった。
―引用終わり−

これは、第一章第二節の冒頭引き写しですが、ここですでに北川は、ヤバイコトを述
べまくっています。プロのクセに、そこまで言っちゃっていいのか、おい、見たい
な感じです。



69 :ボルカ:03/01/18 11:02 ID:xLQTuM1b
この「何かに誘い込まれる感じ」が、「レトリックの挑発」であろうとおもいます。
僕ごときが理解できないのと、北川が「本当は良くわからなかった」というのは違う
のかもしれませんが、僕も近年の藤井の作品や長谷川龍生の作品には、わからない
けど挑発されるものが極めて多いような気がしています。
ある意味でそういう作品では確かに、レトリックが勝負しているのでしょう。藤井
貞和のいろは五十音ポエムなんかは、レトリックしかない作品のようにも思えます。
誰の詩集でしたっけ?カラスを扱った「客と規約」っておもしろい詩集もありました
よね。カエルポエムも、春と修羅も実を言えば「本当はよくわからない」面白さです。
しかし、ここで、問題は本当にレトリックに解体し尽くされるのか?という疑問を
留保しておきたいと思います。


70 :ボルカ:03/01/18 11:03 ID:xLQTuM1b
つぎに北川は詩は「おいしいことば」である、というネットでも良く見かける断言を
導入します。この「おいしい言葉」ってゆう噛み砕き方は、誰がオリジナルですかね?
もしかして谷川俊太郎だろうか。意味内容が今ひとつ曖昧だと思う。「異化された言葉」
のほうが僕にはわかりやすいです。

つづけて、谷川の引用があります。


宿題

目をつぶっていると
神様が見えた

うす目をあいたら
神様は見えなくなった

はっきり目をあいて
神様は見えるか見えないか
それが宿題


「二十億光年の孤独」所収


71 :ボルカ:03/01/18 11:07 ID:xLQTuM1b
同じことを平叙文で書き下すとしたらこうだ、と北川は言います。
―引用―
目をつぶっている間、神様が見えていたが、うすめをあけたら、それは消えてしまった。はっきり目を開けてみたら、神様が見えるか見えないか、それが宿題です。
―引用終わり―
よく読んでみてください。
うす目を開けただけで消えたんですよね?はっきりあけたら見えないです。それが宿
題の答え。そんながっかりした小学生が目に浮かびますよね(笑。
しかし、詩の方はそうはなりません。見えるか見えないか人類の歴史で答えよ、とか、
見えるまで進化しろとか、神様って実は比喩か?とか、宿題って、宿命かな、とかいっ
たことになってくるからですよね。それは語の意味内容でなく、谷川が駆使したレト
リックの差なわけで、この場合、使われているのは「詩的レトリック」なわけです。
この辺は僕は北川にとりあえず半分ぐらい白旗を上げて従います。
彼の記述を引用します。


72 :ボルカ:03/01/18 11:08 ID:xLQTuM1b
−引用−
すると、これが詩である明らかな特徴は、句読点の代わりに行分けがあること、しかも、
三連に分けられていて、その間に一行ごとの余白がある。さらに目をつぶるあける、
神様が見える見えない以外の一切の記述の省略。その省略の結果、三度くりかえされる
神様が神様でありながら何かの比喩のように思われてくること。あるいは目をつぶる
あける、みえるみえないという行為の背後に知覚と想像の差異がナゾとして暗示された
り、<いると><いたら><あいて>という語尾変化への細かい神経の配りよう、<神
様は><神様が>の<は>と<が>の区別などの全てが、ここでは平叙文と区別される
ことばの詩的なありかたをしている。そういう言葉のあり方から離なれて、作者の思想
感情や感覚の内容が詩的なのではない。
―引用終わり―
ここでしかし、やはり半分は留保したい。詩的なのは、本当にレトリックか?むしろ、
レトリックを必要とする想念ではないのか?と言うのが僕の疑いです。結論は急がない
でおきましょう。

73 :ボルカ:03/01/18 11:29 ID:hsPFa9xL
これで、第一章の山場までを紹介しました。論争に詳しい方おられたら、
>>66激辛氏の疑問にレスして欲しいな。

言い忘れましたが、この書物は9章構成で、最後まで飛ばしまくっていき
ます。北川さんてイカス暴走やろうだよね(笑。
まんなかではフロイトとか、ソシュールなんかも出てきますよん。

74 :山崎渉:03/01/19 13:28 ID:0KpP5AQU
(^^)

75 :ボルカ:03/01/20 21:02 ID:MbBOMMyk
金曜日に、第二章(余白論)をレポートします。
その前に、時間があれば、第一章第3節について、僕が感じている
疑問をアップしようと思います。

ところで、すでにいくつか、問題点を挙げましたが、これに関わること、関わらないこと
なんでも、ご感想お願いします。

>>66に関する疑問は、僕も感じるところです。彼がなぜ、どういう文脈で
この3人を批判的に言及しようとしたのか、今ひとつわかりません。
ま、読書会だから、わからないまま、先へ進んでももちろんいいわけだけど、
どーしてかなーみたいに思います。

 それにしても、谷川からレトリックの実在を引き出す北川の手際>>72は、
見事だと思いました。
 谷川は一般には、むしろレトリカルでない平易な詩人と思われていますよね。
北川に言われてみれば、たしかに、谷川こそはレトリックの詩人のような気も
します。
 また、僕は実はまだ詩集「minimal」は読んでないんですが、この「宿題」に
谷川がどう答えたのか、ということも興味深く思いました。


76 : ◆HU7XfvOYA2 :03/01/20 21:34 ID:WNQfM7fs
とりあえず買った。
高かった。
つまんなかったら暴れます。

77 :まーじ ◆W7.CkkM01U :03/01/20 21:38 ID:B95j/yBo
俺も買う。興味出てきた。スレの力ってすごぉぉい!
(^o^)

78 :ボルカ:03/01/20 21:42 ID:MbBOMMyk
ありがとう!!!!!!

って別に僕の収入にはならないけどね(笑。

79 :葉悟Φはさと ◆Q9OkNLTZnI :03/01/21 02:37 ID:E8XA33gc
うん、ちょっと高いですね。
ま、「コーポレートファイナンス第6版」よかマシですか。。。あれには泣いたし。
生協1割引で買おうっと。
とっとと卒論終わらして、読んでみますね。

80 : ◆HU7XfvOYA2 :03/01/21 14:40 ID:Qh78y1En
とりあえずさらっと流し読みした。
ワタクシの所持している書籍に何度も言及されるので、
(言語にとって美とは何か、レトリック感覚等)
ワタクシにとってはとても読みやすいんだけど、
それらを読んでない人にはどうなのかな。
入門と言うわりにはかなり読者層を限定しているような気がする。
(ある意味詩論なんてほぼ全てがそうなんだけれど)

81 :名前はいらない:03/01/21 18:00 ID:NAdCmvWx
>>80
僕はこの本を読んで「言語にとって美とは何か」も
「レトリック感覚」も購入しました。二年前のことです。
タイトルの通り入門的な使い方も出来ると思いますよ。



82 :激辛正当派 ◆PmUYNHN29Q :03/01/22 00:33 ID:7tcUEXCb
ボルカ氏の要約を手がかりに、僕なりにいくつか。

普遍的な詩論はあり得ない。として、朔太郎・西脇・吉本など批判しているが、
普遍性に対する懐疑は、西脇も吉本も北川も同様に認識しているはず。
そうではあっても、詩的レトリックを語るには普遍を語らざるをえず、
さもなければ個性に帰するほかない性格のものである。
手法としては、北川も他の論者も似通っていると思うが、
この考えは正しいだろうか。

「思いつき」ということに関して。
>「啓示と化すような」思い付きが生じるためには、まず前もってその人の運命
> が生きられなければならなかったはずではないでしょうか。
このボルカ氏の言葉を、僕なりに書き換えるなら、
たとえば詩の一行目は「思いつき」から始まるが、それは偶然の産物ではない。
詩を真剣に書いている人ならば、きっとそう思うはずだ。
はたして、この考えは正しいだろうか。

「本当は良くわからなかった」にも関わらず「なにかに誘い込まれるような」感じ。
現代詩に特徴的なこの「感じ」を北川は「詩的レトリック」によって説明を試みる。
が、ボルカ氏は「問題は本当にレトリックに解体し尽くされるのか?」と問う。
しかし北川の「詩的レトリック」の範疇は極めて広いようです。
あんがい解体し尽くされるかもしれない?(という期待)

83 :激辛正当派 ◆PmUYNHN29Q :03/01/22 00:35 ID:7tcUEXCb
>ここでしかし、やはり半分は留保したい。詩的なのは、本当にレトリックか?むしろ、
> レトリックを必要とする想念ではないのか?と言うのが僕の疑いです。
これについては北川が後にこう述べています。

わたしはレトリックは、認識ではなく表現だと考える。まず、認識が
あって、レトリックが成立するのではなく、認識とレトリックは表現と
して同時的に成立するのである。(P26

つまり、レトリックと想念(=認識?)はどちらかが先立つものではなく、
それは同時に表現されてはじめて詩となりうるのではないか。
私もそう思います。想念が独立で、詩となるわけではない。
そこにレトリック(詩的な言葉のありかた)が付加されなければならない。
(もちろんこれは、想念のあとにレトリックがあるのでなく、あくまで同時的に現れる)

夕陽がきれいで涙をながしたとしても、そこに詩はない。
(これを「詩的な風景」と呼ぶのは、「詩的」という語の誤用である)
詩的レトリックによって表現されてはじめて、それは詩となる。

84 :ボルカ:03/01/22 19:58 ID:6DhmbrE+
僕も、>>81さんと近い意見。
この本は、高校生とかに、案外お勧めではないかと思う。
北川さんに本気で弟子入りしようと思ったら、その「入門資格」は
チョー厳しいものになるのではないかと思うけど、この本に関しては、
とりあえず買ってくれたお客さんには、前提問わずに、サービスしよ
うという姿勢があるんじゃないかな。注とかに、それが現れていると思う。

>>83
そうですね。僕の読みがここでは不正確です。
北川における、レトリックと想念の位置関係に関しては、「同時発生」と
読み解くべきですよね。


85 :ボルカ:03/01/22 20:02 ID:6DhmbrE+
激辛正当派さんのフォローとダブるけど、以下、第1章第3節についてもう少し
紹介します。

第1章第3節 −違反の関係が価値にかかわる−

佐藤信夫の「レトリック感覚」および「レトリック認識」が
言及され、北川の佐藤への共感が表明される。

−引用−
彼はいわば修辞の技術学として形成されてきた、レトリックの不幸を
述べ、それに第三の役割<発見的認識の造形>を与えようという観点で、
この本を書いている。
(ボルカ補注:1は、説得する表現の技術、2は、芸術表現の技術、
この本は、レトリック感覚)
−引用終わり−

共感を示した上で、さらに北川は、このレトリック概念の認識は不十分
だとする。
そのうえで、>>83で激辛さんが引用した部分が展開されます。

ここまで僕は北川に同意します。
谷川の「宿題」が陳腐でないのは、彼が詩人だったからに、いわば、過ぎ
ない。哲学者や宗教家が、レトリックを使い切れずに同じ意味内容を語る
としたら、笑い種になるようものになったはずだと思います。
哲学者ならどうしても、もっと煩雑な、違う「意味」を付加しなければ
谷川の到達した認識を語れない。

86 :ボルカ:03/01/22 20:04 ID:6DhmbrE+
僕が今夜、問題と考えるのは、この先の「意味」〜「価値」への言葉のずらしかた
です。ここでは吉本リュメイがかかわりますが、引用ではなく、北川自身の
思想ー言語として表明されています。

−引用−
言語の規範性が、慣習化された制度として物象化し、固定化するとき、
それをぶち破り、新しい流動を作り出す。(中略)違反の関係そのもの
の規則性、それが仮構の概念であり、詩的レトリックだと、とりあえず
言っておこう。
−引用終わり−

この周辺で、詩は「おいしいことば」である、という断言が示されます。
おいしい、ということは、飢餓を防ぐための、ありあわせのものではな
い、ということを、北川にとって意味します。
すなわち、それは、彼にとって「価値」のある言葉です。同時に、レト
リックの問題は、価値の問題である、ということが言明されます。

87 :ボルカ:03/01/22 20:10 ID:6DhmbrE+
ここでちょっとテキストの読解をはなれて、僕の個人的な意見(感想)を
述べようと思います。

ここ(前後のバラの比ゆなど)で想定されている、歴史観、言語観は、あまり
にも非科学的なものなのではないか、というのが、僕のこの部分への批判です。

言葉は詩人が作り出し、それがだんだん陳腐化しながら一般化し、普通の
言い回しになって、さらには死語になっていく。
こういう言語観は、ネットでもよく見かけます。しかし、こんなことは実際
には起こっていません。起こったはずがないと思います。

僕は「万葉集」を当時の人口の何%が読んだのか、知りません。しかし、
それが「言語」という意識体の歴史的な生育に影響した「量」がどの
程度のものだったのかは、大いに疑問です。
言葉はむしろ、「万葉集」を読んでいない多くに人々のあいだで進化した
のではなかったか?そして、現在でも、「詩手帖」を読んでいない人々の
あいだで進化しているのではないか?

簡単に考えても、われわれの言語が、文字を持ったのは、人類の歴史の
一部でしかありません。文字といっても、ネイティブアメリカンの人々の縄文字
や砂絵のような、概念を表音とは独立に示すものが主だった時代もあった
かもしれません。
そして、そういう時代の中にも、詩はあったろうし、言語は進化し続けたろう。
と思うのです。

北川はテキストと呼ぶことができる言語表現、とくに制度化された文脈で
保存された、いわば「認知された詩」が、言語表現のごく些細な一部に過
ぎないことを看過している、と僕は思います。


88 :ボルカ:03/01/22 20:19 ID:6DhmbrE+
おそらく、そんな風に思ってしまうのは、僕か北川か、どっちかに
問題があるからであり、本質的には議論でシロクロつけられること
なのですが、ここは、まあ、シロートの読書会ってことで、あんま
りキビシイことは求めないでくださいね(ヨワっ→俺。

もち、突っ込みは全部、歓迎ですけど。

こんな風に、入り口のところから、「ほんとに入門できんのかよ」みたい
な僕ですが、それでも、この本には強烈な刺激を感じ続けています。
週末には第二章をフォローしていきます。

ところで、誰かレポーターをやってくださる方がいらっしゃたら大歓迎し
ます。好きな章を好きなスタイルでやってくれる方がいると、僕が全部
やるより、ずっと深みが出ると思う。
いかがでしょうか?




89 :ボルカ:03/01/24 22:26 ID:JWr1T5UH
第二章 余白論の試み

−引用−
詩の出現とは、必ず(と言っていいほど)余白の
出現である。だれもがそれを、自明にして書き、
読んでいながら、忘れている。−中略−ことば論
はあっても、余白論は成り立たないのか。しかし、
それが詩との相関で現れてくる以上、しらぬふり
というわけにはいかない。
−引用終わり−

と、北川さんは話しはじめます。真面目な話、僕は
この章は、「北川さん、カッコイイ!」とか思い
ながら読みました。

批評が、批評以前と読者を変化させる事なんて、
実はめったに無いと思う。でも、彼の「余白論」
は、少なくとも僕の思考を、不可逆的に変化させ
ました。北川透以前には戻れないと、僕は感じます。

といっても、もちろん全面的に受け入れるわけでは
ありません。
僕自身の思考と言う事になれば、僕はここでも、
「ありていに言って、余白は文字とみなしうる
のか?余白でレトリックするということは、非言
語的思考をテキストの世界に持ち込む、という事
なのではないのか。」
といった疑問を持ちつづけます。
北川さんといえども、僕の非言語的ポエジーへのこ
だわりを破壊する事は出来ない(笑。章をおうごとに
この対立的な感覚は強くなっていくと思います。

90 :ボルカ:03/01/24 22:30 ID:JWr1T5UH
しかし、そういう難癖の前に、まず北川さんの思考によっ
て、「余白」というものが表記言語の一種として初めてと
らえられ、レトリック論の対象になったということを高く
評価し、可能なら、来週金曜日までのあいだ、若干詳しく
検討したいと思います。

この章での北川さんの余白言語観は、優れた一貫性をもち、
先行議論を知らない読者にも、楽しめると思いますが、い
かがでしょうか。

僕は今日のところは、もう時間が無いので、今回、中途半端な
レポートですが、興味のある方は、どんどん発言して下さい。

91 :ボルカ:03/01/24 22:42 ID:JWr1T5UH
>>83
>夕陽がきれいで涙をながしたとしても、そこに詩はない。
>(これを「詩的な風景」と呼ぶのは、「詩的」という語の誤用である)
>詩的レトリックによって表現されてはじめて、それは詩となる。

以前、「詩ってなんですか」スレッドの1は、類似の問題を反対から提起して
いたと思います。
「美しい風景」は、もし、それを詩で表現できないのであれば、「詩としては
美しくはない」のだ、と、そこまで言い切ったひとはいなかったかもしれないけ
ど、僕なんかは、あのスレッドでそう感じてはいました。

激辛正当派さんからの、上記の引用部分は、理解できるし、ほとんど納得もできる
し、実は僕自身そういう発言も時々しているんだけど、正面から眺めると、一晩寝
かせてみても、100%同意できるのかどうかは、わからなかったです。
僕には、今夜のところは保留しておくしかなさそうです。



92 :放浪の名無し ◆YffIGX9Bno :03/01/24 22:44 ID:CaIfsmm9
議論より、詩人コロセウムに参加しる!!

93 :ボルカ:03/01/25 23:12 ID:rqnlttuo
そうっすね。議論やるタイミングと創作やるタイミングは、一致しない
もんかもしれないね。
チョット言及しただけ。別に無理やりひきこもうって魂胆じゃないっす。
といいながら、参加してくれるれば嬉しいけどね(笑。

詩人コロセウムは、意外なほどの繁盛ぶりですね。
2ch外でも、あなたのキャラが信頼されているってことだと思う。
おめでとう。

今月、僕のポエマー活動優先順位は

1.詩誌(落選してるのでムキになってる)
2.オナニースレッド(歴史的傑作を書くぜいっ)
3.◎月間賞
4.アグネス詩賞
5.オープンマイクのリーディング

と、5位までは決まっているのですが、もしかしたら乱入するよ。

◎でレスしたんだけど、詩VS散文のバトル、今後の課題として
検討してみてね。

94 :ボルカ:03/01/27 23:18 ID:zzahiZpu
さて、北川透の余白論を検討する前に、小説における視点と言う概念を説明して
おこうと思います。僕の個人的な感想ですが、北川の余白論の内包する意味内容が、
「小説における改行のルール」の類概念であるのか、ないのか、は一つの論点にな
りうると思うのです。

 小説を書く場合、「一つの章を一人の視点で書く」という暗黙のルールがありま
す。暗黙じゃないのかもしれないけど、学校ではなぜか教えてくれません(笑。
僕も別に教わったことはありませんが、どうもそんな感じがしています。
 以下、僕の本棚からテキトーに引用します。

―引用―
(前略)なんとなく人をばかにしたような、キチガイジミた感じのする大部の原稿
である。
「…これは何ですか先生…このドグラマグラというのは…」
 若林博士は今までになく気軽そうに、私の背後からうなずいた。
「ハイ。それは、やはり精神病者の心理状態の不可思議さを表現した珍奇な、面
白い製作の一つです。(後略)」

 − 夢野久作「ドグラマグラ」より

95 :ボルカ:03/01/27 23:21 ID:zzahiZpu
 小説のルールとして、ここで若林博士は、「気軽そうに」うなずかなければなり
ません。「気軽に」うなずいてしまったら、どうして彼が気軽であることが「私」
に判ったのか、という疑問が読者に生じてしまうからです。
 こういうふうに、小説では、一つの章は、一人の視点で書かれるのが普通です。
とはいえ、絶対そうしなければならないか、というとそうとも限りません。

−引用−
 すぐ全員が開いたままのドアの方へ走った。犀川(さいかわ)と萌絵(もえ)も
そちらに駆け寄る。
 今度は廊下の照明が明滅を繰り返している。まっすぐな通路の奥は闇に吸い込ま
れていた。花嫁の後姿が、ドアから数メートルのところに見え、トンネルのような
廊下の中央をまっすぐに奥に進んでいる。このまま闇に消えるのでは、と思えたが、
彼女の移動に伴って、照明の明滅も奥へ向かっている。

 −森博嗣「すべてがFになる」より

96 :ボルカ:03/01/27 23:25 ID:zzahiZpu
 このまま闇に消えるのでは、と思ったのは誰でしょうか?
 ここでは、犀川と萌絵の2人なのです。
 さらに、ポルノ小説の「濡れ場」の場合は、男の視点と、女の視点が、共存する
ことは、普通ですらあります。

―引用―
 すると銀子はニヤリと口をゆがめて、
「そうだわ。圭子や美津子にも、そろそろこうゆうことを教えなきゃならないわね。
じゃ静子夫人、明日は貴女に圭子の稽古台になってもらおうじゃないの。」
 それを聞いた静子夫人は、はっとしたように伏せていた顔を上げ、おびえた美し
い瞳を銀子に向けるのだった。

 −団鬼六「花と蛇」より 

 ちょうど、映画に必ず主演女優と主演男優がいるような感じです。
読者は銀子の気分も楽しみたいし、静子夫人の気分も味わいたい。そういう要求に
作家は答えているのです。そこで、静子夫人には、「おびえたような」目ではなく、
「おびえた目」を向けてしまうことが要求されるのです。


97 :名前はいらない:03/01/27 23:28 ID:osjpKd/1
男と女?(w

98 :ボルカ:03/01/27 23:31 ID:zzahiZpu
 ですが、この2つ例の場合でも、「一つの段落は同一の視点で書く」というルー
ルは守られています。一つの段落の中で視点が変わってしまうのは、わざとルール
に挑戦する場合でないかぎり、ミスと言えると思います。もし、視点を変えたいな
ら、小説では段落を変える(改行する)必要があります。
 先に言ったとおり、この種のことを僕らは高校で習いませんから、ホントのとこ
ろは、国文出身でない僕にはわからないのですが、僕は現在、そういうふうに理解
しています。

 北川透の余白論は、文字通り「余白」についての考察ですが、その一部に改行と
視点の移動の関係を含んでいると思います。北川の叙述から、詩においても、視点
の変更が改行を要求する場合がある、という情報を読み取るとしたら、その部分は、
小説のルールを現代詩の理解に適用した例として考えることができると思うのです。

 時間の関係で、今日は小説作法における視点のルールを紹介するだけにせざるを得ません。
 明日から木曜あたりまで僕はこられません。
 
 ご意見、ご感想のあるかたは、どんどん話を進めてください。
 僕はもしかするとこれ以上、第二章をレポートする時間はないかもしれませんが、
金曜日からは、第三章も範囲に入れていきたいと思います。


99 :ボルカ:03/01/27 23:33 ID:zzahiZpu
>>97
丁寧な突っ込みありがとう(w。


100 :かねこ ◆f2xSA4XoXM :03/01/28 00:13 ID:VtMu+Mi5
今週、ずっと携わってきた大きな厄介事が一つ片づくんです。
肩の荷が下りるってやつでしょうか。
「詩的レトリック入門」持ってるのに今まで読んでなかったんですが、
気が楽になったところで読み始めようと思います。ボルカ氏のような高度な
論は到底展開できませんが、感想程度は書けるかな。そして氏にはいろいろ
教えていただきたいなと思ってます。よろしくお願いします。で、100げと。
>>95 「すべてがFになる」の一節を眼にするとは・・・ここにも森博嗣に汚染された人が!
   うれしいねぇ。

101 :ボルカ:03/01/29 21:52 ID:hyFutmyh
出張先からなんで、本の内容にちゃんと触れたレスはできませんが、
簡単に言ってしまえば、2章におけるキーポイントは、「啄木はなぜ、
3行で書いたのか」ということに、北川さんは答えることができた、
ということだと思う。そしてその論理を、彼は遡って芭蕉から、下って
朔太郎までつなげることができた。これはすごいことですよね。

僕は石川啄木のファンを自称していたんだけど、彼の改行の仕方についての
これまでの僕の意見は、
「なんだか不思議なぶっちぎり方なんだけど、なぜか、これでいいよう
な気がする。」というものでした。

 今日は手元に本がないので、ほんとにカンタンなところを記憶で書くけど、
北川さんは、彼の3行わけは、3つの余白を生じさせるためだった、と考え
ます。
 そして、記号である「余白」の意味内容を分析して見せるのです。
 その一つとして、彼は余白の登場を、「改行」の側からも考えて見せ、ここで
石川啄木の例をひいて、改行前後で視点の動きがあることを指摘します。
 僕は思うのですが(北川は明言していない)、これは一面では、詩における
一行を、小説における「一段落」を比較し、一連を、一章と比較する、という
ことを示唆する考え方です。そうした発想によって見えてくるものもあると
思いました。

102 :ボルカ:03/01/29 21:53 ID:hyFutmyh
 この章からはいろいろな考察を読み取ることができるし、いろいろな批判を
展開することができると思いますが、時間がないので、僕のこの章の感想はこ
れで一つだけでオシマイにして、金曜日には次の章にいきます。

 一章、二章に含まれる問題として、ソシュール以来の構造主義言語学的な考え方
で、分節化=意味の発生みたいな考えを展開することや、レトリック価値説を「侵
犯=価値」とし、その違犯の対象を無定義で「規範」としたことなどが気になる人
もあるかもしれません。
 また、詩における公的領域(あるいは公共圏):すなわち詩壇の限界性への分析が不問
にふされたうえで、こうしたことが言われたのであれば(そうなのかどうか僕は知ら
ない)、この「規範」の扱いによって彼は、文学史を無定義のまま権威化したと言
えるのではないかとも、僕は思います。これについてはすでに簡単には指摘しまし
た。
 でも、残念ながら、ちゃんと検討するだけの知識はないです。
 単に不勉強のせいで、感じた疑問かも知れないですね(w。

 第2章までのご感想ご批評、僕のへのご批判、なんでもご自由にご論議ください。

103 :ボルカ:03/01/29 21:55 ID:hyFutmyh
>>かねこさん
100ゲトありがとう。
こうゆうのやっぱ、自分でゲットしちゃうのはちょっとサビシイな、
と思ってました(笑。

こちらこそよろしくお願いします。

104 :金子すずみ ◆f2xSA4XoXM :03/01/30 23:00 ID:WY3Pr78C
>>103
ふぃ〜。ようやく厄介事を一つポイできました。まだまだ、厄介事はありますが、
まあ今回のよりは、軽いかな。今、本を最初から読んでるところです。
あんまり頭良くないので、期待しないでくださいね。

105 :ボルカ:03/02/01 19:47 ID:f2diaRRo
はろっ。よろしくお願いします。

106 :ボルカ:03/02/01 19:48 ID:f2diaRRo
第三章「詩と散文の間で」

ここでは、「口語自由詩とは何か」という問題が、
あるいは、「散文詩とは何か」と言う問題が、扱わ
れます。

北川透は、朔太郎以前の詩人たちと「詩と詩論」の論客たちの対立、
さらには西脇順三郎と瀧口修造の言語革命と戦後の入沢康夫らの相違
を紹介(ないし批判)しつつ、「詩の出現は、余白の出現である」と
いう2章で立てた説を検証していきます。


冒頭、北原白秋の詩が引用されます。

「かやの実」

かやの木に

かやの実の生(な)り

かやの実は熟れて落ちたり

かやの実をひろはな



なぜこれが、詩なのか、という論点から
北川の論考は始まります。

107 :ボルカ:03/02/01 19:49 ID:f2diaRRo
面白いことに、この詩は、一行に書き下ろされたことがあり、
それをある短歌雑誌の同人たちが、こんな歌があるか、と批判
したそうです。北川によれば、そのことをめぐって、白秋自身
が論を展開しているそうです。

書き下ろされれば、

かやの木にかやの実の生りかやの実は熟れて落ちたりかやの実をひろはな

となります。字余りですが、形式上は短歌と言えるでしょう。
僕の目にすらダサクですが(笑。

白秋はこれについて述べる中で、「かやの」の繰り返しを取ったら
どうなるか、ということも論じているらしい。

こんな感じになるはずです。


「かやの実」

かやの木に

実の生(な)り

熟れて落ちたり

ひろはな



ぜんぜん、ダメですね(笑。

108 :ボルカ:03/02/01 19:50 ID:f2diaRRo
白秋は、これについて、
「なんでも切り詰めさえすれば最上の表現だと思うのは間違いである。」
 と言ってるそうです。
 このセリフは覚えるべきですよね。喧嘩に便利です。

ところで、なぜ、短歌にしたら全然だめな作品が、詩になってしまうのか
ということについて、北川はかなり理解できる説明をします。

今日は時間が無いので、詳しくは紹介できませんが、それはつまり、
レトリックの力だ、ということです。同時に、どうして「かやの実」を
繰り返す必要があったのかについても説明して見せます。

今週時間が無いので、紹介はこれぐらいにしますが、この章の中で、
相反する概念の結合が詩を発生させる、とか、そのほか、様々な
詩論が検討されていきます。


ここまで、ご意見、ご感想お願いします。


109 :Porphy:03/02/04 20:34 ID:QEUsU0I5
北川本は未読ですが参加させて下さい。

スレ拝読しました。とても興味深いですね。
「視点の動き」と「余白」のかかわり。

小説では段落変えによって、詩では改行・余白によって、視点の動きが示される。
なるほど、なるほど。

北川のいう「レトリックとしての余白」というのは、
詩の中では余白が一定の作用を担っていて、書き手・読み手とも(必ずしも意識的では
ないかもしれないが)暗黙のルールとしてその作用を認め、その作用に及ぼされている。
といったところでしょうか。

>>96のご指摘にある通り、小説において複数の視点がほぼ同時に示される場合、読み手が
そうした複雑な視点の存在をつかむには、散文ならではの叙述がヒントになるのかな、
という気がしました。
つまり、「すると銀子はニヤリと・・それを聞いた静子夫人は・・」といった風に
主格が明示的に書かれていることもあって、読者にとって、散文の流れのなかで
視点の動きを追う手がかりは、(詩におけるよりも)わかりやすいように感じます。

一方で、散文よりも語彙のそぎ落とされている(場合の多い)詩においては、
説明を担う言葉が意図的に省かれていても、
改行から生じる余白によって視点の動きが示されるので
(あるいは、どの視点で読むのか、複数の選択肢が読者の側に渡されるときもある)、
「ルール違反」とは見なされない。「余白」という詩的レトリックが生きているから。


そういえば、得体の知れないけれどどこか惹きつけられるタイプの詩を読んでいる時に、
登場人物「私」の視点が「どの行」では「誰」なのか・いつどのように移っているのか
といった点を、いつのまにか考えさせられていることって、けっこうあるかもしれません。


110 : ◆HU7XfvOYA2 :03/02/04 20:44 ID:ISK9Qxtl
「なんでも切り詰めさえすれば最上の表現だと思うのは間違いである。」
といわれてもやっぱり切り詰めることには意味はある。
レトリックを装飾のことだと思うのは間違いだ。


111 :ボルカ:03/02/04 20:46 ID:QEUsU0I5
Porphyさんのご感想を転送させていただきました。
内容的には2章部分に戻りますが、ご指摘の点は僕もとても重要な点だと
思いました。

>北川のいう「レトリックとしての余白」というのは、詩の中では余白が
>一定の作用を担っていて、書き手・読み手とも(必ずしも意識的では
>ないかもしれないが)暗黙のルールとしてその作用を認め、その作用に
>及ぼされている。といったところでしょうか。

その後の部分を含めて賛成です。Porphyさんがおっしゃっていることは、
僕が進めめられなかった点まで明確にしています。

ミステリアスな視点は、良い詩の特徴の一つといえるのかもしれません。

最近僕は、朗読会に参加してみたのですが、人前で読んでみて、視点に
ついても考えるところがありました。
余白の介在無しに、視点の変化を聴者に伝えるためには、詩の視点が、とて
も注意深く、かつ一種のリズムを持って変化していくように仕組まれて
いないとダメなように思ったのです。

また、逆説的ですが、視点の変化は耳では聞き分けにくいにもかかわらず、
単調な視点は、聴いていて退屈な印象を生みやすいように思いました。


112 :白鑞金 ◆o9gM/GpPsI :03/02/04 20:53 ID:skU9H4oL
余白なし。ならば不肖わたくしが、常にヒントと心得ております一言を。

 句体は一作一律の自在を志向すべし  荻原井泉水

113 :まーじ ◆W7.CkkM01U :03/02/04 21:02 ID:JeRqcM/X
詩における余白というのは

絵や写真の周りの空間と同義であると思う。

フレームの外。

額に入った絵の外界。
すなわち絵と切り離されたところで存在する
世界の表象ではないでしょうか。
何が介入してくるか予測できない
人間一人一人の主観が埋没できうる溝であるとも言えるでしょう。

って俺の私見ですが。

114 :ボルカ:03/02/04 21:02 ID:QEUsU0I5
>>110
おそらく、なんでも切り詰めるというのと、切り詰めるというのは
違うのじゃないでしょうか?

上述>>107の、「かやの実」切り詰めバージョンより、オリジナル
バージョンのほうがイイ、と僕は思いますが、それは多分、
北川透が書いているとおり、切り詰めバージョンでは、抜け落ちてしまう
何かがあるからだと思います。

それは単なる装飾じゃなく、この詩の当該部分(つまり、「かやの」
の繰り返し)は、むしろ本質的なものなんじゃないかと思うのですが。








115 :ボルカ:03/02/04 21:14 ID:QEUsU0I5
>>112
ご参加ありがとう。今日は本を手元に置いていないから、精確な引用は
出来ないけど、以下の用な話です。

>荒海や佐渡によこたう天の川

北川は、この詩を引用して、切れ字「や」は「余白」の導入である
と主張します。
この「や」の前後では、視点が、荒海を眺めている人から、人の感情を
超えた無人称の客観表現としての空へ、さらに宇宙へと広がっています
よね。
「や」で導入された「余白」に宇宙が流れ込む、そんな感じです。

啄木の3行分かち書きや、口語自由詩は、切れ字だけで表現できない
「余白」を改行によって可視化し、べた書きの散文詩は、別のやり方で
余白を扱おうとする。

北川透の叙述ではそんな感じです。

116 :ボルカ:03/02/04 21:18 ID:QEUsU0I5
んが、白鑞金さん。
あなたの引用部分は、僕にはちょっと良く分かりませんでした。

もうしわけないけど、もう少し、説明お願いできないでしょうか。
まさか、切れ字を使うな、ってことではないですよね。

一律とは、ひとつのリズムで、ってことでしょうか。

117 :ボルカ:03/02/04 21:31 ID:QEUsU0I5
>>113
こんばんは、マージさん。

たしかに、余白って、そういう漠然とした、作者には如何ともしがたい
もんですよね。読者がどう読んでくれるかは、賭けみたな。

でも、それについて考えても、全然どうしようもないかというと、やっぱ
りそうでもないんではないかな、と思います。

118 :まーじ ◆W7.CkkM01U :03/02/04 21:55 ID:JeRqcM/X
>>117
余白というモノこそが詩の内在律を統制していると思う。
どこでどう改行し
どれくらいの行間を空けるかなどは
作者のオリジナリティーの一つの現れだと思います。
詩と余白とのコラボレーションが
詩の内在律を浮き彫りにするレトリックの応用だと思う。

白秋は例の「かやの実」の詩(短歌?)
において、≪かやの≫をリフレインしたのは
内在律を打ち消すべく、白秋の主観を読者に押し付けたのか
もしくは
ただただ「かやの木」に対する執着として強調的に用いたかの
どちらかでしょう。
啄木の三行分かち書きは、ここでは置いといて
基本的に短歌における内在律の流れというのは
単語の連結がもたらす凝固性にあると思うんです。
解体するとリズムが損なわれるという危惧を孕んだ
ひと塊のサディズムかな、とも。


119 :激辛正当派 ◆PmUYNHN29Q :03/02/05 00:28 ID:8wpd8NeH
>>112
一句一句それぞれに、オリジナルの律があるべきだ、という主張と読みましたが。
つまり自由詩(自由律俳句)は、定型のない詩なのではなく、
定型をその都度、自由に決定することができる詩(俳句)、ということ?

>>118
「かやの」の繰り返しについて、北川の解釈はこうです。

一行目のかやは木をさしており、二行目のかやはなったばかりの実をさし、
三行目は熟れたそれ、四行目は落ちているそれである。つまり、<<かやの>>
木や実は、その下に連接されることばとの関係で、同じ<かや>でありながら、
それこそ微妙な意味の差異をつくりあげている。この詩は、そのことを通して
自然や宇宙の流転のもつ神秘さや淋しさを象徴しようとしている。とすれば、
<<かやの>>の省略は、ことばが同じでありながら、意味だけが微妙にずれて
いく過程を見えなくしてしまい、それはたしかにこの詩の<いのち>を奪って
しまうことになるだろう。

120 :ボルカ:03/02/07 20:33 ID:GTwbZo9t
激辛正統派さん、アプありがとう。
実は出張先からで、本持ってなくて、、、。
僕は、北川の「かや」の解釈に、かなりウナったんです。

>>118まーじさん。
一行に書き下して短歌と読むと、「かや」の繰り返しは、つまらないですよね。
>詩と余白とのコラボレーションが
>詩の内在律を浮き彫りにするレトリックの応用だと思う。

たぶん、絵画的な詩を楽しむ秘訣のひとつが、「文字だけでなく、余白も作品の
一部である」と考えてみることかもしれないですね。



121 :ボルカ:03/02/07 20:37 ID:GTwbZo9t
3章は一部しか紹介しませんでしたが、既読の方は、お好きな角度から
コメントしてください。

明日から、4章に入ります。


122 :ボルカ:03/02/08 11:49 ID:dFzToqab
僕は今週、詩について考える時間は、一秒もありませんでした。
逆に僕を知ってる人に、詩について考えていたなんてバレたらお叱りを受けるぐらいっす。
だもんで、レポートちょっと遅刻します。

それにこの4章は結構、難物なんですよ。
正岡子規の俳句から話が始まるんだけど、どう思いますか?

>鶏頭の十四五本もありぬべし

確かに傑作なんだけど、何処がいいんだろうか?

123 :ボルカ:03/02/08 11:58 ID:dFzToqab
紹介しなかったけど、3章のハイライトは、瀧口修造の「TEXTES」の批評だと思いました。

簡単に言うと、「連想の遠いものをくっつけると詩が発生する」という考え方(西脇)が
あって、「くっつけて、散文でいこうぜ(引用ではない)」みたいな考え方(北川冬彦)
があって、それで実験として、訳のわかんない現代詩である「TEXTES」があった。と。
考え方は分かるけど、既に過去のもので、今の目で見たら、つまんないよ、って感じです。


124 :ボルカ:03/02/08 12:05 ID:dFzToqab
「マルドロールの歌」に、
彼は・・(中略)・・手術台上におけるミシンと洋傘の不意の出会いのように美しい。

っていう一節があるじゃないですか?北川さんは引用していないけど。
あれを読んだときは僕もびっくりし、イイ!と思ったけど、アレは、あの山を
越えるためにすごい助走を走り抜けるんですよね。

「TEXES」が面白いかどうかは、詩集でしか評価できないと思うけど、引用部分
は、たしかに面白くない。

125 :ボルカ:03/02/08 12:12 ID:dFzToqab
でも、最近、現代詩をポツポツ読み始めた初学者として言うと、北川さんのこういう
紹介って、すごく親切ですよね。

なんの知識もなしに「TEXTES」といきなり向き合った場合、「わかんないや」で
投げちゃうかもしれない。
北川さんがこんな風に紹介してくれると、「北川はああ言ってたけど、他に潜んでる
ものは無いんだろうか」って目で見ていけると思ました。


126 :ボルカ:03/02/08 17:36 ID:DFKqfsKK
************第4章 詩作品の<語り手>とは

さて。ここでは正確な読解や要約をあっさりあきらめて、僕自身の感想を述べて
いこうと思います。

僕はこの章で北川が言っていることに90%まで同意します。
詩において、<語り手>ってなんだろうか、それって作者と違うの?みたいな話が
ときどきあると思います。
そのたびに僕は不思議に思ったのですが、それは言うまでもなく別のものです
よね。違うと思う方が本当にいるのでしょうか?

前回、<視点>概念について補足しましたが、作中の<視点>の位置、すな
わち、その行で発言している<主人公>も、もちろん<語り手>および<作
者>とは別の概念です。もし、そうじゃないとすると、セリフということは
成り立ちませんし、視点の変更ということも有り得ません。



127 :ボルカ:03/02/08 17:38 ID:DFKqfsKK
そんなの、あたりまえじゃんか、と思うのですが、北川によると、それほど自
明でもないみたいです。
これは本当の話なんですが、僕はこのことをあまりにも自明のことと考えて
いたものですから、<作者>と作中の<わたし>は同じものだ、と言う書き込み
があると、わざとばかげたことを言う<アラシ>と見なしていました。誤解だったか
もしれません。まじめな意見だったのかも。場をお借りして謝罪しておきます。

これをちゃんと言ったのは、入沢康夫で、それは既に20年も前のことだった、
と北川は言っています。
たった20年!
そんなものなんですね。
なぜ、そんな状況だったのか、と言えば、それはやっぱり北川が言ってるように
日本には短歌があったからだろう、と言う気がします。
短歌は作者の感慨を歌うものだ、という考え方がありますよね。
北川はこれを佐左木幸綱や岡井隆の引用で示します。


128 :ボルカ:03/02/08 17:39 ID:DFKqfsKK
でも同時に面白い突っ込みを入れています。

>東海の小島の磯の白砂に
>われ泣きぬれて
>蟹とたわむる

いったん、「むろん、(中略)蟹と戯れているのは作者であろう」とした上で、
北川は、「しかし、(中略)蟹と戯れていては文字を書くことも出来ない」と突っ
込みます。

短歌の<わたし>については、寺山修司が面白いことを言っていた気がする、
と僕は思うのですが、寺山を読んだ頃、僕はアタマがちょっといっちゃって
たんで、何も思い出せません。


129 :ボルカ:03/02/08 17:40 ID:DFKqfsKK
しょうがないので、小説家の大江健三郎が「わたしという小説家の作り方」
という本で言っていることを紹介します。
彼はユゴーの「死刑囚の最後」に言及して、じゃあ、これは誰が書いたんだ、
みたいな突っ込みをいれます。へんですよね。

<わたし=作者>が、死んでしまえば当然、報告はできませんし、蟹と戯れて
いる作者が、現在形で「たわむる」と書くことが、事実そのものであったわけが
ありません(たわむれり、とか言えばいいのかもしれないけど、ぶちこわし
ですよね)。

まだ先もあるのですが、
<作者>、<語り手>、<主人公>
この3者が別のものであることをまず簡単に同意して置こうと思いました。


130 :ボルカ:03/02/08 17:41 ID:DFKqfsKK
僕の独自の意見ですが、これは別に詩にかぎらず、ニュース記事でも、日記でも、
手紙でも、およそ文章であれば全部、そうだと思います。

ところで、北川さんは、入沢のこの主張(詩的構造論)と天沢退二郎の(作品行
為論)をめぐって論戦を張っていたとのことが、回想されています。
僕は北川透のことが良く分かっていないまま、この本を読んでいるから、びっ
くりするわけなんだけど、「凶区」って言やあ、泣く子も黙るし、ゲバ棒も引っ
込む、伝説の最強ポエマー集団ですよね。

入沢と天沢に一遍にケンカ売るなんて歌舞いてるよねー(笑。

******

131 :ボルカ:03/02/08 17:44 ID:DFKqfsKK
以上が、
4章「詩作品の<語り手>とは」

を、めぐる僕の個人的感想ですが、この章で本当は<イロニー>概念と<ずらし>に
ついて整理すべきだと思う。でも、僕はボードレールについては、「悪の花」と
セキラのココロの上っ面を読んだだけだから、ちょっと荷が重いんですね。
両方とも手元にないし。
誰か、ボードレールの<イロニー>概念を解説してくれる人、いませんか?


132 :ボルカ:03/02/10 23:00 ID:fiQBckSK
あ、ふと思いついたんだけど、「詩ってキモイ」という意見が、あるそうですね。
あと、「詩を書くことって恥ずかしいことだ」っていう感覚も実在するみたいで
すね。

別にあってもイインですが、そうした意見は、<作者>=<語り手>という
とんでもない誤解を前提にしている場合があると思います。

133 :ボルカ:03/02/11 18:30 ID:DZNkYKxl
うーむ、>>131
ボードレール苦手なんですが、フォローしてくださる方がいない
ので、やってみます。間違えるかもしれないから、詳しい方いたら、お気軽に
突っ込んでください。

***********
「イロニーに関連する一般的な補足」

現在、僕が使用できる詩的レトリックとしてのイロニーには、2種類の戦略があ
ります。個人的な観点から、イロニーについて北川の叙述を若干補足します。

 一つは、「イロニーの矢は、遠いところから飛来する」というものです。
 X氏にイロニーを仕掛けるときは、X氏が、それがイロニーであると気がついた
瞬間に、X氏の胸にイロニーの矢が突き立っていなければなりません。一瞬遅れて
もダメだし、一瞬早くてもダメです。そうでないと、X氏に読んでもらえません。
 遠いところからイロニーの矢を放つためには、その遠い空間を高速の矢が疾走し
うるような、大掛かりな発射装置が必要になります。それが「伏線」です。
 伊藤ひろみの詩には、この種のイロニーを見ることができますが、こうした詩人
は少ないような気がします。むしろポー以来、これは推理小説で練られた技巧であ
り、またギリシャ劇の「オイディプス」や「女の平和」で炸裂している手法だと思
います。

134 :ボルカ:03/02/11 18:33 ID:DZNkYKxl
もう一つは、X氏が、イロニーだかなんだかわからないうちに、後ろから
忍び寄って、いきなり刺す、という手法です。

>老人は 死んでください 国のため

 これは最近、「手帖」誌上の対談で、たしか藤井貞和さんが紹介して
いた(曖昧ですんません)川柳ですが、この川柳を「老人を大切にしな
いとはけしからん」と言った人がいたそうです。
 これはもちろん、小説風に書くなら、

>「老人は死ね」とお役人どもは言った。

 となるわけですよね。「お役人ども」は、そう気がつく前に、一瞬ニヤッ
として、数秒たってから青くなるわけです。
 気がついた時には手遅れですね。

135 :ボルカ:03/02/11 18:34 ID:DZNkYKxl
 僕はこの2種類のイロニーを、実際に遣って詩を書いています。
しかし、ボードレールのイロニーは、これとは全然違います。
 まず、彼は「X氏」に向かって言おうとしていないのです。

********

136 :ボルカ:03/02/11 18:36 ID:DZNkYKxl
 彼のイロニーは、「こいつを斬る」というようなターゲットを持たない、
もっと分裂病患者的なイロニーだと、僕には感じられます。
 この板にも幾つかスレッドがありますが、むしろ「少年犯罪」や「黒む
つ」関係で、「ダーク系」と呼ばれる種類のものが、ボードレールのイロ
ニーに近いのではないでしょうか。

 僕の好きな作家で言うと、倉橋由美子の「雑人撲滅週間」から「聖少女」
へかけての一連の小説が
 この種のイロニーを用いているし、この界隈では、「微熱君」氏の作品
の一部が、ボードレール風の良質なイロニーを用いていると思います。
最近見かけたところでは、「木」さんなんかもそうかな。

今、ボードレールが手元に無いので、マラルメから引用しますね。

********

137 :ボルカ:03/02/11 18:39 ID:DZNkYKxl
*********

夜なき都で如何なる造花の月桂冠が
来たって影のように腰掛ける夜の女神のほどに
ボードレールの墓の大理石を祝福し得るか

うつろなその影をつつむおののく光被をうけた
女 故人の亡霊  そのためにわれら死ぬとも
永劫に吸うべき墓を守る毒よ

(マラルメ「ボードレールの墓」より部分)
*******

この「吸うべき毒」を詩的レトリックの言葉で言うとイロニーとなる
訳ですが、はっきり言って僕には使用できない技巧です。
本質では理解もできていないのでしょう。現在のトレンドとして重要だ
と思っており、否定はしませんが、自分とは傾向が違います。

北川透はこの技巧を「ずらす」ということの例として説明しています。

いずれにしても、<作者>=<話者>だったら、
>老人は死んでください国のため
の句も、イロニーとしては理解できないですよね。

作者、話者、主人公を峻別することが、イロニーを使用する必須条件
であることについては、僕は入沢にも、北川にも異論はありません。

138 :ボルカ:03/02/14 21:48 ID:o2gExtKT
**************

第5章 『詩的意味論の試み』

**************

139 :ボルカ:03/02/14 21:49 ID:o2gExtKT
僕は既に、1章および2章部分の感想として、自分がこ
の本における言語学的な言説の基本的な部分に同意して
いない事を述べました。

第一に、言葉の発生と意味の発生が同時であるという言
説に僕は同意しません。

第二に、「意味規範」を措定して、それに対する侵犯を詩
的行為と考えるのであれば、「意味規範」の実態をにな
う物理的何かが明確にされなければいけないのではない
かと、僕は思います。実際それは何処にあるのでしょう
か?
詩における公的領域とは何か、それは実在しているのか?
あるいは未来の課題として、どのように想定しうるのか?
という問題が問われない状況で「言語革命」という言葉
が何を意味するのか、僕にはわかりません。

こんな調子だったはずです。

140 :ボルカ:03/02/14 21:51 ID:o2gExtKT
僕はこの本の山場は次章第6章「未知の像」ではないかと
思うのですが、そこでどうせ僕は、全否定の身振りをする
ことになるのではないかと思いますので、ここでは、僕の
ギモンはギモンとして脇に置いておいて、北川の主張を
丁寧におってみようと思います。

その前に、関係ないことを、北川の主張に、ちょっとだけ
付け足しつつ、僕のテキトーな感想から始めておきます。
彼の論理展開の紹介は、後日レポートします。

****************

141 :ボルカ:03/02/14 21:52 ID:o2gExtKT
「ずらすことによって意味が発生する」ということ自体は、
別に言語学を持ち出されなくても、賛同できます。
詩に限らず、一般に記述とはそういう物だと思います。

XはYである。

と言った場合に、もし、XとYが同じ物だったら、
この命題には意味がありません。
同語反復になってしまうからです。
YがXと違う物だった場合だけ、この命題は意味を
持ちます。

A:人間は人間である。

もちろんそうですが、それでは意味がありません。

142 :ボルカ:03/02/14 21:52 ID:o2gExtKT
B:人間は考える葦である。

人間と葦は、代謝系、身体構造、その他大きく異な
ります。だからこそBの命題は意味を持つのです。

>いい人は、いいね。
>うん。いい人は、いいよね。
「川端康成:伊豆の踊り子」

そりゃあ、そうだよね(笑)、と僕なんかは思って
しまうわけです。(手元に川端の本がないので不正確
な引用です。)

>国境の長いトンネルを抜けたら、そこは雪国だった。
 「川端康成:雪国」

そうですよね(爆笑)と突っ込みたくなるのが、僕に
言わせれば人情というものです。せっかくトンネル抜
けても、雪国じゃあ、そのまんまですよね。

143 :ボルカ:03/02/14 22:31 ID:o2gExtKT
ですが、それは僕が思うだけであって、一般には川端
は美文を書く作家とされています。つまり、日本の小
説作法においては、同語反復は別に悪い事ではないと
されているようです。

「でもよ。テメーラ、詩を書くんだったら、もちっと気の
利いた事を言えよな」と、いうのが北川の根本的な主張だ
と言う風に僕は理解しました(直接、彼がそう発言してい
るわけではありません)。

ところで、こうして好い加減に同意したとたんに、問題が
発生します。

144 :ボルカ:03/02/14 22:41 ID:o2gExtKT
第一は、上記パスカルの言説(例文B)は、隠喩
といえるのか?ということ。

第二は、僕ら自由詩人は、本当に気の利いた事しか
言うべきでないのか、という根源的なギモンです。
(気の利いた事を言え、と言うのは僕の解釈であっ
て、 北川透自身の言葉ではありません。)

感想としては、そんなところです。
北川の論旨紹介は、後日やります。

それにしても、次章6章は、泣かせますよ。
僕は北川さん好きだなあ。
次章全否定でいきますけど。
6章はトテモ面白いから、読んだ方は、お気軽に参加してね。

145 :名前はいらない:03/02/14 22:45 ID:gSd8rK1r
  ∋8ノノハ.∩
   川o・-・)ノ <先生!こんなのがありました!
__/ /    /   
\(_ノ ̄ ̄ ̄\
||ヽ|| ̄ ̄ ̄ ̄||
 ...|| ̄ ̄ ̄ ̄||
http://saitama.gasuki.com/wara/

146 :ボルカ:03/02/17 20:37 ID:2Br/ogc+
>>145
まあ、そうイウナヨ!

ちょっと疲れちゃったんで、しばらくお休みします。

147 :ボルカ:03/02/17 20:52 ID:2Br/ogc+
そのまえに、ちょっと付けたしとかないといけないかな。

パンセの話だけど、あれを敷衍すると、「意味のある命題は、すべて
比喩である。」ってことになってしまう。
それはなぜかっていうことなんですが、要するに、北川が、「意味規
範」と読んでいるものを、僕がズルして、「論理」に摩り替えたから
なんだな。

ズルしたまんま、「このような矛盾が生じるのは、『意味規範』が日常
言語を理解しうる構造を考慮されていないからだ」と、言ってもいいと
思ったんだけど、そんなこといってもしょうがないってことが、なんか
しみじみ分かってきました。

しょうが無いと思いませんか?それは結局、もっと複雑な話をしろって
北川さんに要求することなんだけど、僕は北川さんのこの論述で十分だよ。
むしろ好感もつ。
てか、北川さんがこの本で述べていることが、僕には着いていけるぎりぎり
だな。なんつっても、詩の話をしてるんだから、そこから遊離しちゃ、読書に
ならない。<と、反省。

148 :ボルカ:03/02/17 20:58 ID:2Br/ogc+
反省ついでに、全面的に反省しとくか。
中高生もいることだしな。

だいたい、学問てヤツは、どれもこれも、みんな未完成だ。
だから、例えば天文学者と分子生物学者と数学者と法学者と哲学者が、
同じ問題に違う答えを出していても、ちっとも不思議じゃないんだよね。

遠い未来において、真理が一致するかどうかすら、良くはわかんない。

だから誰かが、何かの学問を援用しているときに、他の分野から切り込む
ことは、ちゃんとした批評にはならないんだよね。

ここで北川は、言語学の話、それも三浦つとむとか、吉本とか時枝の話を
踏まえているわけだから、もしつっこむんなら、そういうルートからやる
のが正当なんだよな。本当は。

149 :ボルカ@雑談:03/02/17 21:11 ID:2Br/ogc+
てわけで、頭冷やすためにも、暫く休みます。
進めたい人が、もしいたら、進めてください。>6章または5章からね。

で、雑談なんだけど、正直な話、僕はこの本は、現代詩について書かれ
た本の中で、一番面白いと思いました。
つっても、他に殆ど読んでないんだよな(笑。

「詩における公的領域」の話だけど、これは僕が今、考えていることなんだけど、
簡単にいえば、「文学史(詩史を含む)はどこで作られるのか?」ってことなん
ですよね。
でも、こう問いを立てて、答えが見つからないのは、別に北川さんのせいじゃない。

むしろ、この本は、そういう問いに答えるための作業をしている、って
感じがすること、しきり。

150 :ボルカ@雑談:03/02/17 21:13 ID:2Br/ogc+
あ、あと「自由詩人」ってのは、この本を読んで、僕が思いついた
造語です。

僕は現代詩人じゃないなー、と思って。

151 :かのっぴ:03/02/18 08:53 ID:+gglxrbd
とりあえずおつかれさまです。
『詩的レトリック入門』昨日ネットで注文したので
届いたら僕も参加できると思います。

152 : ◆HU7XfvOYA2 :03/02/18 10:02 ID:LQ8djGqD
ちまちま読んでます。

153 :ボルカ@雑談:03/02/18 22:40 ID:pj4tcSUb
精読ってめったにやらないから、僕なんか、知恵熱が出ちゃうな。
てか、かぜ。

>>151-152
さんきゅ。ネットで読書会やるのって難しいですよね。
気軽にやるんで、気軽に参加してくださいね。

154 :ポチットナーー:03/02/19 08:55 ID:PkYqU1Y8
えーと、このスレ見て興味持ちました。。図書館で借りてきます。

155 :ボルカ@雑談:03/02/19 20:27 ID:6kAv2yaS
やあ、ポチットナーーさん。
見てくれてありがとうございます。
嬉しいやね。

この本、青いです。

156 :ボルカ@雑談:03/02/19 23:36 ID:RK5JRknR
ふと思ったんだけどさ。
最近この界隈ではやりの「一般的基準」と、僕の問題にしている「公的領域」は
全然違うもの(ほぼ反対のもの)なので、それは我が敬愛するハンナのために言っ
て置かねばっ。みたいなかんじなのよね(どこかの場末DJ風に?)。

どう違うかってことは、僕はこれまでの人生で、一度も真剣に考えたことが
ありませんでしたので、少なくとも数日は、考えてみないとわかんないんす
けど(笑。
いややっぱ、そのテーマで真剣には、一生、考えないけど。

なんつっても、お弟子主義は芸術の敵だからな。斬るのも剣の穢れさ。
子規は僕らの同時代人だぜっ、ベイベ。

とは言うものの、
いかいかってなっかなかのディベート上手だよねー(笑。
その点は評価。


157 :ボルカ@雑談:03/02/20 17:19 ID:lxwO3IZI
正岡子規って言えばさ。なんであいつが同時代人なのか書いとくよ。
たぶん来ないであろうイカイカさんのために。

子規って、「月なみ」って言葉を作って、これを排した人って、中学校でだったかな、、
教わったような気が僕はする。彼ってコレによって誰に喧嘩を売ったんだか覚
えてる?
彼が書いたモノを僕も読んだような気がしてたんだけど、まったく忘れちゃっ
たな。
すでに触れてきた中で、北川さんのやってる紹介によれば、子規が批判し
たターゲットの一人が、松尾芭蕉らしんだけど、そうだったけ?
もし、そうだったらすごいなあ、と僕は思うのさ。

バショウだぜ?公儀隠密、お庭番の。サルトビ佐助とか、服部半蔵とかと
一緒だよ。
たいていのヒトが同意すると思うけど、芭蕉って言えば、既にヒトじゃな
いよ、妖怪。大体からして、基本が普通じゃない。
僕も印哲中退なんだが、あいつは、禅僧で言えばダルマキルティ、惑星で
言えばソラリス、刺客で言えば拝一刀とかのレベルだと思う。

子規は、そういう妖怪である芭蕉と対等の詩人として、正面から目をぐっ
と睨み付けて、何を言ったかっていうと、

「鶏頭が、何本だかしらねえけど、咲いてるんだよ」

と言ったらしいんだな、北川さんによれば。

歌に戻すと、

「鶏頭の 十四五本も ありぬべし」

こいつが仲間じゃなくて、誰が仲間なんだ?って僕は思うわけなんよ。

158 :ボルカ@雑談:03/02/20 17:41 ID:lxwO3IZI
泉川伯爵夫人..。

最高にイイ詩人だったねー。
幕引きもカコイー。      


159 :ボルカ@雑談:03/02/20 17:46 ID:lxwO3IZI
昨日から1.5時間しか寝てない。。

とか、言ってないで仕事するか。てか、明日も締め切りだから、
今夜も寝られないよ。
泉川さんは、目の毒だったな。いわゆる「疲れマラ」(笑

160 :かのっぴ:03/02/20 22:49 ID:3ihM9hwI
烏賊以下君の場合、背後にミシマユキオという妖怪の影が見えたり見えなかったり。
妖怪に魂を奪われる人と妖怪に喧嘩を売る人。確かに対照的ですね。まあ憶測ですが。
でもこんなこと考える時間は、本当は睡眠時間か勉強時間に当てたいかのっぴでした(笑)
詩的レトリックが届くまでの間、大岡信の『現代詩人論』でも軽く読んでます。

161 :ボルカ@雑談:03/02/21 00:52 ID:V9xnpK6w
はろん、かのっぴさん。
彼ってばミッシー(造語)だったんですか。
みっしマウス、みっしマウス、みっし、みっしまうっ。って感じかな。

三島の偉いところは、勉強家だったとこっすよね。

ウイハクジュって人の「仏教汎論」ってゆう本が有って、多分今でも
学僧は読むキマリなんだろうと思うけど、ミシマがこれを読んで、実は難
解で全然わかんなかったらしいんですよね。

で、自信なくして、シュンとしながら、武田タイジュンと対談するん
ですけど、武田に「馬鹿」って言われちゃうんですよね。

武田は続けて、「ばか、わかるわけねえだろ。あの本は本当の馬鹿にしか、
わかんねんだよ。」とかってふうなこと言ってて、武田のひと言ひと言に、
一瞬ムカッときて、にこっとする、そんなミシマ青年の顔が目に浮かんじゃ
うんだよな。

ま、可愛い奴ですよ。大岡と比たら。

大岡、、。
僕も読みましたよ。ギルドの読書会に参加しようと思って。
あの企画も惜しいことであります。いいメンバーだったのにね。
でも、大岡は守りが堅すぎだと思うな。

162 :ボルカ:03/02/22 16:51 ID:bQ1vmR2M
2chでの話じゃないけど、この界隈のポエサイトでは、ここんとこ、
群青での審査員コメントに端を発して、「確信犯的」という言葉が流
行してたと思う。これについての雑感です。

僕はこれに関して、◎で、悪口は散々言っちゃったんで繰り返さないけど、
個人的な戦略としては、かなり親近感を覚えるんだよね。公的発言として
あの文脈でみたら、「やっぱ、そりゃねえだろ」、みたいなだけで。

163 :ボルカ@:03/02/22 16:52 ID:bQ1vmR2M
つまり、ネットポエムの周辺っていろんなMLが流れてるじゃないですか?
基本的にMLは会員制だから引用しないけど。
(でもメルマガっやつは、東大の青空とかみたいな学術系MLとは根本
思想が違って、雑誌に類する公刊物なんじゃネーノ、みたいな疑問はあ
るんだけど、そのへんのネチケットって曖昧だよなー。)
あーゆうMLって確信犯的でない発言がダラダラっとたれ流されたりしてて、
結構やんなっちゃりしませんか?するな。はっきり言って。僕なんかの場合。

164 :ボルカ@雑談:03/02/22 16:53 ID:bQ1vmR2M
「反抗」だの、「パンク」だのはわかったから、具体的に誰にどうゆう喧嘩を
しかけるのか、はっきり言えよ、みたいなイライラが残る。

あと、中途半端に内輪受け。
「朗読がダメ」とか、「素人が詩人ずらしてワークショップやってるのは、
しょぼい」とか、言うのはいいんだけど、相手の目を見て、わかるようにモノ
を言え、みたいに思うね。誰に言ってんだか、わっかねえぞ、みたいな。
この発言もそうかもしんないけど(笑。

いやまったく。あの人気インテリ詩人は僕も結構好きで、詩集も持ってるし、
同人誌も買ってるし、なかなかいいんだけど、オナニー否定してるフレーズが
ときどきあるんだよな。
そんなくそ甘いリアリズムじゃ、俺たちは戦えねえんだよ。わかりますう?
みたいに、僕なんかは思う。

これから以降の章で、僕は北川さんを打倒しようと思ってるんだけど、
基本的に、北川さんってイサギヨクテ素敵な人だと思う、今日この頃。

165 :かのっぴ@THAT`S DONE:03/02/22 19:38 ID:c65mj11b
BK1 本届けるのおそすぎ。まだ届いてないです>課題本

本当に怖い妖怪はそいつにやられたことさえ気づかない、ということは
大岡は確かに怖いですね。芭蕉ほどではないにしても。
まあ守りの堅い大岡と見比べれば北川さんのイサギヨサとかイカス暴走っぷりとか
よくわかるかなあ、とも何となく思っています。

誰かを何かを(たとえばオナニーとか)否定してそれだけでいい気に
なっている人の妖怪レベルはこの界隈のミッシーなみに低いと思うので、
まあちっちゃいおばけがたくさんいるなあ、と思っておくことにします。
ギルドのレビュウにスノビズムの発生メカニズムについて少し固い文章を
書きましたが、要は羞恥心を覆い隠す厚化粧でしかないと。
化粧はほかの一般人より(ほかの一般人なみに、かな?)自分をよく見せる
ためのものなので、何かと理由をつけて人を叩くこともよくあるわけで。

厚化粧 5センチ下にある素顔

166 :かのっぴ@THAT`S DONE:03/02/22 21:11 ID:ZI4tI7ER
内輪受けねらいって、「人並みにみせる化粧」のようなものだから、
はじめに喧嘩とはちがった力が作用しているのでしょうね。
「場」が期待する煽り文句を期待される通りに発してそれでOKとか。
やま★ばさんなんかその典型かな(あ、古巣の悪口言っちゃった@笑)
場の「外」に対しては喧嘩を売っていることになるけれど妖怪レベルが
低ければそれは力にはならないし。ちっちゃなおばけがまた一匹。。

167 :ボルカ:03/02/23 14:06 ID:fq57XRE9
ミッシーってことば使ってくれてありがとう(笑。
僕、あのミッシマウスの歌、自分で結構、気にいってるんですよ。
歩きながら鼻歌うたったりして、、

>ぼっくらの ちいむの りいだあは!

書くとソショーだから朗読でやってみようかな。。
それも会場選ばないとやばいけどね(笑。

>まあ守りの堅い大岡と見比べれば

大岡が悪いってんじゃないけどね。彼の「現代詩人論」は教科書なんじゃな
いかという気がするんですよ。弱点さらけ出してまで、とにかく極限まで
行ってみるというスタンスは、あの本には無い。

「オマエラ、俺の屍を乗り越えていけ」

っていうメッセージが潜んでいないと、入門書としてはイマイチだと思うん
ですよね。
でも、ギルドの読書会システムはご発展を祈ってますよ、真面目な話。

かのっぴさんのレビューを読ませて頂くついでに、あの界隈を散歩してきます。
>スノビズムの発生メカニズム
どう論じておられるのか、そりはタノシミ。


168 :ボルカ@雑談:03/02/23 14:08 ID:fq57XRE9
*******

『素朴から』

さらに雑談。てか、とーぶん雑談です(笑。

やっぱり◎でなんだけど、最近、構造氏が、素朴とリアリズムと洗練について、
示唆に富むことを言っていました。

このスレッド
>>http://jbbs.shitaraba.com/music/bbs/read.cgi?BBS=620&KEY=1040660342

で、それとは直接関係ないんだけど、僕も「素朴」が好きだった時期があった
ことを思い出しました。中野重治の「素朴についての覚え書」だったかな。
タイトル曖昧なんだけど、何度も読み返しました。
あのへんのプロレタリア文学のやつらって、いいこと言うよねー。切れば血の
出るような、とは、こうゆうことかみたいな感銘を体が覚えているよ。思想は
忘れたけどね。


169 :ボルカ@雑談:03/02/23 14:12 ID:fq57XRE9
ところで、昨年は北園生誕100周年のお祭りだったわけなんだけど、小林多喜
二の虐殺70周忌の年でもあったわけなんですよね。
で、僕は思うんだけど、多喜二はやっぱり良いよね、なんと言っても。

そういう趣味を持つ者として、詩の分野の評論とかを眺めて、気になること
のひとつは、プロレタリア文芸批評が、吉本で終わっちゃってて、あれはオシ
マイね、ってことになってるみたいだってことです。そういうもんかな?って
疑問があるんですよね。
形を変えて「詩と思想」誌とかで連綿と続いてるみたいだけど、中野が言っ
たような意味で素朴を目指すようなムーブメントはないような気がする。

中野が言ったようなってのは、つまり、何百年ももつ美術館の芸術をめざす
のではなく、歴史の中で消化され、忘れられる事を、むしろ誇りとするような
文学って事っす(僕の曖昧な記憶によれば)。

今、それについてどうこうって意見はもってないけど、ちょっとひっかかっ
てる事のひとつです。

170 :ボルカ@雑談:03/02/24 12:49 ID:IZ9dYrA2
*ギルドでのかのっぴさんの連載について

「連載初期の部分」

かのっぴさんの分析の意図を考えてみました。
経済人(原理に従いうる、偏見の無い人)としてネットサーファーが行動し、自分
にとっての良いポエムと出会い、最大多数の最大幸福を実現する。というより、将来
的に、そうなるように、そっちへ向かう。そういう人を応援するような、あるいはせ
めて邪魔しないような、フェアなシステム(サイト)の構築。
おそらくかのっぴさんは、そんなことを考察しようとしてるんだと思いました。

だとすれば、いとうさんのレスは、かみ合ってはいないわけなんだけど、彼の考察も
それ自体面白いです。

彼の問題意識は、「実際に売ること」だと思う。
転売できない消費財である「詩」について、その売買に市場原理を導入すると。たとえ
ば、本なら本として実態がある訳ですよね。保存したり見せびらかしたり転売したりで
きる。そうでないソフトそのもの(しかも決定稿として引用できないもの)を自由競争原
理下における適正価格で提供しようと、そういう無茶を考えているんじゃないかな。

拝読していて、もし、いとうさんの方向で考えるなら、方程式を簡単にする必要がある
のかな、と思いました。
つまり、一人あたりの「投げ銭」総額を決めておく。それは「参加費」として、徴収するわ
けです。その上で、100篇なら100篇に自由に割り振ってもらうわけです。
自由に行動する経済人から、いくら取るのか決めるのは、結構むずかしいんじゃないかと
思います。
自由にいくらでも、ってのはベンズカフェとかでやってるけど、あれはアノ店に入った時点で
空気ってのがあるじゃないですか?僕は最後まで全然払わなかったりするけど、そういうの
ちょっと歓迎されないでしょ(笑。

171 :ボルカ@雑談:03/02/24 12:52 ID:IZ9dYrA2
「ネット詩は売れるか」

自分の考えとしては、ネットでは当分、詩人は儲けなくていいんじゃないかな、と思ってます。
僕は「場」という事にこだわります。場に存在する事によって、初めて人は何者かになる。そ
れは価値として交換可能な「労働」とは、別の「活動」ではないか、と思うのです。
儲けるのは、会員制個人サイトで、出版コードに触れる作品をたのしむとか、詩集を出して
売りまくるとか、そういう別の形でやればいいんじゃないかな。

逆に、「場」は維持運営費を稼がないと、今後はキツインじゃないでしょうか。
僕は1つ考えてる事があって、コレで特許を申請してもいいのではないかとすら思ってる(笑)ん
ですが、それはつまり、リンクに対して課金することです。どうでしょうかね?


172 :ボルカ@雑談:03/02/24 13:00 ID:IZ9dYrA2
*ギルドでのかのっぴさんの連載に関連して

>愛について(すのっぶの発生)

 このへんは、全く耳が痛いね(笑。
 でも僕がギルドでスノッブな態度を取ったのは、愛されるためではないですよ。
 実際、僕は一貫して皆様に愛されたいと願っているし、そう言っているんだけ
ども、うまくいかない。
 なぜなのか、といえば、それは僕が馬鹿だからではなく、システムに問題が
あるからだ、と、大体そういうことを言う心理上の必要があったんですよ。

ところで、現代詩は閉塞しているとか、閉じこもってるとかって見方もあるん
じゃないかと思うんですが、僕はそうではないと思う。
現代詩は、ようするに終わったんじゃないかな。
終わったものに対して、僕らは花束を投げるべきなんだと思っています。
ちゃんと愛してやらないと、成仏しないよ(笑。

この間、「疾走詩篇」読んだけど、アレなんか、本当にイカス詩集ですよね、
最高に。

173 :ボルカ@雑談:03/02/24 18:31 ID:22rT2E2o
*******
雑談続行。
>171自己レス

「ネットポエムで儲ける方法」

マスゾエ氏がTVで言ってたことなんだけど、自分は外国に行ったら、2つの
ものの値段を聞くっていうんだな。
ひとつはマクドナルドのバーガーで、もう一つは売春婦の一晩の値段だという。
こういう話を国会議員がTVでして、それを見て国民がゲラゲラ笑う国ってのは
なんだかなー、と思うし、マックのバーガーが各国で販売戦略(おやつなのか、
主食なのか、デートの場所なのかetc.)も違えば、肉の厚さも違うってことを
知らない経済学者ってのも、なんだかなー、と思う。

でも、マスゾエの説はヒントにはなるよね。


174 :ボルカ@雑談:03/02/24 18:36 ID:22rT2E2o
つまり、どんな経済体制の国でも、需給曲線に乗ってしまう商品がある。
何かっていうと、「売春」なんだな。

ヒトが直接やる商売は、直接的な時間労働だから、価値として、それ以上を
問われないんだよね。

「詩」の値段はつけにくい。
でも、「詩人」はフツーの商品として売れるはずだよ。

横浜黄金町に、「ちょんのま」てゆうシステムがある。詳しくはいえないけど、
顔見世の簡易システムだな。

僕は「詩人ちょんの間」なら、金を取れるんじゃないかと思う。

175 :ボルカ@雑談:03/02/24 18:44 ID:22rT2E2o
で、特許申請中(嘘)の「詩人ちょんのま」システムだけど、
これは要するにストリートを一本誰かが作るのさ。

で、詩人は、ショバ代を払って、ストリートに小屋を建てて入る。
小屋の壁には、客引き用の自信作とかプロフィールとかを張っておく。
客と雑談を交わしてリターンを増やす努力をしてもいい。

客は、作品ではなく、気に入った詩人を買うのさ。
たとえばこんな注文を出す。

「春夫(25歳)が、同性愛の恋人である瑞彦にささげる
誕生日(3月10日)のラブソングを15行で書いてください」

「チョコレートの販売促進ポエムを30行以上50行以下で書い
てください」

176 :ボルカ@雑談:03/02/24 18:51 ID:22rT2E2o
もちろん詩人だってヒトの子だ(笑。
その日の体調もあれば、得て不得手もある。
でも、この種の商売は、人情商売だから、客にも遊び方があるはずで
それはだんだん形成されていくだろう。
詩人は、ここでは商品だから、店は選べても、客は選んじゃいけない。
そのかわり、努力しても限度はあるってわけさ。

どうだろう。
だれかちゃんと地回り役を張れる顔役がいれば、僕も小屋に入ってもいいよ(笑。

177 :ボルカ@雑談:03/02/24 19:08 ID:22rT2E2o
ちょっとわかりにくいかな。
作品じゃなくて、詩人の「詩作行為」を売るわけだから、
作品が客の気に入らなくても、もちろん、金は取る。

客も、作品そのものより、こいつにコレを書かせる、という
コミュニケーションを買うわけさ。

そんなんで客になるやつがいるかっていうと、いると思う。
少なくとも僕は、たとえば「いかいか」氏にオナニーの詩を
書かせたり、「みみう」氏に、友人の結婚式贈答用ポエムを
書かせたりするのに500円(一時間労働とみる)ぐらいは払って
もいいね。

178 :ボルカ@雑談:03/02/24 20:25 ID:22rT2E2o
うーん、いい企画。自画自賛だけど。
てか、独り言だけど(笑。

この企画を「詩人ジョイデビジョン」と名づけよう。

179 :ボルカ@雑談:03/02/24 21:26 ID:22rT2E2o
「ネットポエムで儲ける方法」つづき

いま、だらだらっつといろんなところを見てたんだけど、このテーマに関連して
ポエニクで「むいむい」氏がイイ!分析をやってますね。

まだ連載中で、彼は今、サブカルの一般論を終わったとこだけど、この連載の
帰結は、ぜんぜん違う方角から、僕の「詩人ジョイデビジョン(開発コード
ネームね)」構想に近づくものと見た!(適当な予想です)。
こっそり楽しみ。
どうなるかな。

180 :ボルカ@雑談:03/02/24 21:33 ID:22rT2E2o
詩は商品にならないけど、詩人は商品になる。

これがポイントよん。
「素人」が風俗で商売になるように、ヘッポコ詩人にも、大詩人にはない
商品価値があるし、適正価格がある。

てか、もちろん、商品としてだけ僕らは存在するわけではないけど、
そういう遊び方もできると思うんだよね。

181 :かのっぴ@THAT`S DONE:03/02/25 13:21 ID:eOANeUmY
詩人ジョイデビジョン構想、楽しく拝見しました。人が売春に求めるものも
ものすごく多様ですよね。そう考えるといろんな「詩人」に活躍の期待が
あるでしょう。

唯一感想をくれたいとう氏に素っ気無いレスをしてしまったので彼を怒らせて
しまったか心配。今日のメルマガの荒れっぷりが尋常じゃなかった(笑)
一応誤解があったら解く意図もこめてレビュウに書き足しておいた。
そこにも書いたけれど、僕も詩が商品になると思っていて、このへんは
ボルガさんと考え方が違う部分です。ただ実際に売ることを考えるいとう氏とも
違って、「無理に」売るこたぁない、売れなきゃ売れないでいい、「フロー」
に対価なんて誰が払うもんか、観客の人の良さを当てにするくらいなら
最初からただで見せるか金を取るかはっきりしろ!と考えているわけで(笑)

ギルドはいろんな実験が出来るシステムがあるのになぁ、と思う。管理者が
表に出なくなったのはいつからか、やっぱりあの時からか。
あんなことくらいで「場」を投げ出すな!と思う一方で、あの「場」の管理は
もんのすごいコストがかかっているだろうな、と思ってみたり。登録詩に課金する
くらいで丁度いいのではないか、と思ってしまう。

読者からの情報発信は、僕が次に作るサイトの大まかな構想でもあります。
「触発する批評」がこむずかしい部分を引き受けてくれそうなので、僕は
ネット上のポエムのレビュウでも書こうかな(笑)

本がやっと届いたようです。5章までちょっぱやで読んでみますね。

182 :かのっぴ@THAT`S DONE:03/02/25 14:12 ID:5Fo1VsiD
スノッブについてはまあ、軽く聞き流しておいてください(笑)
よく考えればこの言葉自体に「お高くとまった」「気取った」という
理解以前の偏見があるわけで、僕も決してその偏見から逃れている
わけではないので。どこぞのキワオちゃんも案外いい奴なのかもしれない。
ネット詩爆撃プロジェクトのときにセキフジコみたいに最前線でマシンガンを
乱射してくれていたらもっと好きになれたかもしれない(笑)
(彼が当時BBSの書込みくらい出来なかったとは言わせない。
何しろ自分のサイト持っていたんだから)。

183 : ◆HU7XfvOYA2 :03/02/25 14:59 ID:L4KfKSzo
ギルドは実質個人サイトですから。

184 :ボルカ:03/02/25 21:26 ID:6S34WD3p
>>181
おっ。届きました?んじゃ、来週の金曜日から再開しましょう。
って別に無理に引きずり込むわけじゃないですけどね(笑。

気が向いたらコメントください>皆様。

5章の北川の論旨は、やっぱ紹介しとかないと、悪口だけってのはあまりにアンフェア。
てことで、5章のレビューからやり直します。
ご意見、ご感想いただけましたら、1から5章に対して突っ込んで下さい。

ええっと、3月7日からね。

185 :ボルカ:03/02/25 22:09 ID:6S34WD3p
てわけで、まだしばらく雑談続行しましょう。

>スノッブについてはまあ、軽く聞き流しておいてください(笑)

愛されないことに理由を求めてはいけない。。ってとこが、僕の場合グサッと
きちゃいましたよん。
「Xさん、俺のこと愛してる?俺は愛してるぜ、迷惑だろうけど。」
みたいな感じがいつもある(笑。
このXに、少なくとも5人のネチズンがはいるんだよなー。

そうゆうディスコミを重ねて、「閉じこもる」言い訳のために、防衛的な論
理武装へ走る。戦略無き武装。しかし、武装以外に何ができる?ああ、おい
らたちに明日は無いのね。。

それがスノッブの負の側面かなあと思って、、、笑えないなあ。

186 :ボルカ:03/02/25 22:25 ID:6S34WD3p
>>185
ああ、文章ってむづかしいね。185は意味不明なために、誰かを当てこすった
ようにも読めるかもしれないけど、別に誰にも悪意は無いよ。
てか、僕はむいむいさんのスノビズムは結構好き。

187 :ボルカ@雑談:03/02/25 22:43 ID:6S34WD3p
しかし、雑談もいい加減長くなったけど、まあいいか、とも思う。

>>183
ポエムの公的領域は、案外この界隈なのかもしれないですよね。

てか、ここで僕を含むみんながやってる「著作物のアップ」が、本来認知されて
いないアングラ活動であるのは「けんひこ」氏の指摘を待つまでも無いけんだけど。

188 :ボルカ@雑談:03/02/26 21:42 ID:fKYTny0i
「労働と活動について」

労働、仕事、活動。

フリーウェアの存在は労働概念を根底から覆す、なんて思うんだけど、
もともと、対価労働じゃない「活動」は大抵の人がしてますよね。

政治活動、言論活動、ボランティア活動、クラブ活動、余暇活動。

最近、僕がかぶれている思想家によれば、国民国家は「労働」が
他の「ありかた」を圧して公的領域を占拠した社会形態だという。

そう言えば、外交官も首相も天皇も、賃金を支給されて時間労働
しする「労働者」ですよね。経営者だって労働してるし。



189 :ボルカ@雑談:03/02/26 21:52 ID:fKYTny0i
「活動」するってのは、人生において重要だと思うな。
もちろん労働も必要だけど。

ところで、詩作とか作品発表とかってのは、本質的には
活動だと思う。
「生活」は本来二つの側面を持つべきで、公的生活と私的
生活があるんじゃないだろうか。現代では私生活しかない
けど。

著作権とかって議論は、なんでも労働=対価でモノを量る
この社会のシステムが必要とした議論であって、本来、
芸術活動は生活の一部であって、対価労働とは本質が
違うってのが、僕のいまんとこの考えです。

190 :かのっぴ@THAT`S DONE:03/02/26 23:54 ID:SKiJYA61
スレと見比べつつ少しずつ読んでますが、みなさん視点が鋭いですね。
こりゃ気合い入れて読まないと。来週の金曜日ですね。了解です。

実をいうと「活動」が経済学で表現することがとても難しいので、
僕もあの分析では供給曲線側(詩人側)の話は棚に上げています。
詩作が「労働」だったならばもっと話は簡単だったのですが、さすがに
僕もそうは考えられなかったです。

191 :ボルカ@雑談:03/02/27 21:25 ID:2E7wf1Fq
>かのっぴさん。
いやあ、こうして地下スレ住まいしてると、ご来訪まことに嬉しいっす。
レスありがとうございます。

そうですね。かのっぴさんは供給曲線の話と、価格変動による需給バランス
移動の話をまだ始めていませんでしたよね。
僕がちゃんと読めてないのが露呈しました(笑)。ギルドの連載は楽しみに
拝読させていただきます。
自分の考え方を長々、しゃべりましたが、「詩を売る」という思想や
行動そのものの可能性は、どんどん試みられたほうが楽しいと思います。
ネットで詩を売るという実験(思考実験を含んで)のゆくえは、とて
も興味深く思います。

192 :ボルカ@雑談:03/02/27 21:33 ID:2E7wf1Fq
それから、批評ってのは、これは確実に売れる商品だともいます。
シーン批評(批判)まできっちりやる、骨のあるポエム批評のメル
マガが欲しいなあと思います。


193 :ボルカ@雑談:03/02/27 21:37 ID:2E7wf1Fq
さあって、ちと宣伝させてもらうかな。

>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>

194 :ボルカ:03/02/27 21:41 ID:2E7wf1Fq

このスレッドの読書会は現在中断中ですが、
3月7日、第5章から再開します。

読んでない人も参加OKですよん。

>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>

195 :ボルカ:03/02/27 23:04 ID:2E7wf1Fq
で、今週は雑談ね。


196 :かのっぴ@THAT'S DANG:03/03/01 18:56 ID:m5YBgJ5N
古本屋で詩集買いまくり。100円*5冊=500円。
可哀想なくらい安く売られている。初めて見るような名前の詩人さんたちの詩集。
なかには贈呈の際の手書きのメッセージが入ったものまで。そんなに親しい人から
もらった詩集を古本屋なんかに売り飛ばすない!売主を探すことができるなら
探して説教してやりたい。全くっ。
でもこの5冊、僕から見ればいい買い物をしたと思うんだなぁ。

197 :かのっぴ@THAT'S DANG:03/03/01 19:19 ID:55egy2GK
マンガ喫茶がこれだけ流行っているご時世。時間制で読み放題という
アイデアだけ応用して、「ポエム喫茶」なんてもの誰か作らないかなあ。
作ったら通う!通って通いまくる!!
棚にずらーーーっと詩集を並べて、図書館や古本屋っぽくならないように
棚は低く見通しよくして、店舗面積の5分の1くらいにおさえる。
残り5分の4はテーブルを配置して、紙コップのドリンクの自販機と
ポットを置く。食べ物の持ち込みは自由。時々リーディングのライブとか
やっちゃう。投げ銭形式でも導入するか(笑)
あるいはもっとおしゃれな食べ物や飲み物のメニューを用意して喫茶店、
カフェの雰囲気を演出してもいい。料理がおいしければ話題になるかもしれない。
平日のランチで客をつかめば口コミで人気が出る!

詩集は、その土地その土地に地道に活躍している詩人さんがいるから、
そういう地味な同人誌や詩集をその土地ごとにそろえる。もちろん
谷俊やよしますのような有名どころは外さず、あいだみつをや銀色夏生
もぬかりなく準備!

って、こういう店でも作って目に触れるように置かない限り、絶対に
注目を浴びそうにないんだなあ。今日買った詩集の詩人さんたち。。。

198 :かのっぴ@THAT'S DANG:03/03/01 20:02 ID:sj/huufF
半自費出版って、殺人的なぼったくりだよね。驚いたよっ。
http://www.246.ne.jp/~office36/j_kai_10_04.htm

詩集を出したい人向けに、「工芸講座 製本」ってのがあればいいなあと。
印刷はPCとプリンターでいろいろ出来るし、両面印刷とかの技術も
これからどんどん発達していくから、個人である程度できる。
あとは製本技術なんだな。で、そんなに大規模に売ろうというのでない場合、
安全在庫として10個くらい作っておいて様子を見て、注文があれば作り足す、
というような柔軟性もあるもんね。これならネットポエマーも気軽にできると思う。
工芸だから趣味的な楽しみもあるところがおいしい。
製本業者が工芸講座やったらもうかるだろうなあ。何かと原価を低く押さえようと
そんな交渉ばかりして製本の仕事に敬意を表さない大手出版社のセールスと違って
製本を勉強しようとする人は仕事に敬意を払いまくりだよっ。

199 :ボルカ:03/03/02 00:10 ID:y8/duPiB
実は、僕は「自作詩集の作成及び販売の相互扶助」だけをやる「文芸部(
同人誌ではない)」の設立を提案して、仲間を探しています。しかし、

1)僕の手作業能力や事務能力がゼロにちかいこと、
2)僕に人望が全然無いこと、
3)てか、会話も下手なこと、
4)今忙しいこと、

などの理由で挫折中なんですよね。残骸は自サイト
http://www.mars.dti.ne.jp/~zoball/index2.htm

>>198
そうですね。土日とかにやって欲しい。

****
でも、どうなんでしょうか?
100万から300万弱出すのは、高級製本で有名出版社から出す時の相場だと
思ってたけど。

200 :ボルカ:03/03/02 01:08 ID:NdvI/njU
>>197
国分寺で降りてしばらく歩くと、「邪宗門」という喫茶店があって、
客層は、昼間は外語大と白百合女子大の学生さんたちと地元の主婦
が中心ですが、夜はポエマーの溜まり場になっています。

せまい店ですが、600冊ほどの稀購書をふくむ詩集と関連研究書で
飾っていて、希望すれば読むことが出来ます。
また、予約すれば自主セミナーを開催することも出来るそうです。

201 :ボルカ:03/03/02 01:12 ID:NdvI/njU
>>200はうそです。ちょっとホントっぽかった?

モデルの店は別の駅に有るけど、本は壁を飾ってるだけ。
もったいないよなー。

てか、皆様のおかげをもちまして、200レス行きま
したね。ありがとうございます。

202 :名前はいらない:03/03/02 01:20 ID:wcK6nBpc
詩人がどう行動するか、みたいな話は、
とても自分にとって切実なテーマではあるのだけれど、
自分の過去を考えると、あまり大きなことは言えない。

路上で詩を売ってみたり、大学でサークルを立ち上げてみたり、
有志で同人誌を作ってみたりしたけど、みんな中途半端に投げ出してしまった。
理由はひとつ。僕の言葉が、不特定な誰かには届いていない、という実感。
それを感じてしまうと、だんだん億劫になる。
何のために書いているのか分からなくなる。
恋人とか友人とか、特定の誰かのためにならば書けるし、
届いているという実感もあるけど。
なんか、それが根本にあって身動きがとれない。

そんなの、子供のたわごとでしょうか?

203 :ボルカ:03/03/02 02:44 ID:NdvI/njU
>>202
>僕の言葉が、不特定な誰かには届いていない、という実感。

僕はそれを、「詩における『公的領域』はどこにあるのか?」という
言い方で問い直してるんだと思います。

公的領域ってのは、「万人から見られる場所」であり、そこに姿を現す
ことによって初めて人が本当に存在するような、そう言う場所のこと
です。

詩においては、たぶん文学史とか、詩の雑誌とかが、そういう役目を
果たすべきもの(公器)だったんでしょう。でも、それは今、そこに
あるのか?
あるとしても、どうやってそこまでいけるのか?
いけないとしたら、僕らは公的には存在できないと言うことなのか?

ということについて、、、まあ、ゆっくり考えましょう。



204 :ボルカ:03/03/02 02:48 ID:NdvI/njU
>>202
僕が高校で立ち上げた文芸サークルは、10年間に3号まで出しました。
数部ずつだったけど。


205 :ボルカ ◆TcCutL/5sw :03/03/03 22:54 ID:t8jNJV6X
「主義者試論」

>>http://book.2ch.net/test/read.cgi/poem/1046600325/l50
試論っつか、論じる前にまず誉め称えたいと思います。
主義を持つってこと自体、現代ではなかなか難しいし、ここへ貼ることは
主義者として当然なんだけど、本当に主義者なんだなあ、と思いました。
今度、あいさついこっと。

主義とは何か?
よく覚えていないけど、サルトルは、「主義とは、思想のために、不利益をうけ
ることを受け入れる態度である」みたいなことを、なんかで言っていたと思います。

「金を出す」てのは、確かにひとつの主義ですよね。
俺は金なんか一生、いらねえっ!テメーラに全部くれてやるっ!
と断言すれば、なお素敵な主義者といえましょう。

サイト管理者ってのは、みんなシーンの歴史的展開のために、無償で労力を提供し
ているわけだから、みんな実際には、「主義者」なんだけど、自覚していないし、
遊ばせて貰ってる側からも、見えにくくなってる。

僕は以前から、サイト管理者ってのはもっと、威張ってもいいし、尊敬されるべき
だと思ってました。
イイシステムだと思う。

206 :ボルカ ◆TcCutL/5sw :03/03/03 23:04 ID:t8jNJV6X
>俺は金なんか一生、いらねえっ!テメーラに全部くれてやるっ!

哲学者のウィトゲンシュタインは、「金銭は哲学の邪魔になるから」という
理由で、叔父の遺産を、みんな詩人にあげちゃったそうです。
あと、武者先生も、彼の「自然主義」のために相当つぎ込んでいますよね。

別に全財産じゃなくてもいいんだけど、そうやって「支出する人」はえらい
と思う。そう言えば、90年代の演劇シーンとかも、OLの皆さんとかが、小
銭持ち寄って支えてた感じですよね。あの人たちってえらいと思う。

ちなみに僕は、思想家ないし活動家であって、主義者ではないけど、それはそれ。

207 :ボルカ ◆TcCutL/5sw :03/03/03 23:23 ID:t8jNJV6X
そう言えば、何百万も払って300冊ぐらいの詩集を出す詩人も、本当にえらいよ
なーと思う。5,6冊出すつもりなら、一生アパート住まいの危険を冒すって
ことでしょ?

この国においては、残念ながら文化って言うのは、どのシーンでもこういう人たち
が支えてきたんだと思う。
自分が同じ戦列に加わるかどうかは別として、その悪口は、言ってはいけないと
思うんだな。

208 :ボルカ@雑談:03/03/03 23:44 ID:t8jNJV6X
人がいる場所は、どこでも切なさがつきものですよね。
しかし、このセツナサがポエムの故郷なんだろうな、やっぱり、と思う。
「他者」の実在を信じるってひとつの「主義」だと思う。
まてよ、それが「実存主義」だったかもね。

thisさんのサイトの名前がキルケゴールの著書の名前から取られているのって
意図はわからないけど、なんとなく象徴的。

209 :かのっぴ:03/03/04 01:15 ID:DxwCQtR3
>この国においては、残念ながら文化って言うのは、どのシーンでもこういう人たち
が支えてきたんだと思う。
>自分が同じ戦列に加わるかどうかは別として、その悪口は、言ってはいけないと
思うんだな。

これ耳が痛いです。どうも僕は同人誌「夏夷」の小原眞紀子ママンの激しさに酔って
あちこちで思いやりのないことを放言しすぎているようです。>>198のリンク元です。
でも一方で文化を支えている人たちから不当にお金を巻き上げている悪い人がいれば
ちゃんと監視しなければならない、小原眞紀子ママンの川端氏に対する態度はその
正義感だったと思います。

詩人も人の子。おなかも空く。
そんなとき「おなかが空かなくていいやり方もあるんじゃない?」と言うことも
大事かな、と思ってます。もちろん受入れるかどうかは詩人次第だけれど。
ただ、文化がそれで小さい方向に収束してしまい兼ねないというのは確か。
一方で貧すれば鈍す、というのもまた一面の真理だったりする。

ううん、よくわからなくなってきた。。とりあえず主義者は応援する。
要綱があれだけしっかりしているところに、理想を追求する強さを感じる。
JUDGEとしてか、CRITICとしてか、まだわからないけれど。

210 :激辛正当派 ◆PmUYNHN29Q :03/03/04 04:00 ID:4KsXAaCo
僕は「運動」に強い憧れがあります。
時代性なんかはひとまず隅に押しやって。

単純な主義を表明することに躊躇しない態度で、
徒党を組むことはいかに可能だろうか、と。

「2ch主義」みたいなスレでも立てたい気持ち。
たとえ擬製(擬勢?)のようであってもいい。

そういう分かりやすさを、僕は求めたいのです。
「運動」としての詩作ならば、
誰にどのように何を届けるのか、ひとまずは明確になるのではないかと。>>202

ひとりではなく、複数でやるということも重要。
「公的領域」をむりやり開くって寸法。

211 :ボルカ:03/03/05 00:26 ID:3jxA1OAM
>>209
いや、かのっぴさんの言ってるのは別に異論ないっすよ。
むしろ、こうゆう掲示板とかで、XX社で出版するとXX、その代わり
XXというメリットがある、みたいなことが、萎縮できずに情報交換
できると、僕もだけど、実はみんな重宝したりするんでしょうね。

あと、あのママンはいい感じだね。クラブの女王様でも、なかなか
泣くまでは苛めてくれないんじゃないか(笑。しかも、このケース
では、味方の立場だよね。
販売代金の回収の話も、実は実感することもあるよ。個人で本屋さん
を毎週とかに回るのは本当に大変だ。ママンの言うとおり、まとまっ
た売上があるなら、できれば連絡して欲しいよね。

ただ、法的根拠はさておき、現実的には5年待ってくれれば、
かなり親切な部類じゃないかと、僕は思うよ。
なんつって、コレで小原さんと論争するのは避けたいけどね。
しても僕にメリットなさ過ぎだから。

212 :ボルカ:03/03/05 00:58 ID:3jxA1OAM
>>202横レス

僕も、210の激辛さんの

>「2ch主義」みたいなスレでも立てたい気持ち。
>たとえ擬製(擬勢?)のようであってもいい。

>そういう分かりやすさを、僕は求めたいのです。

に賛成です。絶対誤解する人がいるだろうけど、あえて言えば、
僕は「派をなす」ということは、とても良い、むしろ必要なこと
だと思っているのです。

もう2、3年前になるけど、詩人の究極Q太郎氏が、手帖のエッセイ
で「芸術における徒党」というものの重要性を考えよう、というような
ことを書いていました。それは一見、悪いことみたいだけど、そういう
ふうに運動としてやるのが大事なのかもしれない、と。

そのころ僕は手帖はほとんど読んでなかったんだけど、このエッセイ
は、ちょうどシバン派が解体した時期だったから、とても印象的で、
今でも覚えてます。

誤解って言うのは、あの時もそうだったんだけど、ごくせまい範囲での
閉鎖的な分派活動なのではないか、と思う人がでるんですよね。
「2ch主義」なんて、本当はカッコいいんだけどな。

213 :ボルカ:03/03/05 01:05 ID:3jxA1OAM
そうですね。
いつか、「2ch主義」って名前の同人誌を作れたらいいですね。
100万円とかかけないで(笑。

214 :ボルカ@雑談:03/03/05 01:15 ID:3jxA1OAM
>>212
まてよ、年代が変。2,3年前ってことは無いはず。
記憶が間違ってるのかな。
後で調べてみよっと。

********************

ところで、読書会は、今週末から開始します。

215 :ボルカ:03/03/06 22:30 ID:roBJI083
すんません、やっぱ、週末スタートにします。
仕事終わんなかった。

216 :かのっぴ:03/03/09 17:39 ID:HXpGctyt
>ボルガさん
もし大変なようでしたら、要約手伝いましょうか?
第5章はだいたい読んだところで、どちらにしても自分で要点をまとめる
つもりでいますので。だいたい下記のようなキーワードで。

(1)意味(地上1階)
(2)意味(地上1階)⇔イメージ(地下1階)
(3)意味(地上1階)⇔イメージ(地下1階)⇔イメージ(地下2階)
(4)意味(地上1階)⇔イメージ(地下1階)⇔イメージ(地下2階)⇔イメージ(奈落の底)

第5章は現代詩の意味規範からの逸脱の実験の成果がコンパクトに書かれていてよいです。
この分類で奈落の底までイっちゃっている詩に分類されている天沢退二郎さん
の初期の作品もわりと好きですが、黒田三郎も捨てられないな、とわりと節操のない私です(笑)。

217 :ボルカ ◆TcCutL/5sw :03/03/09 18:02 ID:qgGEHvYU
>>216おっ。
ありがとう!

でも、僕のほうでも第3節部分まではまとめたんですよ。
せっかく書いちゃったからそれはアップさせてもらうけど、
かのっぴさんもお願いします。

この図表、すごくわかりやすい。
今週は、ダブルレポートでいきましょう。

218 :ボルカ ◆TcCutL/5sw :03/03/09 18:04 ID:qgGEHvYU
第5章 『詩的意味論の試み』

この章は6節まであります。では僕は、第1から第3節までをレポートします。
かのっぴさんもお願いします。

第1節
意味のずれ

−引用−
詩作品は<私(作者)>が書く。しかし、<私>が書くということは、これまでにたくさんの詩が書かれた、その時間性の内部で書く、ということだ。(中略)その時間性の内部に入るということは、<私>と区別される、もうひとつの主格<語り手>を仮構することである。
(中略)
 すぐにこのことから思いつくことは、<私(作者)>と<語り手>との間に、意味のずれが生じるのではないか、ということである。
―引用終わり―

 最初、僕はこの冒頭の北川の記述の意図がわからなかった(意味はすぐわかる)。何度か読んでやっとわかったのだが、それは多分、以下のようなことだったのではないだろうか。
北川はここで、「前節においてわたしが言ってみたかったのは、以上のようなことである。」等と言っているが、これはウソだ。ここで北川は4章までと違う新しい思考をこっそり導入しているのだ。
−私達は、自分が自由にスタイルを作って詩を書いていると思っている。だが、本当はそうではない。私達は本当は、その時代の詩人が選びうる規定のスタイルでしか創作できないのだ。このようにスタイルに縛られてあることの自覚が、詩人と文学史の間にドラマを生んでいく。


219 :ボルカ ◆TcCutL/5sw :03/03/09 18:07 ID:qgGEHvYU
前回しつこく言ったように、僕はこの考え方に否定的だが、北川の上記引用は、こうした考えを下敷きにしていると考えないと、記述の意図が理解できない。
逆にそうであるとすれば、下記のように図式化して北川の考えをまとめることが出来る。

語り手>スタイル>言語規範からの逸脱>規定の現代詩のルール>時代性・時間性の内部
                ↓
                ↑
私(作者)>人物(個人)>日常言語のゆらぎと規定>言語規範の強力な支配


矢印のところで、かろうじて詩は日常に対して自由を主張するが、両方とも結局は不自由な規定のもとにある。私のように不真面目な人間は、普段このように考えないので、
理解しにくいのである。とくに他段階になっていて、レベルごとにどちらがより自由かが入れ替わっているのが北川の特徴であると思われる。
この図表を元にすれば、北川の以下のような記述も理解できる。

−引用−
詩作品の<語り手>は、<私>の無自覚な表現が、意味のずれを共通性の方へ惰性化しようとするのに対して、それをむしろ固有性のほうへ活性化しようとする。
―引用おわり―

人生短し、芸術は長し。人生のそのものや、わたしの身体そのものの方が、より直接わたし独自のものなわけだから、ふつうの生活感覚は逆じゃないか、と僕なら思う。
だが、北川の記述としてはコレでいいのだ。逆ではない。

―引用―
意味規範のもつ既成性から、自覚的に、あるいは方法的にずれるところに、詩的レトリックは見出されるのである。それがもうひとつの規範性であるとしても、
<私>と<語り手>とのずれ(あるいは違犯)を内在化している。
―引用終わり―

これも多くの方が逆に感じたり、前期の記述と矛盾していると感じたりするのではないかと思うが、
北川としてはコレで良いのである。


220 :ボルカ ◆TcCutL/5sw :03/03/09 18:08 ID:qgGEHvYU
第2節
意味に違犯する関係

−引用−
現代詩のある流れは、この意味のずれをもっと拡大し、ほとんど意味のたどれない極限まで押し上げた。
―引用終わり―
と、北川は書き始める。

まず北川は、比較的、かんたんに意味のたどれる例として、メタファー(隠喩)の詩を上げる。
p147で吉岡実の「挽歌」を上げているのがそれだ。
ちょっと疲れてきたので、詩の引用は略させていただくが、この詩の場合、メタファーを意味に還元するのは難しくない。ようするに、「・・のようだ」に言い換えて理解できるレベルの比喩のことだ。
次からが問題で、ここから北川は超高速で「現代詩」を駆け上がっていく。

まず引用されるのは、入沢康夫の「季節についての試論」である。
この詩は、なんといっても、最高にカッコいい。僕は大好きだ。内的リズムが僕のバイオリズムに合っていて、読んでいると泣きたくなる。
今日はもう疲れちゃったので、引用しない(しても間違える)が、後日できれば(多分できないが)紹介します。紹介したいなあ。でも、全文書き取りって本当に苦手なんです。
テキスト持ってる人は、p150参照してください。

とにかく、この入沢の詩においては、メタファーを直喩に直して済ますことが許されない。それでは解釈できないレベルの表現になっている。しかし、イメージとして表現を読み取り、そのイメージを意味に解読することは可能である。
例えば、詩の中に「ゴム管に似た細長い夢の端だけが」という表現があるが、これは苦しい夜の夢のメタファーとして、イメージを媒介として理解することが出来る。
ここまでで、2節は終わる。


221 :ボルカ ◆TcCutL/5sw :03/03/09 18:09 ID:qgGEHvYU
第3節
シンタックスのゆらぎ


―引用―
詩は、その意味のずれを詩的レトリックとして方法化する事で、その言語の制度的なあり方に揺らぎと流動を与えようとする。
―引用終わり―

ちょっと変に感じませんか?感じるかたは、先にあげたチャートを見てください。このチャートに寄れば変ではありません。が、生活感覚には逆らうように思います。
 このように述べたあとで、北川は吉岡と入沢の先に上げた詩について、「メタファーとしての詩における意味の問題は、ここまでの論理で解ける」といいきる。
 そして、天沢退二郎の「樽きちがい」を引用する。
 がんばって引用しよう。

樽はペー中毒の道上でなら愛せる
ちぎれかけためだまはそのとき
砂まみれのよだれを引き伸ばし
首の長すぎる少女のチラと裂けた海面に
縄の先は触れては離れ
音のしない終わりの物語の輪を
短い針で放ちつづける    (冒頭部分)

どうせ絶対間違っているから転載しないで下さいね。テキストお持ちの方はp156。


222 :ボルカ ◆TcCutL/5sw :03/03/09 18:10 ID:qgGEHvYU
北川は以下のように批評する。
−引用−
<首のなが過ぎる少女>と<チラと裂けた海面>の接合は意味をけしあう。なぜなら、それは隠喩ではないからだ。(後略)
天沢の「樽きちがい」において<語り手>は、意味規範に違犯する関係を、イメージとして表すだけでなく、イメージを出現
させるメタファーと言う規範にも違犯する、語と語の偶然的な連結を作り出そうとしているのである。
―引用終わり―

一見複雑そうだけど、簡単なりくつですよね。要するに、「デタラメです」といってるわけです。従って僕は、表面上は、だれでも真似することが出来る、と思う。
ところで北川は、天沢のすごさを、新しいことをやった「衝撃」という文脈で評価しようとするが、これは賛同できない。いっぱしの詩人であれば、誰でも、いつでも、新しいことをやっている。
オリジナリティは、あって当たり前。「衝撃」の重要性は相対的に低いと僕は思っている。別の意味で天沢の詩はイイ!と僕は思っているわけだ。
北川自身もp158において近いことを言っているが、僕とは微妙にずれていっている。マネだってべつにいいじゃん、北川先生。手法なんて。天沢の詩は、今、僕が読んでもイイと思うし。


223 :ボルカ ◆TcCutL/5sw :03/03/09 18:11 ID:qgGEHvYU
北川はさらに論を進める。
彼が次に引用するのは、鈴木志郎康だ。これは引用しやすい。

私は人妻が手淫していた
私は老婆が手淫していた
私は女性重労働者が手淫していた
私は人妻が手淫していた
私は牛乳びんが手淫していた
私は時計が手淫していた
(月:部分)

 天沢よりさらにすすめば、もうその先には「語」の解体そのものしかない、と北川はいう。それを予感的に示したのが鈴木であり、この詩は、「文法」を違犯しているのだ、と。

―引用―
 平叙文でも会話の言葉でも、語法の間違いはきびしくただされる。意味が伝わらないからである。しかし、詩は自覚的に文法に違犯する。詩はいみのずれを表現しようとしていても、
意味の伝達を目的としていないからだ。
しかし、助詞や助動詞の語法そのものの違犯は、すべての言語活動の基盤である言語規範そのものの解体につながるために、いわば<神の領域>に属する。
―引用終わり―


224 :ボルカ ◆TcCutL/5sw :03/03/09 18:17 ID:qgGEHvYU
>>261
以上、尻切れトンボですが、3節までの僕のレポです。
かのっぴさん、レポ是非お願いします。
お互いのレポ読んで、来週、感想をつけあいましょう。

261の図表は、非常にわかりやすいと思います。

それにしてもうれしいなあ。
他の人も良かったらレポーターやってね。

225 :ボルカ ◆TcCutL/5sw :03/03/09 19:09 ID:k5VGKoqI
かのっぴさんのレポートに、もし4−6節部分がフォローされていなかったら、
その部分は来週に回しましょう。

226 :かのっぴ:03/03/09 19:33 ID:MuHy1JI/
>>225 そうしていただけるとありがたいです(汗)
とりあえず書いた分だけこちらもアップします。

=============================

意味の意味は意味。意味以外に意味に意味があるわけでなし。
意味の意味は書いても意味がないので省略(意味ない駄文失礼)。

(0)意味の周辺。。。第1節前半部分

まずこの章で使われている意味という言葉の周辺を、「意味のずれ」、「意味の詩」という言葉に
付された注釈から探ることから始めたい。注釈そのままでなく私が勝手にいじったものなので要注意!

「意味のずれ」
1.個人の発語は社会の意味体系からずれる(変なことをいう)。
2.社会の意味体系からのずれに何らかの制裁がある(バカにされる)。
3.制裁により個人の発語が社会の意味体系のなかに誘導される(仲間になって話し方のルールを覚える)。
4.1から3が繰り返される結果、個人の発語のうちある部分が社会の意味体系からはみ出したまま放置される(ストレスがたまる)。
5.社会の意味体系と個人の発語のずれを自覚しそれを表現する(詩を書く)。

「意味の詩」
春山行夫曰く「意味のない詩を書くことによってポエジイの純粋は実験される」とのこと。
この場合の「意味」は社会の意味体系をさすと私は考える。社会の意味体系に取り込まれる
言葉では純粋な詩にはならない、ということであろうと。


意味のずれ、つまり社会の意味体系からの逸脱の度合いが軽いものからあちらにイっちゃって
いるものまで様々な段階の具体的な例としていくつか詩が紹介される。この章の大きな構成は
このようになっていると思われる。>>216 の(1)〜(4)に沿って読み解いてみたい。

227 :かのっぴ:03/03/09 19:34 ID:MuHy1JI/
(1)意味(地上1階)。。。第1節後半部分

詩である以上、余白、改行、省略、不定形のリズムはあるが、喩法やイロニーが使われていないもの、だそうだ。
黒田三郎の「なくす」がそれに分類されている。この詩の第1連が紹介されているのを見る限りではこんな作品だ。
まず「酔っては/いろんなものをなくす/酔わなくてもなくす」の3行で始まり、4行目以降はなくす具体的な物が
あとに綴られる。第1連しか紹介されていないので本当にこれだけかはわからない。第2連以降を紐解く楽しみは
後にとっておこう。読者からも奪っちゃいけないしね。

ともかくこれが普通の日記や会話などと違う点はいろいろ見出せる。「酔ったからなくした」「酔わなかったのになくした」
という出来事の報告でなく「酔っても」「酔わなくても」「なくす」とすることで喪失という普遍的な現象が
描かれている点、またなくす物として「手袋」「ベレ」「蝙蝠傘」「長靴」といった物がランダムに描かれることで、
これらの具体的な物に喪失という普遍的な現象を象徴させる役割が付される点、ほかに2、3行に重複して書くことで
「なくす」を強調したり、物をたたみかけるようにぶっきらぼうに羅列したりする点があげられる。

一見意味の自明な「酔う」「酔わない」「なくす」「手袋」「ベレ」「蝙蝠傘」「長靴」といった言葉が、配列の
方法如何によって、「喪失」というオブジェを描く素材になっているわけだ。

<私見>
意味の自明な言葉を使った詩を軽視してはならない。むしろそういう詩を評することこそ難しいのではないか。
評するのは疲れるのでムリにやらなくてもよいとして、そういった詩を読み味わうために、これは役立つ視点ではある。

228 :かのっぴ:03/03/09 20:59 ID:E30Su2ZW
(2)意味(地上1階)⇔イメージ(地下1階)。。。第2節前半部分

見かけは普通の詩(地上1階の詩)だけれど、語り手が「私」について、普通はありえないと思える事実を語る、というもの。
もちろん地上1階の詩でみられた余白、改行などの効果もあるが、それに加えて暗喩によって意味規範(北川さんはこの
言葉を使っています)からの軽い逸脱が試みられる。言葉は地上1階にあるがオブジェは地下1階にあり、暗喩を解くことで
意味として解読可能な範囲にある。吉岡実の「挽歌」がこれに分類されている(作品及びその詳細な評は省略)。

この段階では北川さんの言うように「意味規範との回路を閉ざしていないばかりか、その回路が見えるような仕組みに」
なっている。語り手である「私」は「水死人」であり、水死人のまま世界の終わりの風景らしきものを語る。そういえば
「水死体」ではなく「水死人」であるところもポイントかな。水死人が呟いているか考えているか知らないけれど、
ともかく自らを「水死人」と呼び、「ひとつの個の/〜時間の袋」だと言い、「だれが確証」するかを問い(或いは反語?)、
「沈みの時」「旅の末」と状況を説明し、「太陽」と「夕焼け」と「恋びとのささやき」がない事を告げる
(無粋な要約でごめんなさい。浸りたい人は吉岡さんの詩集を読んでねっ)。非現実なりに世界観は統一されているので、
意味規範から逸脱したくない読み手も「水死体が語ること」「終末のような世界があること」さえ納得できれば一応
ついて来れる。想像を働かして読み味わい浸るところまで行くかどうかはともかくとして。

<私見>
このパターンの詩も多いのではないか。あるいは想像力を比較的自由に駆使できる人なら、オブジェが地上1階にあろうが
地下1階にあろうが、あまり気にしていないだろう。ていうか私はそうだ(笑)

229 :かのっぴ:03/03/09 21:05 ID:digCPad3
うーーーん、要約は難しいです。(3)と(4)は明日以降にまわします。
かなり強引な要約ですみません。苦情等あれば何なりと。

230 :ボルカ:03/03/09 21:30 ID:E5pxNpWF
どうもありがとう、かのっぴさん。おつかれさま。
できれば後日、地下4回までお願いします。

***********

5章部分までの、皆様のご感想、ご意見お願いします。
月曜以降、軽く相互レスしましょう。

231 :かのっぴ:03/03/10 21:21 ID:aoNoK84p
(3)意味(地上1階)⇔イメージ(地下1階)⇔イメージ(地下2階)。。。第2節後半部分

(2)の吉岡実の詩までは「意味のずれ」であり、意味規範との回路は開かれていたが、ずれの程度が
著しくなると意味規範との関係は閉ざされ、もはや暗喩を解くことで解読可能というわけにはいかなく
なる。入沢康夫の「夜についての試論」がその例として紹介される(作品および北川さんの評は本文参照)。
語り手としての「私」がいるわけでなく、統一された世界観があるわけでなく、むしろ北川さんの言葉を
借りると「どこにも中心が来ないようによう分散的にイメージを配置」している。(2)の地下1階の詩
では、暗喩で示された世界の中での秩序ある意味の体系を読者は見出すことが出来るが、(3)の段階に
なると、作者がその暗喩のなかでの秩序も注意深く排除するよう、つながりを見せないように言葉が配置
される。こうなると地下1階に降りることでは、つまり暗喩の解読作業ではお手上げといったところ。
たとえばさらに地下2階に降りてイメージをつなぎ合わせる作業を読者はするはめになるだろう。でもこれ
によってさえ詩にたどり着くかどうかは疑わしい。

ただ注意深く秩序を排除するように配列された言葉が、互いに積極的に消しあうところまで行っていない点で、
まだこの段階では、2階に踏みとどまる可能性も残されている。

<私見など>
「意味⇔イメージ⇔イメージ」の図表は北川さんの記述から借りたものだが、北川さんとてこれによって解読
できるかどうかは補償していない。容易にたどりつけないことも、北川さんほどの人がこれだけ慎重にならざる
を得ないのも無理はない。読む目的がたとえば星を線でつなぐような意味の秩序の再構成にあるとするなら、
そういう読まれ方をこそ作者は拒絶しているのだから。(3)の段階からついて来れない人も多くなるのかな。
ネット上の批評で「OOの次に唐突にXXではわからない。下手糞。」というような酷評(?)をたまに見かける。
でもそれが健全な姿だとは思う。皆が皆、イメージをつなぎ合わせる作業を無理にする必要も無いのだから。
下手すれば「イメージのつなぎ合わせ僕ならこうやるね。陳腐な君たちにはわからないだろうけれど」なんて
公言する詩壇ゴロも出て来かねないし。

232 :かのっぴ:03/03/11 21:12 ID:04GHb7Fu
※「奈落の底」の前に。。。第3節前半部分

さていよいよ奈落の底だが、その前に第3節前半は少し丁寧に要約する必要が
ありどうなので。といっても突っ込むとわけわからなくなりそうなので、適度に。

第3節の前半では吉本隆明の『言語にとって美とは何か』の、
言葉の意味がわからないという逆の側から言葉の意味に接近しようとするアプローチが紹介
される。意味がわからない例として吉本があげるのは(1)古事記の古典詩、(2)
島尾敏雄の小説「夢の中での日常」の隠喩的な表現、(3)清岡貞行の詩「氷った焔」の
シュールレアリズム風な表現の3つ。

<私見>
北川さんがあとで吉本とは別のアプローチをとるので何のために紹介したかはよく
わからない。1200年を超える時の経過により言語規範そのものが大きく変化した
(1)は別として、(2)は吉岡の「挽歌」、(3)は入沢の「夜についての試論」
を題材に北川さん自身が論理を展開しても良かった(そうすればもっとわかりやすい)
と思うのだが。

あまりここに突っ込むと複雑になるので、北川さんが展開する論に絞って前半部分を
まとめてみようと思う。最初と最後だけ言えば「なぜ詩作品において意味は必ずずれる
のか?」という問いにはじまり、「言語表現における意味とは意味規範からのずれを
本質」とするもので、「詩はその意味のずれを詩的レトリックとして方法化することで、
その言語の制度的なあり方に揺らぎと流動を与えようとする」とする。意味が分から
ないというのは詩にとって本質的な問題、つまり意味がわからないのは当たり前、
ということになる。吉岡実の「挽歌」と入沢康夫の「夜についての試論」はもちろん
のこと、黒田三郎の「なくす」でさえ方法化された意味のずれが存在するので、意味規範
からはずれている。

233 :名前はいらない:03/03/11 22:15 ID:T2LXIbBA

凹レンズ製の磁器の底で
純銀の木匙の呟きに融けた
微風が下くちびると
空蟻の翅を震わせている 
 
 


234 :ボルカ:03/03/11 22:31 ID:MtnW6Cxn
>>233
これは、かのっぴさんの分類で地下3Fのポエムですね。
イメージが像を結ばないけど、文法は揺らいでいないし、
美しい流れがある。
でも、まだ、かのっぴさんがレポート中だよん。


235 :かのっぴ:03/03/11 23:17 ID:uDDxYn2s
(4)意味(地上1階)⇔イメージ(地下1階)⇔イメージ(地下2階)⇔イメージ(奈落の底)。。。第3節後半

おっと急がねば。「意味規範と発語における違犯の関係がさらに過激化され」た例として
天沢退二郎の「樽きちがい」のはじめの部分が紹介され、「もしこの先があるなら」と
ことわったうえで、文法もめちゃくちゃになった鈴木志郎康の「月」の一部分が紹介される。
これらと地下2階の入沢の詩をわけるのはどうやら、作品全体(あるいはあるまとまった部分)
のイメージを呼び起こすことが可能か否か、というところにあるようだ。あえて各作品から
1行ずつだけ引用してみよう。

「樽はベー中毒の道の上でなら愛せる」(天沢)
「私は牛乳びんが手淫していた」(鈴木)

天沢の場合、「樽」「ベー中毒」「道」「愛せる」は相互に全く関係のない言葉で、それを
助詞や助動詞でつなげることにより語と語の偶然的な連結をつくり出そうとする試みである。
個々の語の周辺でミクロ的にイメージの断片が想起されたとしても次に来るイメージからの
反作用がそれを破壊してしまう。

鈴木志郎康の場合は「私」が助詞の「は」を伴って主語となり、同じ行で「牛乳びん」が
助詞の「が」を伴って主語となり、その2つの主語を「手淫し/て/いた」の述語が受ける、
という小1の国語の先生が「それは違うのよお」とやさしく声をかけそうで中1の国語の先生
が「何考えとんじゃおのれは」と大きくバッテンを付けそうな構造になっている(小1は手淫
とか書かないかな、ま、いいや)。(続く)

236 :かのっぴ:03/03/11 23:17 ID:uDDxYn2s
<私見>
文法の逸脱なんて些細なことのような気がする。天沢までイっちゃえばあとは奈落の底でしょう(笑)
と私は考えたので分類も2階より下は奈落の底にしました。鈴木さんのこの作品はそもそも奈落の底
までも行っているかどうか疑わしいと。「私は」を無視して読めば読者は安心して読めるもん(笑)
面白いのは引用した行くらいで。牛乳びんのオナニー、見てみたいな。それはともかく。。。
北川さんが文法からの逸脱を「神の領域」などとおどろおどろしく表現した理由もわからないではない。
文法からの逸脱はそれはもう厳しく統制されるから。国語の先生でなくても、日常的にこれを
やり過ぎると仕事も友達も逃げていくでしょう。それだけに表現として積極的に提示すると
インパクトはそれなりにある、と。

237 :かのっぴ:03/03/11 23:25 ID:1PbmBuQ2
とりあえず以上にて私のレポートは終わります。4節から6節までは
またこの次、ということで。

238 :名前はいらない:03/03/11 23:32 ID:T2LXIbBA

岩尾のせせらぎに
抗う重力を
手のひらで救い
歳月を葉脈の甲で拭うたび
アンテナが加速度を蘇生する


239 :ボルカ:03/03/12 20:52 ID:o7kcjHu4
いやあ、ありがとう>かのっぴさん。

かのっぴさんが視覚的に話題を展開してくれたの読んで、僕の読みもずいぶん
深まりましたよ。

かのっぴさんの図は、北川自身の図を元にしているわけだけど、いっしょに
読んでいて、まず気が付くのは、やっぱり地下3F、そして、さらにその地下
(地下4F)、をどう考えるのだろうかってことですよね。
このことについて、隠喩から詩を眺めた場合は、少なくとも地下2Fの「夜の試
論」まではいけるけど、その先の詩を、とりあえず「意味の侵犯」として考える
ことはできても、この建築物とのかかわりは、この節までの記述では、わからな
いってことだと思います。




240 :ボルカ:03/03/12 21:02 ID:o7kcjHu4
北川が「反-隠喩」をどう考えるかは、先の章で展開されますので、そのとき。

で、僕の意見では(北川のじゃなくて)、現代詩の牙城は、やっぱり地上1F
地下4Fで、さらにその地階(地下5F:これは次の4−6節)があると思う。

  1F:意味
地下1F:隠喩
地下2F:高次の隠喩
地下3F:反-比喩
地下4F:反-言語
地下5F:反-思考(地獄)

こんな風に僕は思います。(北川自身は、3F以下をこの建物に入れていないのかも
しれない。その辺は後の章で検討したほうが良いと思う)

241 :ボルカ:03/03/12 21:09 ID:o7kcjHu4
それと、「神の領域」は時枝基樹の連想だけど、北川は半分ギャグで言ってると
思います。でも、半分はマジメに、「そこはやばいぜ」みたいに思ってるふしが
ありますよね。

ところで、天沢をどう解釈するかとか、鈴木の逸脱をどう見るか、とか言った
点で僕とかのっぴさんとさらに北川も(笑)意見が違うけど、それは読む人の
自由として残したいと思う。

それより、かのっぴさんは、この「詩の城」を建造するとき、詩人たちが、
いったいどこに穴を掘り進んで地階をつくっていったのか、それは今でも
あるのか、見たいなことが気になりませんか?



242 :ボルカ:03/03/12 21:16 ID:o7kcjHu4
僕は気になる。

で、考えてみたんだけど、この建築物は、天空の城、ラピュタなんじゃないかと
思うんですよ。
それは現在僕らがいる空間と、多分どこかでつながっているんだろうけど、この
僕が立っている土地に建造されているわけではない。
でも、どうやったらそこへいけるのか?そこへいくことに、どんな意味があるのか
みたいなこと感じませんか?

ものすごく才能のある人とかは、生まれつき、この城の中にいたりするのかもしれ
ないけどね。

あるいは、この城にかわるものを自分でつくりたいね、ってことなのかもしれない
ですよね。


243 :ボルカ:03/03/12 21:28 ID:o7kcjHu4
たぶん重要なのは、この城が築かれたのが、ただの実験じゃなくて、それは
不可逆的な歴史上の事件だった、という点なんですよね。
40年前に、この話は事件として確定してしまった、これをなかったことにして
詩はかけない、ということだろうと思います。

にもかかわらず、それは僕の目から見れば、ラピュタなんだよなー。

あと5章後半の4-6節ででてくるけど、このラピュタを眺めていて思うのは、
この中で、上いったり下いったり飛び跳ねて遊んでいる子供が一人いるんだけど、
そいつはやっぱすごいね。
だれかっていうと、谷川。

それでは、ここまで、ご意見ご感想お願いします。課題の本を読んでない人も
ご参加歓迎。

ところで、>>238のフレーズは地下2Fですが、どうしろと?


244 :ボルカ:03/03/12 21:42 ID:o7kcjHu4
いや、どうしたいのかな(はあと)みたいなニュアンスで(笑。
なにも、凍りつかずとも良いんでないかしら?

みなさま、お気軽にご参加してね。

245 :かのっぴ:03/03/12 21:42 ID:MmcthIaq
ボルガさん、どうもです。

なるほど隠喩だけでなく言語や思考との関係も探らなければ5章のこの先の
節の詩は捉えきれませんね。3F以下も考えていこうと思います。きっと
そのほうがやりやすいと思うし。>>240 を参考に。

「詩の城」。あやしげでいいです(笑)

246 : ◆HU7XfvOYA2 :03/03/12 21:46 ID:oe2wt4b2
漏れは1Fの振りした、B5Fを目指しています。

247 :かのっぴ:03/03/12 21:58 ID:YnhcFcOQ
誰がどこをどのように掘り進んで地階を作ったか、それは今でもあるのか。
気になりますね。特に「今でもあるのか」が。
小原ママンの豪気に惚れて同人誌「夏夷」を買ってしまったのですが、
ある詩人の評でこんな文章に出会ったのです。

「2002年を迎えた今日、20世紀後半の自由詩の世界を支え続けた戦後詩と
呼ばれる思想や書法の基盤(パラダイム)が消失したことに、異論を
唱える詩人はもはやいないだろう。」
(常同性について〜朝吹亮二論 鶴山裕司著;「夏夷」10号より引用)

思想はともかく書法のパラダイムってまさにこの建築物のことですよね。
それが消失した、しかもそれが今日の詩人の共通認識だと鶴山さんは
書かれている。感覚としてはわからないでもないです。ただ、ここまで
言葉のあらゆる組み合わせを網羅した体系のなかから、詩を書く限りでは
もう誰も抜け出せなくなっている気もするのです。そこで論じられる朝吹亮二さん
の詩がそのパラダイムを越えているかどうか、実際に作品を見るまでは
何ともいえないし、見ても私にはわからないだろうな、とも思うのですが。

248 :かのっぴ:03/03/12 22:20 ID:sTYOKCaR
天空の城だから「ない」と言い張ることは一応できるとは思います。
それか、あのお話のシータとパズーみたいに滅びの呪文でぶっ壊そうと
する人もいるかもしれない。「天空じゃ人は生きられないの」とか何とか。

でも私としてはなくなっちゃ困るな、と思います。時々行ってみたくなる
場所ではあるから。そこにいる人たちはガリバー旅行記のラピュタに住んでいる
ような学者さんたちに見えなくもないですが。

249 :都立 ◆MD76fFko5o :03/03/13 01:17 ID:z6CdeQuQ
横スレで激しく申し訳ないし
盛り上がっているのならスルーしてもらってもかまわんけれど
何を言っているのかよくわからんス 詩を好きな素人の俺からみて
この話に愛は関係ありますか?


250 :かのっぴ:03/03/13 08:11 ID:+BuDqvuQ
私に関していえば、読み手として愛を汲み取れているか、
ということをもしかしたらいつも考えているのかもしれません。
レトリックというカギを使って汲み取れる愛もあるんじゃないかと。

とはいえ私が愛について語れるかはそんなに自信はないです。
言葉が難しかったとしたら私に非がありますね。気をつけます。
誰も来なくなったら困りますから。特に詩を好きな人が来なくなってしまうと。

251 :都立 ◆MD76fFko5o :03/03/13 16:44 ID:K83xofJD
>>250
僕も言葉足らず、ぶっきらぼうな物言いで申し訳なかったです。
ごめんなさい。

252 :ボルカ:03/03/13 20:42 ID:tCC+sN5Q
>>251
いやあ、このスレッド始まって以来の盛り上がりなんですよ。
ついでに言うと、北川詩学についての読書会でこれだけ盛り上がれたのは
たぶん世界初。

なんだって、比較の問題だからね(笑。

>>250
やっぱ、愛だよなー。愛。




253 :ボルカ:03/03/13 20:45 ID:tCC+sN5Q
>>247
について僕の考えてることを、全部言います。ちょっと待ってね。

254 :ボルカ:03/03/13 20:53 ID:tCC+sN5Q
>>246
に僕は、一種の切なさとともに共感します。

僕も、「もうなにも考えられない」という地点(ラピュタの地下5F相当)で
自分(という語り手)は生たと感じます。
そして「地上の詩人」でありたい、と願っている。

僕と246氏は、考え方も作風もぜんぜん違うけど、こうゆうところで瞬間的に
共感を体験できるのは、うれしいです。    (つづくから待ってください)

255 :ボルカ:03/03/13 21:05 ID:tCC+sN5Q
>>247で、かのっぴさんが言っている事には僕も賛成します。
つまり、技術として、それができるってことは、もう決まってしまったこと
ですよね(しかも40年前に)。できないフリはできない。つまり、少なくとも
空中楼閣ラピュタとしては厳然と存在している。

ただ、今は比喩でしか言えないんですが、僕としては、自分のリアリズムの大地に
立って、彼方に天空の城ラピュタを幻視する、「地上の詩人」でありたいと
思うわけなんですよ。
(かのっぴさんへのレスおわり)


256 :ボルカ:03/03/13 21:19 ID:tCC+sN5Q
>>246
には、255では語りきれないスピリッツを感じるな。
「なにも考えていない楽園」を身にまとった「何も考えられない地獄」。

批評を絶した地点だけど、自分にとっては、246氏と違う意味で、ポエジー
のふるさとだな。

60年代の政治、70年代の家族、80年代の金。
みんなそれなりに、小さな夢であっても、夢を見ていたわけですよね。
何かが、世界を少しづつでも良くして行くと。

僕らは違う。
本当は、何も考えられない。
でも、本当のことを言ってもしょうがない時代もあると思うんだよな。

257 :かのっぴ:03/03/14 17:52 ID:MRkUn3+N
>60年代の政治、70年代の家族、80年代の金。

といったような、小さな声を回収する大きな物語がなくなったことは
いいことなんじゃないかな、と私は楽観的に考えています。
孤独と戯れることを覚えれば今ほど住みやすい時代もないかもしれません。

逆にあまりに自由すぎて、あるいは自由の代償としての孤独に押し潰されて、
自分から社会の規範(意味もそうだし、さらには思想も)を誘導されるままに
受け容れて言葉を失う危険は常にあります。回収装置の中に自分から飛び込んで
しまいかねない。

回収装置はあらゆるところに存在します。なにも反戦運動などだけでなく。
「夏夷」には回収装置としてのある詩の雑誌のことが活写されてました。
ウェブコンテンツ以上に面白かったです(詩の雑誌スレに書こうと思った
けれど長文になりそうで迷っている。ただでさえ私は文章長いから。。)。

258 :ボルカ:03/03/14 20:27 ID:JrKH0xZ7
夏夷(かい?なつえびす?)ってそんなに面白いんですか。。
んじゃ、機会があったら読んでみます。>>247の論客も面白そうだし。
たしか、東京駅駅前のブックセンターで見かけた気がするな。

ところで、今週はご参加ありがとうございました。
かのっぴさんが、話を視覚化してくれたおかげで、とても楽しかったです。

ウイークエンドに5章4-6節をレポートします。
よろしかったらまたレポートお願いします。

で、お疲れでしたらお休みされて、次章6章のレポート、部分的にでもお願いで
きませんか?
僕もやりますが、6章は、なんだかすごいことになってるんですよ。
一人の視点から論じるだけでは、ちょっともったいない気がするんです。
お時間有りましたら、よろしく。

他の方のレポートやご感想も、是非お願いします。


259 :かのっぴ:03/03/14 21:18 ID:cL8uGpME
1回休ませてください。ちょっと疲れました。第6章からということで。
感想などで適当に絡むかもしれませんが。

夏夷は面白いかどうかは微妙ですね。状況論の部分で違った角度からの
切り込みが鋭いといった印象で。ジャーナリズムっぽいです。
実は少しだけ警戒しています。

260 :かのっぴ:03/03/14 22:10 ID:0/J7LmiB
書き忘れました。夏夷は「かい」です。

261 :ボルカ:03/03/16 21:59 ID:BdSHX1Nk
かのっぴさん、>>260情報どうも。

**************
5章「詩的意味論の試み」第4-6節部分(概略)

1-3節に於いては、比喩による意味規範の侵犯が、段階的に語られた。
この部分の北川の観点は、おそらく、かのっぴさんが最初に図示してくれたものに
近いのではないかと思う。この図については、6章(「サブタイトル詩的比喩論の試
み」)でさらに深く論じることができるのではないかと思う。
ただし、意味規範と作品との関係が、北川に於いては直線的な対決をしていないこ
とに、この章で若干注意しておく必要があると、僕は思う。前の方で図示したよう
に、北川の記述では、意味規範は「語り手」よりも「私」の側の現象である。この
ねじれは、北川独自のものであると思われるが、僕はそこにマイナスポイントはつ
けない。むしろ、このねじれの産むダイナミズムのなかに、前述したような「地上
の詩」を位置付ける契機を読みとる。
北川自身は、意味規範を「=意義」としているが、これをもし額面どおりうけとれ
ば、前述の図は間違っていることになる。しかし、北川の「意味規範」を純粋なテ
キスト分析上のツールとして読んでしまうと、混乱するだけでなく、安全で退屈な
ものと解される恐れもある。むしろ「共同幻想」に近い、リアルな身体的現実とし
て受けとったほうが、北川の論述は理解しやすいのではないかと思いました。

262 :ボルカ:03/03/16 22:01 ID:BdSHX1Nk
前節でかのっぴさんにより提案された建築物の例えをここでもさらに敷衍しようと
思う。
僕は、かのっぴさんの思考を利用して、地下2F(入沢「夜についての試論」)を
反−隠喩のレベルと考えた。次に地下3F(天沢)を地下3F:「反−比喩のレトリッ
ク」とすることが出来ると思う。
4-6節については、さらに詩によって意味が徹底的に解体される現場が紹介される。
まず3節終わりから4始めに於いて上げられるのは鈴木による、格助詞の恣意的な使用。
これはすでに比喩とは無関係な詩的レトリックが使用されている。(地下4F「反−言
語の階層」)
ここで、言語の構造そのものを解体させて、自分(語り手)だけの言語を創作し、そ
れによって詩を書くこと(山本)が紹介される。この創作行為が、崩壊していく自我
の中でもがく作者を、さらに極端な孤独に追み、破壊していく危険な行為であったこ
とが、「さらりと」カルーク触れられる。一方で瀧口修三らシュールレアリストたち
の創造もレトリック上同じレベルのこととして取り上げられる。(地下4F:「反−
言語の階層」)
北川自身はここで終わりだと言っている。そのあとは、もう戻ってくるしかないと。
事実、地下4Fで歌われる歌は、比喩でなく現実に地獄の歌である場合が少なくない
だろうと思う。つまり、自殺を前提としての遺書が詩の形式をとるなら、このフロア
に来る場合が多いだろう。
そして、その「外」に北川は「ナンセンスの詩」を位置付ける。

263 :ボルカ:03/03/16 22:02 ID:BdSHX1Nk
だが、僕としては、ナンセンスこそ、地下5Fにある本当の地獄(反−思考のフロア)
だよ、と言いたい。谷川のように、ここで遊んでみるだけならいいが、ここにとどま
るつもりなら、その詩人は、全ての希望を捨てる必要があるからだ。
地下4Fのポエムは遺書であれ、何かを伝えようとしている。あるいは伝えたくない
「私」を伝えようとしている。だが、地下5Fの住人はそうではない。たまたまだれ
かが、それを面白がる場合もあるだろう。しかし、それはほとんどの場合、誰にも
何も伝えないし、伝えるはずも無い。
だが、なにも、おどろおどろしい話ではない。この板で詩を書いている僕たちのう
ち何人かは、実はここで生まれたのだから。意識してる人としていない人と有るだ
ろうけど。

ここで、雑談中に触れた正岡子規を思い出したい。

−けいとうの十四五本もありぬべし

この詩は地上のポエムであると言えるだろう。だが、このケイトウはどこに咲いて
いたのか?
僕としては、これは子規が地下5Fで摘んできた花なんだよ、と言いたい。

264 :ボルカ:03/03/16 22:03 ID:BdSHX1Nk
***
第4節
「意味の虐殺」

山本陽子の「青春−くらがり」のなかの千行近くに及ぶ長編詩の一部分紹介される。

−引用−

背 こごめ、   まわる みがちへ
半躯へ、ひくみ
腰部へと おもみかけて
骨組みの半ばが支える み
脊椎へ あつまる 去行去来の
ざわざわしさを 撼じながら
石舗道の突端へ
座している

…待つ
         へ、めぐる 進み、まわる球
溶解 融合しつ、
灼熱と燃え上がる
白熱と化しつ
焔、めくる、めき
変ずる、光 放ち


265 :ボルカ:03/03/16 22:04 ID:BdSHX1Nk
放つ 磁波が 身域 まがるなして
通おる、いき 進み
、 紅色の繊条と輝きながら
光がささっと とおる、わたる
<いる>進み、とおるながら
さん満し
/あたる 粒子へはね、向きを変える
あおめく 光が とおる光の海を くらめき、かがやかき
透おし <いれ>ながら
まじわる気充が まっさおにすみ
黄と かがやきながら すはやみはしる光へ
わざ
音波がくわわって
あ、いまじわる域、きうなしている
まとわりながら
まわりつ、
論み へ めぐる 青灰の球

−引用終わり− 

266 :ボルカ:03/03/16 22:05 ID:BdSHX1Nk
この詩は実はビジュアルが重要なのであるが、行の頭の空白は省略させてもらった。
これを打ち込みながら僕は思ったのだが、この詩ってば、かなりイイ!ですね。
普通ここまでいってしまえば暗くなるが、この人はそうでもない。つまりこの人の
孤独には、他者にそれを転化する「過剰防衛」的な暗い攻撃性がない。この明るさ
をもてるかどうかが、詩人としての試金石のひとつだろうと僕は思う。自分は切な
いだろうけどね。
それと、この詩って、よく読むと意味がわかるんですね、実は。北川もやっている
けど、僕にもこの詩は読める。ナンセンスではない。この詩集、ほしいなあと思い
ました。「<あ、いまじわる>は、<相交わる>だ」というような読解を、全行に
渡って北川は高速で繰り出すけど、彼の読み方に僕も共感した。

ところで、北川は、前述<私は時計が手淫していた>の詩句を、評して下記のよう
に言う。

−引用−
「月」という作品の<語り手>は、むろん、言語規範そのものを、故意に揺るがし
ているのである。
―引用終わり―

僕もそう思う。これはわざと、わからなくしている。従ってこれを「理解」してし
まうのは、誤読であると言える。ここでは、解読できる比喩という方法が否定され
ているだけでなく、そもそも解読してほしいと言う態度が欠落してるのだ。
引用した山本の詩も、わざとわからなくしている。これを、以下のように述べてい
る。いずれにしても、この作品において、現代詩が極められてついに、言語の崩壊
に至るドラマを見ることだ出来ると、僕も思う。

267 :ボルカ:03/03/16 22:14 ID:1BkMsZjw
−引用−
あからさまに生じている規範への不同調−<意味の虐殺>をみることができるだろう。
―引用終わり―

第5節
「<心の声>あるいは<てにをは>」
この節では大岡信の「<てにをは>の死活的重要性」という概念が紹介され、それが、
前述、山本の作品や、瀧口のシュール詩と、どのような関係にあるのかが検討される。
大岡の言ってることもわかるけど、てにをはの重要性がわかればこそ、それを侵犯す
る価値もあるんだぜ、みたいな話である。
事の端が、言葉だ、とか助詞は神の領域だ、とか言う話は、国文では常識かと思う。
僕はこのへん勉強していないから、解説はやめとくけど、これはみんな時枝言語学の
話ですよね。

「風が吹く」というとき、吹いているのは何か?とか言う話が、この本にも引用され
ていたと思うけど、別の本だったか、、今、見つけられない。
動いているのは、空気ですよね。古代人もそれは知っていた。何かが「吹いて」空気
が動き、それが人に感じられる。助詞「が」はその「何か」を含意している、と時枝
は考えた。これが北川が言ってる「神の領域」ですよね。半分ギャグで彼は言ってる
とは思うけど。


268 :ボルカ:03/03/16 22:16 ID:1BkMsZjw
 第6節
 ナンセンスの出現

ここで、非常に面白い詩が引用されているのだが、僕はもう疲れてしまいました。
どんな詩かだけ言っとくと、ただ、人名をずらずら並べただけ、という作品です。
ちょっとだけやっとくか。

山野 松造
杉山 頭吉
富山 林太郎
谷沢 鮎介
岩尾 豊見
鹿峯 明子
(以下略)


 これが詩か?と北川は問う。
 あんたの気持ちもわかるよ、と僕は思う。だって、ただ、人名が並んでるだけ
ですよ。だれだって、ふざけてんじゃねえ、と言いたくなる。むしろ、批評家に
はそういう普通の感覚を持ってもらいたいもんだと思うぐらいだ。

269 :ボルカ:03/03/16 22:17 ID:1BkMsZjw
 だが、つづけて、北川は以下のように言う。
−引用−
メモ用の手帖に人名がたくさん書き付けられているとしても、それは詩ではない、
という意味では、これは詩ではない。しかし、(中略)そしてこれが詩ではない
としても、詩的行為であることを示すために、余白とともに出現させられている。
―引用終わり―
この辺は天才的だと思う。余白があるから、これでも詩なんだと、北川は言う。
いや、これが詩かどうかじゃなくて、これを書いたことが詩的行為なのであると。
そうかもしれない。これを書いた人は、どうも真面目な人だったみたいなんだけど、
もし、自分の知りあいが、とつぜんこんなこと始めたら、なんだかちょっと悲しくな
るよね。その悲しさがたぶん詩的行為の後姿なんだろうと、僕は思う。これが言語の
生命線「ことのは」を断ち切る所作だったとそう言われてみればそうだが、ここには
なにか、非常に不吉な「反−思考」が含まれていると僕は思う。
加えて、この節では谷川が触れられているが、省略する。


270 :ボルカ:03/03/16 22:18 ID:1BkMsZjw
以上、ざっとですが、5章を紹介しました。

ここまで、ご議論、ご感想、お願いします。


271 :かのっぴ:03/03/17 20:10 ID:MIE62Za1
ボルガさん、要約おつかれさまです。

私が感じた疲れは、たぶん反比喩、反言語、反思考まで言葉を解体していく作業を
見せ付けられているからかもしれません。要約するところまで行けずに、
ついてくるのが精一杯という感じで。

助詞助動詞の用法などの違犯(鈴木、山本)か、名詞動詞形容詞の結合の違犯(天沢)か、
あるいは意味、文法に違犯していないのに全体的にはナンセンス(谷川、岩成)になるか。
いろんな実験が試みられて来たんだなあと。もちろん帯の言葉にあったように
この本にどこか解剖学的な視点があるので、実験に見えてしまうのかもしれませんが。
詩人にしてみれば必ずしも実験しようとしてしたわけではなく、そうする必然が
あったのでしょう。
必然にはいろんなかたちがあるにしても。山本の必然にはどこか痛々しさを感じます。
山本の詩は、そうですね。何かSFっぽいものを感じてしまいました。
言葉だけでそれを感じさせるのはすごいなあと勝手に思っています。

谷川の詩はマシュマロか、軟体動物みたいです。
一見甘いけど噛む歯やつぶす舌ににさからってなかなか食べられない。
一見かわいいけどずるがしこくてにくたらしい。
逃げて振り返ってあかんベーしてまた逃げそう。

272 :かのっぴ:03/03/17 20:31 ID:mhcyI07v
>助詞助動詞の用法などの違犯(鈴木、山本)か、名詞動詞形容詞の結合の違犯(天沢)か、
>あるいは意味、文法に違犯していないのに全体的にはナンセンス(谷川、岩成)になるか。

ちょっと荒っぽすぎますねこの分類。突っ込まず流していただけるといいな、と。
山本を助詞助動詞の違犯と片付けていいわけもないし。自分で言葉をつくってもいるし。
ただ、最初の図表の「奈落の底」を考えたときはこんなふうなイメージがありました。

言葉の用法や意味に対する違犯、となるとシュールレアリズムもナンセンスも
ビジュアル詩もなにもかも一緒になってしまう。詩人の側にある必然を探るためには
何が必要か。ちょっと考えてみます。

>>261
>意味規範と作品との関係が、北川に於いては直線的な対決をしていないこ
>とに、この章で若干注意しておく必要があると、僕は思う。前の方で図示したよう
>に、北川の記述では、意味規範は「語り手」よりも「私」の側の現象である。この
>ねじれは、北川独自のものであると思われるが、

このあたりに鍵がありそうな気がします。

273 :名前はいらない:03/03/17 20:32 ID:0fFPm0OV
「風の中のすばる」「砂の中の銀河」「草原のペカサス」「街角のヴィーナス」
「崖の上のジュピター」「水底のシリウス」
これらは「地上の星」の歌詞ですが、これらの表現技法は何と呼ぶのですか、
詩心がないのでわかりません。誰か教えて下さい。

274 :ボルカ:03/03/17 20:33 ID:FD07fj0M
レスつけてくれる人が居たこと自体が、泣きそうに嬉しいよ、マジで。
読んでくれてありがとう。
もちろん、僕も疲れまくりました(笑)。

山本の痛みは、最初は僕は気がつきませんでした。この本を
読み返すうち、「そうなのか」と。

>>271の3段落(助詞助動詞の・・以下)でかのっぴさんが指摘してらっしゃる
とおり、このへんのレトリックを僕は単純に階層化してみたけど、実際の詩は
複雑ですよね。
僕も60年代詩を、普通の意味で「実験」だとは感じません。つまり、やってみた
だけのものだとは思いません。

この章で触れてきた中では、「夜についての試論」が一番このみだったけど、
あれが、現代の僕の目から見て、どうしていいのかといえば、青年入沢が、
ものすごくセンスの良い人だったからだと思うんですよね。


275 :ボルカ:03/03/17 20:36 ID:FD07fj0M
>>273
比喩?かな。
原曲聞いたことがないんでわかりませんが、みゆきってば、紅白で決めたらしいね。

276 :かのっぴ:03/03/17 20:46 ID:21rhpDBY
>>273
すべて 地形+星の名前 になって 地上の星 と重なる
それらは「誰も見ていないもの」の象徴 人は空ばかり見ているから

こんなところではないかと。ここまでの展開でいえば地下1階の隠喩ではないかと。
中島みゆきって詩心ありますよね。歌詞わりと好きです。

277 :ボルカ:03/03/17 20:49 ID:FD07fj0M
>>273
かのっぴさんの最初の図は、時間をかけてよく考えてみる方が良いと思う。
僕は気軽につっこんでしまったけど、かのっぴさんが参照した北川自身の
図が、3層構造だったことや、<奈落の底>の構造など。

興味深いご指摘ありがとうございます。

278 :かのっぴ:03/03/19 10:31 ID:7JM+XkaN
必然に関して。月並みだけれど、赤ちゃん帰り、あるいは先祖帰りなのかなと
考えてみました。個人では言葉を覚える過程、集団では言語の体系が形成される
過程、それらと逆の過程をたどるということであれば、意味規範からの逸脱が
規範より個人の側に近いことは一応説明できます。

で、この逆のプロセスをたどるということだけなら、「うた」に辿り着く
ような気がします。「私」を多層化して隠喩を多用して、さらにできあがった言葉の
約束事を破ろうという試みはそこからは出てこないでしょう。

ではなぜ詩人たちは「うた」に走らず私の多層化、意味の多層化、言語の破壊といった
方向に走ったのか。そう考えると、実は「うた」がすでに言語規範とか意味規範
とか、そういうものに内包されていて、ある種の詩人たちはそこから逸脱しなければ
自身の赤ちゃん帰り、先祖帰りを果たすことはできないと痛烈に感じたのではないかと。

279 :かのっぴ:03/03/19 10:32 ID:7JM+XkaN
「うた」が常に規範のなかから作られるかといえば必ずしもそうではないと思います。
全く世間のきまりごとに従った「うた」なんてさすがに誰でもつまらないと思うでしょう。
だから「うた」はそもそも軽い逸脱を含んでいる。
でも「変わった奴だけどちょっと楽しい」という一線があって、それを逸脱して「変な奴
だからあまり関わりたくない」になってしまうと「うた」は受け容れられない。

====================================

またややこしい理念形(=「うた」)をひとつ作ってしまった。
でも一方では「うた」も詩かもしれない、とはいつも考えています。
流行の歌詞のなかにもいい言葉をみつける時もあるし、今の感覚にあう
叙情的な言葉が欲しくなったときにはやっぱりポップスを聴くし。

280 :かのっぴ:03/03/19 11:50 ID:x7XvLW06
>赤ちゃん帰り、あるいは先祖帰りなのかなと

これもあまり強調したくない。「帰る」という方向のほかに、新しい遊びを覚えて
それに夢中になる、という部分も絶対にあると思うし、それだってひとつの必然だから。
規範からの逸脱、という話になると自分探しとか、何かそういう悲壮感が漂ってしまいかねない。
けれど、遊ぶことだって軽視しちゃあいけない。

281 :ボルカ:03/03/20 22:05 ID:cojoxw09
「必然」はあるか?有るとすれば何か?
は、大問題ですよね。

北川は後の章で一応の回答を用意しているように見えますが、僕はまだ、コメント
留保します。深く読み解いてみないと、これでなかなか、北川ってオヤジは手強い
みたいっす。

簡単に問題を指摘すると、必然は、もしかしたら、個人にではなく、「時代」に
あるのではないか、ということです。
>>247で引用してくれた「ねじれ」が、そこに切り込む糸口になる、かもしれま
せんが、いかがなものかは、まだわかりません。

282 :ボルカ:03/03/20 22:11 ID:cojoxw09
>>278、280でご指摘の「赤ちゃんがえり」も興味深いお話です。

当時の彼らに「赤ちゃんがえり」であった、直滑降のはてが、
僕らに、現在、ふるさとに見えているのか、
それとも、僕らにとってふるさとだから、彼らの動きが、僕らに
逆行に見えるのか。

突っ込んでいくと面白くなりそうですが、このスレッドでは、今節はこの辺で、
停止しましょう(次節でまたお願いできればありがたいっす)。

そうでないと、本当に僕らにしかわからない会話に突入しちゃいますから(笑。


283 :ボルカ:03/03/20 22:18 ID:cojoxw09
かのっぴさんの指摘をチャートで理解すると、

 「うた」←時代
   ↓
  逸脱→個人

となるでしょうか?
製作者の視点からは矢印が逆になって、他の概念も介入してくるのかな。

この辺、後の章で展開してもらえると面白いです。

284 :かのっぴ:03/03/21 20:03 ID:eE7IyDyz
あ、もっと単純です。個人と社会。時間の流れとは別に、
同じ時間のなかでの詩人の相対的位置。。。
それをここで展開するとめちゃくちゃになりそうです。確かに(笑)
6章、かなり手強いですがなんとかやってみましょう。
分量的にもきついけれど、だらだらやっていると
イヤになりそうな部分ではあるので駆け足で。

285 :かのっぴ:03/03/22 22:57 ID:fJZMugQa
要約、大苦戦中。やっと第3節まで終わりました。
私が借りているレンタルサーバーにアップして随時書き足して行こうと
思います。そうすれば途中でアップしてもボルガさんとクロスしないので。
URLは下記です。

http://whitestone.apple.ac/kita.html

286 :かのっぴ:03/03/23 08:51 ID:+XjFcbmH
詩的直喩→未知の意味(第2節)
詩的隠喩→未知の像(第4節)

なのかもしれない。要約は間違っているかも。

287 :かのっぴ:03/03/23 22:50 ID:ewIE4rs/
要約終わりました。4節以降は作品の分析などを大きく端折っているので、
各自課題本を確認されることをおすすめします。一応今回分析対象になっていた
詩をリストアップしておきます。

「行人」鮎川信夫
「Citius, Altius, Fortius」安西均
「死んだ男へ」石原吉郎
「死者の鞭」佐々木幹朗
「秋」田村隆一
「過去」吉岡実
「商人」谷川雁
「死顔(デスマスク)」清水昶
「疾走詩篇」吉増剛造
「花茨」佐々木幹朗
「胎生」松井啓子
「きっと便器なんだろう」伊藤比呂美
「ウイグル自治区」荒川洋治
「ヤマサ醤油」ねじめ正一

288 :名前はいらない:03/03/23 22:50 ID:iKIbNtAk
http://218.44.246.37/~2ch/

289 :かのっぴ:03/03/23 23:04 ID:81vZQ/M1
伊藤比呂美の詩のことで北川にたあいもない突っ込みを
してみたくなったのでそれだけ。

<引用>
男女の抱擁、性交の風景に少しも未知なところがない。しかし、
欲望の主導権を握った若い女性の眼で、あるいは官能でとらえられた
性の風景は未知である。
<引用終わり>

北川さん、それが「未知」の内容だとすれば、それはあなたが♂だからです(笑)
ポルノグラフィーとくらべれば、それは未知の像を示したことになりますが、
それが未知なのは、性別に関係する問題でなく、抱擁や性交に対する感覚の
個人差に関係する問題だと思いますよ。ポルノグラフィーは性的欲望を極端に
画一化して提示するものだから、そこに規範からの逸脱の余地が多かったと。

290 :かのっぴ:03/03/24 10:02 ID:kaVOqrzV
喩に与える影響が時代に規定されるという推定に私は否定的です。
現代は価値観が多様化した、とか、流動性が増した、とか言われるとしたら、
それは時代や社会の変化ではなく、単に人々に認識される未知の領域が既知化して
行ったように見えるに過ぎないのだと思います。あえて何かが変わったとしたら
情報の量と質の変化でしょう。量は圧倒的に多くなり、質は事実そのものが
より重要となり価値の判断が後退した。

現在、未知の意味や未知の像はどこに存在するのか。どこにもないし、
どこにでもあると思います。なにも自己増殖するイメージばかりが未知ではない。
既知の領域は確かに広がったけれども、パン生地を蒸したときにできる空洞の
ように(これ一般的直喩かな)、見落とし、とりこぼしがあちこちにあって、
既知だと思っていたものが未知だったということはいくらでもあり得るでしょう。

291 :ボルカ:03/03/24 18:49 ID:+O/0cSGI
かのっぴさん、どうも。
僕のほうでは、1-5節まで要約(簡略ですが)おわりました。
提案ですが、伊藤や荒川は、来週に回しませんか?

・・ちょっと息が切れてしまって(すみません)。
とりあえず、書いたところまでアップしておきます。



292 :ボルカ:03/03/24 18:51 ID:+O/0cSGI
第6章『未知の像/詩的比喩論の試み』
 この章では、比喩のありかたが、60年代から70年台へと変容したこと。また、それが80年代以降、さらに変容したか、
あるいは消失してしまったことが指摘される。
 ここでも、一気に論じるには時間が足りないので、今週僕は、1−5節をレポートし、来週第6節をレポートしようと
思う。1−5節において、比喩のありかたについて戦後詩から60年代詩が概観され、6節では80年代以降を論じている。

 第1節『一般的比喩について』
冒頭でまず、朔太郎の「詩の原理」から、引用される。
―引用―
 およそ詩的に感じられるすべてのものは、(中略)「現存(ザイン)していないもの」である。(後略)
―引用終り―
 一般的な比喩は、概念Xを類概念Yとして説明することである。と北川は要約する。<彼はきつねのよ
うだ>という文例においては、X(彼)がY(きつね)の概念で表現されている。この概念にはたとえば、
「きつねはずるい動物である」などの常識が組み込まれている。
 しかし、詩的比喩は、概念XをイメージY(非X)で表現することであり、一般的な比喩とは異なる、
と北川は言う。ここで現れる非Xは単にYなのではない。それは北川にとって、朔太郎の指摘した「未知
の像」であり、前章において北川が述べてきた「意味規範への侵犯」の全体であるだろう。


293 :ボルカ:03/03/24 18:52 ID:+O/0cSGI
 このような北川の視点を見逃した論述として、「直喩のほうがオリジナリティのある表現ができる」という意味の言説が否定される。
 この節で北川は「のような」があるか無いかを、直喩と隠喩の区別の指標とする考えを否定する。では彼はどうするのかというと、
「意味との距離」だけしか示していない。
 ここで僕は自分の考えを少しだけ述べておきたい。
 隠喩とは、文字通りの意味での「幻覚」のことではないか、というのが僕の考えだ。すなわち、隠喩の正当性を保障するのは、僕に
取っては、「実際にそれが見られたかどうか」だ。白鳥(船の比ゆ)が羽休め(入港)したという隠喩があるとする。その場合、僕は、
それが本当に白鳥に見えたやつがいたのかどうかを問う。だれもそう思っていないなら、その比喩は過剰で、格好悪いんじゃないだろうか。
これは北川の記述には反するが、じつをいうと、北川以外の論者とも異なる(笑)。ただ、北川が比喩といっているものの主要部分
(前章地下2階以下)が、なにもたとえていないことは考慮されるべきだろう。これを比喩と言っていいのだろうか。


294 :ボルカ:03/03/24 18:55 ID:+O/0cSGI
 第2節詩的直喩について
 ここでは戦争体験詩が引用される。彼らが隠喩を使わなかった原因を、彼らの経験の重みに関連づけて北川は解釈する。
 ところで、ここで引用されている石原吉郎の「死んだ男へ」ってイイですね、しみじみと。

 第3節「荒地派の比喩論」
 「荒地」派の詩人達が、「経験や意味を無化した戦前のモダニズムへの批判」をベースにおいて、「比喩による言葉の
意味の新しい転移を求めた」もの、として整理される。
 「意味の転移」による比喩論は、北川の主張する通り、北川自身の「未知の像」を一段かませた説明より、理論として
の威力が劣っている。北川は、かれらのシュールレアリスムへの無理解を挙げるが、引用するまでも無いだろうと思う。

 第4節「詩的隠喩について−その1 戦後詩の基底」
 第5節「その2 戦後詩の飽和」
 鮎川信夫「現代詩作法」を引用しての「荒地派」の理論への批判から話しがおこされるが、現在の僕らの目から見れ
ば、ここはあまり重要ではない。このカードでは文句なく北川さんの勝ちであり、彼の理論は良く理解できる。逆に彼
のような何らかの理論を導入しないと、既に十分、詩と認められた作品を理解できない。
 ところでこの節で、彼は戦中派と戦後派を、そうとは明言せずに分けている。そして、戦後詩について、それを比喩
(詩的隠喩)表現を極め、それがさらに崩壊する過程として3グループに分けて理解している。以下に図示する。


295 :ボルカ:03/03/24 18:57 ID:+O/0cSGI
基底部       飽和点      (崩壊後)
田村隆一      清水昶      (伊藤比呂美)
吉岡実       佐々木幹朗    (荒川洋治)
谷川雁       吉増剛造     (ねじめ正一)
/括弧内は次章。



296 :ボルカ:03/03/24 19:08 ID:+O/0cSGI
僕の個人的な意見に過ぎないが、僕が自分で詩を書く場合、荒地派や凶区の
詩人たちのレベルの表現を使うことは、パロディとして以外には、無さそうに
思う。
こういうのは気分の問題で、いずれ変わってしまうかもしれないけど。

しかし、現時点の意識として、僕らが入沢をやらないのはなぜなのか、
ということを僕はずっと考えており、ここでの北川の説明は、ひとつ
の回答を示唆しているように僕には思える。

入沢康夫や天沢退二郎を理解できない詩論は、おそらく無力だろう。
それができる詩論が、同時に、どうして僕らネットポエマーがそれを
やらないのかを理解できることは、ほとんどありえないのかもしれない。

だが、面白いことに北川さんはそれに挑戦しているように見える。
破綻しているようにも見えるが、考えてみる価値は十分あるのではない
だろうか。

て、ところで、へっぽこにも以下次週で、良いでしょうか、、、
という相談なのですが。。


297 :ボルカ:03/03/24 19:33 ID:+O/0cSGI
いま、よく読んでみたんだけど、かのっぴさんの要約で、要旨は第7節
までフォローされていると思います。

んだから、やっぱり、今週でこの章は卒業しましょう。

298 :ボルカ:03/03/24 19:39 ID:+O/0cSGI
今週、アクセスしにくい環境にいるんで、遅くなりますが、
あとで、かのっぴさんのレポートにレスします。
そのさい、7節部分へコメントしていこうと思います。
他の方もどうぞご参加ください。


皆様、隠喩ってどうですか?
直喩より、カッコイイと思う?
それはなぜですか?

299 :かのっぴ:03/03/24 19:40 ID:Ag2l5YMj
了解です。第6節以降は次週にまわしましょう。
私もあまりこのあたりを読めているとはいえないので。

300 :かのっぴ:03/03/24 20:13 ID:gavmztUW
ふへっ。間が悪いレスをしてしまった。
うんうん、こちらとしてはこの章は今週でさくっと終わらせてしまいたいところです。
しかしだいぶ重視しているポイントが違うところが面白かったり。
僕はどちらかと言えば荒地派の詩人の詩が好きです。
彼らの詩論はまあ、時代遅れの観は否めないですね。
文学への盲信を否定するあまり、彼らの詩ですらそこからはみ出してしまうような
論しか出てこなかったと。
でも飽和点以降のよしますとかの詩も否定するわけではなく、
感覚としては受け容れられるんですよね。そのへんが複雑なところです。

301 :かのっぴ:03/03/24 23:43 ID:5Aq4wZ41
隠喩について。そういえば読むときに隠喩を解こうとすると
こじつけるような読み方になってとても疲れます。
解こうとせずに言葉と言葉の結合をそのまま楽しむ場合が多いです。
多く詩を読んでいるうちに解読作業が無意味だという考えに
だんだんなっていったのかもしれません。

書くときは隠喩を意識することはほとんどないです。
具体的な情景を思い浮かべるか、それとも自動筆記的に言葉を重ねるか。
どちらにしても体験との距離はそれほどないです。

カッコイイかどうかは、うーん、さりげなさ、自然さ、似合うかどうか、
になるのかなぁ。似合っていれば直喩だってカッコいいし。
隠喩で「こう読んでよ」という態度が見え見えだとすごくカッコ悪い。
カッコいいと魅力的とはまた違っていて、そこがファッションと違うところですが。

302 :ボルカ:03/03/25 14:50 ID:uI3mDS6H
>>301
隠喩について北川は混乱しているので、やはり言葉を整理しておく必要はあり
ますよね。

彼自身、前章で、なぜ現代詩は理解できないのか、ということに絡んで、「これはすでに
比喩ではないからだ」という表現を使っていましたけど、意味Xと意味Yの間に意図的に
混乱を起こして、XをYに喩える語法を比喩と呼ぶべきで、そうでないものは
やはり比喩とは違うレトリックなのではないかと思います。

303 :ボルカ:03/03/25 15:01 ID:uI3mDS6H
そのように狭く比喩を定義しなおした上でなんですが、「隠喩」というのは
やはり、いくつか特殊な側面があると思います。

ひとつは>>301でかのっぴさんが指摘しておられるようなこと。
つまり、そもそもその隠喩は解けるのかどうか、ということでしょう。

僕は先に述べたとおり、「隠喩とは幻覚である」と考えています。これは
独自の意見ですが、ここ数年〜10年程度の間、継続している考えで、しばらくは
変更しないと思います。

船が白鳥のように見えた(見えるわけありませんが)としたら、「白鳥のようだ」
と言うべきなのです。
本当に白鳥に見えない限り、船を「白鳥である」と言うのは、「詩のような」表現
に甘んじることであり、「絵のような絵」が唾棄すべきものであるのと同じ理由で、
そのような隠喩の使用は支持しません。

このような観点からコメントすると、隠喩とは「幻覚」なのですから、他の表現は
もちろんできないものなのです。その船がその瞬間、白鳥だったのなら、それは
「白鳥のようだった」のではありません。

これが僕の「隠喩」理解です。少数派(支持者ゼロ)ですが、北川のよりはわかり
やすいと思います。

304 :ボルカ:03/03/25 15:07 ID:uI3mDS6H
それと別に、文章表現の寓意性というものがあると思います。
僕は、それは、「隠喩」とは、重なる部分が多いけど、ちょっと違うん
じゃないかと思うのですが、どうでしょうか。

寓意性の場合、当然読み解けるし、読み解いた上でなければ、批評は
できませんよね。
あるいは詩人の注意力が足りず、裏の意味が一義的でないなら、それは
ダメな表現ということになるだろうと思います。

305 :ボルカ:03/03/25 15:33 ID:uI3mDS6H
>>300
吉増が、この時点でこれをやったことをどう評価するのかは、ちゃんと語られて
いませんよね。
北川が言いよどんだことをきっちり言ってしまうなら、安保も全学連も内ゲバの
死者も関係ない吉増が、なぜあんなに極端に内向して、あの疾走詩篇が書けた
のか、理解できないことになるわけですよね。
それはひとつのテーマだと思います。

一方で僕は、むしろ荒川と伊藤をどう位置づけるかに興味があります。

まず指摘しなければならないのは、荒川も伊藤も十分高級な比喩表現を
駆使している、という事実だと思います。

それから、荒川の場合、詩壇の閉鎖性への批判が、「トッチル」のころ
からありますよね。
伊藤については、僕はかのっぴさんとちょっと評価が違って、彼女はわざと
卑猥を楽しんだと思います(プロフィールの写真にアラーキーに撮らせた写真を
使ってるあたり確信犯と見ます)が、それにしても、伊藤や荒川の作品行為の
包含する豊かさを、北川は理解しえていないように見えますね。

306 :名前はいらない:03/03/25 18:25 ID:VEVVESfv
うんうん。
人の書いたものを、
純粋に楽しんで
読むのは良し。
でも、
そんな暇あったら
とにかく書け。
考えろ。
2号なんて、
誰も求めてない。


307 :ボルカ:03/03/25 19:16 ID:8MZ/XuFK
>>306
このスレッドの主旨については、>>1の通りです。

課題の本に何が書いてあるかは、章ごとにできるだけ紹介して
きました。

未読の方も、スレを参照していただければ、参加できると思いますし、
できるだけ多くの方に、ご参加いただきたいと思っています。

と、いうわけですが、なにか、かん違いしてませんか?(^_^;)

308 :ボルカ:03/03/25 19:20 ID:8MZ/XuFK
かん違いでない、という想定の元に一応マジレスしておきます。
なんせ、せっかくのお客さんですから。

僕が文芸理論に惹かれるのは、それに基づいて誰かのマネを
するためではありません。
理論そのものが美しいからです。

と言う以前に、詩に関する理論は、未来はもとよりここ数年の詩を
理解しているのかどうか、ビミョーなとこではないかと思います。

309 :かのっぴ:03/03/25 19:29 ID:RiRJj2sR
僕からはノーコメント(笑)
興味のない人が無理に興味をもつ必要もないと思うし。知らなくても詩はかけるから。
興味があれば参加して欲しいね。ぜひ。
本を片手に参加してくれるとなお嬉しいかな。

310 :かのっぴ:03/03/25 19:41 ID:+4XyNryt
否定性って、ひょっとしてゲバ棒ふりまわしちゃったりとか、
そういうことっすか?そういえば80年代を「貧しい」と
言い切っているとこなんか、そうとでも考えないと腑に落ちない気が。

あとひょんなことから「テクスト論」とかいうあやしげなものを
調べてみる機会があったのですが(ギルドメインに書き込んでます)、
吉本隆明とかソシュールとか、やったら流行ったみたいですね。
なんでも構造主義とかがもてはやされていて、学生時代にその輪に
入れなかった人がいまになってそのトラウマを群像とかいう雑誌に
吐き出しているのをみて気味悪かったのですが(笑)

当時それほど流行ったものならファッションとして詩にそういうものが
入り込んでもおかしくないっすよね。北川の価値判断に何らかの影響が
あるかもしれませんね。

311 :かのっぴ:03/03/25 19:45 ID:LqMt1DwR
もっとも北川はこの本のもとになっている詩手帖の連載を書く少し前に、
新聞にも詩の状況論をそれこそ一般読者向けに懇切丁寧に書いていたから
自分の偏りも極端に前面に出すようなことは考えにくいですが。

ちなみにその新聞の連載は「現代詩最前線」という本にまとめられています。
古本屋で入手しました。古本屋でもなければ置いてませんが(笑)

312 :ジャンボグループ:03/03/25 19:47 ID:dbZ7myVJ
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314 :ボルカ:03/03/25 21:27 ID:EMWyCPxM
>>311
「現代詩最前線」ですか。その本、読んでみたいなあ。

僕は北川を理論を突き詰めて考えてみる人としても評価しているけど、それより
「詩を深く読む人」として評価してるんですよ。
彼が一般にむけて「現代詩」をどのように紹介したのか、また、彼がフツーの人
に分かって欲しがった詩は誰の詩だったのか、興味あります。

>>310
僕が、ここまで読んできて、いまひとつ釈然としないのが、ようするにゲバ棒の評価
なんですよ。北川はそれを言うか言うまいか、迷ってるように見えます。
ゲバ棒じゃなくてもいいんだけど、「革命」という概念が成立しうる時代だったか
どうか、というのが70年代初頭をさかいに変わってしまったと思うんです。

60年代の、時代としての特殊性を論じる時に、それは外せないはずだと思うし、
ある種の詩的レトリックが、ある時代特有の現象であったとするなら、その相関の
有無を論じないわけには行かないだろうと思います。

315 :ボルカ:03/03/25 21:36 ID:EMWyCPxM
たとえば、あの時代、隠喩のフォークソング(例えば「赤い風船になるやつとか」)も
流行したし、サイケのわけの分からない音楽も有ったわけですよね。

そうゆうことまで言って「意味規範」を説明して欲しかった、というのが、僕としての感想な
んですね。

もっとも北川自身は意味規範を共同幻想ではなく、「意義」と言ってるわけですけど。

あと、かのっぴさんは、>>290で、また違った視点(情報量の変化)を出しているわけで
すよね。


316 :ボルカ:03/03/25 21:46 ID:EMWyCPxM
ところで、これから僕は出張に出て週末まで戻りません。
レス遅れますが、ご議論、展開いただけると幸甚です。

次章は僕の見たところでは、理論的にどうかなと言う感じもあるのですが、
ここでは、反対の立場の方の本を引用する余力もありませんので、
とりあえず北川の主張するところを見ておきましょう。

おっと、それから、>>306
にさらにレス。
文芸理論がなんの役に立つのか、何のために理論書を読むのか、
というのは思ったより難しい問題ですね。
正直、僕には解答できません。
レスしたあと気がつきました。

317 :ボルカ:03/03/25 21:51 ID:EMWyCPxM
>>306
でも、学問の世界で1号は、ほとんど古代ギリシャ人に独占されてないですか?
この分野ではアリストテレスかなあ。

318 :かのっぴ:03/03/25 23:57 ID:xcTm4Bmr
情報量の変化はさしずめ90年代を分析する切り口かもしれません。
この本が出たのも90年代前半ですが、もとになった詩手帖の連載は
80年代ですから馴染まない部分はあるかもしれません。

ただ未知の像の探求ということなら、論理的には何を認識して
どう評価するのか、ということだから、体験か情報しかないんですよね。
量の変化は情報技術の発達だけれど、質の変化は「革命」という概念の
無力化、構造主義の流行で起こった価値の相対化、多様化といったものも
そこに体系づけようと思えばできないこともないです。

核心の未知の像の探求ということであれば、時代をまるごと規定するものの
ほかに、個としての詩人を規定するものも見逃せないです。石原吉郎が
シベリアで体験したこと、それをどう作品にしているかということ、たとえば
そんなような。それに劣らないような閉鎖環境での暴力はいまでも起こっている
ことだし、それをもとに詩を書く人が現れても不思議ではないでしょう。

319 :306:03/03/26 01:30 ID:0OTvWzDJ
>>306 >>307

勘違いじゃないが、
場違いだった。
理論ばかりで
実践のない
評論家は
嫌いだけど、
純粋に理論を
学ぼうとする人に
とやかく言う気はない。

無視して続けろ。


320 :306:03/03/26 01:30 ID:ZmELEybD
>>306 >>307

勘違いじゃないが、
場違いだった。
理論ばかりで
実践のない
評論家は
嫌いだけど、
純粋に理論を
学ぼうとする人に
とやかく言う気はない。

無視して続けろ。


321 :かのっぴ:03/03/27 22:56 ID:kxNlEzh4
第7章の要約作業をいま進めているところです。
アップできるのはどうやら日曜日になりそうです。

それまでの間、第6章までで本の感想や議論したい内容などがあれば
書き込み歓迎します。要約でわからないところなどについての質問でも
OKです。どこまでお答えできるかわかりませんが。

322 :名前はいらない:03/03/28 11:32 ID:etbuAsj9
力強い批評のスレ。かなり楽しく拝見してます。
レトリックは90年以降には、試行的な展開というよりもむしろ
ここに取り上げられた詩人達のオリジナリティーの派生が根付き、
その成長はある程度行き着いたかなと思います。
新たな「喩」を覚醒する兆しは現在どの詩人たちから放たれるのでしょうか?
つまり「地獄」の領域をさらに広げて地上1Fに届けるものたちは。
個人的には高貝弘也の「漂子」と広瀬大志の「喉笛城」あたりが、
現在詩の「喩」の可能性を提示しているような気はします。あとは河津聖恵か。
新たな詩人達への追求も北川の論旨に沿って読んでみます。




323 :かのっぴ:03/03/28 16:32 ID:ywcla1vp
>>322
書き込みありがとうございます。楽しんでくれている方がいてよかったです。
そのあたりが微妙に気がかりだったもので。。
仰るとおりいまでは伊藤比呂美、荒川洋治、ねじめ正一あたりはベテランの域ですね。
新たな「喩」かどうかはわかりませんが、日和聡子は軽くふわりとあっちにイっちゃっていて
なかなか好きです。一見地上1Fにみえて、そこがまた良いです。
あとネット詩爆撃プロジェクトで知った海埜今日子の散文詩は幻覚のようなものを感じます。
観察すればまだまだ発見できるかも知れませんね。紙だけでなくネット上にも。
ここ詩板にも間違いなく!

324 :かのっぴ:03/03/28 16:56 ID:ywcla1vp
叙情的な詩でいまの感覚にわりと近いものって、さがしてみたいです。
ありそうでなかなかないんですよね。稀有な例として小野省子の「牛丼屋夜間アルバイト」を
あげたいです。あるいはこれはインターネット上のほうが見つかる確率は
高いかもしれません。

ところで、抒情詩が戦争を煽ったとか、現代詩は抒情詩の否定から始まったとか、
そういう議論ももう時代遅れですよね(それにそう言っている人の何人が荒地派の
議論をちゃんと自分で消化しているか疑わしいし)。ひょっとしたら今は、抒情が
未知なものかも知れないのだから。

325 :かのっぴ:03/03/28 22:24 ID:hohICb2x
>>311 >>314
情報に誤りがあったので訂正します。

本のタイトル ×「現代詩最前線」 ○「現代詩前線」

1980〜1983までの4年間、読売新聞の夕刊に「詩の月評」として
書かれたものが編集されています。本が見つからないときは
新聞の縮刷版を探すという手もありますね。

326 :ボルカ:03/03/28 23:44 ID:slrvk/EW
こんばんは、かのっぴさん。

>>322さん、ちはっす。
僕は、今、小峰慎也氏の「スケベ心とどまるところを知らず、明日に向かう」
を読み終わったところなんですが、これはイイですよ!

技術的には、異化にこだわって、分かりにくい手ざわりを残そうとしてるみた
いなんですが、直感的に伝わる部分が、60年代でも、80年代でもなく、2002年
の詩になってる感じがします。

>>320
書き込みありがとう。
あと3週間ほどで、この本の読書は終わります。
そうしたら、北川の方法論で、北川の詩を論じてみるとか、彼の方法論で
他の作品を論じてみるとか、ちょっと遊びながら、雑談をしてみようと
思っています。

そのなかで、「そもそも詩論は役に立つのか」みたいな話も蒸し返しましょう。
またご参加いただけると幸甚です。

327 :ボルカ@ヒロミについて:03/03/28 23:48 ID:slrvk/EW
さてと。
好き嫌いは個人の趣味だけど、僕は伊藤比呂美はとてもカッコいい詩人
だと思います。で、かのっぴさんも書いているけど、ヒロミを巡って
ちょっと、偏った視点から僕としても付加的にコメントをしときます。

「詩的レトリック入門」は全部で9章からなるが、この第6章までが上
り坂で、以降の章は、他の論者との距離設定や、これまでの論述への付
加的記述と言うことになると思う。
ここまでの全体を見渡して、北川が最も力点をおいたのは、この6章の
第6、7節、白眉は伊藤比呂美論であろうと僕は思う。

北川はここで、一見、伊藤を「評価するふりをして貶している」ように
も見える。彼の記述を簡単に解説すれば、「伊藤は詩ではない(詩的レト
リックを指向する文学表現ではない)んじゃないの」ということであろう。
しかし、本当は逆である。逆である、という事態が起こっていることに、
北川ほどの論者が気がついていないはずがない。

328 :ボルカ@ヒロミについて:03/03/28 23:49 ID:slrvk/EW
北川は、伊藤を貶すスタイルを取らざるをえないことを示すことで、伊藤
に「わざと」敗北して見せたのだ。
そう読んで始めて、北川がなぜ、次章で岩成達也を攻撃するのかを理解す
ることができる。

現代詩は、伊藤比呂美が、「おまんこで」破壊した。現代詩とは、最終的に
そういう物語だったのだ。それを北川は、恐らくは知っている。

もちろん彼は、「詩的なものの危地」とか、「肯定性の(貧しい)隠喩」とか
言わなければならない。だが、否定の隠喩によって意味を韜晦して、言語(詩)
への挑戦を自己目的化するような、自己完結的な詩や批評のあり方は、荒川洋
治までで、決定的に終わっている。荒川はそれを皮肉ったり、正面から批判す
る詩を下げて詩壇に登場したわけだが、伊藤の出現によってそれすらも無意味
化してしまったのだ。北川はそれに気がついている。
気がついた上で、なおかつ理論の可能性を極限まで試みているわけであり、
それが、体系的にではなく「思いつきで書く」という戦術だったのだろうと
僕は思う。

以上、僕からのコメントとして。(ちょっと「本の外」に出ちゃうけど。)

329 :ボルカ:03/03/29 00:02 ID:vnrfEWSk
>>324 かのっぴさん

戦争が始まったとたん、NHKがムキになって、美空ひばりの特集を
流してますよね。
で、昭和がどうの、日本人の心がどうのとコメントしている。

僕は、自分の世代としては、かなりレアな、ひばりマニアとして、職場
では知られているんだけど、ああゆう特集の組み方には疑問を感じます。

「日本的情緒」って、ああゆう下品な国民意識操作のことじゃないかなあ
と思います。

「りんご追分」聞いて、北朝鮮と戦争したくなる奴は、本当はポエジーなん
かと関係ない。でも現実にはそのレベルが狙われるんだよね。
また、それを許しちゃうのは、詩人ではなく批評家の未熟だったのかも、と。

詩論について勉強する立場からまじめ言えば、荒地前後をちゃんと抑え
ようぜ、見たいな話かなあと僕も思います。

「荒地」ってアレチって読むって知ってました?僕はそれを知って、まだ
半年経たないよ(笑。先は長いなあ。

330 :無核 ◆tn2uyAKgTA :03/03/29 00:09 ID:e5+VDpm3
>>329
ガーン!!「コウチ」だと思ってました!!(w

331 :ボルカ:03/03/29 00:42 ID:vnrfEWSk
僕も、コウチだと思ってました。人から聞いて、こっそりびっくりした
記憶があります(笑。でも、僕は顔に出やすいから、バレたかもね。

北川のこの本は、便利な索引つきなんですが、このなかでも「荒地」は
カ行じゃなくてア行ですね。
こうゆう情報は、耳学問で、ちゃんと文献的理由にもとずく議論とは違い
ますけど、どもアレチらしいっすね。

332 :かのっぴ:03/03/29 10:04 ID:3EAbQFVw
>>329
なぜか「アレチ」だと私は知っていました。でも以前に「コウチ」と思っていた
ことも事実。多分何かで確認したのですが思い出せません。

>現代詩は、伊藤比呂美が、「おまんこで」破壊した。
これイイですね(笑)「現代詩前線」で吉本と鮎川が対談で伊藤の詩をとりあげて
「どうしようもなく肯定的なんですよねえ」と眉をひそめている1コマを
発見できました。破壊がそこに象徴されているような(w

♂の詩人、批評家がおろおろしている一方で♀の詩人、批評家がわりと客観的に
伊藤比呂美や井坂洋子の詩をとらえて語っている姿を昨年2月の詩手帖の
特集で発見できました。この角度からの見方もまた見逃せないです。

333 :ボルカ:03/03/29 16:09 ID:RnK12neq
昨年って言うと、「女流」詩の特集でしたっけ?編集意図に、ちょっと
と思った記憶があるけど、中身は面白かったように、、、うろおぼえだけど。
確か、「産む」やつも収録されてたかな。

これ言うと、嫌われるけどさ。
僕は、「女の視点」を外して文学はもはやできないと思うんですよ。
やっぱり、違うことを見ている気がして、それが明治以来無視されてたんだけ
ど、もう無理って気がする。

僕自身の戦略としては、状況を逆撫でした、時代錯誤的な「男流詩人」を
目指してるんですけどね。

334 :ボルカ:03/03/29 16:10 ID:RnK12neq
第7章反喩の構造/詩的仮構論の試み

第1節言語の階層化

ここで北川は論争を仕掛けているのだが、始めにひとつ理解しておきた
いことがある。それは、誰かに論争を仕掛けるとき、「わざと隙を見せ
る」のは常套手段だ、ということだ。論争はボクシングである。対戦者が
いないチャンピョンには、結局、価値が無い。

そういうことを押さえずに、いきなり切り込むのは危険だ、と僕の本能は
告げている。ここでの北川の論理構築には、あきらかに隙があるが、少な
くとも、北川が対戦者として指定した人の反論は読んでからでないと、
論評はできない。

−引用−
わたしは、むろん、ここで竹内芳郎の言語階層化理論を、特に批判しな
ければならなぬ、と思っているのではない。
―引用終わり―

思えよ、と突っ込みを入れたくなるが、これが、わざと見せている隙で
ある。北川が、この理論の理解や論駆に成功しているのかどうかは、
実はここでは示されていない。それは、論争相手との議論の中で示された
はずである。ここでは、論争相手への挑発が行われているのだ。


335 :ボルカ:03/03/29 16:11 ID:RnK12neq
−引用―
ただ、詩人のなかにも、詩とは詩語で書かれねばならぬとか、<詩的言
語>を実体化して考える傾向が広く認められることを思えば、その根拠
を突き崩す必要があるかもしれない。しかし
―引用終わり―

しかし、と言って論争相手が指定される。
しかし、私が今考えているのは、岩成達也のことである、と。

だが、この<しかし>の直前の記述から、北川が仕掛けた論争のあらす
じは読み取れる。
前章6章において、北川は、80年代以降の詩は、現実を手放して詩に閉
じこもるか、詩的レトリックの豊かさの無効になる地点で、現実に追いす
がるか、と言った選択を迫られているが、どちらを手放すのも、良くない、
と考えていた。

前章では、主として、荒川、ねじめ、伊藤らの詩が批判された(批判の形
で言及された)のだが、この章では、逆の極限を行こうとする岩成を俎上
がのせられるのである。

以上を前提として、ここでの北川の説明を簡単に紹介しよう。


336 :ボルカ:03/03/29 16:12 ID:RnK12neq
北川は、ソシュールの「シーニュを構成するふたつの要素、シニフィアンと
シニフィエ」という考え方を当然の前提とする。
ますここに問題がある。前述したように、北川は「意味規範」を、<語り
手>ではなく、その背後にいる、生きられた私の側の現実の構成要素、と
考えている。私は北川がこのように考えることを、むしろ生産的なことだ
とは考えるが、言語学的な考察を批判するのであれば、論者が、言語とか、
意味とかいうことばで扱う範囲を厳密に規定しておく必要があるだろう。

ソシュール以下、ラカンに至るまで、彼らの考え方を、<対象指示性>
や<自己表出性>といった概念で計って、「首を傾げざるを得ない」と
帰結するのは、気が早くないか、と思う。

また、先の章で既に指摘したけれども、言語学の問題は、別のところにも
ある。私は、自分の意見としては、「言語による文節化」と「意味の発生」
が同時的である、という考え方自体が、非科学的で論拠を欠くものだと思っ
ている。

北川が、詩を書く瞬間に於いて、<私>が分解することを述べ、「意味規
範」への侵犯が、個人的必要性に基づくものだ、と言う時、なぜ、
言語外の「暗黙知」が意味(生きられた現実)として認知されないのか、
その点が私にはかなーり、疑問です。


337 :ボルカ:03/03/29 16:13 ID:RnK12neq
いずれにしろ、第一節では、「言語に階層がある」ということ自体が
こうげきされるのだが、これは本気なのかどうか、私にはわからないです。


第2節
コノテーションの構造

ここで、まず、ソシュールの言語規定が紹介されるが、すでに何度も言った
ように北川の意味規範は、テキストの問題でないところに特徴があるのだが、
そのことは考慮されていない。

また、ここで北川が言っている、形相−実質の話(犬の話)は、やろうと思えば、
解説できるけど、どうなんだろうか?岩成さんて、本当に、こんなヘッポコなこ
と言っているの?と言う疑問がわく。これはわざと外したジャブなんじゃないのか?

北川に従って、<表現:内容>=デノテーション、<表現:内容:内容>が
コノテーションである、と考えるとする。
これは、ようするに、議論の範囲を明確にする、という意味しか持たないの
ではないか?何が問題で、なぜ、「デノテーションと言う階層は、存在しない」
と言わなければならなかったのか、これだけでは理解できない。


338 :ボルカ:03/03/29 16:15 ID:RnK12neq
第3節
他方向回路

ここで、北川は、<コノテーション>について彼なりに論じた結論として、
<リアリティ>を根拠に、ある種の、知的な現代詩を否定する。つまらない、
と断ずるのだ。(とまでは言わず「どこか寒々しい」と表記しているが、
これはもちろん慇懃無礼をわざとやっている)。

ここで問題なことがある。

僕はこの節での北川の理論展開に全く説得力を感じない。
にもかかわらず、結論には同意する面がある。
両方敵に回すなんて、ちょっと損な感じですね。

いずれにしろ、僕は、詩をテーマにした詩は書かない。ちょっとしか(笑。
ちなみに317氏企画の「極北バトル」で、今回僕が提出した、「看護婦と
患者」は、読者と現代詩についての比喩であり、詩についての詩だ。
でも、これは滅多にやらないし、やるときは、やっぱりギャグとして
やるよね。

そうしないと、読者がついてこないし、作者にとっても面白くないから。

今週、僕のレポートはここまでです。
正直、自分ひとりではかなり心もとないんで、かのっぴさんがどのように
読まれたか、是非、レポートお願いしたいです。


339 :かのっぴ:03/03/29 20:03 ID:MuZYKRWs
第2節までの要約が完成したのでリンクします。
明日これに第3節を書き加える予定です。
http://whitestone.apple.ac/kita7.html

この章全体的に北川に説得力がないように私には見えます。いやいやながら
言語学チックな詩論を紹介し、批評しているようにみえたのと、紹介の仕方
がいまいち要領を得ないように思えたのと、都合よい部分だけ紹介して叩いて
いるのではないかという疑念をもちました(笑)。

言語学は私も素朴な感情として嫌いで(笑)北川自身の考えと結論には同意してもいいのですが。

340 :かのっぴ:03/03/29 21:50 ID:3TcqadXs
いまソシュール言語学に関するサイトをいくつか見たのですが、
まず言語学の対象となるラングがすでに言語の社会的側面、
つまりコミュニケーション手段としての側面に着目しているのだから、
言語学を詩に適用すること自体、第1歩からすでに間違っています。
しかもラングの下位概念であるシーニュ、さらにその下位のシニフィアンと
シニフィエをこれも間違って適用して不可分一体の両者を分けて、
日常言語と詩的言語の関係に援用する詩論なんて、まともにとりあうだけ
時間の無駄という気がしてきました。

岩成達也の詩論がほんとうにそれだけだったら、という仮定のもとですが。
でもここで岩成なり竹内なりをほじくり返すのにどれだけ意味があるかは
わかりません。唯一意味がある作業は、ソシュールに戻って岩成や竹内を
再吟味することですが、さすがにそこまでの時間は割けません。

341 :かのっぴ:03/03/29 21:56 ID:w66bMZ4x
そういえばラングの対概念のパロール(言語の個人的側面)は、
詩集専門書店の名前にもなってますね。詩があるとすればこっちでしょうに。
言語学、少なくともソシュールは、はなから黙殺してます。
そんなわけで、第3章は北川以外目をくれず、明日さらりとまとめて
終わりにします。これまで書かれたことを繰り返すだけになるかも
しれませんが。

ただ私も言語学大嫌いなので、言語学に詳しい方がいたら、
できればフォローしていただきたいです。見逃している部分も多いと
思いますし、何よりも興味のない人間がちょっとウェブサイトをみた
ところで理解できるほどソシュールは甘くないと思いますので。

342 :かのっぴ:03/03/29 23:57 ID:M70tcH9K
第3節まで終わらせちゃいました。
http://whitestone.apple.ac/kita7.html

ラングが言語学の対象だとして、それは言語の社会的側面であり、
第5章で北川は意味規範とほぼ同じ意味で使っていたと思います。
その意味規範から逸脱する言葉の結合のあり方が詩的レトリック
だとすると、言語学がどうそれを認識するか、ですよね。
ソシュール言語学は単なる流行として、もしかしたら変な方向に
ねじ曲げられて流通しているのではないか。そう考えてしまうような
言説に最近何度か出くわしていて、どうもソシュールという妖怪に一度
立ち向かわないといけない気がしています。
ソシュールだけが言語学ではないと思うけれど、そもそも言語学と
芸術学は全く畑が違い、詩は芸術学の対象ではないか。
谷川俊太郎の「定義」みたいに遊びとしてやるならともかく、
違う分野の学術用語をおもちゃにして遊んで、しかもいかにももっともらしく
それを並べ立てるのはやめれ!!!!!!!!と小一時間(古

343 :かのっぴ:03/03/30 19:06 ID:2hI/StdD
要約を書いたファイルに下記の文を追記として加えました。
短いので全文書き込みます。

「苛立ち混じりに岩成の詩論に関する議論を粗末に扱いすぎたようです。
インターネット上にも岩成の詩論について書かれた文書をいくつか発見
できました。それをみてわかることは、岩成と北川はやはりすれ違って
いるらしいことです。岩成がコノテーションという概念を用いてやろう
としたことは言語の階層化ではなく、微細な言語の運動性、そしてそれに
重なる私達と世界との間の運動性をとらえることだったようです。
となれば文学言語は日常言語の延長上にないとした竹内芳郎の論とも
全く違うように見えます。竹内と岩成は個々に、そして北川とも別個に
理解したほうがいいことは確かです。」

344 :かのっぴ:03/04/01 21:31 ID:evWqxu7z
そういえば第5章の6節「ナンセンスの出現」で、岩成達也と谷川俊太郎の
詩が並べられていましたね。思い切り身勝手に個人的な感想をいえば岩成の
詩は、考えないと読めないけれど考えたところで楽しめるかどうか。一方
谷川の詩は、考えると読めないので頭をからっぽにすると(私の場合は)
楽しめるんですよね。「ぬくぬくと/ふとって」、「かるがると/たのしそうに」
などありふれた修飾を使っているにもかかわらず、です。

コノテーションを使って岩成が何をやりたかったか、ネットですれ違った
断片的過ぎる情報以外、私は知りません。でも彼のほかの詩も私にとって
あまり面白くなさそうだな、という予想は多分正しいです。

もうひとつ、これは邪推ですが、岩成のなかで詩より先に論があったのかな、
と軽く疑っています。そうだとすれば間違いなくつまらない詩ができあがると
私は思うのです。私が思うだけでひょっとしたら違うのかもしれないけれど。

345 :ボルカ:03/04/02 21:50 ID:4GazylI/
お疲れ様です。
レポートありがとうございました。ここでは、「わからなさ」が共有できて
嬉しいです(笑。一人じゃさびしいと感じてました。
この章は、やはり、岩成さんの詩論や、岩成−北川間の論争を参照しなければ、
なんとも言えませんよね。

僕のコメントを2点付け加えます。

1:
言語学を理解するのに、北川は吉本の用語(表出概念)を用いていますが、
まずここに、ねじれがあること。

普通、言語学はテクストを考察の対象にすると思います。
北川は前の章で、詩を書く主体を<私>と<語り手>に分離しましたけど、
言語学を援用した批評では、<語り手>のほうしか、考慮しないのではない
でしょうか。

僕は吉本については、ぱらぱら眺めただけなのですが、彼の表出概念は、もっと
<私>概念に近いと思うし、北川の<意味規範>も<私>よりだと思います。
僕は、それは、論理としては曖昧だけど、実践的芸術理論としては、むしろ良い
戦略だと思います。
そのような曖昧さを残したことによって、北川は、この章で<リアリティ>を
持ち出して、岩成を批判できるのだろうと思うのです。

テクストの側にとどまるなら、リアリティという言葉自体、批評の言語として
使えるのかどうか、うーん、どうなのかな?
正直、言語学を勉強していないんで、今ひとつ断言できないんだけど、問題の
一端はこの点だと思う。

346 :ボルカ:03/04/02 22:08 ID:4GazylI/
2:
もう一点、コメントしておきたいのは、岩成さんの詩論については、
僕は全く未知なんだけど、僕も今、言語学に近いところで、いくつか気に
していることがあるって事です。
先月号の「詩学」の野村さんの評論は、面白かったな。

あと、僕は今、ハンナ・アーレントて人に興味をもったるんだけど、この
人はベンヤミンの友達でね。伝記的な興味から、とりあえず、この間の
ユリイカの特集号を買って、読み始めてるところです。

そなわけで、言語学全般を、つまらないとは言ってしまいたくない。
この辺、保留しておきます。
もちろん、かのっぴさんもそうだろうけど、僕からのコメントとして。


347 :ボルカ:03/04/02 22:19 ID:4GazylI/
細かくはふれません(僕にコメントできる知識がないです)が、かのっぴさんの
要約は、非常に参考になりました。どうもありがとうございます。

結論として、
>>343
に概ね賛成です。
ただ、言語を階層的に捕らえることが、別に問題ない、フツーなことのような
気もするので、まあ、このへんは、なんとも勉強不足で、コメントしにくいって
のが、正直なところですね。

それから、この章から、学べることとして、70年代以降の
いわゆる「難解な詩」のうちには、60年代の詩と、一見にてるんだけど、
詩論を検討すると全然違うものが含まれている、ってことが挙げられる
のかも知れない、と思いました。

*****
今週、ちょっと立て込んでます。
8章のレポートは、来週、火曜日以降にアップします。

348 :かのっぴ:03/04/04 09:12 ID:EAjBs6GM
岩成達也の詩論『私の詩論大全』手に入れました。「覚書」も収められています。
デノテーションなどの言葉は当時流行りの記号論の言葉をただ使ってみた
という感じで、そのために「北川さんの誤解を招いてしまったなあ」と
書かれているので、言語学などと切り離し、岩成独自の概念として読んだ
ほうが良いようです。

彼が少年期にフランス文学に心酔したこと、数学的な思考訓練を受けたこと、
またコンピューターのプログラムに関する仕事をしていたこと、なども
微妙に影響していそうです。徹底して理詰めではないものの、ある程度は
論理的に物事を考えることができる、こういう人は詩壇に一人くらいは
いてほしいです。どうも後味が悪かったというか、捨て切れなかったのは
この部分かな、と納得しました。少し高い買い物だけれど(3200円)
私にとってはもとはとれた感じです。

>>347
第8章の要約、私も遅れているので私もそのくらいの時期にあわせて
アップします。もちろん、早くあがればその時点で。

349 :ボルカ:03/04/05 14:51 ID:QZj/yR6q
買っちゃいましたか。やるなあ。
あとで僕も読もうと思います。ネットでの書評などを見ると、
思ったより現実的というか、理解しやすいもののようですよね。

>こういう人は詩壇に一人くらいはいてほしいです。どうも後味が
>悪かったというか

論争を読む難しさですよね。本当の対立点がどこにあるのか、分からないうちに
派閥的に、参加・荷担したくない。

実はこの部分は、2年前、この本を図書館で発見した時に、最初に気になったん
ですよね。それで、その場で北川の詩集と、岩成の詩集を眺めてみて、僕としては、
北川を信頼することにしたわけなんですが、少し読みなれてきて、岩成の詩集とか、
詩人の名前が思い出せないけど、「客と規約」っていうカラスの詩集、知ってますか?
どういうのかっていうと、何も書いてないんですよ。がぎぐげごの、濁点以外。
そういう現代的な詩をどんな詩論が支えるのか、見ていきたいと思っています。

それと、「大全」で3200円なら、安いんじゃないかな。
この本は「入門」のくせに2718円だし(笑。

350 :かのっぴ:03/04/06 21:49 ID:iYY9JsQH
第8章のレポート、とりあえず現在書いたところまでアップします。
続きはまたこのファイルに書き足してゆきます。
更新状況はファイルの左上をご覧下さい。

http://whitestone.apple.ac/kita8.html

351 :かのっぴ:03/04/06 22:26 ID:qQm57RZU
>論争を読む難しさですよね。本当の対立点がどこにあるのか、分からないうちに
>派閥的に、参加・荷担したくない。

これ、本当に気をつけないといけませんね。私などしょっちゅう論争の
どちらかに荷担してしまいます。格闘技のようにそういうのを楽しむのも
また一興だとは思いますが、熱狂的ファンになる必要もないし、敵のことも
知ったほうがよい分析はできる、と。

岩成の「大全」、たしかに新体詩から戦後詩まで、あの独自の視点で切り込んでいるので
内容的にもかなりお得です。新体詩や象徴詩のあたりだと、普通に文献に
あたると論者が古いせいか、注意しないと「決め付け」が頭に刷り込まれて
しまうので、それを解き放すきっかけにもなりそうです。

352 :かのっぴ:03/04/09 23:53 ID:fIXwbO12
第8章のレポート、終わりました。
http://whitestone.apple.ac/kita8.html

多分読みにくいと思うので質問等、遠慮なくどうぞ。
本の感想、議論したいことなどもあれば書き込み歓迎します。

353 :罵倒る亀 ◆YdTp8oxx7. :03/04/10 00:08 ID:gA4Degua
>>1-352
お前らがみんな揃ってテンポよくティムポ振り回しながら
桜の下で人肉食ってるの昨日見かけました。
よく澄ました顔して読書会なんてやってられるよな、この真性変態どもが!!!

354 :かのっぴ:03/04/10 08:27 ID:5gGS/+Yz
>>353
お、いらっしゃいまし。
眼球をティムポで打ち返して満塁弾叩き込んだところまでは
見てもらえなかったか。。残念。変態は楽しいよ。

よかったらテキトーに乱入してね。

355 :名前はいらない:03/04/10 08:39 ID:ph49FY5X
http://www2.leverage.jp/start/

356 :名前はいらない:03/04/10 08:57 ID:7nMxbvH4
変態?

357 :名前はいらない:03/04/10 08:58 ID:7nMxbvH4

馬鹿?

358 :名前はいらない:03/04/10 08:59 ID:vcwMB7oW
titti?

359 :名前はいらない:03/04/10 08:59 ID:cKT9dPnl
アホなんだろ!

360 :名前はいらない:03/04/10 09:01 ID:5TYxNr2a
>ドン亀


オレのチンポを懐かしむ・・・だもんな!(アホだぜ


361 :名前はいらない:03/04/10 09:05 ID:iKeaUGBR
>>360
あったなぁ
そんなの(笑

362 :名前はいらない:03/04/10 09:08 ID:BR9goVWf
粘着さんですか?(w

363 :名前はいらない:03/04/10 09:14 ID:M9ewvppN
チンポ亀と
オナニーいかと
潔癖馬鹿の粘着は

詩板の花ですね。


364 :名前はいらない:03/04/10 09:15 ID:M9ewvppN
みんは死ね

365 :佐々木健介:03/04/10 09:16 ID:VhQEMYqH
     ______
    /_      |
    /. \ ̄ ̄ ̄ ̄|
  /  /  ― ― |
  |  /    -  - |
  ||| (5      > |
 | | |     ┏━┓|   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| | | |     ┃─┃|  < こんなサイトを見つけた
|| | | |  \ ┃  ┃/    \  正直、スマンカッタ
| || | |    ̄         \_________
http://saitama.gasuki.com/kensuke/

366 :あぼーん:03/04/10 09:16 ID:VhQEMYqH
 ( ・∀・)< こんなのみつけたっち♪ 
http://muryou.gasuki.com/hankaku/hankaku03.html
http://muryou.gasuki.com/hankaku/hankaku04.html
http://muryou.gasuki.com/hankaku/hankaku02.html
http://muryou.gasuki.com/hankaku/hankaku01.html
http://muryou.gasuki.com/hankaku/hankaku10.html
http://muryou.gasuki.com/hankaku/hankaku09.html
http://muryou.gasuki.com/hankaku/hankaku08.html
http://muryou.gasuki.com/hankaku/hankaku07.html
http://muryou.gasuki.com/hankaku/hankaku05.html
http://muryou.gasuki.com/hankaku/hankaku06.html

367 :かおりん祭り:03/04/10 09:16 ID:VhQEMYqH
http://www.saitama.gasuki.com/kaorin/
       こんなのございま−す♪
       ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
        〜oノハヽo〜
  ,.-''"¨ ̄●`' ‐(^▽^)
 (,,●i,,,i,,,,,,,,i,,,,●),,)⊂ )
    )  (    || |   
    ( ^▽^)  (_(__)
~~~~~  ̄ ̄ ~~~~~    ~~~~~

368 :あぼーん:03/04/10 09:16 ID:VhQEMYqH
あぼーん

369 :かのっぴ:03/04/10 19:36 ID:olYshDJf
思ったのですが第8章で扱った「ランゲルハンス氏の島」とか
「優雅で感傷的な日本野球」とかは、ある意味、変態の領域ですね。
それか幻覚を楽しむようなものか。「未知の像」って、そういう
いかがわしさが付きまとうのでしょう。詩についてわりと小奇麗な
イメージをもっている人が萩原朔太郎の病的な詩を読んでしまうと、
かなり抵抗感があるでしょう。入沢の「ランゲルハンス氏の島」
や谷川俊太郎の「不可避な汚物との邂逅」なんかもそうですね、きっと。

レトリックを扱ったこの本に即したレポートなので朔太郎も読み返しましたが、
実は萩原朔太郎の詩は苦手です。10代の頃はどちらかといえば目を背けて
いました。今読むと当時ほどの抵抗感はないのですが。いろいろ読み慣れた
からかもしれません。音韻律に関しては、いわれてみればそうかな、という感じで
やはり実感としてわからないのですが。
七五調に関しては、読む側に先験的にインプットされている、という側面を
無視して語るのはフェアじゃない、と一言いっておきたいですね。

朔太郎大好き!って人、います?いろいろ語って欲しいです。

370 :名前はいらない:03/04/10 20:07 ID:0FjgZ7W0
http://www.geocities.co.jp/Playtown-Part/7266/こいやゴルァ!!!!今世界でもっとも注目されているHPです(ホントです!!)。

371 :ボルカ:03/04/10 20:36 ID:6ThwZFaH
やっと、先月締めの仕事が終わったよ(笑。
死ぬかと思った。
>>350
いつもながら、僕には到底書けないきちんとしたレポート、ありがとうございます。
手帳の今月号は読んでなかったので、丁寧な紹介ありがたいっす。

ところで、僕は「世界中年会議」という物語的な詩集が、とても気に入ってるの
ですが、ユリイカの今月号で中也賞を取りのがしています。
そのときの、荒川さんや、北川さんの、この詩集のけなし方、また栞を書いている
高橋源一郎の絶賛などが、かのっぴさんのレポートと照らし合わせて僕には面白いです。

まだ、頭がブンガクに向かっていないし、時間的にもタイトなので今日はレポートし
ませんが、週末に次章(最終章)とまとめてレポートします。

いずれにしても、もうこの辺は、北川の課題って言うより、僕らの課題って感じが
強いです。

>>369
サクちゃんは友達っす(うそ)。でも、詩はいまいちが多いかなあ。時々、どうしようもなく
すごいと思うけど。
最近僕は入沢の断片がグッとくるなあ。



372 :ボルカ:03/04/10 20:48 ID:6ThwZFaH
ところで、亀の大将はホンモノ?

東京では、今年の桜は綺麗だったぜ。
俺はもちろん、仕事も読書会もほっぽらかして酒を飲んだよ(w

だからって俺の孤独が癒されるわけじゃないがな。

373 :名前はいらない:03/04/10 21:00 ID:SK2PkmbZ
朔太郎は好きです。
文学は全く苦手な私は朔太郎の詩は最初に読めた
文学の詩です。
高村光太郎も文学だろうけれど
一般大衆にもすんなり入っていけるので
こむつかしい文学という気がしません。
「恋を恋する人」
のしなをつくってみせるところ
「片恋」
など女性のようなところがありながら
実は男性の繊細さが現れているところ
うっとりとします。
私は男らしい人が現実的には好みですが
朔太郎は何故か惹き付けられます。
変に魅力があるんでしょうね。
ちょっとエロティックでこちらの女性の部分を刺激されてしまう
きっと女性を口説くのがうまかったと思いますよ
あんなにロマンティックなんですから(笑)

374 :かのっぴ:03/04/11 19:17 ID:D/RWYFCt
>>373
反応してくれてありがとう。
エロスは音色に近いもののような気がしてきました。
イメージも確かに湧くけれどそれだけではない。
それだけでは仰るところの「繊細さ」って出ないと思うんですよね。
音楽にはリズムも確かにあるけれど、音色というのもあって、
その角度からサクちゃんを捉えなおすのも面白い気がしてきました。

>>371
ユリイカ立ち読みでチェックしました。
選考のコメントって、やっぱり受賞作をよいしょするほうに
もってゆくから、何か不自然、というのが素朴な印象ですね。
それはともかく、「世界中年会議」面白そうですね。

375 :かのっぴ:03/04/11 19:18 ID:D/RWYFCt
9章、マチネポエティックとか出てきますね。
たいていは失敗とか言われるけれど、あれを失敗とする人が
どういう考え方に囚われているのか、だいたい見えてきた気がします。
そのあたり、レポートで突っ込んでみますね。少し完成が遅れるかもしれません。
ところで、韻ということならヒップポップあたりに注目したほうが
絶対に面白いな、と思ったので今日CDを物色してみました。
詩板にもライムポエムというスレがあったのですが、誰か知りませんか?
過去ログをしらみつぶしに見たのですが、発見できなくて。。

376 :名前はいらない:03/04/11 20:24 ID:uTXDHoMy
>>375
ライムスレ、現在でも続いている筈ですよ。
確か「ひょっこりひょうたん島スレ」みたいな名前だったと思います。

377 :かのっぴ:03/04/11 23:27 ID:fHjb/yws
>>376
情報ありがとうございます。スレ発見できました。

378 :かのっぴ:03/04/12 00:32 ID:fByzAVBl
ちょっと先走ってしまいましたが、第8章関連で
話したいことがあればどんどん書き込んでくださいね。
それ以前の内容でもOKです。

379 :ボルカ:03/04/12 16:33 ID:uw1QQn3C
遅くなりましたが、8章、レポートします。長文になりました。
******
8章『詩的境界について』
この章では、詩と散文は、どこが違うのか?という問いが
再び検討される。
私達にも、ネット内外でいろいろな文章を目にしていて、
「コレは、詩だろうか」と首をかしげる経験があると思う。
本書の前半で北川は、この疑問について、改行してあるのが
詩だ、と形式面から答えている。

本書はなかなかのボリュウムの本だったわけだが、その過
半、2/3ほどはこの「改行」および改行行為にともなう「余
白」の発生をキーワードにして展開されてきた。
その後、比喩や反比喩(非比喩的語法)等の現代詩のテク
ニックを「規範−意味−侵犯」をキーワードに概観して、正
岡子規、北村白秋から朔太郎、黒田、入沢、谷川をへて荒川
洋治までが、ひとつの論理展開の元に検討された。

で、ぐるっと一巡してきて、ここで北川は再び「詩とは何
か」を問おうとしている。

ここでは、詩は「物語」を禁止している、という北川の観
点が端的に表明された後、第二節以降で入沢と谷川を例に、
「物語」その他の散文と「詩」が境界を侵犯しあう前衛的な
状況が、好意的に紹介されている。
かのっぴさんのレポートはそのへんを詳しく報告してくれて
いる。

以下、ディテールを断片的に紹介しつつ、自分の考えをレ
ポートします。


380 :ボルカ:03/04/12 16:35 ID:uw1QQn3C
第一節「境界の概念」

−引用−
詩とは何かと言う問いにはいつもある危うさがつきまとう。
―引用終わり―
と、北川は論を起こす。
これまでギルド等、詩のサイトで、なんどか私は、「詩の定
義」について意地悪な反応をしてきた。そこには本能的、反
射的な理由しかなかったわけだが、北川のこの論述は、私の
キモチをよく説明してくれていると思う。

「詩は言葉の音楽である(朔太郎)」というコード「規範」
が確率されれば、音楽的でない言葉のありかたを詩から排除
する常識が蔓延しかねない、と北川は懸念する。
私もたとえば、「詩人とは言葉を大切にする人だ」という、
一見当然の言明に同意しない。こうした見方は、言葉の無意
識的な、または放恣なありかたを排除するからだ。

北川はこのような事情、つまり、口語「自由」詩に、規定
など、もともとありえないのだ、といことを一応念頭におい
た上で、「でもよ」、と論を起こして、黒田三郎の引用から「非
詩」に論及していこうとする。

黒田を孫引きする。

―引用―
詩という概念が成立するのは、詩と詩でないものとの境界に
おいてである。詩と詩でないものとの間に生きている人間に
とって、彼を詩に駆り立てるものは、むしろ詩でない物であ
る。
―引用終わり―

381 :ボルカ:03/04/12 16:36 ID:uw1QQn3C
北川はまず、黒田三郎の「非詩」は、テキストと人生を混
同している、と批判する。失恋とか、道を歩いていてつまず
いたとか(黒田には「つまずく詩」がある)そういうことは
考えず、ここで問題にするのは詩と比較しうる散文テキスト
(小説、日記、論文ほか)にかぎると、するのだ。そのため
の手続きとして、黒田喜夫の「反詩」概念(―引用―詩が拮
抗することばのない領域。けして詩になりえない沈黙の領域
―引用終わり―)を、これは「非詩」ではない、として考察
の対象から外す。すなわち、彼は、人生論の領域に立ち入ら
ず、文芸批評の領域にとどまろうとする。

これまでたびたび指摘してきたように、北川はどうしたわ
けか、こういうお堅いことを言ってしまうわけなのだが、彼
自身の論理の構造を丁寧に透視していくと、実はこの「反詩」
こそが「意味規範」と密接な関係を持っていることに気がつ
く。そしてそれこそが北川の最大の(しかし隠れた)魅力で
あると私は思う。なぜなら、リアリティの問題に言及できる
論理構造を持っているか否かが、今後「批評の力」について
の分水嶺となると思われるからだ。


382 :ボルカ:03/04/12 16:37 ID:uw1QQn3C
第2節偽物語的・偽論理的叙述の試み

さて、とにかく「非詩」とは、歌謡、物語、批評、演説、
報道などのことである。そして、その「境界」を意識し、意
識した上で侵犯するとこが重要である、と北川は考えている。
このあと彼は、入沢の「偽物語」などを紹介していくわけだ
が、ここで一つ指摘しておきたいと私は思う。

ここまで北川は、詩が物語を禁じてきた、ということを前
提としているが、これは2003年の今日においても、なお妥
当すると言えるだろうか?
ここで私は「時代性」ということを考える必要を感じる。
たしかに「物語」の時代、すなわち60年代には、「反−物語」
がポエジーの牙城でありえたし、また詩というジャンルの意
味ですらあったかもしれない。しかし、現在、「時代にとって
の物語」がすでに失われていること。北川自身の叙述に添っ
て言い換えるなら、「都市の物語」は拡散し、希薄化し、高速
化していく物語であり、もしかするとポエジーでしか捕らえ
られないものになったのかもしれないと言うこと。そういう
ことが、ここで私達「ネットポエマー」によって論じられな
ければならない、と私は思う。

端的に言おう。少なくとも私は、詩が物語を含有すること
を、ちっとも奇異に感じないし、新しいとも感じない。それ
はただフツーのことだ。自分もフツーにそういう詩を書くし、
田口犬男もフツーにやっているだけだと思う。批評と言う観
点からいえば、詩を評するとき、私はそのことについて「テ
クニックとしては」言及する必要を認めない、ということな
のである。

383 :ボルカ:03/04/12 16:43 ID:uw1QQn3C
***
私は四元康祐の最近の詩集「世界中年会議」を高く評価し
ている。

今月(4月)号のユリイカにおいてこの詩集は中原中也章
の最終候補作として論じられたが、そのなかで北川の批評が、
私には興味深かった。彼は、この詩集の面白さを評価した上
で、なお、「物語」を詩に導入するのが、当たり前に行われて
いることに不満を表しているのだ。
北川の「詩的レトリック入門」が刊行されて既に10余年
が経過していることを考えれば、ユリイカにおける北川の批
評は、北川の詩に対する実に驚くべき誠意を証明していると
言える。思いつきで彼はしゃべっていない、ということだろ
う。しかし、私であれば、「世界中年会議」にはあのような批
評はしない。

この詩集で四元がやっていることは、このほとんどどうに
も物語化できない(物語と言えばマスコミが垂れ流す操作情
報だけの)現代社会のなかで生活しながら、地下5階におい
て咲いた、狂い咲きの花をそっと摘んだ、ということである。

そして彼は、その花を誰にでも分からざるを得ない、明瞭
な地上の詩の世界にまで持ち運んだ、ということだったはず
である。他の誰が、ビンラディンの詩を書いたか?また、他
のどのやりかたで911が日本人の詩として生きられたか?

これが、知性なのだ。こうした仕事は、知性にしかできな
い。小難しいやり方で韜晦することのみが知性なのではない。

384 :ボルカ:03/04/12 16:44 ID:uw1QQn3C
もちろん、既に広く常識化したテクニックを見かけただけ
で、既にあるだの、いやそう言えばなかたかもだのと、キャ
ーキャー騒ぐ、ということであれば、それは批評以前である。

そういうエセ批評は、ネットでもみかけることがあるし、
誌上でも散見する。そういうとき、どうしても何か言いたい
ならば、「よく勉強してるね」と言えばいいのであり、他は入
らぬおせっかいである。――同じ理由で、私はそうした批評
家を名指しで攻撃したことはないのだが、「難しくてはいけな
い」という人々に同意しないことは付言しておく。

北川はさすがにそういうことはやっていないし、そういう
レベルからは遠いところに身をおいている。すなわち、彼は
エセ批評家ではなく、批評家である。それは十分に評価する。
しかし、私であれば、もうすこしヤワイところ(物語や政治
演説を詩の境界外としては考えない地点)に身を置いて批評
する。別に北川にケチをつけているのではない。北川に触発
されて、そうした地点に批評を築くのは、たぶん、私達ネッ
トポエマーの今後の仕事だろうと思うのだが、どうだろう
か?

385 :ボルカ:03/04/12 16:51 ID:tmdX/ZhQ
**
第3節物語に戯れ、物語を裏切る、もの騙り

ここでは、高橋源一郎の面白い小説の技法が、詩との境界
を侵犯する戦いとして紹介される。
僕も高橋は好きだ。名著「文学がこんなに分かっていいか
しら」はもちろん読んだ。
ここでは註釈から高橋を一部孫引きして、紹介に代えよう。


386 :ボルカ:03/04/12 16:52 ID:tmdX/ZhQ
「さよならギャング達:第二部 詩の学校」

−引用−
真っ暗になった「詩の学校」のなかで、わたしはいつか生
徒たちが書く筈の詩のことを考えていた。

きれいで、単純で、力強い詩があるだろう。

変なものも、気味の悪いものも、ぐずなものも、幼稚なも
のも、こっけいなものも、読むに耐えないほど馬鹿馬鹿しい
ものも、規則を守っているものも、規則を知らないものも、
はずかしがっているものの、うそつきも、気取っているもの
も、その中にはいるだろう。

上手い詩以外のすべてが、その中にはいるだろう。

わたしは立ち上がり、手探りしながら教室を出た。

―引用終わり―

387 :ボルカ:03/04/12 16:53 ID:tmdX/ZhQ
「詩の学校」。これをこの本に引用する北川さんが、ボカア
好きだなあ。たぶん北川さんは知らないだろうけど、ここが、
ソコなんだよね。

***
実は、この節に関連して三浦和義氏のインタビュー記事(週
刊文春「疑惑の散弾」記事事件)を引用しようと思ってたん
だけど、力尽きました。
関連文献だけ書いとくね。

>渡部直己「現代口語狂室」河出書房新社

三浦さんて、詩人だと思う。あと、ワタナベのことは尊敬
してる。「境界」を考える上で、とても面白いですよん。

明日は、次章、最終章をレポートします。

388 :ボルカ:03/04/12 16:59 ID:tmdX/ZhQ
>>375
まさに、そのとおり。
ライムポエムもそうだし、普通の歌詞でも、「音足をそろえる」てのは、
絶対必要で、そういう観点から、このへんはとらえなおしてくべきですよね。

今、歌詞の批評できてるひと少ないと思う。サイキョウさんがやってるのを見て、
すげ−と思ったことがあるけど、僕にそれが難しいのは、音数律とかにたいする
考え方が整理されてないのも一因かと。

次回のかのっぴさんのレポートも楽しみにさせていただきます。


389 :名前はいらない:03/04/12 17:01 ID:44hgQjLO
うるさいな
ボルいかは(笑

390 :名前はいらない:03/04/12 17:07 ID:7LActFNg
暇なんだろ。無職だし・・。

391 :ボルカ:03/04/12 17:11 ID:tmdX/ZhQ
つけたし
>>386
は、「詩的なものを肯定しない詩」の説明として、北川がつけた
註釈です。

392 :名前はいらない:03/04/12 17:11 ID:C+nB46Vv
>ボルカ
あまり、くだらないことばかり書かないでね。(ぷ

393 :そんもんだろ:03/04/12 17:16 ID:ri2T27gw
自分で
理解して書いていない。
パクリをエラそうに書き込むクセがなおっとらん。

394 :名前はいらない:03/04/12 17:19 ID:zh95usFj
ウザイ!!

395 :名前はいらない:03/04/12 17:24 ID:mNidfz9G
>>393
やや同意(w

396 :名前はいらない:03/04/12 17:30 ID:VIEKxDGw
実社会の経験の無い人が
なにを言ったってなぁ、、と思われ。

397 :ボルカ:03/04/12 17:31 ID:tmdX/ZhQ
おおっ!粘着さんっすか?
不屈の闘魂ですね!
えらいなー。

てか、歓迎するけど、あと、桜の季節は、お互いイロイロ事情があるんだろうけど、
>>1は、読んどけよな!


398 :名前はいらない:03/04/12 17:32 ID:VIEKxDGw
また、いつものスレをageてるよ。
やることがアホだな。幼稚だよ。>ボルカ

399 :ボルカ:03/04/12 17:40 ID:tmdX/ZhQ
まあ、落ち着け。あのスレッド上げてるのは僕じゃないよ。

とりあえず、君が自殺したりしないで、元気でいてくれて、俺は本当に
嬉しいよ。
この間はつい、言い過ぎた(虫とか(笑)。
ごめんね。

400 :名前はいらない:03/04/12 18:58 ID:jmyLWJPv
詩学を初めてネットで買ってみましたらね
ボードレールの詩が載っていたんですよ。
訳つきで。
私は始めてレトリックの概念がわかった気がします。
「街がけたたましく吠えていた」
「彫刻の足」
こういうのを比喩というんですね。
でもレトリックを意識して書いているような気がしませんでした。
「街がけたたましく吠えていた」
と描けば情景がすんなりと浮かびます。
北川さんについては難しくなければ読んでみたいです。
あと高くなければ^^;
いやあ、ぜんぜん知らなかったけど谷川俊太郎さんも
いい詩を書くじゃないですか!!
私はてっきり商業詩人と思っていたのです。
田舎にどんどん谷川さんの詩集が入荷してくるんですよ。
つい、立ち読みしてしまうと
欲しくなってお洋服を買うお金が本に化けてしまいました。
流通させればもっと詩を買う人が増えるのではないでしょうか。
本屋に詩集が並んでいなければ当然
ネットで読んでしまいます。
他の詩人さんの詩集でもいいのが数冊ありました。
金銭的余裕とお洋服より欲しいと思ったら買います。

401 :ボルカ:03/04/13 00:20 ID:cYq54Omy
>>aさん、チャオ。
谷川、シブイッすよね。僕は今、「うつむく青年(1989年サンリオ版)」をブック
オフで入手して、読んでるところです。

冒頭引用すると、

***

うつむいて
うつむくことで
君は私に問いかける
私が何に命をかけているかを
よれよれのレインコートと
ポケットからはみ出したカレーパンと
まっすぐな矢のような魂と
それしか持っていない者の烈しさで
それしか持とうとしないものの気軽さで

うつむいて
うつむくことで
(以下後略)



402 :ボルカ:03/04/13 00:29 ID:cYq54Omy
なにもテクは無い様なんだけど、略した第2連と3連では、そのまま
歌詞にできるぐらい音数と強弱がそろえてあるんですよね。

この「詩的レトリック入門」8章で引用されている「いるか」もそうだけど、
谷川ってちょっと枠にはめきれないところがあると思うよ。

「詩的レトリック入門」は、2718円、ネットでも買えるよ。
僕はEブックっていう所を利用してるんだけど、そこだとクレジットカードなし、
コンビニ引取り、コンビニ決済で、送料なしです。

てか、僕は別に北川さんの販売促進運動をしているわけではないんだけどね(笑。

403 :名前はいらない:03/04/13 01:18 ID:PCfLLqp/
>>384
同意ですage。

404 :ボルカ:03/04/13 20:54 ID:E852gnSs
>>403
でしょ?
そう言ってくれる人が、国内に3人はいると見込んでました(笑。

******最終章に入りますが、もう一度スタンスを書いておきます。

ここでは、課題に上げた本の読書会をやっていますが、詩板の特質を
考慮して、できるだけ未読の方も参加できるように心がけています。

スレの運営としては、通常の読書会のように、

要約→読解→批評→→→感想・雑談

という流れを心がけて、一週間に一章づつやってきました。

本来読書会とは、上図の「読解」までを精密に議論するゲーム(勝負)
なわけですが、詩板では、課題の本を読んでいない方も多いわけです
から、それはできません。後半に力点をおいて、ディベートよりブレ
ストを目指しています。
また、忙しかったりして、いきなり感想で終わったりしたところもあ
りました。(いや、そのほうが多かったかもしれません。)


405 :ボルカ:03/04/13 20:56 ID:E852gnSs
最終章(第9章)「詩型論の試み」

第1節詩歌のリズム−音数律

口語自由詩とは、詩形について、詩人が勝手に選ぶ詩である。
そんな自由詩について「詩形」を考えることに意義を見出せるかどうか?

黒田三郎(「現代詩の理解」)や、歌人岡井隆を引用しつつ、北川は以下の
ように指摘する。

―引用―
二つの重要な指摘がある。一つは詩にフォルムがあるということと、定型で
あるということはまるっきり違うということ。もう一つは、定型とは規範で
あり、約束であり、それは詩ができる前、詩を読む前から、作り手や読み手
に予想として存在するものだ、ということだ。
―引用終わり―

まず、ここで、自由詩のフォルムは、単に定型詩の復権ではない、ということ
が指摘される。

406 :ボルカ:03/04/13 20:57 ID:E852gnSs
つづいて、「なぜ、日本の定型詩は5、7音を基調とした音数律なのか」という
疑問が提出されて、時枝誠記の「等時的拍音形式」の概念が紹介される。
これは、要するに、発語の意識として、一音の長さが等しい、ということである。
そのことから、日本語の詩は生理として、音数律に傾くということが指摘される。

つづけて北川は、「では、この音数律のリズムは、定型詩の存立にとって、どう
いう意味を持っているのか」と問い、言下に、これまでの57577より長い定
型詩の試みが、すべて長続きしなかった、と言う。

―引用―
つまり音数律のリズムは、七五調や五七調はもとより、様々に工夫された新リズム
も、それをあがく反復するには耐えられない単調さを持っているということだ。
―引用終わり―

と、北川は結論する。これは、「定型詩」の話である。定型詩ですら、七五調には
単調で耐えられなかった、と彼は結論するのだ。
*****

407 :ボルカ:03/04/13 20:58 ID:E852gnSs
***さて、「等時的拍音形式」が、どうしたというのだったか?ここでの北川の説明
は明瞭でないので、補うしかない。
ここで、本来は三浦つとむを引くべきなのだが、私は読んでいない。
かわりに、私は最近、藤井貞和の詩がとても気に入っているので、藤井さんの
「自由詩学」から紹介する。

−引用−
日本語にしろ、沖縄語にしろ、等時拍ですすむ、音のつらなりを、沖縄語では、
8音や6音で切れめを入れることが発達し、本土語では7音や5音で切れめを
入れることが発達する。 沖縄語で、8音や6音が発達することは文化の問題
であって、日本語で7音や5音が発達することが文化の問題であることに等しい。

等時拍とは強弱や長短のアクセントをも、まとまりをも、を持たないことを意
味する。「藤井貞和 自由詩学」
―引用終わり―

ヨーロッパの詩のようなアクセントや語音の流れによるリズムを日本語は
持つことができない。
たとえば、「とうじはく」と言って、それがどう発音されるかは、方言によって
違うのだから、「とうじはく」と書いた筆者が当面期待できることは、それが
5つの音として、認識されるだろうということだけだ。

藤井は、「見ようによってはさびしいことかもしれないけれども」と断った上で、
そういうわけだから、語数で律を考えるのはだいじなんだよ、説明する。

なお、さらに藤井の説明を紹介すれば、日本語に於いても、べつに5音である
必要は無い、と彼は考えている。何音でもいいのだけれど、幾つかであればい
いのだ、ということだ。また、57577も、77、55を主体としたリズム
として(つまりは歌詞にしうるリズムということだと私は理解するけれど)
考え直す必要がある、と彼は言っている。


408 :ボルカ:03/04/13 21:00 ID:E852gnSs
第2節幻の音韻律とソネット

つぎに北川は、やはり日本語の特徴として、母音が5つしかないことや、
「韻のアクセントに強弱や抑揚がかけていること」を指摘する。
これは、ようするに、「XXXである。」と言ったときに、終音は、
アルではなく、「る」である、という意味だろうと思う。

そうしたことを論拠に、北川は、自由詩における音韻律の可能性に
あまり期待しない。
―引用―
それでは全く可能性がないのかといえば、そうではない。
―引用終わり―
として、谷川の「いるか」が言及される。
すなわち、「遊び」の要素としての可能性である。

つぎに「マチネポエティクス」が批判的に紹介される。北川の批評を
乱暴にまとめれば、「それは、中途半端だ」ということになろう。
「いるか」まで行っちゃわないと、韻を踏む効果は出ない、と。

つぎに、長さをあらかじめ決めておく詩型、として、ソネットが
紹介される。

409 :ボルカ:03/04/13 21:02 ID:E852gnSs
第2節非定型の詩のフォルム
―引用―
フォルムを決めているのは、必ずしも一つのレトリックではないし、
詩の語り手は、それをあらかじめ予測し得ない。
―引用終わり―
自由詩のフォルムは、作品ごとに出現する。
あたりまえといえば、あたりまえだが、北川は、それをこの節で
丁寧に紹介している。

ここでは、誇張、イロニー、メタファー、対句構成、列挙法、漸層法など、
レトリックのおなじみの用語が、一巡り言及される。
ここには、おそらく、北川さんの初学者への心づかいを見るべきだろう。

自由詩は、形式化を拒むから、自由詩なのであると私も思う。
北川は、次のように述べて、この章とこの本を締めくくる。
―引用―
もし、詩的レトリックが、規範のあり方において、解体と再生を止めて
形式として固定してしまえば、そこにステレオタイプ化した言語表現し
か生まれないだろう(後略)。
―引用終わり―
これは、この本の一貫した主張でもあった。
単純化して、簡単に一言で言うなら、私はこの結論に同意する。

410 :ボルカ:03/04/13 21:07 ID:E852gnSs
***
皆様のおかげをもちまして、最首相にたどり着きましたが、この章も、カナーリ、自信ないっす。
ここでも、かのっぴさんのレポートを読ませていただけると有り難いです。

411 :ボルカ:03/04/13 21:08 ID:E852gnSs
***
それから、「私の」粘着さんに、一つ注意しておくけど、私は君が生きていて
くれて、心から嬉しい。
人生色々だけど、もともと君は馬鹿なんだし、俺ごとき無名オタクに笑わ
れたぐらいで、けして死ぬんじゃないぞ(笑)。

だけど、次に追い込みをかけるときも、私は相手が明らかに低能であっても、
優しくはしないから、そのつもりでリングに立つように。


412 :ボルカ:03/04/13 21:11 ID:E852gnSs
例によって、誤字は多いけど、とりあえず>>410は、
首相→終章のまちがいです。

413 :かのっぴ:03/04/13 22:05 ID:HiFhvkyJ
ボルガさん、おつかれさまです。

私のレポートはまた長くなりそうです。ごめんなさい。
いつものように途中経過をアップして、どんどん書き足してゆきます。
更新状況はファイルの一番上に書いておきますのでチェックする方はご利用ください。

http://whitestone.apple.ac/kita9.html

414 :ボルカ:03/04/13 22:45 ID:OsgN4V5m
お、高速レス、ありがとうございます。
レポート楽しみに読ませて頂きます。

ご参加、本当にありがとうございます。

ウイークデーに入ったら、お互いのレポートに、感想レスをつけあいましょう。
**

なお、「あとがき」は今週の雑談部分に含めて、この読書会は来週日曜日で閉会
としましょう。


415 :佐々宝砂:03/04/14 03:56 ID:wXMxGlMh
お疲れさまでした。このスレの熱心な読者であったことを白状して、
御礼にかえさせていただきます。

しかし実は、いまだ北川透の「詩的レトリック入門」を
読んでいなかったりします(核爆
はよ読め、わたし。


416 :かのっぴ:03/04/14 11:43 ID:v73tsVcp
ふー終わった終わった。強引に終わらせました。
誤字等が目に付きますが、あとで修正することにします(少し休ませてくれい)。
http://whitestone.apple.ac/kita9.html

>>414 ボルガさん
了解です。来週日曜日で閉会ですね。

>>415 ささほさん
いやあ嬉しいです。
私の書き方は課題本がない人には不親切だったかもしれません。
そのあたりで何かあれば遠慮なくご指摘ください。

417 :ボルカ:03/04/14 20:52 ID:hwy1YBY5
>>416
かのっぴさん、いつもながら丁寧なレポート、お疲れ様アンドありがとう
ございます。>なんか急がせちゃったでしょうか。

ソウルフルなレポートですが、今週もちょっと立て込んでまして、ゆっく
り読ませていただいて、週後半にコメントします。

とりあえずの感想ですが、かのっぴさんがローマ字表記に直した
のを読んで、すごく驚きました。
韻文としては、この方が良いですね。てことは、朗読するとまた
違った趣があるってことかも。

>>415佐々さん
ご声援ありがとう。
てか、さささんて、登場に華があってイイね(笑。

418 :ボルカ:03/04/16 19:40 ID:hr2KauEC
いやあ、堪能いたしました。>>416
これまでのかのっぴさんの鋭いご指摘のなかでも、白眉だと思います。

まず、57調の意図を強調された点。
この詩は、意味内容では、75調で読めるかとも思うのですが、それを
あえて57調で改行し、内容的には改行をとびこえるつながりを残した
作者の意図を、かのっぴさんは的確に指摘していると思う。

さらに、歌詞としての音楽的な読解と、ペーパーで黙読するというこ
としか、想定していない批評への批判。
僕も、ここでは、歌詞に触れたかったけどできませんでしたが、かのっぴ
さんのリズム論は的確だと思います。
あんまり的確なんで、かなり驚いています。この種の批評は、なかなか
なされていないと思う。
今後ともご活躍、期待いたします(桑田論とか、やってホシーナ)

>さて、内容面では意味規範からの逸脱に詩的レトリックの存在を見出す
>北川が、音の面ではなぜ日常的な日本語を拘束するルールをこうも無批
>判に受け容れてしまい、そこから逸脱することを考えつかないのか、考
>えてみれば不思議ではあります。(中略)それとも関連しますが、詩は
>黙読されるものという暗黙のルールも、音による定型を作る試みには不
>利に作用してきたと思います。



419 :ボルカ:03/04/16 19:45 ID:hr2KauEC
「詩は、紙の上に固定しているものである。」という「規範」に対する
侵犯が吟味され、評価されなければならない、ということかもしれ
ませんね。

そもそも「韻」は、歌を持つことのためにあるのであって、定型を
持つためにあるのではないのかもしれない、という疑いを触発され
ました。

420 :かのっぴ:03/04/17 11:13 ID:wMPYpwGj
藤井貞和さんの「自由詩学」、ボルガさんのレポートをきっかけに、
読み返してみましたが、なかなか面白そうですね。歌詞とはまた違った
側面から日本語の音にアプローチしていて。

私のレポートに関しては、特に独自の視点というわけでなく、実はみんな
考えていることなんじゃないかなあ、と私は推測します。ただ詩についての
議論で、たとえばサザンの歌詞の話なんて、あらかじめ排除するのが約束で
誰も語らないだけで。

421 :かのっぴ:03/04/17 11:18 ID:AQkOnqIy
逆にいえば「現代詩」がひとつの定型になっているともいえるかもしれません。
黙読される、音でなく意味、あるいは意味を逸脱した喩がより重視されるという
ひとつの規範、それが現代詩の世界で「作り手と読み手にあらかじめ了解された
共通の形式」すなわち定型として作用している、という意味で。

だからこそ疑いははさむべきで、歌詞、ネットポエムといったものを
必要以上に軽視する姿勢は問題ではないかな、と思います。

422 :かのっぴ:03/04/17 11:24 ID:h1Adv2VI
せめてマチネポエティックは再評価してもらいたいです。
詩集くらいどこかで手に入らないかな。けっこう蔵書の多い近所の
図書館でも、マチネポエティック詩集は検索にかからなかったからなあ。

萩原朔太郎の音韻律については那珂太郎さんが熱心に研究していた
こともあるようです。ソネットについては、鈴木漠という詩人が、
脚韻も見事にはまった美しいソネットを書いているのを発見できました。
現代詩の世界でもやはり音はたびたび注目されているようです。

423 :山崎渉:03/04/17 12:42 ID:GAm0uYE/
(^^)

424 :ボルカ:03/04/18 01:44 ID:EdfIHlbS
>>420-422
勉強になります。
音韻についても、マチネについても、歌詞についても認識改めつつあります。

おっしゃるように、ここで僕らは、現代詩が定型化している、あるいは、
現代詩批評が、定型的なものとして現代詩を考えてしまっていることに
気がつくべきなのかもしれません。

日本語のソネットについては、谷川の42のソネットでしたっけ?62だっけ、あれ?
いくつだったか忘れたけど、あの詩集しか読んでないっす。

425 :ボルカ:03/04/18 02:09 ID:EdfIHlbS
>かのっぴさん、
通読しての印象、ご感想などもありましたらお願いします。
かのっぴさんのレポートの末尾にまとめてありましたが、多に何かもしあれば。


>>ALL
他にも、お名前は挙げませんが、多数の方にご参加いただきました。
なかでも、激辛さんには始終お世話になりました。

この本を手にとられた方に、最後に簡単にでも、この本を通じての印象や
ご感想、評価等を、なんでもお聞かせ願えれば幸甚です。


426 :ボルカ:03/04/18 02:25 ID:EdfIHlbS
多じゃなくて、他だな。読みは「ほか」だし。「方に」ってのも変だし。
最後までアレな私で、失礼しました(笑。

******
読書会閉会後、このスレッドはレトリックに関する雑談スレッドとして
開放します。たぶん1000行くのは厳しいでしょうから、話題が無ければ
無理に上げないでね。批評家養成スレは別にありますしね。

もともとはこの後で、北川さんの詩とかをしつこく読んだりしてみようと
思ってたんですが、ちょっと方向変えさせて頂きます。

427 :激辛正当派 ◆PmUYNHN29Q :03/04/18 02:38 ID:zz0fWRCt
>>425
途中から抜けてしまってごめんなさい。
面白くてずっとROMしてましたが、
書き込めなかったのは単純に体力がなかったからです。(批評体力?
みなさん体力ありますね。。。
このスレはまさに現代の詩(狭い現代詩じゃなく)の、
一流の批評になりえているのではないでしょうか。

本とこのスレを頭からもう一度読んで、
思うことなどささやかながら書こうかと思います。(ぼちぼち


428 :ボルカ:03/04/19 00:02 ID:55eK7R1s
>激辛正統派さん、書き込みありがとう。

特に初めの方で、ご指導、ご鞭撻、それから、ご声援ありが
とうございました。
後日、レポートもいただけれるのであれば、それも大変嬉しいです。
拝聴させて頂きます。

激辛さんには、是非お酒入れて、いろいろ伺いたかったな。
オフ参加できなくて残念っす。




429 :ボルカ:03/04/19 00:15 ID:55eK7R1s
全体についての感想ですが、僕は、この本は、とにかく一生懸命
書かれていてイイ本だと感じました。
かならずしも精確な要約を心がけませんでしたが、細かく読めば
読むほど、熱いソウルを感じました。

僕らは、何か書く時、どうしても、自分の得意なフィールドに引き込んで
勝負する、みたいなことに走ってしまいがちですよね。
それは、一つのレトリックですらあって、新聞の社説も、雑誌の書評も、
同人誌の編集後記でさえ、「自分のフィールドで」みたいな書き方を
された文章が多いように思います。

でも、北川は、そうではなくて、恐らくは不得意であろうところまで、
自分の考え方を引き伸ばして、弱点をさらして見せた。
もっとも、最終章あたりでは、見抜いたかのっぴさんもスゴイっていう
感じが強かったけどね(笑。

それにしても、そうやって、体系化を拒んで、限界の外まで語ろうとした
姿勢は感動的なものを感じました。

あと、イイ点として、勉強になったです。フツーの意味で。情報が多いわりに
ストーリー性があって、読みやすかった。

不満点については言うだけ言っちゃった(笑)けどね。




430 :かのっぴ:03/04/19 17:46 ID:QUUz+/rR
あらためて最初から読んでみると、思いつきで突き進んでいるようでいながら
詩的レトリックとされる改行、余白、私の多層化、意味のずれ、詩的比喩などの
キーワードは一貫した切り口として作用しているなと思いました。
わざと思いつきのスタイルを演じたのか、本当に思い付きだったのか、
いずれにしてもすごいことです。特に後者ならば!
ゆるぎない物の見方と、柔軟性が、相反するようでともにこの本の柱になってます。

第九章のレポートで私が指摘した点は、もう一冊の北川の著作『萩原朔太郎<詩の原理>論』
を私が論評するまでは勝負はわかりません。もしかしたら私が玉砕するかもしれません(笑)

レポートに取り組んでみて、詩の読み方が確かに変わった気がします。
今後取り組む予定の詩人論などに活かしてみたいです
(現代詩文庫読破というとてつもなく無某なことを始めようとしているところです)。
桑田の歌詞論も、ある程度まとまったらやってみたいです。

431 :ボルカ:03/04/19 19:21 ID:DJclETgs
レスありがとう。
玉砕、かつ目して待ちます(なんちゃって、うそ。ちゃんとまじめに期待します。)
いや、ふざけたら叱られそうだけど、かのっぴさんの今後の批評活動
には、注目するよ。

このスレッドで語り合ったことは、とても面白かったし、僕も考え方
変わったけど、あくまで「読書会」の試論だから、それにとらわれず、
自由で大きな議論を展開していただきたいと思います。

個人的には桑田論、期待しちゃう(>かっつぱらっぱ、浮世の波時雨
えー・とか。)けど、もう一つ、「視覚詩」にも関心もっていきたい
ですよね。

僕のほうは、もともと批評は苦手で、訓練としてやってるわけなん
だけど、次の「詩論の試論」として、◎のレビューセンタをお借り
して、状況批評のふりをして、連載を開始させていただきました。
実は状況批評じゃなくて現代文学論です。

かなり、チューな連載(目標は、オーバー都立さん)だけど、気が
向いたら覗いてみて下さい。

432 :山崎渉:03/04/20 01:34 ID:tQHi8HIt
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)

433 :ボルカ:03/04/20 19:36 ID:IUbLtYu4
********************************

432の山崎の発言をもって、読書会を終了します。

ご参加いただいた方、ご声援を頂いた方にあらためてお礼申し上げます。
どうもありがとう。
また、このスレッドを読んでくれたROMの方々にも、心よりお礼申し
上げます。

以後、このスレッドは、レトリックに関する雑談スレッドとして開放します。
私は今後しばらく2chを離れる予定ですが、このスレッドは時々チェック
します。課題書籍を読まれた方は、感想等を投稿いただけると、なお幸甚です。

***********************************

434 :都立家政 ◆MD76fFko5o :03/05/24 02:22 ID:wqmnpql/
(^^)


435 :名前はいらない:03/05/24 21:45 ID:pJJ1lxg2
読んでる奴いねーのかー

436 :名前はいらない:03/05/24 21:59 ID:9EJ6IGEA
>>430
桑田論は既に結構出ているような気がするのだけど。

437 :山崎渉:03/05/28 10:47 ID:91alohpq
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉

438 :マイマイカムリ ◆eSBPIliBR2 :03/06/04 01:16 ID:ZpQyp/7e
こんな良スレがあるのをしらなんだ。
そのうち時間をとって読むつもり。
保存age

439 :かのっぴ:03/06/28 19:54 ID:kHGpk2s9
7月の現代詩手帖に凶区のことが書かれていました。
この本でいえば第5章3節、シンタックスの破壊に関係してきそうです。
北川透の視点のみというのも心もとないと思うので、詩手帖の記事や、
作品をもう一度読み直してみようと思ってます。

440 :名前はいらない:03/06/29 06:05 ID:yi5o8sym
比喩に関して

直喩と隠喩というのが対比的に語られることが多いけど
言語論的にいうと広義的には

直喩
 ・暗喩(隠喩)
  ・換喩
  ・諷喩(寓喩)
  ・提喩

と分類できるみたいですね

「似ている」と言うのをメタ言語的に説明、表現するのが直喩
「似ている」と言うことを対象言語同士、或いは対象言語のレベルだけで表現してしまうのが隠喩。

詩のレトリックを理解する上で
こういう言語階層的なアプローチもおもしろいと思うのですが。
そういう方向からの詩論ってのはないですか。

441 :かのっぴ:03/06/29 21:50 ID:CCEAKjly
>>440
とりあえずネットで検索してみました。北川の本でも何回か出てくる、
意外な基本書(?)にそれら全ての「喩」について書かれているようです。
読んでいないので内容はわかりませんが。

佐藤信夫『レトリック感覚』(講談社学術文庫1029、1992.6)
講談社刊の同名書(1978.9刊)を文庫化(講談社文庫)したものの新装版。
¶レトリックが受けもっていた二重の役わり/レトリック、修辞、
ことばのあや/直喩/隠喩/換喩/提喩/誇張法/列叙法/緩叙法

442 :山崎 渉:03/07/15 12:05 ID:iuxfPmjy

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄

443 :なまえをいれてください:03/07/15 12:38 ID:iuxfPmjy
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。

444 :ボルカ:03/07/24 23:39 ID:lPT+Li2R
>>440
喩えの機能に関連したものとして、ベンヤミンの2軸定理って奴があるって
話を、以前「詩学」で野村喜和男氏が書いていて、興味を持っています。
とはいっても、初めて名前だけインプットしたぐらいの知識で、これから
勉強しようかな、ってとこです。

来年春頃スタートぐらいのつもりで、以下のような感じで「喩え」にかんする
ゲームをやってみたいんですが、どうっすかね?
興味ある方、いますか?

******

最低4本のスレッドを使って幾つかのサイトをジャックして
やる「4つの2軸定理ゲーム」つう企画です。

1)2軸定理とは何かを限りなく分かりやすく説明する、というゲーム。
2)2軸定理を使って詩作するゲーム。
3)2軸定理を使って「詩にリアクションをとる」ゲーム。
4)2軸定理が有効か否か議論するゲーム。




445 :ボルカ:03/07/24 23:41 ID:lPT+Li2R
同好の士、募集アゲ。

またしばらく、お邪魔します。

446 :>>AAL逝ってヨチ:03/07/24 23:52 ID:ZLp5yukw
君達さぁこんなところに書き込んで楽しいわけ?
どうせ君達は不細工なヒッキーでしょ?((こんなの→(-_-)
君達がどんなイイ詩を書いてもキモイだけだと思われ
まぁ廃人寸前ってやつですか?
詩人だけに死人・・・なんてね
とりあえず逝った方が良いよw

447 :ドン亀 ◆YdTp8oxx7. :03/07/24 23:58 ID:Aqy76jXW
>ボルカ氏

おお、帰って来てくれたのかい。嬉しいねぇ♪
またしばらく、お願いするっす!(真面目な生徒のように清聴してます☆

>>444
ほほう。。そりゃ、おもしろそうだな。
ところでベンヤミンって、何の薬品の名だい?

ところで今回の梁山泊、お題が「怪」なんだが、
もし暇だったら、審査員ズの一員やってくんねぇ?
宵紅荘っぽいお題だろ?☆
よかったら見るだけ見てやってくれや。↓
http://book.2ch.net/test/read.cgi/poem/1054914970/l50
ボルカ氏以外の方々も、気が向いたなら、どうかよろしくお願いするっす。

おっと宣伝失礼しやしたっと!
ここも再開するんなら、いつでも俺は明子姉ちゃんのように見守ってるぜ。ぢゃ!

448 :ボルカ:03/07/25 00:47 ID:o29sCfpF
>>447
オケ。
僕は勉強中の身の上(投稿ボツ記録更新中だ!てか、連続10回超えちゃっ
たぜ、しくしくしく。)ですから、人様の作品の批評は本当はアレなんすけ
ど、今回限定で、謹んでお引き受けいたしやしょう。
ようするに、やる。
やらせていただきます!

>>446
それで煽ってるつもりか?
てか、あなたもご参加をご検討、よろしくね。
開始は来年だから、急ぐこと無いよん。



449 :ドン亀 ◆YdTp8oxx7. :03/07/25 01:11 ID:uajMQFAe
>>448
嬉しいねぇ。気持ちのいい返事に感謝だぜ☆
おっとBARのほうにも来てくれたんだな。重ね重ねサンクス!
良スレでこれ以上雑談するのもなんだから、また店のほうにも遊びに来てくんな。

そのゲーム、(1)を如何にクリアするかだよなぁ。。。
俺みたいなバカにもクリアできるように、難易度調整お願いっす(涙)
おもしろくなること期待してるぜ。ぢゃっ!

450 :名前はいらない:03/07/25 01:14 ID:rREStnVy
どうしてそんなに先なの?

451 :ボルカ:03/07/25 21:31 ID:rQoL6FM9
>>449
いや、不束者ですが、よろしくね。
能力低いんで、せめて感覚に正直にやらせて頂きます。

>(1)を如何にクリアするかだよなぁ。。。

まさにその通り。
それってきっと、これまで、ちゃんとできた人、あんまりいないんだよ。
だから、ゲームになると思うんだな。

452 :ボルカ:03/07/25 21:39 ID:rQoL6FM9
>>450
僕自身、ベンヤミンをまだ、全然読んでいないからです。
てか、いきなり間違いだった!

ベンヤミンには、ある理由で僕は関心もってるんだけどさ、
ヤコブソンでした。

ごみん。

(それだって、ベンザでもアリナミンでも無いぞっ、亀!)

453 :ボルカ:03/07/25 21:46 ID:rQoL6FM9
>>450

僕が、「ヤーコブソンの二軸論」(コレが正しかったみたい)に興味を持ったのは、
野村さんの概論総説を読んでのことです。

この総説は「詩学」の2003年3月号「初めて詩を読む人のために」っていう入門者
向けシリーズの一本でした。
まだ、それ以外に、なんにも読んでいません。
ですから、いきなりはじめちゃうと、僕がついていけなくなってしまうのです。

そこで、準備期間を置きました。


454 :ボルカ:03/07/25 21:50 ID:rQoL6FM9
って、わけで、書き直させて頂きます。

喩えの機能に関連したものとして、ヤーコブソンの二軸論って奴があるって
話に興味を持っています。
とはいっても、初めて名前だけインプットしたぐらいの知識で、これから
勉強しようかな、ってとこです。

来年春頃スタートぐらいのつもりで、以下のような感じで「喩え」にかんする
ゲームをやってみたいんですが、どうっすかね?
興味ある方、いますか?

******

最低4本のスレッドを使って幾つかのサイトをジャックして
やる「4つの2軸論ゲーム」つう企画です。

1)2軸論とは何かを限りなく分かりやすく説明する、というゲーム。
2)2軸論を使って詩作するゲーム。
3)2軸論を使って「詩にリアクションをとる」ゲーム。
4)2軸論が有効か否か議論するゲーム。


455 :ボルカ:03/07/25 21:57 ID:rQoL6FM9
たとえばね、以下のふたつの比喩は、二軸論的に言ってダメな比喩ですよね。

1)君のネクタイは、僕のネクタイのように赤い。(移動が無い)

2)彼は政治の大海に乗り出し、やがて頂点を極めた。(混喩)

でも本当は、1)なんか、カッコいいかもしれないし、2)は、
どうしてダメなのか、説明できるかどうか、微妙。
イメージの分裂とか言う事はできるけど、イメージと比喩の関係とか突っ込まれると
結構難しい。詩では二重三重のイメージをかさねても、別にいけなくは無いし。

そういう感じのところを、おさらいしてみるのに、どうもこの「ヤーコブソン」の
二軸論が便利っぽいんですよ。


456 :ボルカ:03/07/25 22:03 ID:rQoL6FM9
****
で、先ずは情報収集と、賛同者募集。
別に仕事や宿題は無いよ(笑。

とりあえず、僕はこれから、「ヤーコブソンの二軸論」ってなんなのか調べてみたい
んだけど、初心者に分かりやすい入門書、どなたかご教示いただけませんか?
何読んだらいいでしょうか?






457 :ボルカ:03/07/27 04:14 ID:IWS6stbr
>>440
この辺は、瀬尾育男さんの評論では、カバーされてるようです。
僕は今日、瀬尾さんの「われわれ自身である寓意」を読了したところですが、
瀬尾さんは、この辺の整理を北川透さんの論理の展開上でやっていて、
興味深いです。

ただ、この瀬尾さんの本を読んでいて、僕にはまだ、なにかがぽっかり
抜けているような印象を強く受けました。
その一つが、言語作用と言うものの基本的な部分に関わっているような気がしているのです。

って、わけでヤーコブソンなんですが、どうですか?ご一緒に。


458 :山崎 渉:03/08/02 01:09 ID:TahhWmQI
(^^)

459 :名前はいらない:03/08/13 20:28 ID:JJPtJaZu
sage

460 :ボルカ:03/08/13 21:05 ID:YlwfE1bT
たまたま、上がる瞬間を見たんだけどさ。
このスレじゃめったに無いから、なんかちょっと、はっとしながら、
459の書き込みを読んだんだけど、なんつーか(笑。
山崎も459さんも、ありがたいけど、ちょーっと無口だよね。

先日、親切な方からご教示頂きました。
ロマーン・ヤーコブソン『一般言語学』みすず書房が、それほど難しくないとの
お話。僕はまずこれから読んでみます。

あと、「レトリック感覚」他にも記述があるとのことっす。

******

引き続き、二軸論で遊ぶ人、募集。
あと、情報宜しくお願いします。


461 :ひかる ◆bodgOoQOHA :03/08/14 00:14 ID:jx3p9vq0
僕はニーチェの「芸術的公式を弄んではならない。後になって生が形式を取らざるをえないよう生を改造すべきである」
を引用します。
しかしその上で詩論は大切だと思います。しかし本当の詩人は理論や概念などにとらわれない、理性的感性的なものではないでしょうか。
もちろん邪悪な形式を取り除く悟性は大切だと思いますが。
ここの見識ある人々に反則ですが僕の詩を読んでもらいたいと思います。ひかるの言葉、からひかるの詩に飛んでください。
http://www.geocities.jp/hikarurutakashi2000/framepage5.htm

よろしくお願いします。

462 :山崎 渉:03/08/15 12:01 ID:jFO+cPAl
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン

463 :名前はいらない:03/08/15 22:20 ID:DTjJHRUR
age

464 :直リン:03/08/15 22:22 ID:2o+nN51L
http://homepage.mac.com/maki170001/

465 :ボルカ ◆TcCutL/5sw :03/08/16 23:24 ID:BX7z5F6x
>>461

>しかし本当の詩人は理論や概念などにとらわれない、理性的感性的なもの
 ではないでしょうか。

別に、北川さんも瀬尾さんも野村さんも読まなくても詩はかけますよね。
僕もそう思う。

それとあなたが、ニーチェを読んだり自分で考えたりして詩を書いて公表し、
僕のサイトの10倍の人を集めていることは、評価するよ。

でも、前回このスレッドでやった読書会も、次にやろうとしているゲーム
も、そんなに難しいものではないんですよ。
気が向いたらでいいんで、ごく気楽に参加して下さい。

466 :ボルカ:03/08/29 17:18 ID:nG6OgzO1
「詩と思想」2003年9月号の67ページに関連記事が掲載されていますね。

村椿四郎さんによるもので、「換喩」を、民衆詩派と芸術派の対立を、いったん
「歴史」から脱構築した上で、「象徴−隠喩」と「写実−換喩」の手法上の相違
を見、再び時代性を考察しようとするもので、とても興味深いです。

んで、紹介。


467 :ボルカ:03/08/29 17:19 ID:nG6OgzO1
あら?間違った。修正↓

村椿四郎さんによるもので、民衆詩派と芸術派の対立を、いったん
「歴史」から脱構築した上で、「象徴−隠喩」と「写実−換喩」の
手法上の相違 を見、再び時代性を考察しようとするもので、とても
興味深いです。

んで、紹介。

468 :ボルカ:03/08/31 17:39 ID:lbJbYZCk
ヤーコブソン「詩学;ロマーン・ヤーコブソン選集第3巻所収」大修館書店 1985年(訳)3000円

佐藤信夫「レトリック感覚」講談社学術文庫収録;講談社 1992年:960円

野内良三「レトリック入門;修辞と論証」世界思想ゼミナール収録;世界思想社 2002年:2100円

赤羽研三「言葉と意味を考えるT;隠喩とイメージ」夏目書房 1998年;2400円
赤羽研三「言葉と意味を考えるU;詩とレトリック」夏目書房 1998年;2000円

とりあえず、上記を市民図書館で借りてパラパラと眺めています。
これらにはいずれも、ヤーコブソンの二軸論が説明されています。

469 :ボルカ:03/08/31 17:41 ID:lbJbYZCk
ところで、ヤーコブソンの著書が、難しくないってのは、一線で活躍
している研究者の方にとってであって、ご親切はありがたかったんだ
けど、僕にはやっぱちょっと、とっつきにくいかも。  ^_^;

日本人の書いてる入門書は、とりあえず、このスレッドにチェック入
れておられる方なら、どなたでも読み通すことはできそうな感じです。

470 :ボルカ:03/08/31 17:43 ID:lbJbYZCk
で、図書館で言語学のコーナーを眺めていて、ふと思ったんだけど、
僕と北川透さんの違いってのは、もしかすると、チョムスキーとソ
シュールの違いなのかもしれないですね。なんつって、ナマイキだ
けど。

僕は生物学がベースだし、安部公房のマニアだから、チョムスキー
の生成文法とか、安部の日本語クリオール説とかにより惹かれて、
ソシュール的な世界観は受け入れにくいってことなのかもしれ
ないな。

でも、とりあえず、僕が眺めた感じでは、そのへん突っ込まなくても、
もっと気軽に、かつ実践的にレトリックの話はできそうな気がします。

471 :ボルカ:03/08/31 18:01 ID:lbJbYZCk
上記の中で、僕が一番読みやすそうに感じたのは、野内良三「レトリッ
ク入門;修辞と論証」です。

>>461
ひかるさんへのレス>>465への付け足し。

レトリックの極意は、「ばれないように使うこと」だと思う。

本物の雄弁家は、ばれないように使ってるから、あたかも直観のみ
によって構成されたかのような傑作が、はたして本当に理論に無垢
だったかどうかは、カナリ作家論、研究してみないとわかんな
いんじゃないでしょうか。

つまり、固いこと言わなくても、ばれなきゃイイんじゃないかと(笑。

個人的な意見だけど、現代詩の水準は、まだその極意までは到達していない
のかもしれないですね。
あるいは、詩は既に到達していて、批評にバレていない詩人もいるような気
もするけどね。

***

国文やってる方いらっしゃたら、上記の本の著者に関するギョーカイの
評価とか、匿名で教えてくれると助かります。

ヤコブソン関係の情報と、意見も募集。


472 :名前はいらない:03/08/31 22:52 ID:1UriWsCX
私には、北川の「詩的レトリック入門」だけで、十分、おなかいっぱいですね。

473 :名前はいらない:03/09/01 02:25 ID:Qe0fp4AT
ボルカさん、転喩について詳しく教えてください。換喩との違いがわかりません。

474 :ボルカ:03/09/01 03:01 ID:i1nlRfKq
>>472
レトリックを使いこなすために、覚えとかないといけないパターンって
ありますよね。例えば、比喩のいろんな奴とか。
そういうのが、大体、4,50個ぐらいはあるみたいなんだな、どうも。

北川がメインで扱った概念は、改行(余白)と隠喩の二つだけだった
と思うけど、それも確かにすごかったけど、それだけじゃまだ、現代
詩を遊び倒すわけにはいかなそうな気がします。

>>473
僕は初めてレトリックに手を出してる初学者だから、まだ難しいことは
わかんないです。でもきっとそのへんは、ヤコブソンと関係しそう
ですよね。
あとでなにか理解できたら、レスします。

**

もしかすると誤解してる人がいるかもしれないけど、僕は、一緒に勉強してみよう
って言ってるんであって、僕自身がいろんなことを良く知ってると自慢してるわけ
じゃないよ(笑。

そんなことありえない。実際何も知らないしね。
あと、勉強してるのは、「遊び」の準備としてだよ。

475 :名前はいらない:03/09/01 08:19 ID:Zx/JsA4I
>>473
転喩→提喩が正しいです。
2軸論って統辞的と範列的のことですか?

476 :竹本寛秋:03/09/01 12:59 ID:Zx/JsA4I
ヤコブソンの『一般言語学』を薦めた親切な方です(笑)。今読み返してみましたが、普通に考えればむつかしいですね(^_^;)
申し訳ありませんでした。
ええと、佐藤信夫の『レトリック感覚』はもちろん通り過ごせない名著ですが、2軸論でいくなら
池上嘉彦の『記号論への招待』岩波新書の3章が一番簡単ですかね。たぶん。
池上嘉彦の他の著作、『文化記号論』講談社学術文庫、『ことばの詩学』岩波同時代ライブラリー、も、手に入りやすくて
かつ読みやすいと思います。
あ、でも、これもまたむつかしいと思われるかも知れませんが、ヤコブソンをやるならその前に
ソシュールの『一般言語学講義』岩波書店の第2編第5章「統合関係と連合関係」及び第6章「言語の機構」を
読むといいと思いますよ。かんたんとは言いませんが注意深く読めばそれほどむつかしくはないはずです。

>473

提喩と換喩ですが、厳密につきつめるとどんどん分類不能になっていきますが、単純化すると換喩は〈隣接性〉による比喩、
提喩は〈属性〉による比喩と考えるのが一般的ですかね。つまり換喩は「帽子が振り返った」で、人が振り返ったというのを
あらわすもの。帽子と人間には意味的には全く関係ありませんが、単純に近くにくっついているので代わりとして機能するという
ことです。対して提喩は「白いものが降ってきた」というので雪をあらわしたりするもの。この場合白くない雪は一般的には
ないわけで、白は雪に内包された属性と考えられるわけです。つきつめるとその〈属性〉とはなんじゃいということに
なってしまうのですが、一般的にはそういう押さえで大丈夫だと思います。じゃあなんでそれを
わける必要があるかというと、説明すると長くなるので、『レトリック感覚』の第4章「提喩」をお読みください(^_^;)
それじゃあ満足できないというならグループμの『一般修辞学』大修館書店を読むしかありませんね。しかしこれは
異様に難しいです。
では、いらぬおせっかいかもしれませんが、そういうことで。

477 :竹本寛秋:03/09/01 13:00 ID:Zx/JsA4I
2ちゃんに書き込み慣れていないので
改行がめためたで読みにくいですね。すみません。

478 :ボルカ:03/09/02 01:14 ID:izDGQkO+
>>475
たぶん、そうっぽいですね。
まだ、はっきり理解できる説明を見つけていませんが、僕が
最初に読んで興味を持った、野村喜和夫さんの説明の概略を、
全然理解できていないままにまとめてみます。

@失語症研究の結果、ヤーコブソンは、選択と結合が、
健常者の言語活動に重要であることに気づき、そこから
我々の言語活動を構成する根本的な構成原理を帰納した。
それが二軸論であり、彼はそれを隠喩と換喩という用語
で表した。

さらに、彼は、言語の詩的機能なるものを定式化し、
「詩的機能は、等価の原理を選択の軸から結合の軸へと
投影する」と定式化した。
また、二軸論はフロイト理論によるいわゆる夢の作業、
「圧縮」と「置換」に近いことから、ラカンによって、
精神分析学にも応用され、「無意識は言語活動のよう
に構造化されている」という有名な定式をうんだ。

うーん、わかんないけど、わかりそうな気がするんですよね。
この、「詩的機能」のあたりで、なにか共同でできる遊びというか、
コラボみたいなことは考えらんないかなー、と思ってます。

とりあえず勉強しないと、どうしようも無いけど。

479 :ボルカ:03/09/02 01:22 ID:izDGQkO+
>>476-477
ご教示、ありがとうございます。
てか、口語自由詩の発生の論文、興味深く拝読させて頂いてます。

ソシュールの一般言語学講義は、一見わかりやすそうで、でも難しそうで、
借りてこなかったんですよねー。
借りて置きゃよかったな。
池上さんのは、とりあえず買ってみます。

勉強が終ったら、いずれなんかゲームやりますんで、良かったら
遊んでやってくださいね。

480 :竹本寛秋:03/09/02 04:47 ID:kwofqM+F
>479
どういたしまして。場違いかなとか思いつつ。。
レトリックは大昔にだいぶ勉強しましたので、なにかとご協力できるかと思います。
ちょくちょくのぞきますね。
失語症の二タイプで詩を書くというのは面白いと思います。語の無際限な連想による言葉の
つながりと、自動記述的な文の連鎖による詩作の方法ということになるのでしょうか。
ラカンはしっかり読んでいないので、興味があります。

481 :竹本寛秋:03/09/02 04:51 ID:kwofqM+F
>479
あ、連載読んでいただけているようで、ありがとうございます。
てか詩学であの記事だけ浮いてますよね。。
私も現代詩への興味から詩に入ったのですが、気がついたら明治大正にさかのぼって
いつまでも抜け出せません。
現代詩や現在のネットと詩の状況に関しては関心があるので、
いつかはそうした方向にもすすんでみようという気持ちはあります。。

482 :ボルカ:03/09/03 01:42 ID:GH9NOZBd
>>480−481
>語の無際限な連想による言葉のつながりと、
>自動記述的な文の連鎖による詩作の方法ということになるのでしょうか。

それが一つのゲームの核になるんじゃないかと思ってます。
一つの脳でやってることを、幾つかの脳でやってみるみたいなかんじ
ガ実感できるとイイな、と思ってます。

ところで、この板、界隈も結構面白いところありますよ。
のんびり遊んでってくださいね。

483 :竹本寛秋:03/09/03 08:54 ID:RUJzxoc5
活気があっていいですね。
いろいろ探索してみます。。

ネットでの読書会、私も試みてみたいので、このスレッドはとても参考になります。

484 :名前はいらない:03/09/03 16:49 ID:ilj7ptdq
自動記述なんか利用してるようじゃ、お し ま い で す ね。

485 :名前はいらない:03/09/04 16:57 ID:4mUnbi9F
換喩ってどういう風に理解すればよい?
定理を教えて。

486 :竹本寛秋:03/09/04 17:16 ID:US+h9NXk
>>485

476 を 読んでください。
それ以上が知りたければ佐藤信夫『レトリック感覚』を読んでください。

487 :ボルカ:03/09/05 11:58 ID:EBeMCA3I
ええっと、何か教えてもらった人は、お礼言いましょうね。
でも、ここは本当に小中学生とかも来ていて、見分けつかないから、
なんつーかな。。

ま、気軽にやるしかないんですよね。

**
ところで、476は、とても明確な説明で、僕も少しわかってきましたよ。

つまり、「属性」っていうのは、現実的には「必ず近接しているように観察
される」ってことだってのが多分問題で、そのへん厳密じゃないほうが、
実用的に使える概念になるってことじゃないかな。

↓ ちょっと応用問題を作ってみましたので、>485さん、他の方も、
  良かったらやってみて。


488 :ボルカ:03/09/05 12:06 ID:EBeMCA3I

レトリック・クイズ(その1)

>>476参照のこと。

A)頭髪が振り返った。
B)黒いものが振り返った。

これらは、それぞれ提喩か換喩か?
今仮に、人類の45%、日本語使用者の75%が、黒髪で帽子をかぶらないもの
とせよ。

****

僕なりの答えは、明日以後(あんま自信無いけど。)
みなさま、やてみてちょ。

>>484
詳しい方の参加は、個人的には大歓迎っす。
貴重な機会だから、楽しく遊びましょう。



489 :ボルカ:03/09/05 12:16 ID:EBeMCA3I
まてよ。
限定が不正確だな。

   帽子をかぶらず頭に毛を生やしている人  さらに黒髪の人

人類       70%               45%
日本語使用者   80%               75%

490 :ボルカ:03/09/05 12:19 ID:EBeMCA3I
ゲームだから、気軽にやってみてね。僕の用意してる答えも
本当に正当かどうかわかんないし。

491 :ボルカ:03/09/05 12:21 ID:EBeMCA3I
くどいけど、回答者は必ず>>476参照してみてね。
そうじゃないと、何のことかわかんないよ。

492 :ボルカ ◆TcCutL/5sw :03/09/05 12:40 ID:EBeMCA3I
>竹本さん

それと、僕が個人的にご紹介したのは、下記スレッドです。
>>http://book.2ch.net/test/read.cgi/poem/1046397848/

他に梁山泊とか、いろいろあります。
喧嘩好きの人を避けて静かにやるために、わざとsageで書きつづけている
「地下スレッド」が多いのもここの特徴です。(僕も喧嘩好きとみなされる
場合もありますけど。)

のんびり眺めてみてください。

493 :ボルカ:03/09/07 20:22 ID:uBMuK5g3
「レトリック感覚」の3章と4章、読んでみました。

でもって、思ったんだけど、竹本さんの説明から出発して、>>488-489
クイズを自問自答し、僕が考えた結論って、「レトリック感覚」で
佐藤さんがほとんど言ってました。

これはどういうことかって言うと、竹本さんの「提喩」の解説がグーだってこ
ととが一つ。
あと、佐藤の論理展開が精密で、違う方向からやった僕の思考実験と一致した
ってことなんだな。
つまり、論証されたってこと。

実はちょっと驚いたんだけど、彼は「ひげ」を使って説明して、
僕と全然違う経路で、同じ結論へ至ってるんだよね。
佐藤恐るべし。

>>485は、佐藤の説明、不満ですか?
ちなみにヤコブソンのは2項目の説明ですよね。僕はまだ理解してないけど。

僕は来週、しばらく来ないけど、気が向いた人は議論してみてください。

494 :名前はいらない:03/09/07 20:30 ID:Rcs96Mwy
このスレまだあったのか!?

秋田裏モノ総合板
http://jbbs.shitaraba.com/travel/595/



495 :名前はいらない:03/09/07 22:21 ID:TAv8Jal4
ことわざって言うのはレトリックとしてはとても優れた普遍性をもつんですか?

496 :ボルカ:03/09/08 00:03 ID:rrhe5sU5
「詩的レトリック入門」って言うタイトルの本があるんですよ。
>>1を読めばわかることだけど。

現在は、次にやろうと思っているゲームの下準備をしてるところです。


497 :Bファン その1 答え:03/09/08 00:33 ID:FG2BYEC9
>>488 :ボルカ :03/09/05 12:06 ID:EBeMCA3I

レトリック・クイズ(その1)
>>476参照のこと。

A)頭髪が振り返った。  < 提喩
B)黒いものが振り返った。< 換喩

 あってる?


498 :阿麻:03/09/08 01:05 ID:zqORnsrs
>>488 
A)頭髪が振り返った。  ←換喩
(りゆう。頭髪は、体とかにたいして隣接姓を持つから)
B)黒いものが振り返った。←提喩
(りゆう。頭髪は黒い→属性を持つから)

ちがう。。。おそらく(ゾゾーっ




499 :阿麻:03/09/08 01:10 ID:zqORnsrs
↑だけど、Bが「頭髪がふりかえった」の提喩だとしたら、Aと同じ。。
もちかちたら。。Bは提喩を含む換喩とか!

委譲(゚∀゚)アヒャヒャヒャヒャなもんで失礼します!

500 ::03/09/08 16:23 ID:3UD3u4hn
   /⌒ヽ
  / ´_ゝ`) ちょっと通りますよ。ついでに500もいただきます。
  |    /
  | /| |
  // | |
 U  .U



501 :ボルカ:03/09/12 22:35 ID:vXeF20aE
なぜか、アクキンになってました(笑。
ご解答ありがとう。
後でレスします。

502 :ボルカ:03/09/12 23:01 ID:vXeF20aE
レトリッククイズ(1+)

帽子>換喩
毛髪>提喩
を前提とすると、「かつら」はどうなるでしょうか。
描写している登場人物がかつらを着用していることは、読者に
既知であり、かつ、このかつらは、未来の技術による優れたかつらで、
毛髪と全く区別がつかないものであるとする。

私見ではお二人はアタリです。
まだ勉強始めたばかりだから、見解変わるかもしれないけど。


503 :ボルカ:03/09/12 23:02 ID:vXeF20aE
***

では、
帽子>換喩
毛髪>換喩
を前提にして、次はどうなるでしょうか?

レトリッククイズ(2)

同じ文の主語として用いた場合、換喩か提喩か。

1)禿頭の人の頭皮
2)アタマ
3)脳
4)魂


504 :ボルカ:03/09/12 23:04 ID:vXeF20aE
***

例えば僕の行きつけの「亀バー」に飲みに行くとする。アソコはたいてい明るい
雰囲気なんだけど、たまたまカウンターで、誰かがため息ついてたとしますよね。
そのとき、席についた僕を、

A)「孤独な魂が振り返った。」ということは、あり得るわけだ。

でもって、さらに奥の隅っこで、別の誰かが、酔っ払った末、泣きじゃくって
いたとする。で、その人が悲しみそのものみたいな声で、歌いだしたとすると、

B)「悲しみが立ち上がって叫び出した。」ってこともあり得る。

知り合いのダンサーが踊っているとき、踊っているのが肉体でなく、

C)「魂が踊っている」と、いう場合もあり得る。

また、例えば街を歩いていたとき、向こうからイカス、ギャルが歩いてきたと
する。そのときの気分によるわけだけど、このギャルが普通の服を着ていたと
しても、

D)「おっぱいが歩いてきた」と感じるってことは、僕の場合あり得る。

そこで、立ち戻って考えてみると、A)とC)とD)は換喩で、だからやっぱり、
1-4は、全部、換喩じゃないかと、僕は思います。

服の下の、見えないオッパイが換喩なら、内臓や魂も換喩。でも、叫びだし
た「悲しみ」は、提喩ってわけです。

***


505 :ボルカ:03/09/12 23:10 ID:vXeF20aE
***

どうでも良いじゃん、そんな瑣末なことって話になりそうだけど、どうでも良く
はない。
僕は、A)、C)、D)は詩に普通に使うけど、B)はあまり使わない。カッコ悪いから。
なにか、引っかかるもの、わざとらしい感じが、B)にはある。
どうして僕がそう思うのかっていうと、それは多分、僕が「フェチ」だからなん
だな。

とにかく、結論として、「換喩と本質的に異なる、提喩っていう物が存在している」
と僕は考えるし、佐藤も全く別の経路で、そう言う。

フェティッシュ換喩論については、また別の機会に。
Bファン氏は、もしかして伝説的良スレ「ブルマー」に居られた方か。
もしそうなら、「フェティッシュにとってパンティーは隠喩ではない」と言えば、
それでわかってくれるのではないだろうか。

代替不能性の美学ってやつが、隠喩には無い。

506 :ボルカ:03/09/12 23:13 ID:vXeF20aE
話せば長いことながら、提喩には、フェチの美学は無い。

ええい、話してしまえ。

下品な話になって申し訳ないけど、僕の思考を紹介しましょう。
換喩は、フェチにとって、「リアル」な世界認識だと思う。どういうことか?

あるパンティフェチにとって「世界で最も素敵な使用済みパンティ」っていうのは、
一枚しかない。だけど、それを穿いていた女として許容される女っていうのは、誰
でも良いとまではいかなくても、ある範囲で許容される。そうだな、いいかげんな
話だけど、10万人ぐらいは、平気でストライクゾーンに入るんじゃないかな。
フェチにとって、パンティは女の隠喩ではない。そうじゃなくて、換喩なんだな。

つまり、中身はわりとどうでも良くて、パンティそのものにフェチはこだわる。
靴フェチとかはもっとはっきりしていて、女とではなく靴とベッドインする。

この場合、パンティも靴も、女を示す隠喩ではないんだな。「女」とは交換不能な、
換喩としてあるわけなんだけど、一般に換喩ってやつは、そういうふうに交換不能
な表現だと僕は思う。それに引き換え、隠喩ってやつは、別の言葉で表現できる。

提喩についても、「白いものが軒先で踊っていた(提喩)」っていうのは、隠喩より
はセーフ。でも、本物のパンティフェチなら、必ず「白いパンティが」と書くだろう
と思う。
そういう「ぬるい」ところが隠喩や提喩にはあると、僕は(あくまで個人的感覚と
して)思うのだ。


507 :ボルカ:03/09/13 23:52 ID:xe6kMc5X
この詩は、「オナニースレ」に寄稿された詩だけど、凄くカッコイイ。
http://book.2ch.net/test/read.cgi/poem/1045709986/81
どこがカッコイイのかっていうと、個人的見解だけど、隠喩に逃げて
いないところなんじゃないかと思う。
オートエロティシズムの本質は、フェチだから。

自分が好きなんじゃなくて、自分の性器が好きなんだと言うことが、
当然の事実として逃げられていない。

自作で恐縮だけど、
http://www.mars.dti.ne.jp/~zoball/pomforyou05.htm

ここで、「指」は作者の意図としては、女の隠喩ではなくて、提喩でもなく、
換喩なんだな。まあ、たいしたことない作品だけどね。

一般論として、「ちんぽえむ」とか「マンコポエム」とかってのは、換喩
で書かないと、フェチ心は満足しないように思います。

「おまえの濡れた花園が(隠喩)」とか「暖かいものが流れた(提喩)」ってのは、
個人的シュミだけど、僕なら避けます。
てか、それはヌルイと思う。

***

ところで、「レトリック感覚」の佐藤だけど、彼はフェチのことなんかじゃなくて、
ちゃんとベルギーのサークル・ミューとかで説明してて、ちょーイカしてます。
ちなみに佐藤は、提喩と隠喩、結構好きみたいな感じ。

ま、フツー好きだよなw。

508 :ボルカ:03/09/14 00:07 ID:DjaI3HZ5
***
もちろん隠喩でしか語れない現実ってのはあると思う。
とくに、「愛惜」は隠喩が良く似合うように思います。

提喩についても、それしかないってケースはあると思う。
僕が提喩の傑作だと思うのは、北園。
青のなかの、白のなかの、青だったりするやつです。

いずれにしても、
直喩<>隠喩<>提喩<>換喩
の4つの概念があるように思いました。

二軸論については、提喩を隠喩より重要な本質とみて、
提喩VS換喩を考察し、中間点として、隠喩を考える
立場(野内良三など)の本を、今読んでるところです。
論者によって、色色あって、メチャクチャな印象を受
けますね。
佐藤まではすんなり入りました。

ちなみに、僕自身は、詩を書く時に、
<直喩><隠喩(提喩)><換喩>の三角形
を実感します。

文法的には直喩は平叙文かもしれないけど、
詩ではレトリックとして使いますよね。


509 :ボルカ:03/09/14 23:27 ID:/7+jtBG8
****
閑話休題。

今、やっているのは、
>>454で発案したゲームの企画作りです。
てゆーか、その準備のための予備勉強。

今やっと、比喩の概念を見渡したところです。分類はどれがいいのかは
まだ全然わかりません。

それと、個人的趣味として、僕にとっては、隠喩より換喩のほうが重要
だって話をしました。
実は、「愛惜の美学」としての隠喩論を別に準備中ではありますが、
いずれにしても、隠喩と換喩がべつのものだというところまでは、大方
の人が賛成してくれると思う。

*********


510 :ボルカ:03/09/14 23:29 ID:/7+jtBG8
ソシュール「一般言語学 第3回講義」:西川長夫訳:エディット・パルク:
2003年:3400円
を図書館で借りてきました。スゲー難解そうなんですが、どうせ読まなきゃ
なんないんなら、これが入門としてイイかもしんない感じです。

それと、ヤーコブソンの問題の論文、「言語学の主題としての失語症」を
読んでいます(大修館:ヤーコブソン選集(1)所収)。これって、有名
だけど、翻訳で10ページぐらいのコンパクトな論文なんですね。
そうなんだけど、なんかすごい迫力を湛えた論文です。

邦書は2冊ばかり挫折して、今、前に紹介した赤羽を読んでいるのですが、
赤羽は、ヤーコブソンの「等価の原理」を説明して、ソシュールの二つの
原理が詩においても基本原理になっていることを示した、と言っています。

ソシュールの二つの原理とは、1)表現と意味は分離できない。2)その
意味は言葉同士の関係によって定まる。
の、2つです。

例文としてはボードレールの詩から「妹」と「優しさ」(フランス語だと
似ている)が脚韻になっている例を引いて、言葉の置かれている場所が、
意味の上での響きあいに作用して、妹が優しさに包まれているような
効果を出している、と言っています。

まあ、まだ僕には説明できないけど、「等価の原理(隠喩論)」の問題
として、ヤーコブソンがソシュールをどう引き受けたかが問題になる
ということのようですよね。

ヤーコブソンの論文における換喩の説明は、>>476に近いですね。
現代では異論や批判もあるようですが、僕らが「ゲーム」を考える上では、
そのマンまで良いような気もしています。

511 :海神:03/09/23 23:46 ID:JArp8NsW
>>383
 四元康祐
 現代詩手帳8月号に詩集「世界中年会議」のなかの「木陰にて」という作品が出てて、
これ最近読んだいろんな詩の中で一番おもしろかったです。
 今回、萩原朔太郎賞を受賞した「噤(つぐ)みの午後」(思潮社)はさっそく「世界中年会議」と
ともに買って読みたいですね。

512 :海神:03/09/25 00:58 ID:XT+XqgrY

 四元康祐

 「噤(つぐ)みの午後」(思潮社)は神保町の東京堂書店にありました。

 「世界中年会議」は売り切れて追加注文したところのようです。

 詩人の名前「よつもとやすひろ」と読むんですね。危うく恥をかくところでした(汗)


513 :ボルカ:03/09/28 23:23 ID:B3IaOYlr
>海神さん
四元さんて良い感じですよね。僕は、偶然手にとって読み
始めたんですが、今ではソートー好きです。

「噤みの午後」は、まだ手に取ったことがありませんが、
是非読んでみようと思います。

「世界中年会議」はイかったですよ。
ネタ割らないようにと思うと抽象的な言い方になっちゃうんですが、
「小説でありえない」ということ(あるいは意志)が、積極的に「詩
である」ということ(あるいは生き方)に転化する瞬間のスリル、
ミタイナ物を共感しました。

本来はクールな共感のはずなんですが、共感があまりに強かったので、
つい涙が出ちゃった、、ミタイナ感じですね。

最近の手帖での発言を見ると、北川透大先生様も、四元氏の作品をかなり
本気で重要な作品とみなしているようです。
北川のレトリック論のすごさって、実は今になってやっと気がついてき
た点が多くて、かなり尊敬し直してます。
だから、具体的な新人の評価で意見があったりすると、やっぱ、個人的に
なんとなく嬉しいんですよね。

514 :名前はいらない:03/09/29 01:55 ID:I/QB1Z71
ボルカさん、投稿梁山泊の批評をやってみては如何でしょう?

515 :ボルカ:03/09/29 22:41 ID:y0r7tKFl
そう、、。
僕ってトモダチ少なすぎるんだよな(笑。

梁山泊の批評は、これまで一回しかやってないけど、面白かった
です。いずれまた、参加させて頂きますよん。

お誘いどうもありがとう。

516 :海神:03/09/30 03:45 ID:Dvf+8MkL
>>ポルカさん
あ、このスレ生きていたんですね。
死なすには惜しいと・・・(笑)
北川「詩的レトリック入門」は随分前に読んで大変おもしろかったです
あの中に吉岡実の「挽歌」が引用されていましたが、これ今でも一番好きな詩です

 > わたしが水死人であり
  ひとつの個の
  くずれてゆく時間の袋であるということを

 あ、おもわず引用してしまいましたが、引用しながら語るというのが
著作権法の規制で難しくなり、現代詩を論じることがやりにくくなり、
それが詩を衰退させた面が少なくないように感じます。
 著作権法がなければもっとひどかったかもしれませんが。

 


  

517 :ボルカ:03/10/06 01:42 ID:ujbWp6Qr
>516 海神さん
>あ、このスレ生きていたんですね。
>死なすには惜しいと・・・(笑)

ありがとう。
最近、詩の同人を結成したので、そっちで詩にさくことのできる時間の
ほとんど全てを消費してまして、この板へ来るのも、ごくたまになんですが、
来ればこのスレッドはチェックしてます。

「詩的レトリック入門」の引用は、初学者に親切ですよね。
僕はこの本で出会った詩人はスゴクたくさんいました。

518 :ボルカ:03/10/07 23:34 ID:K1DsvNQg
久しぶりに、この板でのんびりしてました。
正直、ここんとここのスレッドと雑誌スレッド以外を見たのは
一ヶ月ぶりぐらいになると思う。

で、思ったんだけど、人が忙しいのをいいことに、なんだかひどい
嘘を言ってる奴がいるような気がするよ。
まったく、ふざけんじゃねえよな!

僕は誰かに勉強しろと強要したこともなければ、権威をかさにきたことも無い。
そんなことは一度も無いし、ときどき僕にいじめられてる名無しは、それなりの
ことを僕にしてるんだよ!



519 :ボルカ:03/10/07 23:44 ID:K1DsvNQg
まあ、どうでもいいか・・・。

とりあえず>>510のつづきだけど、赤羽は上巻のみ読了。
で、彼の比喩論も隠喩論が中心なんだけど、彼の換喩論がやっぱり
断然面白い。
このことは、ちょっとしたハッケンだと思っているんだけど、
もっと正面から反隠喩を論じた人はいないのだろか、と思っています。

ちなみに彼の換喩−提喩の弁別は、佐藤とはまるで違う。もう図書館に
返しちゃったし、記憶はしていないんだけど、もっと直感的なものでした。

これまで読んだ中では、佐藤の定義がもっとも納得できました。
佐藤は、<全体>と<部分>の論理関係から説明しますが、ここで短く言うのは
困難です。興味のある方は、「レトリック感覚」を参照してね。

520 :ボルカ:03/10/14 22:55 ID:GnmJ93AS
赤羽、下巻読了。
わかりやすい入門書でした。

下巻はソシュールからジャック・デリダへ至る構造主義の隠喩論を
ヤコブソンの「等価の原理」を肉づけする形で整理しています。
デリダを説明する際に、フロイトの隠喩論も紹介されます。
文例の引用は、主として日本の詩作品。

それと、最後にレトリック(特に隠喩)が政治的プロパガンダに用
いられるときの危険性がきちんと指摘されているのが、好印象でした。

赤羽さんは防衛大学の教授なんですが、彼のような俊英にポエジーの
手ほどきを受ける自衛官は幸運だよなー、と思いました。
僕は大学で詩学を選択する機会は無かったです。

521 :ボルカ:03/10/14 23:01 ID:GnmJ93AS
てなわけで、なんとなく、薄ぼんやりと二軸論が見えてきた今日この頃。

ちなみにソシュールの「一般言語学講義」はコンスタンタン(第3回講義)
で読んだんだけど、広範すぎて詰まんなかったです(笑。
あれはやっぱり、その道の方でないと楽しくは読めないのではないでしょうか。


522 :ボルカ:03/11/08 19:17 ID:msKAWCxK
レトリックと関連して、シュールについての雑感。

2003年11月号の「手帖」は、瀧口を扱っていて面白い。
この号のはじめの方(19ページ)で、経富さんが、ある時期の
瀧口が在る詩のなかで「のような」を使ったことを引用して、
瀧口における言葉のオブジェ性について深い考察を展開してい
る文脈の一部で、引用文が直喩であることをめぐって「ある種
の生ぬるさと言ったら失礼になりますが」と表現している。
で、対談相手の城戸さんは、コレに答えて、シュルレアリスムは、
ある言葉が別の言葉に届けられるのを拒むはずのものだ、と述べ
て賛同を示しているんだけど、ここに二つの問題があると思う。

523 :ボルカ:03/11/08 19:19 ID:msKAWCxK
一つ目は、直喩とは何か?ということ。

もしも「比較して例えること」が比喩である仮定した場合、その
範囲での直喩は、そもそも詩のレトリックではないと思う。
それは、通常の文法に全く逆らわない、フツーの表現であり、
「のような」という言葉の使い方の本来のルールに従ってるだけ
だから、いわゆる平叙文であって特に詩のレトリックと言うわけ
ではない。
逆に言うと、そういう表現が詩に含まれていても、それは普通の
場合は、決め技じゃないわけだから、スルーしておくところなん
じゃないの、という気がします。

もちろん、それは他でもない瀧口がそういう表現をした、という
こととは関係ない話だけど。レトリックに関連して、そんなことを
感じました。

524 :ボルカ:03/11/08 19:20 ID:msKAWCxK
二つ目の問題は、シュールってのは何だったのか、ということ。
僕はむしろシュールってのは、<文脈間(たんなる語間ではない)
で起こされた、拡張された比喩>だったのじゃないか、と思って
いたんだけど(別に理由はなく、漠然とだけど)、そうではないっ
てことなんだろうか。文脈ってのは、文化とか、歴史とか、個人
の生活とか、そういうのね。
コレはどう考えるのか、全然分からない。

てわけで、いつもどおり良くわかんないわけだけど、瀧口も面白
そうですね。
とくに「詩と実在」におけるリアル(現実)の取り扱いは、イケル
感じでした。

525 :名前はいらない:04/02/05 22:21 ID:ckY6K5HD
保留。

526 :名前はいらない:04/04/01 18:15 ID:y71HhHzD
いろんな解釈があるなぁ。

527 :核之進 ◆ccqXAQxUxI :04/04/19 23:22 ID:AlHL7BO4
誰に聞いて欲しくて
誰に感じて欲しくて

私はキーボードを叩いているのだろか

528 :名前はいらない:04/05/08 13:14 ID:eg/cJclE
おわり?

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